第1話:目覚めた世界は、男女比1:100だった
松岡禎丞はスマホのアラームで目を覚ました。
「……寝坊した。」
制服を着て高級そうなマンションを飛び出す。
そしてエントランスを出た瞬間だった。
「あっ……。」
通学中の女子高生たちが一斉に足を止める。
「え……男の子?!?」
「やばっ、え、うそ」
「今日……私、死ぬのかな?」
この世界の男女比は、およそ男性一人に対して女性約百人。
男性はテレビでもニュースになるほど珍しい存在だった。
だが僕にとってはその異様な世界が日常であった。
僕は立ち止まり、こちらを見つめて固まっている彼女たちへ向けて言った。
「……そんなに見られると、さすがに恥ずかしいんだけど。」
わざと少し困ったような顔を作る。
すると、彼女たちは一斉に慌て始めた。
「えっ!?」
「あ、ご、ごめんなさい!!!」
「その……私達、えと、見とれちゃって……。」
「わ、ヤバい、鼻血止まらない…」
僕は思わず笑ってしまう。
「冗談だよ。」
そう言って軽く手を振ると、彼女たちは顔を真っ赤にしたまま固まっていた。
「わ、笑ってくれた……。」
「朝から運を使い切ったかも……。」
「……………」
一人は鼻血がドバドバと音を立てて吹き出ていた。
僕は口元を緩める。
こういう反応を見るのが、少しだけ面白い。
別に特別なことをしているつもりはない。
ただ、少し言葉を選んで、少し間を置いて、相手の反応を見る。
それだけなのに、この世界ではそれだけで大騒ぎになる。
「じゃあ、僕そろそろ行くから。」
手を振って歩き出す。
数歩進んだところで振り返る。
「……あ、そうだ。」
「はい!?」
「その髪型、可愛いね」
一瞬の間。
「「「~~っ!」」」
顔を赤くしながら慌てる彼女たちを見て、僕は笑った。
「い、今、わ、わた、私に!!?!」
「は!?!違う、私に言ったに決まってるじゃない!!」
「……………」
一人は完全に白くなって横に倒れている。
(やっぱり、この世界は退屈しないな。)
そんなことを考えながら、僕は学校へ向かった。
◇
最寄り駅に着いた時、ちょうどホームへ電車が滑り込んできた。
タイミングよく開いたドアへ向かい、松岡禎丞は静かに乗り込む。
「……。」
その瞬間だった。
それまでスマートフォンを眺めたり、窓の外を見ていた乗客たちが、一人、また一人と顔を上げる。
「え……男……?」
「は、美少年過ぎるだろ」
「やっば、良い匂いする」
車内に静かなざわめきが広がる。
少しずつ、周囲の女性たちが距離を縮め始めた。
「はぁ………やっばい、子宮にクル」
「肌、柔らかそ……触っ……だめ、犯罪者なっちゃう」
混雑しているわけでもないのに、不思議と禎丞の周りだけ人の輪ができていく。
そんな空気を感じ取った禎丞は、小さく肩をすくめると、いたずらを思いついた子どものように口元だけを緩めた。
伏せていた視線をゆっくりと上げ、流し目で周囲を見渡す。
その瞳がふと一人の女性と重なった瞬間、彼はほんの少しだけ身を寄せる。
「……少しだけなら、触ってもいいですよ」
低く穏やかな声が、耳元をくすぐるように響く。
「――っ!?」
女性の頬が一瞬で真っ赤に染まり、思わず両手を胸元でぎゅっと握りしめる。
「えっ、えっ……!?」
「え、うそ、ずるい……そんな言い方……」
周囲からも小さな悲鳴や息をのむ音が漏れ、車内の空気が熱を帯びる。
禎丞はそんな反応を見て、くすっと肩を揺らした。
「……ふふ。」
悪戯が成功した子どものような笑みを浮かべると、指先を軽く振って付け加える。
「冗談ですよ。」
その一言と同時に、柔らかな笑顔を向ける。
「本当に触られたら、照れちゃいます」
あまりにも優しく、どこか小悪魔めいた笑みに、女性たちは安心したように笑いながらも顔を真っ赤にした。
「はは……じょ、冗談よね……」
「心臓止まるかと思った……」
「え、えっと……その、幾ら払えばいいですか……?」
思わず漏れた言葉に禎丞はくすりと肩を揺らす。
