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紅き天使の黙示録  作者: 碧亜
第三章
14/17

-13- 月の気まぐれ

 長い螺旋階段を重苦しい足取りで登り切ったディエルは、聖堂の入り口である白い石の扉を前に深く息を吐いた。


 度々呼び出されることになるこの場所は、ディエルにとって処刑台だ。罪を責められ、死刑宣告を待つ。しかし告げられるのはディエルの死ではない。


 我が子のように育んできた子供たちが、どのようにして裁かれたかを聞く。牢獄よりも陰鬱とした場所だった。


 石の扉を押し開くまでもなく、ディエルを招き入れるように開いた。


 深い絶望を心に、ディエルはフィーオの待つ聖堂へと足を踏み入れた。


「ディエル、参りました」


 暖かな陽の光が透け硝子によって色とりどりの文様を描く聖堂の真ん中に、膝をつき祈りを捧げるフィーオがいた。


 波打つ鮮やかな金糸の髪は光を反射してきらきらと光をこぼす。どこか儚げな雰囲気を持つ天使は、ゆっくりと立ち上がり、ディエルを振り返った。


「よく来てくれました、ディエル。入りなさい」


 涼やかな声で招かれるも、ディエルは扉をくぐった場所で立ち止まり、頭を垂れた。


 一定の距離を保ち、それ以上は近寄るまいとするかつての師に、フィーオは優しく微笑んだ。


「ラキエルとラグナエルに関する報告が届きました。二人は人間の村に少しだけ滞在していたそうですよ」


 フィーオの言葉を聞いて、ディエルは僅かに動揺する。ずっと気にかけていた存在の現状に喜びを禁じ得ない。しかし、罪人の無事を喜ぶことを表に出すわけにはいかず、ディエルは小さく相槌を打った。


「左様ですか」


「天界で負った傷も癒えて……いいえ、癒されたと言った方がいいでしょう」


「癒されたとは?」


 引っかかるフィーオの物言いに、ディエルが言葉を返せばフィーオは口元に優しい笑みを浮かべた。


「大地母神の恩寵を授かった存在に運よく巡り合い、その命を分け与えられたのでしょう」


「なんと……大地母神がなぜ今更」


 天に存在する神は十五柱である。


 火と再生の神、水と癒しの神、風と自然の神、大地と命の神が元素の四柱。


 太陽と光の神、月と闇の神、調和と裁きの神、滅びと破壊の神、美と愛の神、音楽と芸術の神、知恵と知識の神、戦と勝利の神、予言と記憶の神、幸運と旅の神、豊穣と恵みの神。


 滅びの女神はラキエルに恩寵を与え、月の女神はラグナに力を与えた。そして大地母神を除く十二柱の神はアルヴェリアに恩寵を与えていた。


 最期の一柱である大地と命を司る女神の恩寵の行方は知れずとなっていた。その存在が出てきたということは、十五柱の神の恩寵が揃ったということである。


「大地母神の恩寵が今更表に出た理由はわかりません。ですが、これで役者は揃いました」


 フィーオが小さく呪文を唱えると、聖堂の中央に存在する水鏡が光を零した。波紋を広げた水面が静けさを取り戻すと、そこにはラキエルとラグナ、そしてアルヴェリアの姿が映し出されていた。それにもう一人、ディエルの見知らぬ人間の娘が浮かび上がる。


