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第十話 子どもは親の知らぬ間に成長することも多い

「お義母さん、こっちに来たいって言ってたのか……なんというか、お義母さんらしいね。お義父さんは?」

「夜に、メッセージだけやりとりしたわ。こっち(お母さん)は大丈夫だから、なんとか頑張って帰ってきなさいって」

「そっか……」

哲人てつひとも、さすがに呆れている。

父もかなりのマイペースだとは思うけれど、なんで私の母はあんな風に自由なのかしら。

きっと父にも、一緒にあっちに行こう!とか言って困らせたに違いない。

そして、父は適当にそれじゃあ機会があれば一緒に行きましょうかね、とか言ってなだめるのだ。

「それにしても、哲くんの方、お義母さんも随分あっさり理解してくれたわね」

「そうだなぁ。混乱はしてたし、初めは疑ってたけど、国の名前とかも出して説明してたら、そこまでの作り話なんて、あんたにはできないわねって」

「信じてる方向が違う気が」

「まぁ、どっちにしても連絡はできるんだ、安心はしただろうからそれでいいと思うよ」

「そうね。お義母さんには昨日哲くんが飲みに行くってちゃんと連絡したし、安心なさってるでしょ」

「ちょ……!」

「大丈夫、たまには息抜きしてもらわないと、って言っておいたから。お義父さんも、そんな風にすごしているなら少しは安心だっておっしゃってたし」

今は夕方。

昼過ぎまで、哲人は二日酔いでベッドにいたのだ。

今もまだ、ソファに寝そべっている。

勇人ゆうとは、おやつの授乳中。

ご飯が増えてきたから、かなり授乳回数は減っている。

お母さんはちょっと寂しいけど、成長が嬉しい。


どうにか回復してきた哲人と、昨日の親との会話を報告しあった。

私の母はともかく、お義母さんはさすがに信じられないんじゃないかと思った。

説明が具体的だったから、逆に作り話じゃないと(一応は)納得してくれたみたいだけど。

ていうか、普通は信じられないよ。

いくら子どもがそう言うからって、異世界から通話してますなんて。


間接的に聞いたはずの父たちは、どっちもわりと現実主義だから、信じたかどうかは分からない。

無事らしいと分かったことで、妻が落ち着いたからそれでいいと思っていそう。




勇人は、授乳のあとそのまま寝てしまった。

ソファに寝かしているけど、最近寝相が悪くなってきたから落ちないように気を付けないと。

しばらく両親のことなんかを話していると、ルドク王子が訪ねてきた。

最近、この王子が宰相さんの下っぱに見えてきたけど気のせいかな。


「出立の日は、やっぱりこっそり行きますよ」

「そうですか……壮行会など盛大に計画していたのですが」

「いえいえ、そんな気遣いは無用です。というより苦手ですから」

ルドク王子は、壮大なお見送り計画を携えてやってきた。

申し訳ないが、全部却下させてもらった。

道に人が並んでパレードとか、勘弁してほしい。

そんなことしたら途中までついてくる人もいるだろうし、キャンピングカーを使えなくて困る。

あっちこっち走るだろうから、キャンピングカーの存在が明らかになるのは承知の上。

だけど人が多いと轢きそうだし、そんな場所で大っぴらに使うのはどうかと思う。

なので固辞させてもらった。

「では、せめて夕食には招待させてください。父も母も、ゆっくり話したいと申しておりましたし」

「いやぁ、それも子どもがいますし」

「大丈夫です、あくまで私的な夕食ですから。私の家族しか参加しません。どうか、どうか、これだけは私の顔を立てていただきたい」

ルドク王子が必死に頼んできた。

「じゃあ、柔らかいパンを用意してくださいね。少しジャムを塗ったパンがいいです。最近勇人が気に入って、よく食べるので」

私が話に割って入った。

哲人はそれを聞いて、諦めたように頷いた。

「なら、短時間だけ、勇人がぐずったらすぐお開きにしていいなら、参りましょう」

「……!ありがとうございます!ありがとうございます!!いやぁ、母上がそれはそれはテツヒト様とヤエ様と話をしたがっておりまして、万が一夕食まで断られようものなら私の明日からの生活が危険になるところでした」

ルドク王子はこぼれそうになった涙を袖で拭いながら一気に言った。

なんだそれ、王妃様ってそんなにアグレッシブなの?

