娘、刀狩り
「なっ、何だいっ!?」
破壊音の元となった店から強面の老婆が出てきて悲鳴を上げる。老婆の視線の先には土煙と店に空いた無残な大穴とその残骸。更には穴を空けた物体と思われる、完全に意識を失っている筋骨隆々の男。
「何こいつ、どこから降ってきたの?」
「あっちから」
こんな時まで冷静に遊佐は左斜め六十度ほどを指差した。
「あっちって……確か枝垂れ屋の方?」
いつの間にか悲鳴が近づいてきているのは気のせいではないだろう。
「赤い柄巻の刀を持った奴のお出まし?」
「向こうから来てくれるのか。親切な町だな」
しみじみと言ってのける遊佐の言葉は本気か冗談かわからない。
ただ確実なのは、悲鳴と破壊音は確実にユズリと遊佐の元まで近づいてきているということだ。そしてその破壊音は道を曲がって二人の前までやってきた。
「どけどけぇっ!」
野太い声と共に、赤い袢纏が肌蹴た髭の濃い、禿げた頭の中心にだけ髪が生えた男が太い右手で短刀を振り回し、左腕では女を抱え込んでいる。その女が細い手を必死に伸ばして泣き叫ぶ。
「た、助けてぇっ!」
男の腕に繋ぎとめられた女は濃い化粧に黒地に毒々しい花が描かれた着物を纏い、一目で遊女と分かる風体だった。
「……赤い着物着て、赤い柄の刀。こいつ?」
遊佐に視線をやると、遊佐は落胆したように首を横に振った。
「確かに柄は赤だけど違う。あれは脇差でなく短刀だし、俺が探してる奴はあんな赤茶色の柄巻でなくもっと真っ赤なやつ。そもそもあれは打ち掛けじゃない」
「何だ。せっかく吹き戻しと交換で情報買ったのに」
「そんなにあのオモチャが大事だったのか?」
「うるさいな。私は物に対する執着心が人一倍なの」
話のずれこんだユズリ達の会話を見かねたように髭の男が声を張り上げた。
「おい! お前らも俺の邪魔をする気か!」
「た、助けてって言ってるだろぉ!?」
「あーもう何よ、心中騒動がどうのこうのってあんた達のこと? 心中ならもっと人の迷惑にならないところで静かにひっそりやるのが礼儀でしょ」
ユズリは胸を張って仁王立ちになって怒鳴りつけた。
「いい大人が人様に迷惑かけてんじゃないわよ!」
「え、そういう問題なのか?」
遊佐のささやかなツッコミを無視してユズリは男を見据えた。
「あんまり騒ぎが過ぎると出入り禁止にされた揚句に、『引かれ』るわよ」
ユズリの小娘らしからぬ低い声に気圧されたのか、遊女を抱いたまま男が一歩退く。その間合いを詰めるように、ユズリも一歩前へ出て更に低い声で問う。
「おまけにそっちのヒゲ。あんた、向こうから逃げて来たわね?」
男の顔があからさまに動揺を映した。
「私の目は誤魔化せないわよ。これだけ騒ぎを起こせば、向こうもあんたに気づいてるはず。もうあんたはどこへ逃げても無駄よ」
「う、うるせぇっ! 俺はミヤとどこまででも逃げてやらぁっ」
「アタシは嫌だって言ってんだろ! お離しよっ」
「ミヤ! お前俺と添い遂げたいって言ったじゃねぇか!」
男はとうとう刃を遊女へと向けた。遊女は小さく悲鳴を上げたかと思うと、自棄になったように叫んだ。
「そ、そんなの! 客相手の手管に決まってるだろ! 誰がお前みたいなのと添い遂げるかいっ」
「ミヤ……おめぇ……!」
「女に入れ込みすぎると破滅するぞ」
静かな声で言ったのはずっと傍観していた遊佐だった。
騒いでいた男女とユズリは同時に遊佐を見た。彼はやはり無表情だったが、今まで以上に冷たく無機質な、血の通っていない人形のような顔で淡々と続けた。
「まぁ色恋で周囲が見えなくなるような奴なら、さっさと破滅してくれたほうが周りにはありがたいけどな」
「なっ、てめぇっ! 餓鬼が知ったような口を聞くんじゃねぇっ」
男は顔を真っ赤にして、刃を遊佐に向けた。
「……こういう手合いは正論述べると逆ギレする傾向にある。どうすんの? オッサン一人放り投げちゃうような怪力相手に」
ユズリは顔を顰めて遊佐から視線を外した。