「んーー、そうだなあ」
少しだけ身を乗り出し、秘密を打ち明けるように声を潜める。
「プライスレスです♡」
悪戯が成功した子どものように笑うと、そのまま軽くウインクをした。
「……なんてね」
ころころと楽しそうに笑う禎丞を前に、女性たちは
「ずるい……」「反則でしょ……」と頬を押さえ、ますます顔を赤くするのだった。
ほどなくして、目的の駅へ到着を告げるアナウンスが車内に響く。
電車がゆっくりとホームへ滑り込み、扉が開く。
降車する乗客の流れに合わせ、禎丞もホームへと足を踏み出した。
満員電車を降りた瞬間、淀んでいた人の流れがわずかに揺れた。
ホームへ足を踏み出した禎丞を見た乗客たちが、次々と振り返る。
「はぇ……」
「…………あ、好きだ」
思わず息を呑む者、目を丸くして立ち止まる者、すれ違いざまに何度も振り返る者、友人の袖を引いて小声で囁き合う者、スマートフォンを取り出しかけては我に返り、慌てて引っ込める者、目が合っただけで頬を染め、慌てて視線を逸らす女性。
そんな反応が波紋のようにホーム中へ広がり、人混みの流れは自然と禎丞を避けるように左右へ分かれていく。
こんな異様とも呼べる光景はもう慣れた日常だった。
駅を出て学校への坂道を歩いていると、見慣れた制服姿の女子生徒たちが駆け寄ってくる。
「あっ、松岡くん! おはようございます!」
「お、おはようございます! 松岡さん!」
同じ学校の生徒たちは、頬を赤く染めながら次々と声を掛けてくる。
禎丞は足を止めると、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「おはよう」
たったそれだけのごく普通の挨拶だった。
けれど、少し首を傾げながら優しく微笑む姿は、どうにも人の心を掴んでしまう。
「………………っ///」
「今、い、いま、笑った……」
「やば、目、合っちゃった♡♡」
女子生徒たちは顔を赤くし、互いの顔を見合わせる。
そんな様子を見て、禎丞はくすりと笑った。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「へ、いや……あの、その……」
視線を泳がせ、まともに顔も見られない。
「……なに?」
そんな反応を見て、禎丞は楽しそうに目を細める
「さっきまであんなに僕のこと見てたくせに、今は見てくれないんだ?」
「っ!?」
図星を突かれて、肩がびくっと跳ねた。
「ち、違っ……!」
「ふふ、ほんと?」
逃げようとするたび、禎丞は一歩ずつ距離を詰めてくる。
あと少しで額が触れそうな距離。
彼は少しだけ首をかしげ、悪戯っぽく微笑んだ。
「ほら。」
「ちゃんと、こっち見なよ。」
その甘い声に抗えず、おそるおそる顔を上げる。
目が合った。
さらりと揺れる雪のように白い髪が朝日を受けて淡く輝く。
その隙間から覗く瞳は、陽の光を溶かし込んだアクアマリンのように澄んでいて、見る角度によって青にも緑にも揺らめいて見えた。
その微笑みはあまりにも美しく、まるで人ではなく一枚の絵画でも見ているようだった。
至近距離でそのすべてを真正面から浴びせられ、思考が一瞬で真っ白になる。
「……………っ///」
――反則だ。
顔が良すぎる。
「顔、真っ赤だよ?」
くすっと笑いながら、禎丞は指先で頬をつつく。
「照れ屋さんなんだね。」
その一言が決定打だった。
「………………///」
「む、無理ぃぃ………♡」
ばたん。
力が抜けるように、その場へ崩れ落ちる。
「え、大丈夫?」
禎丞は少し驚いたように目を丸くしたものの、すぐに肩を揺らして笑った。
そのやり取りを見ていた周囲からは、小さな悲鳴があちこちで上がる。
「いいなぁ………」
「そういうところなんだよ……!」
「朝から破壊力高すぎでしょ!!!」
「またやってますわね……」
坂道には今日も、甘い空気と悲鳴が入り混じっていた。
そして、そのまま何事もなかったかのように歩き出す禎丞。