おしゃべりが好きなのは女性の常だけれど。

まぁ、私ももう少しじっくり聞いてみたいと思っていたし、ちょうどいいだろう。


哲人が嫌がっているのは、単に堅っ苦しいのが嫌いだからだ。

マナー守ってお上品に、だと美味しさが半減するとかしないとか。

行儀が悪いわけじゃないけどね、フォークとナイフは端から使うとか、スープは音を立てて飲まないとか、そういうのが気になりすぎて楽しめないらしい。

だから、私たちの結婚式では、ガーデンパーティを披露宴代わりにした。

式は両親と親戚だけでこぢんまり、パーティは友人知人を招いて賑やかに。

3月の半ばだったから、少し肌寒かったけど楽しかったな。

ガーデンパーティの会場の外が、ちょっとしたお花見スポットになってて、咲きかけてる桜を見に来た人たちにもお祝いしてもらったんだっけ。



夕食会は、3日後に決まった。

こちらは準備といっても、また礼服を借りるだけ。

何枚か服を買ったけど、実用的な服しか買わなかったからなぁ。

ドレスなんて、必要なさそう……あ、でもほかの国とかでも同じようにパーティ的なものに招待されるなら、あった方がいいのかな?

私は着物派なんだけど。


実は私は、着物の着方を習って、自分で着られるくらい好きだ。

浴衣はもちろん、振り袖も本振袖から中振袖まで揃えている。

訪問着に色無地、夏用の単なんかのよそ行きだけじゃなくて、普段着の着物も数枚持ってるし、結婚したときに憧れの留め袖も作った。

学生のときには、バイト代の大半を着物に使って、哲人がビックリしてたな。

プチ着物道楽ね。

最近は、子育てに必死で全然着てなかったなぁ。

結婚式でも、パーティは着物を着た。

ドレスにはない贅をこらしてあるからか、華やかなだけじゃなくて空気を変える力がある気がする。

特にお気に入りのお洒落着なんて、場合によったら下手な振り袖なんか霞むくらいはでやかで……。

うん、そうだ着物呼ぼう。

私は着物を着たい。

着物だって、虫干しもされずにしまいっぱないじゃ可哀想だ。

よしよし、明日は小さい方の箪笥を呼び出そう。

普段着とお洒落着が一揃え入ってるし、浴衣も少しあったかな?

