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キスの意味

アルトを夜会で見かける。アルトはシェイラ様をお傍に置いている。

でもよく見るとほんの少し離れてご令嬢の輪が出来ている。皆アルトに気があるのだろう。アルトは年若いけれどはっと目を引くような飛び切りの美形だし、私以外には優しく紳士的だ。令嬢方のお心を魅了するのもわかる。

私はひっそりと微笑む。あのうちの誰か飛び切り素敵な令嬢がアルトの心を奪えばいい。私の心はあの日汚泥に塗れた。シェイラ様の恋が破れることだけを一生懸命に願っている。

私が選ばれるなんて期待は持たない。無駄な夢は見ない。私はもう『アルトのおねーちゃん』ですらない。アルトの近くにいる資格もない心の醜い一令嬢。でも同じくらい心の醜いシェイラ様が選ばれるのだけは見たくない。許せない。姉の座ならぬ妹の座は譲ってもいい。でもアルトの恋心だけはシェイラ様のものにならないで。


「ロレッタ。今日のドレスは良く似合っているな。可愛いぜ?」


ウェルスが褒めてくれる。


「お世辞は結構よ(訳:照れるね)」


ウェルスは笑った。褒めてくれて嬉しいよ。本当はアルトにも可愛いって褒めて欲しかったな。もう夢など見ないと決めたのに心はまだアルトを追っている。


「照れてる顔も可愛いぜ?」

「あなたはお調子者ね」


ウェルスに抱きしめられる。

ウェルスが真剣な声音で囁いた。


「…なあ。どうやったら笑ってくれる? 俺、ロレッタのそんな悲しい顔見たくねえよ」

「私、あなたのこと、嫌いじゃないわ(訳:優しいウェルスは自慢の従弟よ)」


残念ながら私は絶賛失恋中だから、自慢の従弟が優しくしてくれても明るくは笑えない。申し訳ない瞳を向ける。ウェルスは視線が合うとなでなでと撫でてくれた。


「よっ。ウェルス。妬けるなー」


ウェルスの友人にからかわれた。


「うるせーよ」


ウェルスが照れ臭そうに友人を追い払う。

『もしも』世界と入れ替わった暁には、この日常が続いて行くのかしら? 『もしも』世界で私はアルトにとってかわるような素敵な人を手に入れられるかしら? 繋がりもない「嫌い」な令嬢には流石に現実世界のような大逆転はやってこないだろう。私はアルトのいない世界に慣れなくてはならない。お母様、不甲斐ない娘でごめんなさい。ミカルドお父様と幸せにしてあげられなくてごめんなさい。もしかしたら、私はお母様のように儚く笑う女性になるかもしれないわね。


「な、踊るか?」

「その提案に乗らないこともないですわ(訳:喜んで)」


ウェルスと一緒にステップを踏んだ。

一曲踊り切ると、壁の花になった。時折男性に誘われて踊る。私の暴言を聞くと大抵の男性は引いて行くのだけれど。

随分年上の、ロレッタ語の翻訳が出来るごく一部の男性に、娘のように愛でられたりもした。


「ロレッタ嬢は可愛いなあ…うちは息子ばかりでね。ロレッタ嬢みたいな娘が欲しかったよ。どうだい? 3人いるけど、どの息子かのお嫁に来ないか?」

「遠慮しますわ」

「誰か心に決めた相手でもいるのかな?」

「……」


アルトを思い出して言葉に詰まった。


「ははは。ロレッタ嬢も若いねえ。いや、青春だよ」


アルトからは嫌われてるんだけどね。自業自得で。青春なんて言う甘酸っぱい状態かと言われると…苦酸っぱい気がしてならない。アルトは穏やかに微笑みながら令嬢と踊ったり、同年代の男性と交流したりしている。

脈がないと知りつつも、気がつけばアルトを目で追っている。少し陰りのある表情も魅力的…やはり好き。気もそぞろだったのが悪いのだろうか、少し壁際より内側に踏み出してしまったみたいで、踊っている男女にぶつかって勢いよく弾き飛ばされてしまった。


「ごめんなさい」

「大丈夫ですか?」


踊っていた男性の方が手を差し伸べてくれる。その男性の手を取って立ち上がってよろめいた。足がすごく痛い…怪我をしているのかも。片足に力が入らずに、片足立ちでよろよろしてしまう。よろけてぺたんと床に再びへたり込んでしまう。


「だ、大丈夫ですか?」


様子がおかしい私にぶつかった二人が慌てだす。


「自業自得だわ(訳:私が悪かったのでお気遣いなく)」


だけれどどうしよう…誰か肩を貸してくださらないかしら? こちらの男性にお願いできるかしら? ちらと目をやる。上手く言葉にできるかしら?


