24 闇魔法③
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雨が激しく降っている。バケツをひっくり返したような、とまではいかなくても、校庭に川ができるほどの水は、窓を激しく叩き、バタバタと途切れることなく音をたてていた。だが、その音でかえって図書室の静けさが強調されている。
時折紙をめくる音が微かに聞こえてくるだけの本棚の前で、私は分厚い本を胸に六冊抱えていた。
厚みが五センチはあるハードカバーの本は、全て魔法書だ。あまり市場には出回らない貴重な本で、どれもまだ読んだことはない。
ふらつきながらも本を抱え直すと、背伸びをした。背後の棚の上の段、左端から順に、昔読んだ一冊の本を探していく。
王都の屋敷の書庫の奥にひっそりと眠っていたその本を見つけたのは、前世を思い出してすぐ、まだ領地に移る前の話だ。自分が転生していたと知り、光魔法について書かれた本を探していた時。まるで『私を開いて』とでも言うかのように、そこに置かれていた。
国家魔法士が読むような、厚さ十センチくらいある、革の表紙の古い本。魔法や女神様の言い伝えから上級魔法、御伽話に登場するような伝説の魔法まで載っている。色褪せた茶色の背表紙は、あまり存在感を放つようなものではない。だが当時は、棚に整然と並んだ本の中で、なぜかそれだけが輝きを放っているかのように感じて、気がついたら手を伸ばしていたのだ。
だが、ついこの間、屋敷の使用人に尋ねてみても、そんな本は知らないと言われた。父がいらないと思って売ってしまったのか、それともただ見落としていただけなのか。もう一度読み返そうと思ったのだが、無いと言われたものは仕方がない。そこでこうして、図書室に探しにきたというわけだ。
本棚の後ろに周り、正面の棚を探して、振り返って背後の棚を探して。それを何度か繰り返して、やがて図書室の壁際の棚、一番下の段の真ん中に差し掛かったとき、私の視線は自然と色褪せた茶色に吸い込まれた。
「あった」
その本は、今日も私を待っていた。昔と同じように、まるで『私を開いて』と言うかのような不思議な存在感を放ちながら。
私は本を抱え直してしゃがむと、それに手を伸ばした。金の箔押しの文字で『魔法学』とだけ書かれた本を手に取ると、ずっしりとした重さが腕に伝わってきて、「こんなに重かったっけ」と口の中で呟いた。
取った本を抱えた本の一番上に乗せ、空いた手で上から抑える。
立ち上がろうとしたそのとき、視界がぐらついた。倒れる、と思い咄嗟に目を閉じる。本を置いて手をつく暇もなく、胸にぎゅうっと抱え込む。何より、ちょったした衝撃でもページがばらけてしまいそうな古い本を汚したくなかった。
手での防御を諦めた身体は前に倒れる。このままでは床に腕を打つだろうと予想して反射的に膝を曲げようとした、その瞬間。
「危ないっ」
誰かの声と共に、力のこもった手が両肩を下から押した。手はそのまま私の身体を直立に戻し、腕の中から本を全部奪っていった。
驚いて目を開けると、短めの黒髪の人物が、分厚い七冊の本を胸に抱え込もうとして、「よっ」と声を漏らした。
「ユーリ、さま……?」
黒髪の彼は、本を抱えると、何食わぬ顔で「これ、席まで運べばいいのか?」と尋ねてきた。思わず、「はい」と返す。
「あ、あの、持っていただいて、すみません。全部は申し訳ないので、何冊かいただけますか?」
慌ててそう言うと、ユーリさまは一番上にあった色褪せた一冊を「重くないか?」と言いながら、私に渡した。本人もかなり重いはずなのに気遣うような優しい手つきに、なぜかとくんと心臓が鳴る。
「それにしても、アリア嬢はどうしてこんなにもたくさんの本を? しかも全部、古い物だと見受けられるが」
「もう一度、魔法について学び直そうと思ったのです。持っていただいているのはまだ読んだことがない物で、これは小さい時に一度だけ。この前習った闇魔法については載っていないでしょうけど、もしもの時に、知識と技術はあって困らないので。あとは、昔読んだ内容を復習しようと思いました」
