盂蘭盆会 その3
河童が用意した素焼きの小皿におがらを置いて火をつけると、すぐさまパチパチと音を立てながら煙が上がった。
俺は金腕を鳴らしながら、なんとなく空を見上げた。
天国や地獄なんて信じていないけど、なんとなく空を見上げたくなったのだ。
もし死後の世界があるとするのなら、きっと爺ちゃんは天国にいると思うから。
「よし、完璧だな。これなら爺さんも真っ直ぐ帰って来れるだろ」
……それにしても異様である。
なるべく目を背けてはいたが、どうしても違和感を隠すことが出来ていない。
もちろん、それは河童が作った牛馬が原因である。
ペガサスが形どられた胡瓜は、今にもいななき始め空へと駆け上がっていきそうな躍動感だ。
流れるような立て髪、一本一本丁寧に表現された尾。
翼の細かい造形も圧巻だ。
言いたくは無いがすごい技術だった。
こんな職人顔負けの飾り包丁を一体どこで習得したのだろうか。
対するは茄子で造形されたミノタウロス。
天を衝く雄大な二本の角は雄々しく、背丈ほどもある両刃の斧を支える上腕二頭筋は細部まで完璧に表現されている。
確かに天国への帰り道にこんな護衛がそばにいてくれたら安心安全だろう。
「……終わったな。俺たちも部屋に入ろう。爺さんにおはぎをそなえて夕食としようじゃないか」
「いや、帰れよ」
なにナチュラルにご相伴に預かろうとしてくれてんの?
「お前って奴はなんてけつの穴が小さい男なんだ。せっかく爺さんが帰ってきてんだから今日は泊まるに決まってんじゃねえか。馬鹿か? 馬鹿なのか」
「泊まるってお前……」
な、何言ってんのこの子!?
馬鹿はあんただよ!
一つ屋根の下で健全な男女が一晩過ごすなんて、そんなの……そんなの!
「俺たちに残された道はもう結婚しかなくなってしまうじゃないか!」
「は?」
だめだよ、だめだめ。
絶対だめ。
いくら相手が自称河童の頭パー子ちゃんとはいえ、そんなことは絶対に出来ない。
俺まだ学生だし二人分の生計立てるなんて出来ないよ。
将来的には三人、四人と増えるだろうし……。
せめて卒業まで待ってくれないと。
大学進学は諦めるとして、ならばせめて専門的な資格を取らないと、無策のまま社会に出ること……それは死に値する蛮行と変わらないのだから。
「それは布団だって一つしかないし!」
どうしたってどうにかなっちゃうよ!
「……お前って本当に拗らせてんだな」
「ごめん。どうしたって俺には無理だよ」
「分かったよ。別に俺は気にしないし、お前がしょうもないこと気にしているのが心底気持ち悪くて少しえずいてしまった上、お前の存在なんて羽蟻、もしくはカメムシ程度にしか思っていないがそこまでいうなら考えるか」
「男女の関係というものはだな、お前が思っているより複雑怪奇であり、人類がいまだ立ち向かい続けている永遠のテーマなんだよ」
「あ、そうですか。じゃあしょうがないな」
河童は見せたことないくらい冷たい目で俺に告げた。
「じゃあお前庭にテント張って寝ろよ」と。
なんでそうなる。
普通逆でしょうよ。
河童って言い張るくらいなら野宿くらいお手のものなんじゃないの?
しかし河童はダンボールからテントを引き摺り出すと、庭へと駆け出し、小気味良いリズムでペグを地面に打ちつけ始めた。
こいつ、手慣れてやがる。
さすが野宿慣れしているだけはあるな。
「ちょっと本当に? せめて俺じゃなくてお前が——」
「おら、早く入れ。陽が昇るまで出てくんなよ変態」
「……はい」
「この変態が」
二回言われた。
蚊取り線香を添えてくれたことがせめてもの気遣いなのだろう。
仕方がない。
一日くらい我慢するか。
それにテント泊に少し胸が高まっているというのも事実だ。
どうせなら楽しんでやるという心持ちでいた方が、時間が経つのも早いというものである。
飛び交う蚊と、触れるだけで死んでしまいそうな細い足の蜘蛛と、カメムシと蟻と、耳を塞ぎたくなる蝉の大合唱と、息苦しいほどのテント内の温度、それにゴツゴツした絶妙に寝ずらい斜面がある地面。
これだけ我慢すればいいのだから——。
……環境、悪くね?
「おい、起きてるか」
という河童の声で目が覚めた。
いつのまにか眠ってしまっていたようだ。
どうやら家から小松屋までの二往復による身体的疲労が凄まじかったらしい。
「メシ」
「え?」
「だからメシだよ。お前飯食ってないだろ」
「……あ、ありがとう」
確かに言われてみればお腹はペコペコだった。
俺の未熟な恋愛観を押し付けたことが河童の逆鱗に触れてしまったと思っていたが、これは思わぬサプライズである。
劣悪な環境でこうしたささやかな優しさに触れると、心が揺さぶられるのは俺だけだろうか。
なんだろう。
なんか河童が一人の女性に思えてきた。
こいつ料理も作れるなんてギャップありすぎだろ。
「あんかけキムチ鍋にジョロキアを十本入れた特製の一品だ。ちなみに箸は無いから素手で食え。制限時間は三分だ。一滴も残すなよ。残したら尻子玉抜いてやるから覚悟しとけ」
このあと色ボケな想像をぶちかました事を丁重に誠心誠意謝罪したところ、なんとか河童に許してもらい、無事テント泊を回避することになった俺は部屋で美味しく鍋を頂く運びとなった次第です。