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末法の退魔師 ~戦国妖鬼討滅伝  作者: ビジョンXYZ
第二章 越後の龍
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第二十七幕 飛び加藤

 朝日が完全に昇り、徐々に日差しによって空気が温まり、それに伴って人々が覚醒して活動し始める時間帯。武田の歩き巫女である伽耶は、そんな朝靄が晴れた春日山城の山道を一人歩いていた。


 妙玖尼は景虎や綾御前たちと朝餉を兼ねた作戦会議に参加しているらしく、紅牙も家人が用意してくれた朝餉を食べたあと朝風呂にも入れると聞いて喜び勇んで直行していってしまい不在であった。


 伽耶はそこまで越後長尾家の世話になるのも気が引けたのと、若干女同士(・・・)の気もあるらしい紅牙と二人で風呂に入るのは色々な意味(・・・・・)で遠慮したかったので辞退して、こうして一人で城内を散策しているのだった。


 この辺りは城郭に近く、この城の主要な防衛施設である二の丸や三の丸とも離れているので、諜報活動(・・・・)と見做される怖れはないと判断しての散策であった。



(……紅牙はともかく、妙玖尼は随分と景虎に入れ込んでる(・・・・・・)のね。正直意外だったわ)


 妙玖尼は基本的に政争に巻き込まれることを嫌っていたはずだ。美濃でも紅牙とともに縛り首になりかけて、その解放を条件に斎藤義龍に協力していたと聞いている。


 そんな彼女が今回はそうした事情もなく、また破格の報酬で雇われた訳でもなく(妙玖尼はこの手の傭兵行為も嫌っていたはずだ)、あくまで自発的に(・・・・)協力しているだけの景虎に対して、信濃での退魔行を中断してまで遠く越後まで同道を申し出たり、上杉家の武将を交えての軍議にも積極的に参加したりしているのだ。


 勿論晴景の後ろにいると思しき強大な妖鬼の存在は影響しているだろう。だがその妖鬼の狙いはあくまで景虎のみなのだ。妙玖尼が自分から軍議に参加したり等ここまで積極的になっているのは、間違いなく景虎が心配(・・・・・)だからだろう。


(それだけ景虎に傾倒(・・)しているのだとすると、もし仮に晴信様が妖魔と手を結んでいる事が明らかになったら……)


 果たして甲斐を妖魔の手から解放するために、今回のように手を貸してくれるのだろうか。そんな疑問も浮かんできてしまう。そしてすぐにかぶりを振った。


(ああ、駄目ね。密偵として考えちゃう癖が付いてるわ。彼女が妖魔退治よりどこか特定の勢力に肩入れする事を優先するなんてある訳ないのに……)


 伽耶は若干疑心暗鬼になっていた事を自嘲した。


(……晴信様が裏で晴景や、曳いてはその奈鬼羅という妖鬼と繋がっているかも知れない。もしそれが裏付けられたら私は……)


 あくまで人の世のために自分の主君(・・・・・)を裏切れるのか。彼女はずっとそれを自問し続けていた。



「……!」


 そんな事を取り留めなく考えながら林道を歩いていた彼女は、道の先に誰かがいる事に気づいた。平凡な男性が長い箒を持って林道の落ち葉を掃除している。どうやらこの城の使用人のようだ。


 同じく伽耶に気づいたその使用人が会釈しながら脇に避ける。伽耶も会釈を返してその横を通り過ぎた。そして再び歩きながら思索に沈みかけた時……


 ――シュォッ!!


「っ!!」


 風が鳴った、ような気がした。何を考える暇もない。伽耶は刹那の判断で本能的に身を屈めつつ大きく前転した。そして素早く起き上がりながら振り向いた。


 ――あの使用人の男がこちらを見ていた。その手にはいつの間にか黒塗りの鎖鎌(・・)のような武器が握られていた。先ほどすれ違った時はこんな物騒な得物は確かに持っていなかった。