「勤勉だな、アリア嬢は。ヘレンにも見習ってほしいものだ」
ユーリさまが、はあと溜息を吐く。その横で、私はふふふと笑った。
「でもヘレンドさまは、魔法と体育の実技に関してはすごいですよね。それに筆記も、平均くらいは取れているといつも得意げに仰ってますよ」
「未来の国王の側近が平均程度では駄目だろう。政務が滞らないか心配だ。まあ、あいつならなんとかならないこともないだろうが」
そう口にするユーリさまの表情からは、言葉とは裏腹に、ヘレンドさまに対する確かな信頼が感じられる。幼い頃から一緒に過ごしてきた二人は、その絆も、私には測れないほど深いのだろう。
「着いたぞ。この席でいいか?」
「ありがとうございます。重かったですよね。すみません」
「いや、大丈夫だ。それよりも今度からは、重いものを運ぶときは、何度かに分けて運べ。危ないから」
「気をつけます……」
もっともな言葉にしゅんとなって返事をすると、「ああ、そうしてくれ」と満足げな呟きが聞こえた。
「……アリア嬢は」
彼にしては珍しい、少し弱い声。
遠慮がちなその声に、顔を上げると、目が合ったユーリさまは、私をまっすぐに見つめて、言葉を続けた。
「どうしてそんなに、魔法が好きなんだ?」
遠慮がちだった声色は、いつものような、意志のこもった、はっきりとした音に変わっていた。
投げかけられた問いに、数瞬思案してから答えを返す。
「……それは」
前世から。魔法の無い世界で生きていた時から。
「笑顔を、見たかったんです」
『魔法』という響きは、自分をときめかせて、周りも笑顔にした。
前世、仲の良かった人とも、「魔法なんてあるわけない」なんて言いながら笑い合っていた。
「昔、新しい魔法を使えるようになる度に、母や使用人達が嬉しそうにしてくれたんです。それが私も嬉しくて、……嬉しくて」
今世、病弱だった母は、時折暗い表情を見せることがあった。そんな時、よく『放出』を見せたものだ。私の周りを飛び跳ねる水のウサギや、ちらちらと揺れて輝く星屑。それらを目にした時の母は、光が瞬くラズベリー色の瞳を細め、柔らかい笑顔を見せてくれた。
「もっと上手くなって、皆がびっくりするような魔法を見せて、喜んでほしいと、子供ながらに思ったんです」
最後は、少し自嘲的な笑みを浮かべて、言う。
「まあ、今では魔法を極めること自体が楽しいので、趣味のようなものですけどね。よく難しい魔法に挑戦しては爆発させちゃいますけど」
「それは……君が無事でよかった」
それを聞いて、苦笑いになったユーリさま。返答に困らせてしまっただろうか。
一瞬申し訳なく思ったが、彼はすぐに苦笑いを引っ込めると、慈しむような眼差しを向けてきた。
「……アリア嬢は、本当に魔法が好きなんだな」
「はい!」
満面の笑みで返事をする。静かな室内に、二つの小さな笑い声が零れた。
窓を激しく叩いていた雨はいつしか止み、四角く切り取られた空には、静謐な華やかさと少しの寂寥を含んだ紅が、桃色に染まった雲を携えて広がっていた。梅雨はもうじき明けるだろう。
夏が、始まる。
***
色褪せた茶色い革の表紙の、今にも取れそうな、六百二十ページ。
黄ばんだその紙に書かれた古代文字は、今では読める人も少ない。現代語では正確に訳すことができないその言葉は女神の言葉とされていて、神官や研究者以外が扱うのはタブーとされている。
だが今はその研究や神殿内でのしきたりも薄れ、失われた言語となった。
『これは、今ではもう語られることのない、忘れられた御伽話。古の帝国の城跡と思しき山の石碑に綴られていたその中から、抜粋して掲載する。
光と闇は、共に生まれた。共に生き、そして生き別れた。』
――そこに書かれた言葉は、今はもう、誰も分からない。
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