↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君を傷つける世界を滅ぼしたい  作者: しいな ここみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/4

ぼくらのはじまり

 スーパーカブのエンジンをかけた。

 ブルルルル……。

「今年もよろしくね、カブくん」

 もちろん返事はない。

 でも、返事がなくてもいいんだ。こういう独り言を言える相手がいるだけで、ぼくはけっこう幸せだから。


 ヘルメットをかぶり、ミラーをもう一度見る。

 やっぱり鼻水が出ていた。

「……帰ろ」

 アクセルをひねった。

 その瞬間だった。

 スマートフォンが鳴った。

 信号待ちで停車して、画面を見る。

 知らない番号ではなかった。

 大学のグループでも、バンドの連絡網でもない。


 名前が表示されていた。

『高原麻梨乃』

 頭が真っ白になった。


 どうして?

 どうして高原さんが、ぼくに?

 恐る恐る通話ボタンを押す。

「も、もしもし?」

『あ、デブくん?』

「はいっ!」

 反射的に返事をしてしまった。

『あけましておめでとう』

「あ、あけましておめでとうございます!」

『今どこ?』

「え?」

『電話しても出なかったらどうしようかなと思ったんだけど、出てくれてよかった』

「は、はい……」

『初日の出、見に行ってた?』

「な、なんで知ってるの?」

『SNS』

「あ……」

 そういえば、今朝ぼくは初日の出の写真を投稿していた。

 朝焼けの山。

 野良猫。

 そして、鼻水を垂らした自分の顔。

 最後の写真はいらなかったかもしれない。

『ねえ』

「はい」

『今日、会えない?』

「…………え?」

 世界が止まった。

 信号が青になった。

 後ろからクラクションが鳴った。

 でも、ぼくには何も聞こえなかった。

『デブくん?』

「あ、あの……」

『聞こえてる?』

「聞こえてます!」

『よかった』

 高原さんが笑った。

『話したいことがあるの』

「…………」

『クリスマスのこと』

 心臓が嫌なほど大きく鳴った。

 まさか。

 いや。

 そんなわけない。

 絶対に、そんなわけがない。

 だけど。

 もしも。

 ほんの少しでも。

 ぼくに何かを期待してくれているのなら――。

「わ、わかりました」

 声が震えた。

「どこに行けばいい?」

『駅前の喫茶店でいい?』

「うん」

『じゃあ、一時間後ね』

「わかった」

 電話が切れた。

 ぼくはしばらく動けなかった。

 後ろからまたクラクションが鳴った。

「す、すみません!」

 慌てて発進する。

 でも頭の中は、ずっと高原さんの声でいっぱいだった。

 話したいこと。

 クリスマスのこと。

 なんだろう。

 あのときの能力のことだろうか。

 それとも葛尾くんのこと?

