2017年 12月27日
二〇一七年 十二月二十七日
「むくげって、なんだ?」
夏目さんはあらぬ想像をしたのか、笑いだす一歩手前で押し殺した。お茶を一口飲み「毛を剥くってことではないよな。あれかな、産毛みたいな」と適当なことを言う。
「意外と夏目さんって、教養ないよな。花の一種っすよ」と言ったシュウくんは、決して馬鹿にするつもりではないことが、逆に相手を傷つけることをいまだに理解していない。
「ハイビスカスみたいな、でかい花っす」
「そうなのか」と頷いた夏目さんは大人だから、ふてぶしい言い草にも素直に頷いた。
「むくげは、信念。新しい美」
「ふーん、ちょっと意味がぶれるな。もっと良いのないのか」
わたしは画面をスクロールして「愛の告白」と画像を見せた。彼は苦笑して、
「もう四十代になるかっていう男に、チューリップはないだろう」と言った。
「あえて幼さの残る花っていうのが、いいんじゃないですか」
「白だったら、違うんじゃね? ほら、だいぶ前に花壇で育てていたじゃん。オレ、あれけっこう綺麗だなーって思ってたんよね」
「白は駄目だよ」指で画面をこする。「駄目」
バイブレーションがソファを震わせる。「はい」と夏目さんが電話をとった。優しげな顔で二言三言、会話をして切った。「渡辺さんだ」と携帯を見せてくる。
「明日のことっすか」
「ああ。やっぱり花なんて、止めておいたほうがいいかな。今更、気持ち悪がられるような気がしてきた」彼は首をひねって、考えこんだ。長年の付き合いである愛人の転職祝いに花を送りたいのだと言い出したのは、一週間前の話である。
「たまにはいいじゃないですか」と彼の肩を叩くと、照れ笑いで「そうだよな」と言った。
「おっさん、気色悪いっすよ」
「おっさんじゃない。まだ三十代だ。まだ」
シュウくんはクイーンのプラカードを眼鏡拭きで拭きながら、夏目さんの言葉に鼻を鳴らして「のぞみん、今日の御予定は?」と尋ねた。
「夕方から、友達が家で祝ってくれるんだって」
「ほお、いい気なもんだぜ。学生気分で、明日寝坊するんじゃね」
今年の春に晴れて大手玩具メーカーに就職した彼は、あまりにも似合わない黒髪とスーツのせいで、以前の面影がすっかり失われてしまった。
嫌味ったらしい言い方に「やっと有給使わせてくれるようになったんだから、有効に使わないと」と手帳を見せびらかせる。
「まじか、大優勝じゃん」とシュウくんは天を仰ぐ。
「日曜日が休みなだけ、まだマシだろう。憲明なんて、大晦日まで塾だ」と夏目さんは苦笑いを浮かべた。「シュウもあと半年もすれば、有給くらい使えるようになる」
「知ってるんすか、夏目さん。うちの会社、超ブラックなんすよ。同期は休み返上で働く労基法無視野郎ばっかだし、上司はそれを推奨する無能だし、オレもう嫌っす」
「でもあの会社しかないって、シュウくん言い張っていたじゃない」
クイーンを指さすと、彼は複雑な表情で「そうなんだよなあ」とのけぞった。自社製品のかけがえのない一枚を愛でながら「辞めらんねえよ」と首を横に振っている。またいつものクイーン語りが始まりそうだったので、慌てて話題を変える。
「そういえば、夏目さん達がくれた靴、なんとか履けました」
彼はほほえんで「そりゃ良かった」と言った。
「いつもスニーカーだから、俺はそっちの方が良いだろうって言ったんだけどね。真理子のやつ、どうしてもヒールじゃないと駄目だって聞かなくて」
「今日が初チャレンジです」と、両手をこぶしにして見せた。
玄関で行儀良くしているピンクベージュのパンプスは、二十代も後半に差し掛かろうという女に、はっぱをかける意味で選んでくれたのかもしれなかった。
社会に出ると共に、以前よりは服装に気を遣うようになったのだが、それでも真理子さんの範疇では、わたしはまだまだのようだ。
「のぞみちゃん美人なんだから、ちゃんとしていれば男なんて捕まえ放題なのに」
普段より五センチ高い身長にふらつくわたしを眺めて、彼女は「ほんと、もったいない」と口惜し気にする。
