第14話 働くティアナ
王国歴162年9月7日 朝 スコップ亭の2階の部屋にて――
屋根に雨の打ち付ける音で目を覚ましたレオンシュタインは、久々に雨の匂いを嗅ぐ。子供の頃を思い出すような湿った土の匂いが部屋の中に漂っていた。
「おはよう、レオン。足の具合はどう?」
窓を開けながら、ティアナはいつものように明るく元気な声になっていた。レオンシュタインは心底ほっとする。
「ああ、大分いいよ」
「そ? 良かった」
2人は丸々1日半、眠っていたのだ。そりゃあ、すっきりしているはずだよとレオンシュタインは苦笑しつつも笑顔になる。
よく見るとティアナがエプロンをかけている。聞けば朝のうちに女将さんに頼み込み、働ける日は働くことにしたとのこと。
「ティアナちゃ~ん」
「は~い」
階下にいたおかみさんに呼ばれて、ティアナはすぐ下に降りていった。
(ありがとう、ティア)
レオンシュタインは用意されていた盥の水で顔を洗うと、着替えを済ませて下の食堂へと向かう。トントントンという木の階段の音が心地よく響く。
食堂では、ティアナが厨房の中でスカーフを巻き付けたまま働いていた。スカーフのおかげで仮面に気付きにくくなっているし、仮面の色も心なしか黒が薄れている気がする。
「あっ! レオン。こっちこっち!」
お客がいないのを見計らうと、レオンシュタインを窓際の見晴らしがいい席に案内し、どうぞと椅子を引く。
「ティア、朝食は何かな」
「今日はスープがおススメ! 今、持ってくるね」
そう言って厨房へ行き、二人分の食事をお盆に載せて戻ってくる。音を立てないように机の上に置き、一緒に食べると宣言して横の席に座っている。
「さあ食べましょ。このベーコンのスープ、私が煮込んだんだよ」
スプーンで一口すすったレオンシュタインは、ベーコンとタマネギと胡椒の香りに舌が喜んでいるような気がした。
「懐かしいな」
「ふふ~ん。城で作ってたのと同じ味付けだからね」
そう言いながらティアナもスープを口に含む。
「うん、まあまあの出来! 城から少ししか離れていないのに、野菜の味がちょっと違う気がするんだよね」
すると突然、何に気がついたのかレオンシュタインの側に寄り、その口元をナプキンで拭く。
「相変わらず、口の周りにつけるのがお上手ですね」
可愛らしい皮肉を言いながら、レオンシュタインの顔をじっとのぞき込んだ。服の上からでも身体のラインが美しいことがよく分かる。そういえば抜群のプロポーションと城で評判だったことをレオンシュタインは思い出していた。
(レオンシュタイン! 勘違いしちゃダメだ! ティアは《《仕事》》としてメイドをしてるんだから)
(レオンにアピールしたんだけど効いてない? 仲良くしたいって気付いてもらえたかな)
微妙にすれ違う2人だった。
食事を済ませたレオンシュタインは、すぐにバイオリンの練習に出かけることを決める。
「レオン。危ないところへは絶対、行かないでね。私がいなくて大丈夫?」
心配そうなティアナを何とか安心させて、レオンシュタインは宿の外へと出かけていく。
宿の扉を開けた瞬間、牛肉の焼ける香ばしい匂いが鼻に入ってくる。
「お兄さん、この肉食べてみない? おいしいよ!」
「ピルネに来たなら、この酒、飲まなくちゃあ」
次から次へと露天の人から声をかけられる。買い物をしている人の多いこと多いこと。人に圧倒されながら、本日の練習場所と目星をつけていた教会へ向かって歩いて行く。市場の売り物は食べ物だけではなく、部屋に飾る小さな木彫りの人形や珍しい形の石、銀色の刺繍が光る絨毯などで街全体がキラキラして見える。
向かっている教会は屋根が薄緑色で尖塔が高くそびえ立ち、遠くからでも目立つ建物だ。尖塔の下には赤煉瓦と白い漆喰が美しく、歴史を感じさせる古さを感じさせる。その側をゆったりと川幅が20mほどもあるレグニッツァ川が流れている。水面は黒緑色に光り、水深が深いようで表面は鏡のように波が立たないのだった。
教会と川の間には芝生の公園が広がり、ボールで遊ぶ親子やベンチで話すカップルが目立つ。レオンシュタインは人があまりいないところを見つけ、すぐに練習の準備をし、バイオリンを肩に載せた。
(まずは調弦)
音を出すと、近くを歩いていた人が驚いたように立ち止まる。
「綺麗な音だな!」
「有名な演奏家だろうね」
練習に集中しているレオンシュタインには自分の音しか聞こえなくなる。時々、水は飲むものの、集中して練習を続けていた。
見ていた人たちもベンチに座り、その音色を楽しんでいる。
一方、ティアナはレオンシュタインと一緒に行きたい気持ちをぐっとこらえ、給仕の仕事をしていた。レオンシュタインと一緒にいたのは朝くらいで、あとは一人で給仕の仕事をしなくてはならない。
「お待たせいたしました」
軽やかな声で食事を運ぶと、おや? 今日は人が多い?
「ねえ、君の名前を教えてもらっていいかな」
やたらと名前を聞かれたり声を褒められたりする。そのたびに、
「あ、おかわりがあったら、すぐに声をかけてくださいね」
と、華麗にやり過ごしていた。
初めてこの宿屋に来たとき食堂はガラガラだったのに、今見ると15席全てが満席だ。
「ティアナちゃん、これ3番テーブルへ」
「はあい」
振り返るたびに金色の髪の毛がふわりと揺れ、それを見た人は、ほうっとため息をつく。時々窓から入ってくる太陽の光を反射し、巻いている髪は金色の美しさが増している。
城で働いていただけあって所作も優雅で、給仕される側が嬉しさを感じる動きができる。声も優しいソプラノが心地よく、可愛らしさと落ち着きが混じった声が魅力的だ。
黒い仮面が逆に男たちの想像を駆り立て、自分の好みの顔を想像しているに違いない。
「お待たせいたしました」
音を立てずに皿を置き、
「ごゆっくりどうぞ」
までがデフォルトの動きだ。声を聞きたいし、側にいてもらいたい男たちは次々と作戦を考える。
「うん、おいしい。これは誰が作ったのかな?」
「それは、私が作ったんですよ。気に入ってもらえてうれしいです」
やや首をかしげて、お盆を胸の前で持つ仕草が可愛い。
ただ、次の会話を繰り出す前に、
「それでは、食事をお楽しみください」
と、厨房へ帰っていくのだった。
「ティアナちゃん、お疲れ様。大変でしょう?」
「いえ、大丈夫です。お仕事ですから」
ただ、頭の中ではレオンシュタインのことが気になって仕方がない。危ない目にあっていないか、考えるだけで不安になってしまう。
午後3時を過ぎた頃、ようやく給仕が終わる。
「じゃあ、出かけてきます」
そう言うが早いがスカーフを巻き直して、ティアナは食堂を駆け出した。その様子を微笑ましく、宿の主人とおかみさんが見守っている。
「よっぽどレオンくんが心配なのね」
「近頃まれに見るくらい、いい子だな。ま、仮面はアレだけど」
皿をあらいながら、二人は笑顔で話し合うのだった。