毎朝のように繰り広げられるこの光景も、もうすっかり見慣れたものになっている。
坂道を登り切り、校門が見えてくる。
すると校舎の窓から、今度は別の女子生徒たちが一斉に顔を覗かせた。
「松岡くん来た♡♡」
「今日も格好いい……!」
「ねぇ、今こっち見たよね!?!」
「はぁ…ヤバい、今日も王子好きすぎてる」
黄色い歓声をその身に受けながら、禎丞は苦笑しつつ昇降口へ向かう。
視線を集めることにも、廊下で足を止められることにも、今ではすっかり慣れてしまった。
これが、今の僕の日常だった。
だが、ほんの一年前までは、こんな人生になるとは夢にも思っていなかった。
◇
当時の僕は、今とは正反対の人間だった。
人と話すのが苦手で、そして何より女の子が怖かった。
男性は、女性にとってあまりにも希少な存在。
だからこそ、同年代の女子たちから向けられる視線は、僕にとって恐怖でしかなかった。
廊下ですれ違うだけで向けられる熱のこもった視線。
少し話しただけで距離を詰めてくる態度。
気を抜けば胸や太腿に触れられ、「かわいい」と笑いながら身体を撫でられることもある。
そして、時にはハァハァと荒い息を漏らしながら、無理やり身体に触れようとしてくる者もいた。
禎丞にとって、それは理解できない恐怖だった。
逃げても追いかけられ、怯えれば「かわいい」と笑われる。
そんな日々が、少しずつ、しかし確実に松岡禎丞の心を蝕んでいった。
だから、目が合うだけで身体が強張る。
「……ひっ」
反射的に視線を逸らし、一歩、また一歩と距離を取る。
何をされるのか分からない。
次は腕を掴まれるのか。
抱きつかれるのか。
そんな想像ばかりが頭をよぎり、胸が締め付けられる。
そのただの想像は、あの日想像ではなくなった。
ある日のことだった。
塾が長引き、外へ出る頃にはすっかり日が落ちていた。
街灯がぽつぽつと照らし、少し遠くのコンビニの駐車場には母が迎えに来ている車が見える。
「あ……」
あと少し。
あそこまで行けば大丈夫。
そう思って足を速めた、その瞬間だった。
「見つけた」
背後から聞こえた女の声に、全身が凍りつく。
振り返るより早く、腕を強く掴まれた。
「え……?」
細いはずの指が、信じられないほど強い力で食い込む。
振り払えない。
「よし、やっと一人になった!」
「絶対逃がさないでよ」
「逃がすわけないじゃん」
「車に乗せちゃえば平気だから」
次々と声が重なり、気付けば何人もの女に囲まれていた。
出口がない。
逃げ道がない。
「や、やめ……」
声にならない。
喉が震え、息だけが漏れる。
身体は動けと命令しているのに、足が石になったように動かなかった。
誰かが肩を押す。
誰かが腕を掴む。
制服が引っ張られる。
笑い声だけが耳元で響く。
「あはは!怖がってる」
「かわいい」
「大丈夫、大丈夫だからねぇー?」
母の車が見えている。
あと少しの距離。
なのに、その距離が果てしなく遠い。
「お母さん……」
助けを呼ぼうとしても、震えた声は喉の奥で潰れてしまう。
次の瞬間。
後ろから口元を塞がれた。
「んっ……!」
息ができない。
甘い香水の匂いが鼻を刺し、頭が真っ白になる。
その時だった。
キキッ――。
タイヤがアスファルトを擦る音が静かな駐車場に響く。
一台のワゴン車が、禎丞たちの目の前へ勢いよく滑り込むように停まった。
「来た!」
誰かがそう叫ぶ。
横のスライドドアが勢いよく開き、中から伸びてきた腕が禎丞の制服を掴んだ。
「ぃやっ……!」
抵抗する間もない。
背中を押され、腕を引かれ、身体が暗い車内へと引きずり込まれていく。
すぐそこに母の車が見えてるのに。
手を伸ばせば届きそうなのに。
その手は届く事はなかった。
そしてスライドドアが無情に閉まり、外の景色が遮られた。
暗闇に包まれた車内で、エンジンが唸りを上げた。
その日を境に、禎丞の中で「女の子」という存在は、安心や恋愛の対象ではなく、自分を恐怖の底へ引きずり込む存在として深く刻み込まれたのだった。