「ご覧なさい」


 ディエルを手招き、フィーオは水鏡を見るよう促す。


 ディエルは立ち上がると、フィーオの隣に並び水鏡を見下ろした。


「この娘が、大地母神の恩寵を……?」


「ええ。命を授かった娘、名をシシリアというそうです」


「ラキエル達と共にいるのですか?」


「そのようです。不思議なものですね……まるで、神の恩寵が互いを呼び合っているように、集っていく……」


 水鏡を眩しそうに見つめるフィーオの言葉に、ディエルは引っかかりを感じた。


「いずれ、アルヴェリアの元に集うと?」


 ディエルが問いかけると、フィーオは金糸の髪を揺らして頷いた。


「ラグナエルは、アルヴェリアに接触することを目的としているはずです。このまま放置すれば、神々の恩寵はひとところに集うでしょう」


 フィーオは神の声を告げるように、高くも低くもない中性的な声色で言葉を紡ぎだした。


「今や月の女神を残して、全ての神々が眠りにつきました」


 一人取り残された幼い女神を思い出しながら、ディエルは静かにフィーオの言葉を聞く。


「恩寵だけが残された今、我らが選ぶべき道は一つ。恩寵を束ね、新たな神を立てるのです」


 穏やかな声で発せられた言葉に、ディエルは息を飲んだ。


 それは神への反逆にも等しい。


 動揺を隠せず見上げた先のフィーオは、やはり優しい笑みを浮かべていた。


「神々は私に告げたのです。世界はほころび始めていると。アルヴェリアが起こす災厄は、いずれ滅びの女神を目覚めさせ、全てを無に還してしまう」


「滅びの予言……ですか」


「ええ。予言ではなく、このままでは現実となるのです。まずはアルヴェリアから神の恩寵を切り離さねばいけません」


 ディエルは心の中で無理だと呟いた。


 恩寵は選ばれし者のみが与えられる奇跡。死ぬまでその力は宿主に受け継がれる。


「どうやって、アルヴェリアから力を切り離すと? 我らが束になってかかろうと、アルヴェリアに傷一つつけることは不可能でしょう」


 アルヴェリアは与えられた多くの力を自在に操る。魔術も法力も自然の力すら全てが彼の味方となるのだ。そんな相手にどう打ち勝とうというのか。


「真正面から戦っては無理でしょう。しかし、アルヴェリアとて神ではない。油断もあれば隙もある。おびき寄せるのです、こちらの領域に」


「どうやって……?」


 問い返して、ディエルは後悔する。


 アルヴェリアを招き寄せるに十分な存在は、天に眠っている。


 その存在を知っているのはディエルとサリエルだけだ。


 そう思っていた。しかし、抜かりのないフィーオは秘密を暴いたのだろう。――黒曜石の中に眠る魂の存在を。


「滅びの女神に選ばれしラフィーナの魂。それに命を司る大地母神の恩寵。この二つが揃えば、アルヴェリアを誘い出すことは容易でしょう」


 眠り続ける魂を大地母神の命を以って呼び覚ますということだ。


 アルヴェリアがただ一人傍に置き、心許し愛した滅びの娘。ラフィーナは生も死も拒み眠りについた。その彼女を、アルヴェリアはずっと探しているはずだ。


「私は神の声を聞く者。知らぬことなどありませんよ」


 微笑を浮かべるフィーオに、ディエルは隠し事は無駄だと悟る。


 フィーオは天で唯一、眠りについた神々の声を聞くことのできる存在だった。また、指導者を失い混乱した天に希望と規律を与える存在でもあった。若くして最高指導者にまでのし上がったのも、その特異な能力によるものだ。


 誰もが最初は神の声を疑った。


 しかし、唯一眠りについていない女神サリエルが、その声は確かに神の言葉だと証言したのだ。


 フィーオが受けた神託の通りにすれば、全てのことがうまくいった。


 天で不正をしていた天使たちは洗いざらいに裁かれ、翼を落とされた。その中には、アルヴェリアを堕天に追い込んだ存在も多くいた。


 清く美しい天の世界は、酷く歪んでいたのだ。仮初の楽園を一度壊し、立て直したフィーオは天使たちにとって救世主でもあった。


 完璧な指導者を演じる彼に、ディエルはいい感情を抱けないでいる。美しい微笑みに隠された心は無機質で冷たい。フィーオの目指すものがなんであるのか、ディエルにはわからなかった。