「ありがたいですけど、いずれで大丈夫ですよ」
今は仕事に追われていて恋愛なんてしている暇はないのだと説明すると、彼女は烈火の如く怒って「あのねえ、いつまでもそんなことばっかり言っていると、いざっていうときに、良い男が捕まらないのよ」と言った。
「良い男っていうのはね、最初から完成されているわけじゃないのよ。自分でいい男に育てあげるのよ」と堂々と話す彼女の言葉には、いつものことながら妙な説得力がある。
「紫の上計画ですね」
「そうよ」彼女は胸を張って「憲明を育てなさい」と提言した。
中学生になった彼は、絵を続けるかたわら勉学に励んでいる。ゆくゆくは国内で最も有名な大学を目指しているそうで、年末でも塾に画塾に忙しくしているのだ。
どうして芸術系の大学に行かないのかと尋ねると、お決まりの「のぞみって馬鹿だな」が飛び出て、続けて言うことには、
「表現には、中身がいるんだよ。でも元々ある中身なんて、たいしたものじゃない。それを充実させることもしないで、ただ表現だけしていたって意味ないの」と、立派な言い分が帰って来た。
「ようは、憧れたわけだ。オレに」と、シュウくんが輝くような笑みを浮かべて親指で自分を指すと「馬鹿じゃねえの」と、憲明はそっぽを向いていた。きっと図星だったのだろう。
そろそろお暇する時間だったので、身支度をしながら「今年はどこに行く予定なんですか?」と尋ねる。
すると夏目さんは「のぞみちゃんが行きたい所で良いよ」と言った。「去年は俺達に付き合ってもらった訳だし、今度はそっちに近い方に行こう」
「オレ、明治神宮行ってみたいっす」シュウくんが横から口を出した。「一生に一回くらい、行ってみたくないすか。もみくちゃにされながらの初詣も悪くないし」
「おまえ、俺の話を全く聞いていないだろう。今年はのぞみちゃんが決めるんだ。第一あんな人ごみ、断固拒否されるだろう」
「考えておくね」と言って、玄関へと向かう。次にここに来るときは、関東風のお雑煮を作りに来るときだ。パンプスを履いて二人に向きあう。
「のぞみん、ここ最近綺麗になったよな」シュウくんは目頭に手を当てて、感動しているようなふりをした。「大人の女になったっつうか。段々そうやって遠ざかっていくんよね」
「確かにそうだな」と夏目さんも感慨深げに言った。気恥ずかしかったので、カバンからイヤフォンを取りだして「これ、すごく音質良かったよ」と言う。
「そりゃ良かった。オレ感激」と涙ぐんで見せるシュウくんの肩をどついて、扉を開く。いってらっしゃいの言葉が背中を押した。
今年は暖冬だ。ポケットから手を出していても、指が冷たくならない。
駅に向かって歩いていると、電話が鳴った。
「はい?」とスピーカーを耳に当てると、
「あ、のぞみ? 悪いんだけど、ビール買ってきてくんね? 麻美が忘れていたみたいで」と、ろれつの怪しい声がした。
「別にいいけど、わたしの誕生日会なんじゃなかったっけ?」
「面目ないが、無いものは飲めない。そしてすでに飲み始めているために、車が出せない」
「外に出るのが面倒くさいって言いなさいよ。分かったよ」
彼は笑いながら「早く来いよ」と言った。電話を切る。
ビールは麻美の家に行く途中のスーパーで箱買いした。パンプスの先が右足の小指をいじめていたが、なんとか目的地に辿りつく。
小田急線沿いにある彼女のアパートは、朝日と同棲し始めてあらためて借りたもので、普段せせこましい部屋を見慣れている自分にとっては、だいぶ広く思えた。
「のぞみ、誕生日おめでとう!」クラッカーの音が出迎えて、良い感じにへべれけになった三人が両手を広げた。「二十六歳、四捨五入すると三十代!」
「はーい、祝い方自重しろ」ビールの箱を床に置くと、酔っ払い達が群がって机の上に缶を並べた。
「のぞみにも早くこの悲しみを共有してほしくて、私達ずっと待っていたんだよ」麻美と智
子は顔を見合わせて「ねー」と言った。
「実際、そんな年だなんて信じられないわ。精神年齢が追いついてない感じ」とぼやいたのは麻美だ。