「別にどうも。なるようになるんじゃ?」
「何つー無責任な……」
溜め息を吐いて、ユズリはしゃがみ込んで壊された店先から転がり出た商品を物色し始めた。
「あんたはあんたで何してるんだ? こんな時にフリマ気分? 何かいい物でもあったか?」
「いい物選んでるのよ」
遊佐に背を向けたまま、ユズリは壊れた店先を見て怒りに震えてる老婆に「これ借りるから」と言って立ち上がった。
「この糞餓鬼どもっ! 俺を無視すんじゃ……」
「器物損壊、傷害、無理心中未遂と言うか殺人未遂……まぁここじゃ罪状はつけられないんだけど。でも向こうからの逃亡ってだけでこの町では重罪だけどさ」
ユズリは薄く笑い、選びとった『いい物』を握った。
「今すぐ遊女の姐さんを離して、その短刀を捨てて戻りな。お迎えが来る前に自主的に戻ればまだ少しはお目溢し願える」
「ふざけんなっ! 餓鬼はすっこんでろ!」
「……人が親切で言ってやってんのに」
つい眉間に皺が寄る。やはり慣れない親切などするものではないらしい。
「せっかく私も目溢ししてやろーと思ったのに」
「おめぇみてぇな糞餓鬼に目溢しもらうほど俺は落ちぶれちゃ……!」
「あ、そう」
不機嫌に呟き、ユズリは先程店から借りた『いい物』を握る左手に力を込めた。それは古道具屋を営む、今は無残に穴が開いた店先に飾られていた太刀だ。
「こんな無法地帯っぽい町だけど、その時々の管理者と住人代表達の間でルールが作られることもある。今のルールのひとつに無認可者の抜刀を禁ずっていうのがあってね」
ユズリは口角を上げ、柄と鞘を握るそれぞれの手に力を込める。
「その無認可者抜刀禁止の取締りに、私もたまーに協力しているわけよ」
そして一歩踏み込む。音もなく黒塗りの鞘から引き抜かれた鋭い銀の光が男へ向けて一閃。カチンと音を立て、銀の刃は鞘に納まった。
一瞬の間を置き、遊女の悲鳴が路面に響き渡った。
「きゃぁぁぁぁっ!」
その場に座り込んだ遊女は涙を流し震えている。だが彼女を捕えていたはずの男の腕はおろか、男そのものが姿を消していた。男が握っていた短刀だけが地面に音を立てて落ちた。
「うるっさいなー。あんたは斬ってないよ。斬ったのはこいつの頭の葉っぱ」
そう言ってユズリは歯の根も合わぬほど震える遊女の隣に転がっている、狸とも狐とも熊ともつかぬ大型犬ほどの赤い毛並みの動物の尾を掴んた。
「何だそれ? 狸?」
遊佐はユズリの隣に立ってその奇妙な毛深い獣を見下ろした。
「さぁ? どっか別の世界の化ける奴でしょ? けど頭に葉っぱ載せて人間っぽい感じに化けるあたりは狸とか狐っぽいかな」
「ああ、化けてたのか。もしかしてあのハゲ頭の中心に残ってた髪が葉っぱ?」
「そう。それでこの不細工な動物がこいつの本性」
気を失っているのか、元男であった獣はぴくりとも動かない。
「死んだのか?」
「ここで死ぬ奴なんて、いるわけないじゃん」
「そうなのか」
「ここは死んだ奴と生きた奴の狭間の町だもの。死ぬのはこの先で」
ユズリはそう言って鞘に納めた刀を店主である老婆に返した。
だが鞘を見た老婆は「油汚れがついた」と文句を言い始め、「不可抗力だ」「買い取れ」の押し問答がしばらくその店先で繰り広げられることとなった。
「指紋なら拭き取ったでしょ! ほら!」
「馬鹿お言い! ここんとこをご覧! 傷がついてるじゃないか! 弁償おし!」
「そんな小さい傷、最初からついてたんでしょ! ぼったくるつもり?」
「喧しゃー小娘っ! アタシの目は欺けないよ! ……そっちの小僧も何やってんだい! 売り物に勝手に触るんじゃないよ!」
般若のような顔の老婆の先には、店先に未だ散らばる売り物をいじっている遊佐の姿があった。
「ちょっと何してんのよ。あんた泥棒か何か?」
「盗む気はない」
「盗む気はないって、どう見たって泥棒じゃ」
「あんた達揃ってコソ泥かい! 番所に突き出すよ!」
「だから私は借りただけだって言ってるでしょ!」