「フィーオ殿。貴方はなにをなさるのですか?」


 見つめた先、フィーオの青い瞳には強い意志が宿っていた。優し気な表情とは真逆に、その瞳は冷たく燃えている。


「世界を……正すのです。その為には、何でもしましょう」


「アルヴェリアから神の恩寵を引き離すことができたとして……貴方が神になるのですか?」


 ディエルの問いに、フィーオは微笑みを消した。


 静かに瞳を閉ざし、形のいい唇を無機質に動かす。


「……必要とあらば」


 再び目を開けたフィーオはもとの優しい笑みを浮かべた。


「その必要がないことを願いますけれど。新たな神は私でなくとも良いのです。象徴として存在してくれれば、それでいい」


 象徴の神。それは、誰を指し示すのだろうか。


 ディエルはフィーオの考える先がわからなかった。穏やかな笑みを浮かべて、残酷に花を手折る天使は心を失ったままだ。


「ラキエル達をどうするおつもりで?」


 地上を彷徨い歩いているであろう教え子を思い浮かべて、ディエルは心を痛めた。


 フィーオがラキエル達を利用しようとしていることは明確だった。そうでないことを願いながらも、返る言葉はディエルの微かな希望を打ち砕く。


「ラキエルにはアルヴェリアを探し出してもらいます。彼ならば、必ずやアルヴェリアに辿り着くでしょう。それが、ラキエルの贖罪となるのです」


「ラグナエルと命の娘は……?」


 問い返しフィーオの瞳を見つめたところで、ディエルは再び後悔する。


 フィーオは微笑みこそ浮かべていたものの、その瞳は酷く凍てついていた。水鏡を見下ろすフィーオは、感情のこもらない人形のようだった。繊細な面立ちも相まって背筋が凍るほどに美しく、残酷な言葉を紡ぎだす。


「餌は一人で良いとは思いませんか? ラグナエルには、先に罰を受けてもらいましょう」


 白く繊細な指先が水鏡に触れ、水面に雫が落ちたような波紋が広がる。揺れるラグナエルの頬を撫でるようにして、フィーオは水面をかき乱した。


「――歪みは取り除かねばならないのです」


 そう言ってラグナエルを見つめるフィーオの瞳は、どこか悲しげでもあった。かつての級友を想う気持ちが少なからずあるのだろうか。


 フィーオが学びの神殿にいたころ、彼は優しく慈悲深い天使だった。不真面目なラグナエルと不思議なことにウマが合い、主席の座を競い合う好敵手でもあった。曲がったことが嫌いで、純粋で、心優しい天使だったのだ。


 ――悲しい事故で双子の妹を亡くすまでは。


 一体どこからおかしくなったのだろうか。歪みを取り除くというフィーオ自身が歪んでいるように思え、ディエルは口を閉ざした。


 

 血染めの天に君臨する虚偽の王は、うつろな心に鍵をかけて微笑む。


 すべての終わりと始まりの日、片翼を失った天使は偽りの死を告げて生まれ変わった。


 世界の均衡を保つためと、屍をクチナシの花で隠した欺瞞の天は、一体どこへと向かうのだろうか。


◆◇◆◇◆


 暗く鬱蒼とした森の道を、ラキエル達は歩いていた。


 木々の枝葉が風に吹かれてこすれ合い、不気味にざわざわと音をたてる。月の光すら届かない黒い大地に草は生えず、命が絶えた死の森のようだった。獣すら息を潜めて怯えたように気配を消している。風の音以外には静かな夜だった。


 先頭をラグナが進み、ラキエルとシシリアがそれに遅れて続いていた。


 涙も枯葉てどこか虚ろな目をしたシシリアを、ラキエルは時折振り返りながら、ゆっくりと歩みを進める。シシリアは落ち着きこそ取り戻していたものの、憔悴しきった様子で今にも夜の闇に消えてしまいそうだった。


 ラキエルはシシリアに言葉をかけるべきか迷い、結局口を一文字に閉じた。今のシシリアには、どんな言葉も慰めにはならないだろう。ローティアとミーナという家族を同時に失ったシシリアの悲しみは計り知れない。当然のようにあるものすべてを失くしたのだ。明日への希望も持てず、不安と悲しみで心が壊れてしまいそうなのかもしれない。


 それでも、歩みを止めるわけにはいかなかった。ドルミーレの村人の追っ手を遠ざけなくてはいけなかったからだ。塔から飛び立ったラキエル達は、森の上を数刻飛び続けた。シシリアが落ち着きを取り戻してからは、森へと降り立ち、夕闇の道なき道をひたすら進み続けた。ラグナはまず、ドルミーレから離れるべきと判断したので、ラキエルは従うことにした。月夜の世界を覗き見る能力を持つラグナの判断だ。悪い方向には進まないだろう。