あの日、レイプされて、警察の人に助け出されてから僕はずっと一人で居た。
教室では、休み時間は机に伏せるか、窓の外を眺めるだけ。
誰かと話すことも、目を合わせることもない。
近づかれるだけで、身体が強張る。
女子の笑い声が聞こえれば、反射的に肩が震えた。
あの日の出来事は、今でも終わっていない。
腕を掴まれた感触。
口を塞がれた息苦しさ。
目の前で閉まったワゴン車のスライドドア。
夢の中でも何度も繰り返され、そのたびに飛び起きる。
あの日からその恐怖は消えなかった。
母が「おかえり」と近づくだけで身を引く。
姉が頭を撫でようとすれば反射的に腕で払いのける。
妹が無邪気に抱きつこうとすれば、悲鳴を上げそうになる。
「……来るな」
「触るな」
「放っておいて」
そんな言葉しか出てこない。
本当は違う。
母も、姉も、妹も、自分を傷つける人じゃないことくらい分かっている。
それでも、女性が近づいてくるだけで、身体が勝手に拒絶してしまう。
頭では理解していても、心が追いつかない。
誰にも触れられたくない。
誰にも近づいてほしくない。
俯き、周囲を警戒しながら毎日を過ごす。
それが、事故に遭う前の松岡禎丞だった。
そして、中学を卒業し、高校入学を目前に控えた春休み。
あの日、家の階段を下りていた禎丞は、不意に足を踏み外した。
「あっ――」
視界がぐるりと反転する。
体は宙へ投げ出され、背中に鈍い衝撃が走る。
その勢いのまま後頭部が硬い地面に打ちつけられ、鈍い痛みが頭の奥まで響いた。髪の隙間からじわりと血がにじみ、温かな雫が首筋を伝っていく。
そのまま意識は、深い闇へと沈んでいった。
どれほど眠っていたのか。
次に目を開けた時、目の前に広がっていたのは、真っ白な病室の天井だった。
「……ここは?」
目を開けると、見慣れない真っ白な天井が視界いっぱいに広がっていた。
身体を起こそうとした、その瞬間。
「っ……!」
頭の奥を、杭で貫かれたような激痛が走る。
思わず頭を押さえ、息を呑む。
次の瞬間だった。
見たこともないはずの景色が、脳裏へ怒濤のように流れ込んでくる。
満員電車で会社へ向かう朝。
男女が当たり前のように肩を並べて歩く街並み。
友人たちと他愛ない話で笑い合った日々。
アニメやゲームに夢中になって夜更かしした休日。
それらと同時に、この世界で生きてきた記憶も溢れ出す。
母の笑顔。
姉や妹と過ごした穏やかな時間。
学校での日常。
二つの人生が互いに押し合い、混ざり合い、境界を失っていく。
あまりの情報量に意識が揺らぎ、禎丞はただ頭を抱えて耐えることしかできなかった。
やがて濁流のような記憶は静まり、ばらばらだった欠片が一つの意識として繋がっていく。
「……そうか」
荒い呼吸を整えながら、禎丞はゆっくりと目を開けた。
思い出した。
自分は前世で、ごく普通の社会人として生き、そして死んだ。
死因だけは靄がかかったように思い出せない。それでも、確かにあの日、自分は命を落としたのだと理解していた。
そして同時に、この世界で過ごしてきた人生も、自分の記憶として存在している。
母のことも、姉や妹との思い出も、学校生活も。
思い出そうとすれば思い出せる。
だが、それらは古いアルバムをめくるようにどこか現実味が薄く、自分自身の記憶であるはずなのに、一歩離れた場所から眺めているような感覚があった。
胸を締めつけていたはずの恐怖も同じだった。
何か、とても恐ろしい出来事があった。
誰かに襲われた気がする。
暗い車内。
閉まるスライドドア。
そんな断片だけが霧の向こうに残っている。
けれど、あの頃のように身体が震えることはなかった。
恐怖が消えたわけではない。
ただ、その感情はまるで、自分ではない誰かの記憶を追体験しているように、どこか遠くに感じられた。
前世の記憶が戻ったことで、心が上書きされたのか、それとも、自分という存在そのものが、少しだけ変わってしまったのか。