アイテムボックスがあるから大きさは気にしなくていいし。


「それで、帰るときに一緒に戻れるの?」

哲人の現実主義め。

でも一理ある。

「じゃあ、万が一持って帰れなかったとしても構わないものだけにするわ」

「着物フリークな邪栄やえちゃんが、そんな着物持ってるの?」

「あるわよ失礼な。量産品の浴衣とかなら構わないわ。ちょうど南に行くんだし、浴衣くらいがいいのよ」

「ハイハイ」

「どれがいいかなぁ。紺地に黄色い月のやつなんかは、1,500円とかのだから惜しくないかしら」

「うんうん」

「たーた!」

勇人は、ルドク王子が帰ってしばらくしたら起きた。

今はハイハイもどきを練習中だ。

「でも、白地で金魚が裾にだけいてるのも、わりと安かったし可愛いわよね」

「うんうん」

そして哲人は生返事。

「……哲くんの秘蔵DVDでも呼び出そうか?」

「うんう……って、それはやめてっ!?どれのことか分からないけどやめて?!!」

「え、書斎の2番目の棚の一番下の段の奥に」

「ぎやああぁぁあぁっ?!な、なんで、それを知ってるの邪栄ちゃん?!」

「たったうー」

「なんで知らないのよ」

「うう……隠しきれてると思ったのに」

勇人が遊ぶことになるだろうと思って、床目線で色々家具の配置なんかを考えていたもので。

「不自然に本が並んでたから、すぐ分かったわよ?」

「ったー!」

勇人が、なぜか左足だけ足を立て、右膝を付いた状態で数歩ハイハイした。

すごい。

「哲くん!哲くん!大人のDVDなんてどうでもいいわよ、勇人がハイハイしたわ!!おいで、勇人!」

「た!たぁ!」

「はぅ、邪栄ちゃん……俺のハートがズタボロなんですがそれは」

ぺしょり。

勇人が、腕で自分を支えるのに疲れたらしく、うつ伏せに潰れた。

「ふ、うえええー!」

思い通りにならないと泣き出した。

「抱っこしようね。勇人はすごいねぇ、ハイハイできたわねぇ」

抱っこしたら、涙を目にいっぱい溜めたまま笑った。

「へへー」

可愛い。

抱っこが嬉しいだけだろうけど可愛い。

柔らかなほっぺにチュッチュしていたら、哲人も寄ってきた。

「うぅ、邪栄ちゃん俺もー」

「はいどうぞ」

「ぱー!」

哲人に勇人を渡した。

違う、という視線はスルー。

「勇人、勇人はエロ本とか絶対見つからないところに隠すんだよ」

「たーたー、たった」

しんみりと妙な教育?をする哲人の肩を、勇人がポンポンと叩いた。

「うう、ありがとう勇人。今度男同士の話をしような」

「まだまだ無理でしょ」

あのポンポンは、私たちの真似っこだ。

勇人を抱っこしたら、よく背中をポンポンするから。

あれはあれでまた可愛らしい。

ぐじぐじといじける哲人を放置して、私は夕飯を持ってきてくれたサンナさんを出迎えた。

索敵してると、こういうとき便利ね!




細かい準備をしていると、あっという間に3日過ぎた。

予定では、明日の早朝に城を出る。

その前に、お食事会だ。

「邪栄ちゃん、その着物どうしたの?」

私はドレスを断って、着物を着た。

今時なかなか見受けない、シンプルな朱色とキナリの矢絣。

帯は黒っぽい緑とグレーの絣っぽいもの。

白で竹を描いているのがちょっとこだわり。

全体的はなんていうか、あれだ、安っぽい黒のペンが古くなって緑に見えるあの色。

黄土色の帯にしなかったのは、年齢がノーと言ったからだ。

「呼び出した浴衣を型の参考にして作ったの。帯も襦袢もセットだよ」

半襟はベージュ系、織り模様でこれも矢絣。

帯揚げは明るく若竹色にして、帯締めはくすんだ黄土色。

草履の鼻緒は赤茶系のストライプだ。

いい感じに、朱色の矢絣が主役の組み合わせになった。

「マジか……この着物フリークめ」

「えへへ、これなら惜しくない気がしないでもないからね!」

「強力魔法の無駄遣いを見た」

「有効活用じゃないの」

「だっだーうー!」

哲人は、この間よりは少しラフな茶色系のスーツ、勇人も同じくよそ行きな上下セットだ。

「いいじゃないの、この着物の話で30分は持つわよ。語っていいなら数時間いけるわよ」

「くっ。確かに話題の宝庫だ」

つまり、その話の間、哲人は勇人の相手でもしながらゆっくり食事ができるわけだ。

向こうも好奇心を満たせて、私も好きなものを語れて、見事な3方良しね!



「まぁ、それならこちらでも作れなくはなさそうね」

「そうですね。ただ、着るのに時間がかかってしまいますので、一般的には広まりにくいかと」

予想以上に、王妃様は着物に食いついてきた。

やっぱり女性はファッションに目がないものよね。

「特に模様が素敵だわ。染めているわけではないの?」

「染めても作れますが、これは糸を先に染めて、織りで模様を作っています」

「まぁ。そんなに手がかかっているから、繊細で豪華に見えるのね。ほかの模様もあるの?」

「はい、こういう幾何学的な模様もありますが、もっと描画的な模様もありますし、もちろん染め物もあります。それから、布に描くタイプもありますね。この帯なんかはそうです」

「んーん!」

食事は美味しい。

私と王妃様とでしゃべっているから、男性陣は静かだ。

勇人は、哲人にパンやら果物やらスープやらをもらってご機嫌。

「帯、ってその腰に巻いている細長い布ね?描かれているのは植物かしら」

「はい、そうです。私たちの故郷では一般的なもので、縁起の良いものですね」

「縁起の良い?どういう意味なのかしら」

「そうですね……おめでたい、良いことがありそう、などの意味です。例えば、青いドレスの女性は将来の旦那様に廻り合いやすいとか、そういう言い伝えに近いかもしれません」

「そうなの。ヤエさんたちの国は、良いことを分ける心の広さがあるのね」

ん?