 それからどれほどの時間が過ぎただろうか。歩き慣れないシシリアの歩みが徐々に遅れ始めたところで、ラグナは立ち止まった。くるりと振り返ったラグナは、ラキエルとシシリアに向き直ると、こう言った。


「あー疲れた。もう無理」


「は?」


「オレは肉体派じゃないわけ。疲れたから今日はここで野宿だ」


 森の中の少しだけ開けた場所だった。


 枝葉の天涯に覆われて相変わらず暗いが、三人が休むには問題ないだけの広さはある。


「追っ手は大丈夫なのか?」


「あぁ。この闇夜のだだっ広い森を捜索するのは無理がある。奴らも今動きはない。夜明けまで待つつもりだろ」


 そう言ってラグナは手近にあった切り株に腰を下ろした。


「ラキは薪拾いな。シシリアは水を汲んできて。オレは火を起こしておく」


 川がそっちに流れてたと森の奥を指さす。シシリアは小さく頷くと、おぼつかない足取りのまま森の中へと消えていった。


 その儚げな背中を心配そうに見送ったラキエルは、ラグナ向き直ると不満を口にした。


「シシリアは休ませてやった方がいい」


「だから野宿するんだろ」


 悪びれもなくラグナが言うと、お前もはやく行けとばかりに手を振った。


 ラグナに何を言っても無駄だと思い、ラキエルは薪を拾うべく森の中へ踏み行った。


 薪になりそうな木の枝はそこら中に散らばっていて、困ることはなさそうだった。折れた木々の枝の中でも大きめのものを選び、掴み上げて左の腕に抱え込む。何度か同じ動作を繰り返しながら、ラキエルはシシリアのことを考えた。川の方へ行ったシシリアは大丈夫だろうかと、胸に不安がこみ上げる。


 家族というものがどんなものなのか、ラキエルは正しくは理解していない。血のつながりのある者と知識としてはある。血のつながりがなくとも、一つ屋根の下で過ごす者も家族と呼ぶことがあるそうだ。そういう意味ではローティアとミーナはシシリアの家族で間違いないだろう。それがどれほど尊い存在だったのか、シシリアの嘆きを見ればわかる気がした。


 家族を失ったシシリアは魂の抜けた人形のようだった。冬の青空のように美しい瞳には生気がなく、途方もない悲しみが渦巻いている。どうすれば、その心を癒せるのだろう。


 そしてもう一つ。ラキエルには気がかりなことがあった。


 額の紋に、疼痛を覚えるのだ。それは、村人が悪魔によって串刺しにされ息絶えた時から、徐々に現れ始めた。一人、二人と死に絶えるたびに、額の疼痛は増した。まるで、死に呼応しているかのように。


 そこでラキエルは一つの可能性に気付く。


 滅びの女神が、命を吸ったのではないだろうか。ラキエルに与えられた呪いが発動し、人々を死に至らしめたのではないか。過った最悪の予測に、ラキエルは全身の血の気が引いていくのを感じた。ラキエルの存在が、ローティアとミーナを死に導き、シシリアを絶望させたかもしれない。


 酷く体が重い気がした。吸った命の重みだろうか。


 そして違和感を覚える。


 ラキエルは今まで、己の魔力が弱いと思っていた。魔術や法力など、自身の持つ魔力を使う術は不得意であった。修行や修練を怠ったわけではない。潜在的に、ラキエルの魔力は低かったのだ。


 それがどうしたことだろう。体の内側から、魔力の流れを感じるのだ。


 ラキエルは己の手のひらを見つめた。苦手な魔術も、今ならば使える気がした。


 ラキエルは落ちている枝に向けて手を突き出し『動け』と念じた。地面に転がっていた薪が仄かな光を纏い、震えるように浮き上がった。今度は『来い』と念じる。すると、浮き上がったいくつもの薪は、ラキエルに向けてく突っ込んでくるではないか。勢いを増してラキエルの手中を目指すたくさんの枝に、ラキエルは驚き、枝が手に触れる前に『終われ』と命じる。そこで、糸が切れた操り人形のようにいくつもの枝が、がらがらと音を立てて漆黒の大地に落ちていった。


 ラキエルはほっと一息つくと、再び己の手のひらを見つめた。


 前は物を浮かばせる術すら満足に操れず、揶揄されたものだった。


(人の死を吸い、魔力が上がっているのか……)