「ほぅ……加減していたとは云え、背後からの奇襲を躱すとは中々の身のこなしだ。腐っても武田の密偵(・・・・・)か」


「……ッ!?」


 伽耶は目を剥いた。自分が武田の密偵であることは、ここでは妙玖尼たちと景虎しか知らないはずだ。妙玖尼が告げ口などするはずもなし、紅牙も昨夜の夕餉から就寝まで行動を共にしているので酔って誰かに漏らしたという事もないのは解っている。


 そして景虎からは諜報活動を行わないという条件で、一応の滞在許可(・・・・)は下りている。こちらがその条件を破った訳でもないのに、あの景虎が一度した約束をこんなにあっさりと反故にするとは考えにくい。


「あなた誰? 何が目的? 私はこれでもこの城の主から滞在許可を貰っている客人(・・)よ?」


 油断なく身構えて冷や汗を垂らしながらも、景虎の事を口にして男を牽制する伽耶。だが男は薄く笑っただけだった。



「我が名は加藤段蔵(・・・・)。私はあくまで御前様(・・・)の命令を遂行するのみ」



「……!!」


 伽耶が再び目を瞠った。今この城で『御前』などと呼称される人物は一人しかいない。


(綾御前……あの女の仕業か……!)


 景虎の実姉にして、越後の影の支配者などとも噂される女傑。恐らくあの聡い女は昨日の短い挨拶や自己紹介、伽耶の身なりなどの限られた情報のみで彼女の正体(・・)を看破したのだ。そしてあの女は妹ほど優しくも公明正大でもない。


 景虎を救った妖魔退治の実績など綾御前からすれば関係ないことだ。いや、あの女ならその『妖魔退治』も、景虎の信頼を得て越後の中枢に潜り込むための工作(・・)とすら考えるかも知れない。武田の密偵という伽耶の素性を見抜いたなら、むしろそう考える方が自然だ。


 そして伽耶には自身の潔白(・・)を証明できる手段がなかった。情けないが景虎に頼んで取りなしてもらう以外にない。だがそれを眼の前のこの男は許してくれないだろう。……奴が名乗った『加藤段蔵』という名前が本当なら。



(……風魔の飛び加藤(・・・・)。参ったわね。まさか綾御前が飼い主だったなんて)


 越後長尾方が抱えているという凄腕の忍び。武田の密偵の間で噂され、恐れられていた存在。


 川中島の戦いが始まる以前から景虎の存在を危険視していた晴信は、当然ながら多くの密偵を越後に放っていた。しかしその殆どが消息を絶ち、甲斐へ戻る事は無かった。


 その最たる要因とされるのが『風魔の飛び加藤』。


 奴に襲われて命からがら逃げ延びた数少ない密偵からの証言で、その名前や実在は確認されていた。いや、或いは奴自身が己の存在を武田方に知らしめて恐怖や警戒でこちらの行動を縛るために敢えて逃がしたのかも知れなかった。


 そして……戻らなかった密偵の中には彼女以上の神祓の使い手もいた。伽耶の冷や汗の量が増える。


 眼の前の男から感じる凄まじい殺気と圧力からして間違いなく本物(・・)だ。当主の景虎ではなく綾御前が主人であったというのは予想外だったが。



「何やら城内を嗅ぎ回っていた所を見咎めたら襲ってきたので始末した。お館様にはそうお伝えしておくそうだ」


「……っ!」


 流石にこのような凶行に及ぶ以上、その辺も抜かりはないようだ。景虎と伽耶が交わしたであろう約束まで類推するとは、伊達に越後の影の支配者などと噂されていない。


「さて……手早く終わらせてもらうぞ」


「く……!」


 段蔵が新たに懐から取り出した短刀を手に迫ってくる。伽耶は歯噛みした。元々弓術が得意な彼女は、腕利きの暗殺者に襲われて自衛できるような白兵戦能力は無かった。


(でも黙って殺されるつもりはないわ……!)


