第155話 悲しみの姫巫女
王国歴164年8月1日 午後8時 シキシマ国の旅籠宿 露天風呂にて――
湯煙の向こうに人の気配がする。
(貸し切りじゃなかったのか)
急いで湯船に浸かると、湯煙の向こうからシノがゆっくりと歩いてくるではないか。申し訳程度の布で身体を隠している。
「ちょ! シノさん!」
「ここはコンヨクなんですよ。男女のどちらが入ってもかまわないのです」
シノは悲しそうに微笑んでいた。かけ湯をして、とぽんと湯船に入ってくる。
シキシマ国で見てきた女性の中でも、シノは別格の美しさをもっていた。光沢のある黒髪とそれとは真逆の真珠のような白い肌をもち、可憐な顔立ちと薄紅の唇が印象的である。瞳も珍しい緑が輝き、一度見たら目を離せなくなる魅力を放っていた。
レオンシュタインは顔を逸らすとシノはすぐ隣に腰を下ろす。何とか意識を逸らそうとレオンシュタインはとにかく話しかけることにした。
「あ、あの……姫巫女って何ですかね?」
その問いに、シノはますます顔を曇らせる。
「私は出来損ないの姫巫女なのです」
自分の髪を弄びながら、寂寞の表情でシノは俯いていた。
「出来損ない?」
「はい、私の一族は代々、巫女として予言を司ってきました。魔法が使えないゴート族は、それが魔法の代わりといっても過言ではありません」
月の光が黒髪を照らし神々しささえ感じるシノの横顔が悲しくも美しい。二人ともお湯の熱さを避けるように石の上に腰掛ける。
「私が授かった力は、天気を詠む力でした。それは、明日が晴れるとか、風がどちらへ吹くとか、そんな単純なことでした。そんなことが分かって何になるのです? 姉は、災いが近づいたり、災害が起きることを予言できるのというのに」
激情が出てしまった後、シノは自嘲気味に笑う。
「父はこんな私を役立たずと判断し、外交の道具に使うことにしたようです。それが私がここにいる理由です」
つまりクリッペン村の村長とよしみを得るために接待役としてシノを派遣したことになる。レオンシュタインは怒りを抑えきれずに、再度、どぼんとお湯の中に入ってシノの方を向く。
「そんなことのために貴方は私の前にいるのですか? それで貴方は幸せですか?」
「別に私は……。私の価値なんてそんなも……」
全てを言わせず、レオンシュタインは言葉を遮る。
「私は自分に価値がないという人が一番嫌いです。それに貴方がここで私に抱かれたとして、それからどうするのですか?」
「一緒に暮らしていこうと考えています」
「どんな顔で?」
「え?」
「無理矢理抱かれた男の側で、貴方はどんな顔で笑うのですが? 私はそんな悲しい人間を見て暮らすのはご免です」
そんなことは考えもしなかった。無理矢理抱かれ、奴隷のように暮らすことは、誰も幸せにしないと断言されてしまった。予想外のことにシノは泣きそうな顔を隠せない。
「わ、わたしは……どうしたらいいんでしょう?」
うろたえるシノにレオンシュタインは優しい眼差しを向ける。
「とりあえず笑ったらいかがですか?」
意表を突かれシノは何のことだか分からない。レオンシュタインはさらに表情を緩めて、自分語りを始めた。
「実は私……10回連続でお見合いを失敗してるんです。全然もてないんですよ」
頭をかくレオンシュタインを見て、シノは何と言って良いのか分からず、微妙な表情になる。どうやら気が別の方へそれたようだ。
「でも、女の子と旅をするようになって、仲良くなる機会も増えてきました。でも最近、髪の毛がチリチリに逆立つことが多いんです。ほら、さっきのティアナって子が私に電の魔法を放つのです。他の女の子と仲良くしてるからって」
「えっ?」
戸惑いの表情がシノに浮かぶ。レオンシュタインは胸の前で手を振り、それを否定する。
「いやいや、仲良くしてないんですよ? それなのに雷のために頭が鳥の巣みたいになるんです。毎回……」
「まあ」
少しだけシノの表情が緩む。
「で、この前なんか僕にめちゃくちゃ電撃を食らわせた後で『誰がこんな酷いことを(したんだ?)』って言ったんですよ。信じられます? お前だよ! お前! って言いたいんですけど私は痺れながら鳥の巣頭です……」
お前だよと指差したレオンシュタインを見て、シノは口に手を当てながらころころと笑ってしまう。
「鳥の巣……頭が……」
レオンシュタインはシノの側に寄り、彼女の頬をそっと両手で包む。突然のことに、シノは頬を上気させたまま固まってしまう。
「こんな素敵な笑顔の人なら、側にいてもらいたいって思いますよ」
また、やったよ。この男は……。
しばらく間を置いてからシノは思わずこくんと頷いてしまう。
「ずっと、お側にいさせてください」
その瞬間、レオンシュタインは我に返り、慌ててシノから離れて湯船に立つ。シノもつられたように立ち、少しずつレオンシュタインの側に歩いていく。
「……いやいや、今のは、笑顔の方がいいよね的なニュアンスで、別に私の側にとかそういう意味じゃなくて」
何を言っているのか分からない。シノは全裸のままレオンシュタインの前で手をもじもじさせている。
「レオン、それとも貴方? どちらでお呼びすればいいですか?」
「いやいやいや、すごい勘違いしてるから! ね? シノさんに幸せになってほしいから……。その、私の村ではみんなに笑ってもらいたくて……幸せになることが目標で」
「シノは幸せです」
じっとレオンシュタインの目を見つめるシノは、輝くような笑顔だ。しかも全裸で。レオンシュタインは、すでに息も絶え絶えとなっていた。
「ちが~う! ね!? 違うから! 自分を大事にして! 外交の道具なんかじゃなくて、自分の好きな人と一緒に……ね!」
「シノはレオンさまをお慕いしております」
ダメだ。何を言っても駄目な方に転がってしまう。こうなったら逃げるしかない。
湯船から石を乗り越えて逃げようとしたレオンシュタインは、長時間湯の中にいたため、目眩を起こしてしまう。湯から出た後、よろよろとその場にしゃがみ込み、そのまま倒れてしまった。
「レオンさま!」
慌ててシノは湯から出て身体に布を巻き付けると、レオンシュタインを石の上にそっと横たえる。桶に水を汲み、温度を調節しながら、ゆっくりとレオンシュタインの身体を冷やし始めた。水で浸した布で頭を拭きながらレオンシュタインを見つめる。
ゆっくりと顔を近づけると、その薄紅色の唇をレオンシュタインの紫色の唇に重ね合わせる。
「レオンさま……。ありがとう」
そう言って、もう一度艶やかに微笑むと、浴室を出てレオンシュタインの介抱をするように申しつけるのだった。




