77 すべてはここから始まった③
魔物にはすぐに遭遇した。
ただし、弱い弱い、小さな種だ。今年の花祭りで倒した黒狼はおろか、去年の夏にバートネット領で遭遇した狼よりもずっと弱い。サリヴィア先生が『魔物はこれでもかというほど弱らせてある』と言っていたけれど、どうやら本当のことだったようだ。
「『点火』!」
背を屈めて一直線に走るヘレンドさまが、そう叫ぶと同時に大ぶりの剣をひと振り。
すると、群れになってこちらに突進してきていた黒ウサギたちが、次々に炎に包まれ、ジュッと音を立てて消えていく。私が援護するまでもなかった。殿下は剣を抜きもせず、少し離れたところでカトリーアの手を握って一部始終を眺めている。私も、ユーリさまと手を繋いだままだった。
二十匹を超える黒ウサギを一瞬にして消し去ったヘレンドさまは、剣を鞘に収めると、「ふう」と息をついた。
「うんうん、さすがヘレン。見事な舞だったよ」
「お褒めにあずかり光栄だ、ラギ」
なんて、殿下と二人で余裕綽々と拳を突き合わせている。
魔物を発見してからの、ヘレンドさまの行動は早かった。
私を含めた他のみんなが魔物に気付くよりも早く、剣を抜いて一目散に駆け出したのだ。そしてあれよあれよという間に、全ての魔物をあっさりと倒してしまったのである。私が魔法を放つ暇も与えなかった。
ヘレンドさまは剣に魔力を補充しながら呟く。
「いやあ、それにしても、アリア嬢には感謝しないとな。この『魔力移動』、すごく便利だ。なんてったって、魔物を切り刻まなくても勝手に燃えて消えてくれるんだからな。体力の消耗が少なくて済むし、手っ取り早く片付けられる」
「魔物を切り刻めるほど剣を速く振れるのは、僕が知る中では騎士団の方々とお前くらいだがな。剣術を少しかじった程度の一般的な貴族達は、そんなことできやしない」
「コツさえ掴めば簡単なんだけどなあ。走るのといっしょ。やり方さえわかって、それをできるだけの筋力があれば誰だってできる」
「うーん、その言葉は無理があるかなあ、ヘレン。少なくとも僕にはできないよ」
「なんでだろうなあ」
…………たった今魔物に遭遇したばかりだというのに、呑気なものである。
この実践演習の目的は、おそらく魔物への恐怖心や不安感の軽減だ。貴族の子女のみが集うこの学園で、対魔物用の戦闘を教える必要などほとんど無い。なぜなら、魔物の討伐の仕事は国家魔法士や騎士団、冒険者が担っているからだ。
とはいえ、学園で魔法理論や攻撃魔法を教える意味が無いわけじゃない。国家魔法士や騎士団員は九割以上が貴族から選ばれるkらだ。
しかし、学園で魔法を教える最も大事な理由の一つは、暗殺者やトラブルに対処するためであり、また、魔力が少なく難しい魔法を使えない平民を守るためだろう。その証拠に、学園で学ぶ魔法は、論理重視で工夫や高度な技術をあちこちに用いたものや防御系の魔法、難しめの生活魔法が多い。攻撃魔法も、教えられても中級程度までだ。魔物と戦うにしても、貴族だから、ごくたまに街中に出没する弱小種を退治することを想定した授業内容になっているのだろう。
だからこそ、それが決戦では仇になる。
ほとんどの生徒は、強力な魔物に対抗する術を知らない。
だから原作では、負傷者が多く出て、実践演習場は混乱の渦に陥る。もちろんヒロインであるアリアも強力な攻撃魔法など使えなかったはずだが、彼女には唯一、女神様から授かった『消失』があった。それを使ったアリアはその場の全ての魔物を一瞬にして消滅させ、みんなを救うのだ。
きっとこの現実でも、決戦の時が来たら、実践演習場は混乱に巻き込まれるだろう。
原作では、事が起こるのは昼過ぎだった。現実でも魔物が登場するのはそのくらいの時間と考えてよさそうだ。もちろん、油断は禁物だが。
そうなると、それまで魔力と体力を温存しておく必要がある。
ヘレンド様の戦いを見た感じ、用意された魔物は、私なら生活魔法でも十分に倒せそうである。それは私が生活魔法の威力を最大限まで引き出せるからで、他の人にはなかなか難しいのだが。
生活魔法ならば、消費する魔力も少なくて済む。
このまま何事も起こらずに実践演習が終わるのが一番良いのだが、私の直感が、今日何かが起こると告げている。それに、最近のこの世界は不穏だ。魔物が増えているし、強力になっている。決戦のことと全く無関係だとは、私には思えないのだ。
「アーリア」
突然、後ろから肩をポンと叩かれた。
驚いて振り向くと、いつの間にかそこにはカトリーアが立っていた。
「また難しい顔してる。決戦のことは、今からあーだこーだ考えてどうにかなることじゃないでしょ。遭遇した時に、状況に合わせて対処するしかない。大丈夫、貴女ならできるわ。私達も精一杯サポートするし」
「……そうだよね。ありがとう、カトリーア。……あ」
そこで、私は彼女の背後に伸びる道を走ってくる狐に気がついた。他の魔物と同じく、この狐も全身闇色だ。
――『水球』
すぐさま私の手のひらから発生したスーパーボール大の水の玉たちは猛スピードで飛んでいき、その狐の心臓を撃ち抜いた。狐が音もなく消滅する。
ほら、小さな魔法でも倒せる。
それに、私は一人じゃない。彼らが力を貸してくれる。『魔力移動』を教えたのはそのためでもあるのだから。
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