老婆の怒りの矛先が再びユズリに向けられた時、間近で重い金属音がした。
「え?」
それは短い筒だ。細い鉄の筒。火薬の匂いが鼻につく。
「……あんた、何してんの?」
ユズリは鉄の筒――火縄銃を彼女と老婆に向け、無表情のまま両手で構える遊佐を見た。
遊佐は答えず銃の火蓋を切り、引き金に指をかけた。
「ちょっ!」
頭が混乱してどう行動したらいいのかわからない。
ただその銃口は確かにユズリと老婆に向いていることだけは確かで、老婆はその場で腰を抜かし、ユズリも混乱しすぎて手足も動かない。
それでも淡々と、遊佐は引き金を引こうとした。
「動くなよ」
そう低く呟いた遊佐の声は、鼓膜を突き破るような破裂音に掻き消された。
空に、町に響き渡った爆音と白い煙と共に、弾丸は放たれた。
弾はまっすぐにユズリと老婆のすぐ横を通り抜け、いつの間にか意識を取り戻しユズリへと襲い掛かろうとしていた赤い獣へと向かい、その鋭利な爪を砕いた。
爪を弾丸によって折られ、耳障りな悲鳴を上げながら獣がのたうちまわっている。
「……え、何……アレを狙ったの?」
呆然とユズリが尋ねると、遊佐は軽く眉根を寄せた。
「他に何を狙ったと?」
「……いや、だってこっち向いてたし、あんた何も言わないし……て言うか、あの獣が襲ってきてるよって一言言ってくれればいいじゃない!」
「珍しい火縄銃だなと思って見てたら偶然あいつが起きるところを見たから。あーこれは危ないなと思って黙って作業してた。あそこで襲ってくるなんて言ったら逆上してもっと面倒になるかと思って」
どこまで嘘か本当かもわからないような口ぶりで遊佐は言う。もう少し悪びれるなり怒るなりすればこちらとて礼を言ったり更に怒ったりと出来るものなのに、こう薄い反応では何も言えなくなる。
二の句が継げなくなったユズリは腰を抜かした老婆を見やり、更に後方で先程からずっと立ち上がれずにいる遊女を見て自分も崩れるように座り込んだ。
「びっくりした……」
「火縄銃は響くからな」
どうやら遊佐は、ユズリが銃口を向けられてあまつさえ自分のすぐ隣に向け発砲されたから驚いているのではなく、火縄銃の発砲の爆音に驚いていると思ったらしい。色々と怒鳴りたいところだがそんな気力も削がれた。
「そう言えばあんた、何で火縄銃なんて撃てるのよ。私なんて目の前に実物置かれたって撃ち方わかんないのに」
あまりに恨めしくて、未だ薄らと煙を吐いている火縄銃すら憎々しく見えてくる。
「ああ、昔からじいさんが砲術をやってたから」
「砲術?」
「火縄銃とか使った射撃術。じいさんが撃つところとかを昔からこっそりと見てたんだよ。じいさんはあまり人前で修練するのを嫌ってたけど、俺が見ているのは気付かなかったらしくて見放題だった」
そう言った遊佐が、無表情ながらも僅かに得意げに見えてますます力が抜けた。
「……見事な腕前だったよ。一歩間違ったら私に直撃してた気もするけど」
「そんなヘマはしない」
「そう」
「あんたも見事だった」
「何が?」
「居合か? 一瞬だった。凄いな」
余計な表情がない分、遊佐の言葉は真実味が重い気がする。本気で褒められたのだと思えば悪い気もしない。
「私も昔、居合をやってたことがあるから」
ユズリは立ち上がってスカートについた砂を払った。
「ほとんど自己流だけどね。ここはこういう場所だから、どちらかと言うと実践で鍛えられた」
「へぇ。楽しい所だな」
ただの物騒なところだろうとも思うが、嘘や揶揄の気配は感じられないので褒め言葉として受け取っておくとする。極度の変わり者というのはいるものだ。
「……さて。これからこの獣を番所に連れてって、枝垂れ屋に事情説明に行って、この落ちてきたおっさんをどうにかして。それから改めてあんたの人探しに付き合って……色々やらなきゃね」
「その必要はないよ」
柔らかな声に振り返ると、そこには人の好さそうな笑みを浮かべた父が立っていた。