禎丞はゆっくりと息を吐き、震えの止まった自分の手を見つめる。
「事故の……せいか?」
そう呟いた時。
病室のテレビから、ニュースキャスターの声が聞こえてきた。
『続いて、世界的な人口問題についての最新報告です。』
『現在、世界各国で男性の出生数の減少が深刻化しています。』
『男児の出生割合は全世界平均で一パーセントを下回っており、現在の男女比は男性一人に対し、女性約百人という極端な比率となっています。』
『なお、男性の出生数は年々減少傾向にあり、各国政府は男性出生率の回復を最重要課題として、国際的な対策を進めています。』
「……は?」
禎丞は、ゆっくりとテレビへ顔を向けた。
「一対……百?」
聞き間違いかと思った。
前世の常識では到底あり得ない数字だった。
事故の影響で頭が混乱しているのか。
そう思った、その瞬間――
「っ……!」
再び、頭の奥に鈍い痛みが走る。
脳裏に、断片的な記憶が浮かび上がる。
幼い頃、母に「男の子なんだから大事にしないとね」と優しく頭を撫でられたこと。
教室で、自分だけが男子だった光景。
テレビで何度も流れていた男性保護政策のニュース。
街へ出るたび、女性ばかりが行き交っていた景色。
霞がかっていたこの世界の記憶が、一つ、また一つと繋がっていく。
「……そうだ」
思い出した。
この世界では、男は極めて少ない。
男性は世界中を探してもごくわずかしか存在せず、女性が社会の大半を占めている。
それが、この世界では当たり前の常識だった。
「でも……」
思わずテレビへ視線を戻す。
頭では理解した。
記憶も確かに蘇っている。
それなのに、前世の常識があまりにも鮮明すぎて、その事実をすぐには受け入れられない。
男と女が当たり前に半々だった世界。
それが自分にとっての"普通"になってしまっていた。
「そんな世界が……本当にあるのか?」
自分でも何を言っているのか分からないまま、ぽつりと呟く。
夢なのか、それとも頭を打った後遺症なのか。
答えを確かめるには、自分の目で見るしかなかった。
禎丞は病室のドアをゆっくりと開ける。
消毒液の匂いが漂う静かな廊下。
ナースステーションでは数人が慌ただしく動き回り、診察室の前では患者たちが順番を待っている。
だが、その光景を一目見た瞬間、禎丞の足は止まった。
「……嘘だろ」
視界に映る人々は、誰もが女性だった。
白衣を着た医師も、患者に寄り添う看護師も、受付で案内をする職員も、診察を待つ患者たちも。
すれ違う人影に、男は一人もいない。
偶然では済まされない。
右を見ても、左を見ても、どこを見渡しても女性ばかりだ。
「……本当に、男がいない」
思わず漏れた呟き。
その瞬間だった。
「えっ!? 男がいるんだけど!!」
誰かの叫びが病棟中に響き渡る。
その一言で、空気が一変した。
「えっ、ガチ!? 本物!?」
「うそでしょ!? めちゃくちゃ美少年なんだけど!」
「えぇぇ!? 可愛すぎない!?」
「きゃあああっ!! かわいい!!」
あっという間に人だかりができる。
まるで珍しい動物でも見つけたかのような熱狂ぶりだった。
だが、不思議と恐怖は感じなかった。
むしろ嬉しかった。
前世では、これほど多くの女性に囲まれた経験など一度もない。
何十もの視線が自分だけに向けられ、歓声まで上がる。
まるで人気アイドルにでもなったかのような感覚に、男として悪い気はしなかった。
「み、皆さん落ち着いてください!」
「患者さんです! 下がってください!」
慌てた看護師たちが人垣をかき分け、禎丞を守るように病室へと押し戻す。
バタン、と勢いよく扉が閉まる。
外からはなおも興奮した声が響き続けていた。
「す、すぐに先生と、お母様をお呼びしますので、少々お待ちください!」
「は、はい……」
看護師はそう言い残し、慌ただしく部屋を飛び出していく。
静まり返った病室。
しかし、ドア一枚隔てた向こうでは、歓声とざわめきがいつまでも収まる気配はなかった。