縁起の良い話がなぜそうなるのかしら。

でも、国王も王太子もルドク王子も、うんうんと頷いている。

そうそう、王太子妃は、残念ながら欠席だ。

子どもたちが熱を出したらしくて付き添っている。

こういうときに、乳母とかに預けてしまわずに、母親が付き添ってあげると聞いて、ちょっとほっとした。

人としての温かさがあると感じたから。

本当は、同い年くらいだから、彼女とは少し話してみたかったんだけど。

まぁ、今回は王妃様と思う存分話してるからいいか。


「我が国では、というより世界的にかしら。良いことは大事に隠しておくものだと考えているわ。幸せを分け与えると、自分の分が減ってしまいそうですもの。それを分け与えるのは、家族とか恋人くらいのものね」

「うーん、自分の幸運を分けるのとは少し違うかもしれません。自分が幸運を掴んだ方法を教えるというか……」

「それも不思議だわ。これまでの勇者様がこの世界に留まらなかったのも、そういう文化的な違いが関係するのかしら」

「え?」

「あら、どうかなさったの?」

「あの……勇者は帰ったり残ったり、人によると本で読んだのですが」

「あぁ、一般向けの記録本を読まれたのね。そういうことになっているけれど、本当は皆様帰られたのよ」

「どうしてそれをご存じなんですか?」

「……わたくしの生家の起こりに関係する話よ。もともとはちょっと魔法の上手いだけの平民一家だったのだけれど、一族の中でも特に魔法の得意な娘が、数代前の勇者様と一緒に魔王を倒して、その功績で貴族に昇格したのよ。その娘の弟が後を継いで、姉のことを日記に残していたの」

「過去の勇者と……」

「ええ。それで、まぁ勇者様と娘が恋仲になったために、勇者様も残られるつもりだったそうなの。けれど、魔王を倒して数カ月後、突如帰ってしまったそうで。どういうわけか、勇者様との結婚を予定していた娘も一緒に」

「え?娘さんが一緒に地球へ?」

なにその衝撃の事実。

哲人も驚いてこちらを見ている。

勇人はマイペースにモグモグしてるな。

王様はちょっと困った顔だから、トップシークレットなのかも。

「一緒に魔法陣に飲まれたから、多分そうだろうと言われているのよ。何もかも置いて、いなくなったそうだから。その記録を読んで、興味が湧いて調べ尽くしたの。幸い、我が家はそれなりに権力があったから、あらゆる資料を集めることができたわ」

「それで、勇者が全員帰っていたと……?」

「ええ。自分の意思で、もしくは強制的に。付いていく者は、ごくたまにいたようね。いずれも結婚していたか、その予定だった者らしいわ。結婚していても残った者もいたようだから、何故かはよくわかっていないの。勇者様は、10人もいらっしゃってないから多くはないし」