「お父さん!」
「怪我はないかい? ユズリ。遊佐君も」
「大丈夫。それよりここで何してんの? 公と話があったんじゃないの?」
「その話のひとつが、お前達が収拾をつけたそこの獣のことだったんだよ」
笑いながら父は爪を折られ、再び気を失ってしまった赤い獣を見下ろした。
「公から無闇な殺生を犯した獣の魂がひとつ、この町に逃げ込んだようだから見つけたら捕縛して連れ戻してくれと頼まれてね。少々凶暴な性質だから気をつけるようにと言われたんだが」
父の目が獣の折れた爪に向けられる。
「問題なかったようだね」
「……まぁね」
父は遊佐と違い、常に笑顔だからか却って言葉を疑いたくなる。読めない性格だからというのもあるのだろうが。
ユズリは獣が振り回していた短刀を拾い上げ、父に見せた。
「無認可で振り回してたから刀、狩っといた。どっかからの盗品だと思うけど」
「ああ、ご苦労様。ユズリは本当に刀狩りが好きだね。今年に入って十七振り目の刀だ」
「私のおかげで無認可抜刀者が減ってるんだから感謝してよ」
「しているとも。それに遊佐君にもね」
「俺も?」
遊佐は不思議そうに訊き返した。
父は頷く。
「その獣の折れた爪は君が持っている火縄銃で折ったものだろう? ユズリは少しばかり詰めが甘い所がある。フォローしてくれて有難う」
「詰めが甘いって何よ、お父さん! 別に私ひとりでも問題なく……」
「それは公の前でも胸を張って言えるかい?」
父の必殺、絶対零度の笑顔を前にユズリは渋々顔を逸らした。
「イイエ。この男に……」
「ユズリ。ちゃんと人様は名前で呼びなさい」
柔らかな父の叱責にユズリは憮然としながらも言い直す。
「遊佐に助けられた」
「そうそう。嘘はよくないよ」
父は楽しげに笑い、それからしばらくして駆け付けた番所の者達に獣を捕らえさせ、遊女からも事情を聴くよう指示を出した。更にユズリと遊佐が使った刀と火縄銃は買い取るということで老婆と話をつけ、破壊された数件の店などについての話をしているうち、町の中心で輝く炎の色が薄い藍色になっていることに気がついた。
「もうじき朝が来るね。ユズリと遊佐君はもう帰りなさい」
「まだ少し時間はあるじゃない。遊佐の探し人とやらの情報も全然掴めてないし」
「俺は見つかるまで帰る気はないです」
「駄目だよ。帰りなさい」
ユズリと遊佐の言葉を笑顔で一蹴し、父は言った。
「遊佐君の探し人については私も手を尽くそう。だから今は帰りなさい」
「お父さんが? 私ひとりにやらせるんじゃなかったの?」
「公に遊佐君の話をしたんだよ。そうしたら上の方々も手を貸して下さると仰っていたから、直に見つかるだろう」
「公が?」
「お優しい方だろう?」
にっこりと穏やかな笑顔なのになぜか冷たく感じられる雰囲気をまき散らし、父はそれ以上言わせなかった。
「お前たち二人が昼も夜もなくここに滞在し続けて闇雲に探すのと上の方々が手を貸して下さるの、どちらが効率が良いか、ユズリなら分かるだろう?」
そう言われては反論出来ない。ユズリに出来るのは頷くことだけだ。
「そういうことだ、遊佐君。また夜に来なさい。橋が開いている時間ならここへ来ることは何も言わないが、閉じている時間に生身の君たちがここにいることは好ましくない」
遊佐は表情なく父を見ていたが、反論を述べることなく頭を下げた。
「……わかりました。よろしくお願いします」
「ああ。それでは二人ともお帰り。橋までは送っていけないが、ユズリがいるから大丈夫だね?」
「当たり前でしょ?」
「そうか。じゃあユズリ。昼の世界を、お前が本来生きるべき場所を疎かにするんじゃないよ」
「わかってる」
父はユズリの頭を撫で、「気を付けてお帰り」と言って番所の者達とその場を後にした。
「……帰るよ」
ユズリは遊佐を見上げ、先を歩き出した。遊佐も黙ってその後に従う。
町は既に、獣の起こした騒ぎなど忘れたかのように常の賑わいを取り戻していた。