 いや。

 まさか。

 まさかだけど――。

「…………」

 ぼくはミラーを見た。

 そこには、相変わらずもっさいデブがいた。

「ないない」

 自分に言い聞かせる。

「そんなこと、あるわけないよ」

 だってぼくは、ただのデブだ。

 彼女ができたこともない。

 モテたこともない。

 告白されたこともない。

 それどころか、女の子と二人で喫茶店に行くことすら初めてだ。

 だから。

 これはきっと、何か別の用事なんだ。

 そうに決まっている。

 そう思わないと、心臓がもたない。



 一時間後。

 ぼくは喫茶店の前に立っていた。

 そして、入口のガラスに映った自分を見て愕然とした。

「…………」

 寝癖。

 鼻水の跡。

 そして、どう考えてもデートに着てくる服ではない。

 そもそも今日はデートじゃない。

 そうだ。

 これはただの話し合いだ。

 友達との話し合い。

 そう思えばいい。

「デブくん」

「ひゃあっ!」

 後ろから声をかけられ、飛び上がった。

 振り返る。

 高原さんがいた。

 黒いコートにマフラー。

 長い髪が風に揺れている。

「……びっくりした」

「ご、ごめん」

「何してんの?」

「いや……自分の顔を見てた」

「鏡?」

「うん」

「ふーん」

 高原さんはぼくの顔をじっと見た。

「鼻毛出てるよ」

「えっ!」

 慌てて鼻を隠す。

「あはははは!」

 高原さんが笑った。

 その笑顔を見て、ぼくも笑った。

 よかった。

 いつも通りだ。

 彼女が笑ってくれた。

 それだけで、ぼくは幸せだった。

「入ろっか」

「うん」

 扉を開ける。

 暖かい空気が流れてきた。


 窓際の席に座ると、高原さんはコーヒーを注文した。

 ぼくはいつものようにジンジャーエールを頼んだ。


「デブくん」

「はい」

「あたしさ」

「うん」

「去年、ずっとあんたのこと見てたんだ」

「…………え?」

「大学で」

 高原さんはカップを両手で包んだ。

「最初に見たのは、学食」

「学食?」

「うん。あんた、隅っこの席で一人でご飯食べてた」

「…………」

「すごく楽しそうに食べてた」

「ご飯は好きだから」

「知ってる」

 高原さんは笑った。

「そのあと、バンドのライブを見た」

「え?」

「あんたのバンド」

「…………」

「正直、演奏はそんなに上手くなかった」

「ですよね!」

 思わず元気よく答えてしまった。

「でもね」

 高原さんは少しだけ真剣な顔になった。

「なんか、すごく楽しそうだった」

「…………」

「あんたが笑ってるから、みんなも笑ってた」

 ぼくは何も言えなかった。

「それが、ちょっと羨ましかった」

「高原さんが?」

「うん」

 彼女は窓の外を見た。

「みんなから綺麗だとか、歌が上手いとか、そういうことを言われる。でも、そういうのって、あたし自身を見てるのかなって思うことがある」

「…………」

「クリスマスの日もそう」

 彼女の指が、カップの縁をなぞる。

「葛尾たちも、あたし自身じゃなくて、バンドのためにあたしを欲しがってた」

 ぼくは黙って聞いていた。

「でも、あんたは違った」

「ぼく?」

「うん」

 高原さんがぼくを見る。

「助けてくれたとき、あんたはあたしのことを一度も見なかった」

「え?」

「ずっと前だけ見て走ってた」

「…………」

「たぶん、あたしを助けることしか考えてなかったんだよね」

「それは……」

 ぼくは少し照れながら言った。

「当たり前じゃないかな」

「そういうところ」

 高原さんが笑った。

「だから、もっと話してみたいと思った」

 胸の奥が、どくん、と鳴った。

「それで……」

 彼女は少し迷うように言った。

「お願いがあるの」

「何?」

「あたしを、バンドに入れてくれない?」

「…………え?」

 思わず聞き返した。

「うちのバンド?」

「うん」

「でもぼくら、ヘニョヘニョだよ?」

「知ってる」

「人気ないよ?」

「知ってる」

「葛尾くんたちのほうが、絶対売れると思うよ?」

「それも知ってる」

「…………」

 高原さんは笑った。

「だから、あんたたちとやりたい」

「どうして?」

「楽しそうだから」

 その一言を聞いた瞬間。

 胸の奥が、ほんの少し熱くなった。

「…………ぼくでいいの?」

「デブくんがいい」

「…………」

「だめ?」

 ぼくは笑った。

「ううん」

 きっと今日も。

 ぼくは彼女ができない。

 こんなぼくを恋人にしてくれる人なんて、どこにもいない。

 でも。

 友達なら。

 仲間なら。

 こんなぼくでも、誰かの隣にいていいのかもしれない。

「じゃあ、一緒にやろう」

「うん」

 高原さんが笑った。

 その瞬間だった。

 店の外から、ガシャーン! という大きな音が聞こえた。

 窓の外を見る。

 駐車場の看板が、突然根元から折れていた。

「…………」

「…………」

 高原さんがぼくを見る。

「デブくん」

「なに?」

「今、何かした?」

「してないよ」

「ほんと?」

「ほんと」

 ぼくは笑った。

 けれど。

 心の中では、少しだけ怖くなっていた。

 最近、能力の調子がおかしい。

 自分が強く願ったことが、ほんの少しだけ現実になる。

 それも、以前よりずっと強く。

 クリスマスの灰皿。

 今朝のスーパーカブ。

 そして今の看板。

 偶然だと思いたい。

 でも、もし。

 もし、この力がもっと強くなったら。

 ぼくはどうなるんだろう。

 そんなことを考えていると、高原さんが突然言った。

「ねえ」

「うん?」

「あたし、ひとつだけ聞きたいことがある」

「なに?」

 彼女は真剣な顔をした。

「もし、あたしが傷つけられたら――」

 そこで一度、言葉を止めた。

「デブくんは、どうする?」

 ぼくは答えられなかった。

 だって。

 ぼくは知っている。

 この世界で、ぼくが本気で怒ったら。

 誰かひとりを傷つけるどころか。

 街ひとつだって。

 国ひとつだって。

 世界そのものだって。

 消してしまえる。

 だから、ぼくはずっと笑っている。

 怒らないように。

 悲しまないように。

 何も望まないように。

 そして――。

「…………どうもしないよ」

 ぼくは笑った。

「ぼくは、ただのデブだから」

 高原さんは、しばらくぼくの顔を見ていた。

 そして小さく笑った。

「そっか」

 だけど彼女は、そのとき。

 ぼくが握っていたジンジャーエールのグラスが、ほんの少しだけ震えていたことに気づいていた。

 そして。

 ぼく自身もまだ知らなかった。

 この日から始まるバンド活動が。

 ぼくの人生だけではなく。

 世界の運命まで変えてしまうことを。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。