「ロレッタ嬢!」


困っていたら何故かアルトがやってきた。さっと私を抱き上げる。ドレスのボリュームもあるし、かなり重いと思うけれど。


「アルト…」


アルトは私を抱き上げると近くにいたヴェルモンテ家の侍女に声をかけ、手近な部屋へ連れ込まれた。侍女が暗い部屋に火を灯してくれた。アルトは部屋のベッドの隅に私を降ろした。

ちゃっちゃと指示を出して、緊急の際に待機していた医師が侍女に呼ばれて現れる。ベッドの隅に腰掛ける私の靴と靴下を脱がせて素足を診察した。


「捻挫ですな。冷やして安静にされると良いでしょう。もしかしたらやや腫れるかもしれません」


侍女が洗面器に入った冷水と濡れタオルを持ってきてくれた。アルトが水で冷やしたタオルを足に当ててくれる。医師は退出し、侍女も保護者のウィリアム叔父様を呼びに行ってしまった。アルトと私だけが部屋に残される。


「アルト様…後は自分で…」

「……先ほどは『アルト』と、呼び捨てに…」

「……御無礼を(訳:ごめんなさい)」


私の危機にさっと駆けつけてくれる姿がまるで現実世界のアルトのようで、思わず錯覚してしまったのだ。思えば緊急とはいえ、使用人すら存在しない二人きりで個室にいるのって風評的にまずいんじゃないだろうか。アルトを好きな私はともかく私を嫌いなアルトは。15歳で社交界デビューしたばかりなのにもう令嬢に手を出したなどと噂が立つのはよろしくない気がする。

私は私の足に冷やしたタオルを当てているアルトの手からタオルをとろうとした。『おねーちゃん』でもない、嫌いな令嬢に手を煩わせるわけにはいかない。


「……ロレッタ嬢は何故そんなに僕のことがお嫌いなのでしょう?」

「な、何を言って…?」


『嫌っている』のは私じゃなくてアルトの方でしょう?

アルトが悔しそうに唇を噛んだ。タオルが体温でぬるくなってくると水につけ、冷やし変えて再び足にタオルを当てる。


「ウェルス殿はロレッタ嬢のことを可愛いと褒めていましたね」

「盗み聞き? 趣味が悪いわね(訳:聞いていたの? 恥ずかしいわ)」


聞かれていたことは少し恥ずかしい。恥じなければいけないようなことはお話してなかったと思うけれど。


「……彼がロレッタ嬢を『可愛い』と言い、愛してくれる方なのですね」


アルトが怖い顔をした。


「下らぬ勘違いね(訳:違うよ)」


違うよ。私が言っていたのは現実世界の私を好きになってくれたアルトのこと。『私の負け』が確定するので、アルトにそれは言えないけれど。私は多分シェイラ様に負ける。わかってる。わかってはいるけど、自分から進んで負けたくはない。


「違うのですか? あのように親しげに抱きしめられておりながら」

「ウェルスのあれは、ただの慰めよ」


ウェルスは私が凹んでいたから抱き締めてくれただけ。特別な意味などない。


「では、ロレッタ嬢を『可愛い』と言い、愛してくれる方はどのようにロレッタ嬢に触れるのでしょう? あれ以上に親しく?」


アルトの手がタオルを手放して私の素足を撫でた。愛撫するかのようなすごく色めいた手つきだ。


「あ…」


その触れ方が淫靡で恥じらうように頬を染める。


「その方にはそのような表情を見せているのですか?」


スカートの内側に手を滑らされる。いやらしく舐めるように、焦らすように、足に触れられる。


「ア、アルト…」


声が上ずる。


「どのようなお声でその方を呼ぶのですか?」

「アルト…」


溜息をもらすようにアルトの名を呼ぶ。アルトが中腰になり腿を撫でられた。かなりきわどいところを触れている。アルトに顔を近付けられる。私を見つめるアルトの瞳には欲が灯り、『男』の顔をしている。


「…抵抗なさらないのですか?」


雰囲気にのまれていたが、我に返ってアルトの両肩に手を添えて、そっと押した。


「わたくし、心の通わない方に触れられたくなどないわ。そのように安く見ないで(訳:たとえ相手がアルトでも、好かれてもいないのに触れられたくないの)」


アルトに触れられるのは嫌ではないけれど、心が通い合っていないなら虚しいだけだ。アルトが想ってくれるのなら触れられて嬉しい気持ちも湧くけれど。

アルトは苦しそうな顔をした。


「あなたは憎らしい方だ…」


私の抵抗を押し切って噛みつくように口付けられた。


「ん…」


ど、どうしよう…なんでこんなことするの!? 混乱するけど抵抗しきれない。唇を味わっていたアルトの舌が私の唇を撫でた時、バタンと扉が開いた。


「お兄様!?」


シェイラ様の声が聞こえる。

アルトが唇を離した。足を撫でていた手も引いて行った。

私は慌ててスカートの裾を直す。アルトが少し身を離したところで、ウィリアム叔父様もやってきた。


「ロレッタ。足を怪我したんだってね。馬車を回したから、今夜はお暇しよう」

「え、ええ」


動揺しつつ頷く。アルトの乱行はウィリアム叔父様にはバレていないよね? とても心臓に悪い。


「君は、ロレッタを介抱してくれたのかな?」


ウィリアム叔父様がアルトに視線を向ける。アルトがウィリアム叔父様から視線を逸らした。純粋に介抱だけしててくれたわけではないので気まずいのだろう。


「すみません…」


アルトが謝って俯いた。その謝罪の意味は私にはわかるけれど、ウィリアム叔父様はちょっとよくわからない顔をした。普通に介抱だけしてくれていたなら謝る理由などないものね。


「いずれ改めてお礼をするよ」

「お礼は…必要ないです」


アルトがウィリアム叔父様の申し出を断った。私はウィリアム叔父様の肩を借りて、馬車に退避した。

アルトが何を考えているか全然わからなかった。どうしてキスなど…アルトのキスの意味を考えては、困惑で悶々としてしまった。



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