94 欠けたピース②
転生の事実を知っても、生活に何ら変わりはない。
今日は学校が早く終わるから、ちょっと大掛かりな研究ができる。そのことを考えると、どうしてもそわそわしてしまう。
どうやら長いこと休んでいたみたいだから、クラスメイトから何か言われるだろうか。もしかしたら誰かが心配してくれているかもしれない。クラスメイトと話した記憶などないけれど、そもそも私の中から魔法以外の記憶がほとんど消え去っているのだ。
それでも、特に不便だとは感じない。魔法があればそれでいい。
私のやることは、いつも通り誰とも喋らず、ただ登校して帰るだけ――いや、ストーリーを思い出してしまったから、念の為、悪役令嬢と王子とその側近達はなるべく避けておこう。恋愛に巻き込まれるのは避けたい。
そんなことを思いながら、学校指定の革靴に足を差し込み。
「行ってきます」と言いながら、今日の研究は何にしようか、と思考を巡らす。
そういう、いつもと同じ、厳密にいうと『アリア』の記憶の中での『いつも』と同じ、平穏な一日を送る。そのつもりだったのだ、その時までは。
かなり早めに寮を出て、始業式会場のホールに向かう。
校門をくぐり、人気のない道を歩いていると、曲がり道の角、ミモザの木の下に着いた。ホールに行くには、この木で曲がらなければならない。
風に吹かれて揺れた枝が、私の頭頂部を撫でた。見上げると、黄色い花をつけた枝がゆさゆさと揺れている。すっきり晴れわたった青い空に、鮮やかな黄色い花がよく映える。
春の柔らかな日差しに、そっと目を閉じた。
その時、ひときわ強い風が吹いた。風が、誰かの話し声を運んでくる。
目を開けて振り返ると、少し向こうにいたのは、一人の少女と、三人の男子。
強い違和感と既視感を感じた。どうしてなのかは、わからない。
「アリア!?」
名前を呼ばれ、肩がびくりと跳ねた。
少女がこちらに駆けてくる。そのまま、勢いをつけて抱きつかれた。
ふわふわと波打つ、明るい茶髪。菫色の瞳を持った、道を歩けば、行き交う人が皆振り返るような美人。そして、私が関わりたくなかった、関わるつもりもなかった、何なら避けようとすら思っていた、原作小説でもこの現実世界でも、超重要な人物。
私は今、何故、彼女に抱きつかれているのだろう。何をどうしたら、こんなシチュエーションになるのだろう。
知らない人、しかも自分より身分が高い人にことわりなく触れるのもなー、なんて思いつつも、とりあえず彼女の体を自分から剥がす。
「アリア?」
彼女が、潤んだ瞳で上目遣いをして、首を傾げてくる。ものすごい美人であるうえに、仕草までもが可愛らしい。
今になって、数十メートル先で立ち尽くす三人の男子が誰なのかわかった。銀髪はこの国の王太子殿下。関わりたくない人ランキングナンバーワン。その斜め後ろにいる赤髪赤目なのが辺境伯家出身の王子の側近。さらにその隣は、同じく王子の側近の公爵家嫡男だろう。
どうして彼らと彼女が一緒にいるのかはわからないが、とりあえず今は、目の前の問題に目を向けるべきだ。
こちらを見つめてくる彼女の顔も、どこか強張っていた。
たっぷり数十秒。話したことのないはずのクラスメイトの顔を見つめる。
そう、彼女は。
ーー危険人物、
「悪役、令嬢」
無意識に唇から零れていた。
自分が何を口走ったかを自覚してハッとする。
これではただの失礼な人だ。目上の公爵令嬢を『悪役』呼ばわりするなんてどうかしている。相手は転生者でもなんでもないのだから。
慌てて、頭をばっと勢いよく下げた。
「ご、ごめんなさい!」
一連の流れ全て、無かったことにすることにした。
何も言われないうちに、この場から早々に立ち去らなくては。
どうかどうか、さっきの言葉は忘れてほしい……!
私はくるりと体の向きを変えると、ホールの方へ、一目散に走り出した。