「そうなんですか……もし本当に一緒に戻っているなら、苦労してそうです」

「あら、そうなの?ヤエさんたちの世界は、随分優しそうだと感じたのだけれど」

「中で生きるものにはそれなりに優しいと思います。ですが、わりと排他的ですから……」


文化もそうだけど、戸籍とかそういうのがすごく大変そう。

どうするのかしら。

親が出生届を出してくれていなくて……みたいな申請でいけるのかな。

下手したら、密入国を疑われて拘束されそう。

「知らないものに対して警戒するのは普通のことね。わたくしの遠い伯母があまり辛い思いをしていないといいわね」

「勇者が一緒だったなら、多分何とかなっていると思います」

「そうね、勇者様だもの」


かなり驚く話を聞いた。

どうやら、勇者も魔王と同じく帰されるらしい。

条件は分からないけれど、勇者の家族になった人も一緒に帰ることがあるようだし……ってことは、地球にはこちらの人が混じっているのか。

王妃の話では、勇者の子孫がこちらに残っている例はないんだとか。

不思議なことだらけだ。




「地球に帰ったら、探してみる?テヌ・ホキムの人。一緒に帰ってるはずの勇者にも、多分会えるよ」

勇人を寝かしつけた後、荷物の確認をしていると哲人が言った。

「うーん、この国の人だけなのかな?さすがにドワーフさんとかは目立つか……」

王妃の話を聞いた限りでは、この国の人が関わる記録を集めたらしかった。

逆に言うと、この国以外の人については細かく記載されていない。

「さぁ、どうなんだろう。獣人とかは見た目の補正が働くのかも?」

「聞いたことないもんね。どうなってるのか不思議だわ」

あまりにも違うだろうから、そんな人がいれば大ニュースのはずだ。

「ただ、ちょっと作為的なものを感じるね」

哲人は眉間に皺を寄せて言った。

これは、気に食わないという顔だ。

「そう?」

「うん、さすがに偶然はあり得ない。何故か分からないけど、地球からこちらへ人を呼ぶだけじゃなくて、きちんと帰しているんだから。何かしら、ここに地球の人間が居てほしい理由があるんだと思う。条件は分からないけど、一緒に地球に飛ばされた人がいるのも気になるし」

誰かが、そう考えて呼び出しから帰すまでのシナリオを作ってるってことか。

だがしかし、今回はそのシナリオを崩させてもらう。

私たちは、一緒に帰るのだ。

「どんな理由か知らないけど、世界が消えるレベルのことじゃなければ、召喚式をぶち壊すわよ。迷惑極まりない」

「それか、こっちに来ることに抵抗のない人を呼ぶよう書き換える、とかかなぁ」

「そんな人いるかしら」

「いなかったら呼べないようにするんだよ。てか多分、現実逃避したい人とか、本気で魔法を使いたい人とか、誰かしら当てはまる人はいるよ」

「お話に憧れはしても、本気で異世界に行こうって人なんて……」

いたじゃないか。

「うん、そうそういないだろうけどね。時間の流れが違うみたいだから、多分どこかであてはまるよ」

「私のお母さんみたいな人ね」

「あ、えっとうん、……あり得るかもしれない」

哲人も私と同じく半笑いだ。

あの母なら、きっと楽しむに違いない。


荷物の確認を終えて、まったりお茶を飲んでいると、少し開けていた寝室のドアの向こうから、どさりと何かが落ちたような音がした。

「え?今のまさか……」

「ふぅう、ぅええー!」

続いたのは勇人の泣き声。

慌てて寝室に駆け込むと、ベッドの側の床で寝転んで、こちらを見上げている勇人が。

「勇人!」

涙目の勇人を抱き上げると、眠そうに体をあずけてきた。

どうやら布団ごと落ちたらしく、怪我はなさそうだ。

「寝返り打って、落ちたみたい」

「うーん、下りたんじゃないかなぁ」

「え?まだ早いでしょ」

「そんなことないよ。ハイハイしかかってるんだし」

「そうかしら……」

二人で顔を見合わせて、それから勇人を見た。

どうやら覚醒したらしく、私を見上げている。

だから仰向けにして、そっと床に下ろしてみた。

ころん、と寝返りを打った。

少し離れてみたら、ハイハイしようとして。

とす。

ぱたぱたぱたとすん、ぱたぱたぱたとすん。

こちらを見て、やっぱり左足だけ足の裏をついて、右足は膝をついての変則ハイハイ。

「勇人……!すごいわ、ハイハイできるようになったのね!!」

足元まで来たから、嬉しくて抱き上げた。

「たっちゅ!んーぱーぱー」

勇人も嬉しそうに、ご機嫌で何か言っている。

「すごいなぁ。どこで覚えるんだろうね」

哲人も楽しそうに寄ってきて、勇人の頬をつついた。

知らない間に、少しずつ成長していくものなのね。

不思議だわ。

「ていうか、明日わりと早いんだし、俺たちももう寝よう」

はふ、とあくびをして哲人が言った。

予定では、夜明けと共に王都を出る。

見送りは最低限だ。

「うん、寝ようか。勇人、もう一回ねんねしましょうねー」

「たーっちゅーぱー」

「うんうん、お母さんたちも寝るからね」

あぁ、本当に勇人はすごい。

勇人の成長に負けないように、お父さんとお母さんも頑張るからね。

まずは明日の朝、素早く王都を出立するために、早起きするから。

だから、夜泣きはしないでね。

「たーう」

……お願いね。

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