 これが本当だとしたら。ラキエルは青ざめた顔をして額を押さえた。


 ――滅びの女神の呪いは、まわり全てを巻き込み、滅びへと導く。


 だとすれば、今共にいるラグナとシシリアは? 疑問が浮かび、一つの仮説を立てる。滅びの女神の呪いは、人を死に至らしめるが、同じく神の恩寵を頂く者には効かないのかもしれない。


 しかし、飽くまでもこれは仮説だ。はっきりそうだと確信を持てたわけではない。


 ラキエルは頭を振って、黒髪をくしゃりとかき回した。


 ラグナとシシリアに伝えなければいけないだろうか。しかし、真実を知ったシシリアは何と思うだろう。家族を殺した元凶と思うだろうか。澄んだ蒼穹の瞳に非難の色が浮かぶのを想像したところで、ラキエルは苦し気に眉を潜めた。ラグナの悪戯っぽい口元が、ラキエルに別れを告げるとしたら。ラキエルはこの世界で孤独に陥ってしまう。


(一人は嫌だ)


 長年孤独に沈んでいた己を思い返し、ラキエルは心の中で呟いた。


 それでも、ラキエルに嘘を吐くほどの器用さがないことも自負していた。伝えねばならない。もしかしたら、ラグナが何か解決法を知っているかもしれない。例え、伝えた結果別れることになろうとも、二人を巻き込み死なせることの方が恐ろしかった。


 ラキエルは己に与えられた呪いの恐ろしさを実感するとともに、より深い絶望を感じた。


 このまま考え込んでも仕方がない。ため息を溢しながらも、ラキエルは薪拾いの任を完遂すべく動き出す。


 ラキエルは手近にあった薪を拾うと、ラグナの待つ森の開けた場所へと戻っていった。


「よぉ、遅かったな」


 ラグナは火を起こし終えて、地面に胡坐をかいて座っていた。


 火の粉を散らす焚火の前で何かの術を使っているのか、小さく呪文を唱えながら、両手を腹の前にかざしている。ラキエルがその様子を前から覗き込んでみれば、ラグナは何かを生成しているようだった。ラグナが手をかざす先には、小さな兎が転がっていた。既に息絶えているのか、動く気配はない。ラグナが術を完成させれば、兎は光に包まれ、姿を変えた。


 丸くしなやかな革を連想させるものだった。天辺には口のように小さな穴が開いており、そこには木の杭のようなものが刺さっている。知識として、それが何であるかはラキエルにも分かった。人間が水を運ぶときに使う、動物の胃袋を使った水筒だ。ラグナの術を見ていたラキエルは、金色の瞳が見上げていることに気付き、きまりが悪そうに視線を逸らす。


「錬成術なんて久々に使ったわ。ま、こんなもんだろ」


 高度な技術と高い魔力を要する錬成術を易々と成功させたラグナは、ラキエルに出来上がったばかりの水筒を差し出した。


「シシリアに渡すの忘れてた。届けてくんね?」


「自分で行け」


 横着をしようとするラグナに、ラキエルは火の傍に薪を下ろして言い返す。ラグナは不満とばかりに頬を膨らませた。


「ラキはシシリア心配じゃねぇの?」


 ラキエルはずるいと思った。


 そういう言い方をされては、断る言葉がない。


 ラキエルよりも先に水場へ消えたシシリアが心配なのは本当だ。今は極力、一人にはしておかない方がいい。弟とミーナを儚んで、入水してしまう可能性だって考えられた。


 ラキエルは黙ってラグナから水筒を奪う様にして取り上げると、シシリアの消えた水場でへと歩き出した。


「そうそう、何事も素直なのが一番だぜ」


 にんまりと笑みを浮かべているラグナを背に、ラキエルは聞こえるようにため息を吐いた。


 この男は何を考えているのだろうか。シシリアが心配ではないのだろうか。


 思うことは色々とあるものの、ラキエルは森の中に流れている川辺の方へ、せせらぎの音を頼りに進んでいく。


 その背を、ラグナは手を振って見送っていた。


◆◇◆◇◆


 清らかな水の流れる音が近づけば、木々の枝葉の天涯が途切れ月の光が静々と降り注いでいる。ごつごつとした丸い石の地面の先に、細い川が流れていた。その川辺には、淡い月あかりに照らされている金糸の髪の乙女が一人。何をするでもなく、川を見つめていた。儚げな背中は微かに震えているようで、シシリアは静かに泣いていた。


