第17話 レオンシュタイン、やらかす
スカーフが外れたイルマの口元は傷によって歯茎がむき出しになり、まるで狼の口ように見えたのだ。慌ててイルマは口を隠すが、隠しきれずにその場にいた人たちの目に入ってしまう。
「気味が悪いな……」
「片目で狼口か。女の幸せは望めそうに無いな」
「そういえば、イルマって『黒い月 傭兵団』の一員じゃない?」
ボッズからスカーフを奪い返したイルマは慌てて口の周りに巻き付けていた。
「なんでえ。こんな化け物みたいな女、いらねえよ」
吐き捨てるように話したボッズは足早にその場を去っていった。まわりの見物者や参加待ちをしていた男たちも足早にその場を去り、広場にはイルマとレオンシュタインだけがぽつんと残されていた。
その場に立ち尽くしたままイルマは真上の空を眺めていた。その姿はまるで泣いているかのようで、レオンシュタインはその場を立ち去ることができない。
「大丈夫?」
はっとしたようにイルマはレオンシュタインの方へ振り返った。何か奇妙な生きものでも見るように、まじまじとレオンシュタインを見つめている。
「ん、大丈夫。いつものことさ」
笑おうとするイルマだったが目はどうしても笑うことができない。レオンシュタインが自分を見ていることに気付くと、スカーフを巻いているというのに手で口元を隠してしまう。気がつかないふりをしながら、レオンシュタインはその場から離れることを提案する。イルマは黙ってうなずき、荷物を担ぎ上げるとレオンシュタインの後に続く。
レグニッツァ川沿いの小道を歩き、木組みの用水風車の側を通る。リンベルクの名物にもなっているこの水車は、ゴットンゴトンと無機質な音を周囲に響かせている。水車の両側には2つの輪が取り付けられ、その間に四角い柱が何本も接続されていた。輪の外側には木の桶が取り付けられて水をくみ上げ、桶が頂点までくるとザアと下の水路に水を落とし、近くの畑に流れて行く仕組みなのだった。
ピルネも中心を離れると農地が広がり、水車の周辺にはベンチが設けられ市民の憩いの場となっているのだった。
その水車がよく見えるベンチの一つに二人は黙って腰掛ける。しばらく沈黙した後、レオンシュタインは疑問に思っていたことを口に出していた。
「あの……。どうして見ず知らずのぼくについていこうと思ったの?」
けれども答えはしばらく返ってこなかった。レオンシュタインは別に答えを急かすわけでもなく水車を眺めていた。ゆったりとした時間が二人の間に流れ、目の前の水車が休まずに水を汲み上げている。
「私、知り合いがいないからさ。帰るとこもないしね」
「えっ?」
突然、答えが返ってきてレオンシュタインは何と言っていいのか判断が付かない。しばらく無言が続いたあと、ぽつりとイルマが語り出した。
「私、親に捨てられたみたいでさ」
ゆっくりとイルマの方に顔を向けたレオンシュタインの目に優しい色が宿り始めていた。近くにあった小石を拾ったイルマは、右手でくるくると弄んでいる。
「物心ついた時から孤児院に入ってたよ。よくいじめられたな」
思い出したくもないという表情でイルマは水路を見つめたままだ。
「だんだん大きくなってくると男たちが私の身体にちょっかい出してくるんだよね。それが嫌で、そこを逃げ出したってわけ」
手に持っていた石を水路めがけて投げつけると、トボンという音を立てて水面に波紋を作りだした。二人はその波紋と川岸に生えているシダレヤナギを交互に見つめている。
「でも、誰も私を雇ってくれないの。身元がはっきりしないから無理ないよね。で、最初は女ってことを隠して傭兵団に入団したんだ。ただ女って分かってから敵と味方の両方から狙われてさあ……。そんとき、片目を切られて散々だったよ」
イルマは左目をそっと触る。
「女の子なのに、目以外にもこんなに傷を作ってさ」
髪の毛をかき上げ顔全体を露わにすると、至る所に傷跡が見えてとても痛々しい。
「ある戦いで口の右側を裂かれて、それから狼口の傭兵って言われるようになった。21歳の乙女がだよ、さすがにへこんだね。その日から私にちょっかいを出す奴は少なくなったけど」
鏡を見るたびに、どんなに辛かったろうとレオンシュタインは自分のことのように胸を痛めていた。
「じゃあ騎士団って思ったけど、男しかなれないんだよね。あとは貴族かな。いい思い出ないけど」
レオンシュタインはずっと黙ったままだ。誰もが、こんなどうにもならないことを抱えて生きている。やりきれない悲しさに何もできない自分をもどかしく感じるレオンシュタインだった。
「傭兵団から逃げて大道芸をして食べてきたけど、それも疲れちゃった」
二機の水車は、ごとんごとんと大きな音を立てて粉をひいている。水の音とは違い、響くのは寂しく単調な音だけだ。
「私の願いなんてちっぽけなことなんだよね。家に帰ってきた人にお帰りなさいを言うとか、灯りをつけて誰かを待っているとか。誰かを好きになって、ずっと一緒にいて、子供が3人くらいいて、毎日、笑って暮らしてて……」
その正直な気持ちは、レオンシュタインの中にすっと染みこんでくる。
「大それた夢だったなあ」
諦めの気持ちが、その声からひしひしと伝わってくるのが悲しい。
ピルネの空が少しずつ黄色に染まり、あちこちの家から炊煙が上がり始めていた。麦をかしぐ匂いが漂ってくる。
「ごめんね。見ず知らずの人にこんなこと言っちゃってさ」
木のベンチに両手をついて足を前に投げ出したイルマは、小さな笑みと謝罪の表情が入り交じった顔になる。
その表情を見たレオンシュタインは謝ることなんてない、と声が荒くなった。
「大それてなんかいない! いい夢です。イルマさんは一生懸命生きてます。それだけで素晴らしいです。きっと夢は叶いますよ!」
イルマはレオンシュタインを横から見つめる。
「あんた、いい人なんだね。でも、こんな顔の女は……。夢なんて叶わないよ」
ふいっと目をそらしイルマはまた水面に視線を移す。
「そんなことないです。イルマさんは綺麗ですよ。あんなにたくさんの挑戦者がいたじゃないですか」
「そう?」
「そうですよ! イルマさんに側にいてほしい人、いっぱいいますよ」
するとイルマは突然、レオンシュタインの腕にしがみついてきた。
「あなたも側にいてほしい? 私のこと嫌いじゃないんだね。というか好き?」
そのとたん、レオンシュタインの顔が真っ青になる。
「えっ?」
考えを巡らせるけれど、この状態を改善させるいい考えは浮かんではこない。
「ねえ、私、あなたのこと何て呼んだらいいかな。主さま、それともレオン?」
イルマは、ふわっとした笑顔になる。レオンシュタインはイルマが、やたらと身体を密着させてくることが気になって仕方がない。やたらと右腕に胸をぎゅうぎゅうと押しつけてくる。
「私、つくすよ。レオンがして欲しいことなら何でもしちゃうから、ね」
いたずらっぽくイルマは話す。
「ね、じゃないよ」
それを跳ね返すようにイルマから離れ、レオンシュタインはその場に立ち上がるのだった。