「分かる。あたしなんて、いまだに高校のときと考えていること変わんないや」
「なに考えていたのよ」と聞くと、智子はとろけた笑顔で「はやく、好きな人と結婚したーいって考えていたの」と言ってのけた。
「あんたはまず、好きな人を見つけなきゃ……」
麻美の言葉に、彼女は舌を出す。
「まず減点方式を止めないと、恋すらできないな」
朝日の指摘は当たっている。智子は自分でなんでもできる性質だからか、いざだれかを好きになりかけたとしても、すぐアラに気づいてしまうのだ。
「もういっそ、外国人とか良いんじゃない? 国際交流パーティとか行ってさ、出会いを求めるとかどうよ」
そう提案すると、麻美がにやついた。智子が苦々しく「行ったわよ」と答える。
「ジャスティンビーバーを、よりビーバーっぽくした男に付きまとわれたんだって」
「向こうの人って、歯を矯正しているでしょう。でもね、どんなに真っ白でキレイな歯並びでも、あごの骨格はどうにもならないのよ」
「別にあごくらい良いじゃない」
「あごがコンプレックスなら、逆に可愛いかなって思うけど。ぼくちん、ティースにこれだけお金をかけているんだよって自慢されたら、さすがにね」
ビールをあおって「なるほど」と頷く。
「どーすれば彼氏できるんだろ。というか、のぞみは彼氏作んないの?」と、悲し気な智子が絡んできたので、いなしておく。
「それでは本日二十六歳になりました、神崎のぞみさんの将来の夢、聞いてみましょう」
麻美がマイクさながらに、サラミの棒を突き出した。一応、今日の主役だったことを思いだす。朝日が「この年で、将来の夢もクソもないだろ」とぼやいた。
「さっさと今の会社辞めて、もうちょっとマシな所に行く事くらい」
「はいはい、あんたのことは聞いてない。のぞみは?」
「夢かあ」
天井を見上げると、メルヘンチックな電飾が飾られていた。多分クリスマス用の飾りをそのまま流用している。きっと朝日と部屋でホームパーティでもしたのだろう。
ふと、いつだったかのクリスマスを思いだして、笑いがこみあげた。あのときは再びこうやって集まる日がくるなんて想像もしていなかった。
「なんだ、どしたの」智子が尋ねた。
「夢とかないなあって思ってさ」と言うと、
「ずいぶん明るいな。絶望が一周まわって、明るくなったか」と朝日が笑ったので、麻美が頭をぱかん、とたたいた。
「ほんと、この男はなんでも言っていいと思っているんだから」
「この年で将来の夢なんて聞く麻美が、おこちゃまなんだ」
まるで夫婦喧嘩のような会話に、智子としかめっ面をする。
「あたしは夢あるもん」麻美は頬を膨らませた。「一戸建てに住んで、ゴールデンレトリバーを飼うのよ」
彼女の夢は実現可能そうだと思った。シルバニアファミリーのような家に、ささやかな庭をしつらえて、犬とたわむれる麻美。簡単ではないけれど、きっと叶う。麻美はその夢を叶える為に努力している。
朝日は少し気圧されたようで、それ以上彼女には噛みつかなかった。代わりにわたしに、「なんか目標でも持てよ」と父親みたいなことを言った。
「さっきと言っていること違うじゃない」
「夢なんて持たなくていいけど、目標の積み重ねは大事だろ。とりあえず、現実的な目標さえあれば、生きていける」
麻美は彼の真剣な表情を横から覗きこんで、嬉しそうにした。幸せそうな二人を見て、不思議と心が安らぐ。
「珍しく朝日が良いこと言ってる」と智子が大袈裟に驚いた。「じゃあ二人の次の目標は結婚か。寂しいなあ」
「今から結婚式の余興も用意しておかないと」と弄ると、麻美は恥ずかしそうに朝日の背中を叩いた。結構な力だったのか、彼は冗談ではない痛がり方をしていた。
宴もたけなわという時刻になって、お酒も尽きた。「じゃあ、そろそろ」と立ち上がると、麻美が寂しそうにした。
「あんた達、明日も仕事でしょう」
「そうだけどさあ」智子が唇を尖らせる。「まだ高校生が帰るような時間だよ」
「どうせまた新年会とか言ってやるんでしょ。そのときは、とことん付きあうから」