 透明な涙を川の水に落とし、声も上げずに胸の前で手を組んでいる。


 ラキエルが近寄ることで川辺の砂利が音を立て、シシリアに訪問者の存在を知らせる。振り返った先でラキエルを見つけると、シシリアは力なくラキエルの名を呟いた。


「ラキエル……ごめんなさい。遅かったから、迎えに来てくれたのね。でも、水を汲むための道具を持っていなかったから……」


 着の身着のまま逃げ出してきたのだ。野宿や旅に必要なものなど何一つ持ち出せはしなかったのだから仕方がない。


 ラキエルは首を横に振ると、手にしていた水筒を差し出した。


「ラグナが作った水筒だ。多分、使えるはずだ」


 シシリアは水筒を受け取ると、川へ向き直り、腰をかがめた。水筒の蓋の役割をしている木の杭を抜き、水の流れに逆らう様に水筒を沈めた。


「ローティアが魔導に堕ちたのは、私のせいだったの」


 ぽつりと懺悔するように、シシリアが呟いた。


「私が愚かだった……大地母神の恩寵を深く考えて使わなかったから、あの子は私を守るために悪魔と契約したの」


 シシリアの力は人々にとって希望だった。命を癒やす奇跡の力はシシリアを人から遠ざけた。命の巫女と呼ばれ、浮かれていたのかもしれない。人の喜ぶ顔が、シシリアの瞳に砂を撒き、それがどんな結末をもたらすかを曇らせていた。そう、この国の王ゼルスが病で倒れたと聞き知った時に、こうなることを予測出来ていたのに。シシリアはローティアが止めるのも聞かず、思うがままに人を癒し続けた。


 結果、ローティアとミーナは命の危険に晒され、シシリアは助けたかった人の命を救うことができなかった。


「私が迂闊だった……もっとちゃんと、ローティアの忠告を聞いていればよかった」


 もう戻らない弟の優しい笑みを思い浮かべて、シシリアは悲し気に瞳を伏せた。


 ラキエルが何と声をかけるべきか迷っていると、シシリアが首だけ振り向いてラキエルに問いかけた。


「神々の恩寵とは、こういうものなの? 人に災厄を与える呪いなの?」


 ラキエルを真剣に見上げるシシリアの視線に、ラキエルは首を横に振った。


「違う。神々の恩寵は人に奇跡の力を与える。その力は使い手次第で、善にも悪にもなる」


 ラキエルの滅びの女神の恩寵を除いて、神々の恩寵はそれぞれ神々に由来した力を授けるとされている。魔力であったり、身体的な特徴や能力であったり様々だが、人を不幸にするものではない。そうラキエルは思っていた。しかし、いざシシリアの現状を目の当たりにし、その言い伝えが本当だったのかと疑問を持つ。


 ラグナの言うように、神々の恩寵は呪いなのだろうか。


 人の身に余る力は、災いを呼ぶのではないだろうか。


 考え込むラキエルに、シシリアは更に疑問を投げかける。


「以前、ラキエルが話していた、神の恩寵を持つ人は……?」


 その問いかけに、ラキエルの心臓は跳ね上がる。罪を問われているような居心地の悪さを感じるも、真っ直ぐに問いかけてくる視線を外すわけにもいかない。ラキエルは僅かな沈黙を挟み、小さく答えた。


「ラグナと……俺だ」


「え? 二人とも?」


 驚きを隠せないシシリアにこくりと頷き、ラキエルは前髪をかき上げ、額を露わにした。


 血のように赤い瞳が光を放つように輝いている上、額の真ん中に赤黒い痣が存在している。滅びの女神デラの愛し子としての証が、シシリアの瞳に映り込んだ。


 シシリアは何も言わずにラキエルの額を見つめ、己の左肩を押さえた。彼女の紋は肩に刻まれているのだろうか。


「そう……私と同じように、痣のような紋なのね」


 納得したように呟く。


「私が大地母神の恩寵を授かったのなら、ラキエルとラグナは何の恩寵を授かったの?」


「ラグナは月の女神の恩寵を授かっている……その能力については聞いていない」


 月の女神が司るのは夜と闇。負の力だとされている。しかし、ラグナがその力を使ったことがあっただろうか。シシリアに問われてはじめて気にするが、ラグナは高度な魔術を操るものの、恩寵の力を使ったことはないように思う。天界から逃げる際に、ラグナの能力は戦闘向きではないとだけ言っていた気がする。