 別に段蔵を倒す必要などない。今は作戦会議のために景虎や妙玖尼たちが三の丸御殿に集っているはずだ。何とか奴を足止めして三の丸まで辿り着ければ伽耶の勝ち(・・)だ。



『ナキサワメの涙身!』


 懐から大幣を取り出すと、素早く神祇を発動させる。足が水塊になった何体もの水乙女が出現し、滑るように段蔵に向かって殺到していく。攻撃力は低いが水で出来ているため何度でも再生する水乙女達は、このような足止めには最適だ。


 奴に水乙女達を嗾けておいて、その間に一目散に三の丸がある方向に駆け出す伽耶。これで僅かでも時間が稼げれば――


「――どこへ行くつもりだ?」


「っ!?」


 すぐ間近(・・・・)で声が聞こえて、伽耶はギョッとして思わず振り向いた。段蔵が彼女の真後ろ、至近距離に追随していた。その後方では標的を見失って(・・・・・・・)右往左往する水乙女達の姿が見えた。


 あの一瞬の間に全ての水乙女達をやり過ごした(・・・・・・)のだ。その事実に戦慄する伽耶。


「その神祇とやらの使い手は以前にも殺した(・・・・・・・)事がある。そいつと全く同じことをしているぞ? 少しは捻れ」


「……っ! 『タケミナカタの風穿!!』」


 嘲るような段蔵の言葉に歯噛みしつつ大幣を振るう。そこから局所的な突風が発生し、迫りくる段蔵を弾き飛ばす……事なく、軌道を見切られてあっさりと回避される。


「な……!?」


「気は済んだか? ではそろそろ死ぬが良い」


 段蔵が短刀を手に、ゾッとする程の速さで踏み込んで一瞬の内に伽耶の懐に入り込む。彼女は神祇を発動した直後の硬直状態で禄に防御行動も取れない。終わりだ。伽耶の顔が絶望に染まる。


 そのまま段蔵が突き出した短刀の切っ先が、容赦なく伽耶の首筋を斬り裂く――



「――らぁぁぁぁっ!!!」



「……!!」


 ――寸前で、飛び込んできた赤い影(・・・)が刀を煌めかせつつ段蔵に斬り付けて妨害した。咄嗟に飛び退いて距離を取る段蔵。奴を立ち退かせる程に鋭い斬撃。奴と伽耶の間に割り込むようにして乱入してきたのは……


「おい、大丈夫か、伽耶!? こりゃ一体何事だい!?」


「べ、紅牙……!?」


 伽耶は信じられないものを見る目で、眼の前の露出甲冑姿の女武者を見上げた。


「あ、あなた、何で……」


「風呂が沸くのにちょっと時間が掛かるって言うから辺りを散歩してたんだよ。そしたら何かうなじの毛が逆立つような感じがしてね。駆けつけて正解だったみたいだねぇ!」


 紅牙は段蔵から視線を外さずに答える。そして奴を刀で威嚇する。


「で、こいつは何なんだい? 只者じゃなさそうだけど、奈鬼羅って奴が送り込んできた暗殺者か何かかい?」 


「ち、違うわ。こいつは綾御前の刺客よ! 彼女は私が武田の密偵だということを看破していたのよ」


 紅牙の後ろに隠れるようにして段蔵を指差す伽耶。


「綾御前……!? ……ああ、そういう事かい。こいつぁ面倒なことになったねぇ」 

 

 それだけで凡その事態を把握したらしい紅牙。元々武家の出身だけあって、綾御前がこのような凶行に及んだこと自体には納得している様子だ。



「……お前やあの尼僧を殺せという命令は受けていない。だが邪魔立てするなら容赦はせん。命が惜しければその女を置いて今すぐ立ち去れ」


「はっ! それで逃げ去るくらいなら最初から割り込んじゃいないよ! 武田と長尾の争いなんざ知ったこっちゃない。今のこいつ(伽耶)はアタシ達の仲間(・・)だ。そしてアタシは仲間を傷つける奴は誰だろうと容赦しないよ!」


「べ、紅牙……」


 段蔵の威圧にも怯まず啖呵を切る紅牙に、伽耶は不覚にも感動してしまう。無法者の紅牙だが、それだけに身内(・・)と認めた者に対しては極めて寛容になる性質があった。それは口先や表向きの態度ではなく、こういう非常時にこそ発揮される本物の絆(・・・・)であった。