 そんな事に思考が傾いていると、いつの間にかシシリアが立ち上がり、ラキエルの赤い瞳を間近で覗き込んでいた。


「ラキエルは?」


 悪意のない蒼穹の瞳はすべてを見透かすように澄んでいる。


 ラキエルは答えるべきか迷った。


 どんなに繕おうと、ラキエルが滅びを呼ぶ忌み子であることに変わりない。誰もが皆、ラキエルの存在を疎ましいと感じる。ディエルやラグナが少しだけ他と違っただけだ。やはり世界は残酷で、ラキエルを拒絶するのだろう。そう、わかり切った未来から目を背けても仕方がない。シシリアから視線を外し、ラキエルは観念したように答えた。


「滅びの女神デラの恩寵だ。……まわりを巻き込み、滅びを招く……呪いだ」


 言い切って、ラキエルは額の前髪を下ろした。


 シシリアは驚いた表情こそ浮かべたものの、その表情は次第に悲痛なものに変化する。


 悲し気に見つめられている理由もわからず、ラキエルはさらに続けた。


「世界に存在する神は十五柱。その中で唯一、恩寵を与えた者を滅ぼす力だ」


 絞り出すように言葉を吐き出せば、シシリアは目を閉ざして首を横に振った。


「……とても、辛い思いをしてきたのね」


 拒絶の反応を予期していたラキエルは、シシリアの一言に驚きを禁じ得なかった。


「堕天した理由は、それなの?」


 痛ましげに気遣う声。拒絶を見せないシシリアに驚きながら、ラキエルは小さく頷いた。


「俺は、恩寵がもたらす災厄を消すために裁かれるはずだった。……だけど、ラグナが助けてくれた。死を受け入れていたはずの俺に、生きろと。それで、天界から逃げてきたんだ……」


 今でも、何故ラグナがラキエルを助けたのかは分からない。ラグナの目的が自由になるというものならば、すでに彼は自由だ。ラキエルの傍にいても良いことなどないだろうに、離れる素振りを見せない。不思議だと思う反面、ラキエルにとってそれは心の支えにもなっていた。


 今更改めて、何故共に行動するのかと問うこともできずにいる。


 シシリアは複雑そうな表情を浮かべているラキエルに、小さく相槌を返した。


「……ドルミーレの村に悲劇が起きたのも、滅びの女神の影響なのかもしれない」


 ラキエルは疼痛を覚える額の紋を思い出しながら、正直に伝えた。シシリアには知る権利がある。そして裁く権利も。


 シシリアは沈痛な面持ちでラキエルを見上げた。


 しかし、その青ざめた唇から非難の声が飛ぶことはなかった。


「いいえ。貴方が来ても来なくても、同じ悲劇が起こっていたわ」


 悲しみの浮かぶ空色の瞳は、ラキエルを責めてはいなかった。


「ローティアとミーナを巻き込んだのは私。……私の愚かさが招いたこと。ラキエルのせいじゃない」


 ゆっくりと自身にも言い聞かせるように、シシリアは呟いた。


 己を責めていなければ、罪の呵責に苛まれて正気ではいられないのかもしれない。


 ラキエルはシシリアの手の中の水筒が重みをもって膨らんでいることに気付くと、それを取り上げた。


「話し込んでしまってすまない。戻ろう、ラグナが待ってる」


 踵を返して歩き出そうとしたラキエルは、服の裾を引っ張る力に気付き足を止めた。


「どうかしたか?」


「……いいえ。ただ、話を聞いてくれてありがとう……」


 消え入りそうな声で告げると、シシリアはラキエルを追い越して森の中へと歩き出した。


 その背を不思議そうに見つめながら、ラキエルもまたラグナの待つ森へと帰るべく一歩を踏み出した。

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