 だが当然、段蔵は何ら感銘を受けた様子もなく頷いた。


「そうか。では仕方ない。現場判断で御前様には事後承諾となるがやむを得まい」



「は! 事後承諾(・・・・)になるのは、私があんたを斬ったって報告だよ!」


 先手必勝とばかりに紅牙が斬りかかる。彼女の腕前は知っている。或いは紅牙なら段蔵を返り討ちにすることも……


「ふ……」


 だが段蔵は危なげなく(・・・・・)紅牙の鋭い連撃を全て躱し捌き切った。単純な斬撃の速さなら紅牙も相当なものだ。なのに段蔵は大して速く動いているように見えないのに、紅牙の斬撃が全く当たらない。まるで予めその軌道が解っているかのような動きだ。


 それで伽耶は、段蔵には紅牙の斬撃が全て見えている(・・・・・)のだと気づいた。先ほどは伽耶の神祇も発動後(・・・)にあっさり躱されていた。段蔵は恐ろしく並外れた動体視力の持ち主であるらしい。


「くそ……!」


 それでも諦めずに刀を振るう紅牙だが、段蔵は彼女の薙ぎ払いを最小限の動きで躱すと自然な動作でその懐に潜り込んだ。余りにも自然な動きで、あの紅牙が咄嗟に反応できなかった。段蔵は彼女の甲冑から剥き出しのお腹に掌を当てた。


「扮把ッ!!」


「ごはっ……!?」


 これも大して力を込めたようにも見えなかったのに、紅牙が身体をくの字に折り曲げて大きく吹き飛んだ。そのまま地面に転がる紅牙。


「紅牙……!?」


「ぐ……こ、この、やろ……」


 伽耶が慌てて駆け寄るが、紅牙は苦しげに呻いてすぐには立てない。何らかの無手用の武術まで修得しているらしい。あの紅牙を容易く一蹴した事といい、同じ忍者でも間違いなく美濃で共闘した雫よりも強い。


 やはり『風魔の飛び加藤』の名は伊達ではなかったようだ。



「くそ……伽耶、あんただけでも逃げな……!」


「……! ば、馬鹿言わないで!」


 直接戦った事で自分に勝ち目がないことを悟ったらしい紅牙が促してくるが、伽耶は激しく首を振って拒否した。既に(伽耶のせいで)紅牙も抹殺対象に入ってしまっている。ここで彼女を見捨てて自分だけ逃げる気はなかった。だが現実として紅牙が勝てない相手に、ましてや弓矢も持っていない伽耶では何も出来はしなかった。   


「安心しろ。二人とも逃がしはせん。望み通り仲良く果てるがいい」


 鎖鎌を手にした段蔵が言葉通り二人まとめて処理(・・)しようと、無情にも刃を繰り出そうとしたその時……



 ――ドォォォォンッ!!!



「……何!?」


 何かが爆発(・・)するような轟音が辺り一帯に響き渡り、それと同時に木立の向こうから大きな火柱(・・・・・)が立ち昇るのがここからでも見えた。場所は少し遠いようだが、それがここからも見えるという事はかなりの大火だ。


(あれは……三の丸御殿(・・・・・)がある方じゃ……?)


 意図的に近づかないよう意識しており、また段蔵に襲われた際に最初はそこ(・・)を目指そうとしていたので、方角的には間違いないはずだ。そして三の丸御殿には今、景虎や妙玖尼達が作戦会議のためにいたはずだ。


「な、何が、一体……」


「……! 今あそこには御前様も……!!」


 その火柱を見た段蔵が初めて動揺したような声を上げた。そして命令だったはずの伽耶の抹殺をあっさりと中断して、凄まじい速さで三の丸御殿の方に跳び去っていってしまった。


 あとに残された伽耶と紅牙は唖然としてその姿を見送るのみだった。いや……



「く、そ……あの野郎、このままおめおめと引き下がれるかい……! それにあそこには今、尼さん達もいるはずだ。尼さんなら大丈夫だとは思うけど……アタシ達も行くよ……!」


「え、ええ、そうね。何が起きてるのか確かめないと……」


 歯軋りしつつ刀を支えに立ち上がる紅牙。それに肩を貸しながら同意する伽耶。図らずも三の丸御殿を襲った異変(・・)により命拾いした二人の女も、よたよたとした重い足取りで三の丸に向かって歩き出していった……

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