朝日はぶうたれる女二人の肩を叩いて「まあまあ、分かってやれよ」となだめた。
「今からは、俺達の時間じゃないってことだ」
「そうなんだ。のぞみも、あたしのことを裏切るんだね」
恨めしそうに見てくる智子に「違うって」と否定する。
「じゃあ、なによ。デートでしょ」
「こんな深夜から?」
「やだ、のぞみったら大人ね。智子困っちゃう」
ある意味大人かもしれない、とは口にしなかった。絡んでくる麻美と智子をあしらって、やっと外に出られた。
歩き出したが、外は行きの道よりも遥かに冷えこんでいた。手袋を持ってくれば良かったと後悔する。指先をポケットに突っこんで、道を急いだ。
車両は遊び疲れた若者と、忘年会で酒臭くなったサラリーマンで満杯だった。
四方八方から押されながら、シュウくんに貰ったイヤフォンを付ける。
普段はアップテンポな曲を聞くことが多いが、今日は静かなものが気分だ。歌詞の知らない、どこかの国の歌が良い。
おそらくわたし達の愛は終わったのよとか、もう過去なんて振り返らないわ、などと歌っているのだろう。言葉の壁を通り越して、彼女はただ美しいだけの歌を届けてくれている。
改札前に立っていたスーツ姿の男は、ぼんやりと空を眺めていた。今日はよく晴れた冬空で、呼吸する息が白く映えた。今日もちゃんと生きているようだと、遠目から確認する。
耳元で歌っている彼女は、明確にラブイズオーヴァーと言った。別にこんなときに言わなくても良い。イヤフォンを耳から引き抜き、肩を叩く。
彼はわたしの姿を頭からつま先まで見て、困った顔をした。「なに?」と尋ねると、
「今日はお洒落だなと思って」と着ているセーターをつまんだ。大事に着ているから、毛玉はほとんど出来ていない。「だれに頂いたんですか」と笑う。
「だれだっけ」と、とぼけて見せる。
街は感傷に浸る間もないくらい、寒かった。しきりに体を震わせる。彼はちゃっかりと手袋を身につけていたので、それをうらやましがると「自業自得ですよ」と一蹴された。
「優しくないなあ」とぼやくが、反応は無い。呼吸音だけが聞こえている。自転車で通りがかったおじさんが、夜更けにこんな場所を歩いているわたし達を怪訝そうに見ながら去っていった。
駅からニ十分ほど歩いた所で、目的地に着いた。
住宅街のど真ん中に立つ灰色の群れは、かなり不気味だった。腕時計を見ると、もう深夜を過ぎようとしている。街灯の明かりだけを頼りに、階段を登る。
彼は勝手知ったる我が家のように足を進めて、立ち止まった。少し離れた場所でわたしも足を止めて、その姿を眺める。
以前より肉付きが良くなったのは、夏目さんに体を鍛えろとうるさく言われているから。ネクタイが妙に洒落ているのは、真理子さんが選んでくれているから。スーツにしわが無いのは、憲明とシュウくんにスチームアイロンを貰ったから。
碑銘をなぞる瞳だけが、昔のままだ。
「のぞみさん、誕生日おめでとうございます」
横目でわたしを見て、彼はそう言った。
「ありがとう」と答えて、彼の横に並ぶ。手を合わせて「誕生日おめでとう」と彼女を祝う。
目をつむって、なにかを伝えるべきかと考えた。だけど、脳裏によぎった様々な言葉に意味はないのだと、毎年思うことを今年も思ってしまったので、ただ祈るだけにした。
彼はしゃがみこんで、鞄からなにかを取り出した。
「はい、のぞみさん」
「どうも」受け取ったのは、コンビニで売っているパウンドケーキだ。遠慮なくビニールを開けて口に入れると、オレンジピールの風味がした。口の中が少しぱさつくなと思っていたら、彼が無言でペットボトルを差し出してきた。
「去年で学んだんだ」
「ええ。むせて墓石に吹きかけるのは、さすがにバチが当たりそうだなと」
ケーキを食べながら、空を見上げた。都心部から離れたからか、いくつかの星が見える。
「オリオン座だ」とつぶやくと「去年も、同じことを言っていましたよ」と笑われた。
「だって、今年も見えるから」
「そりゃあ、急に今年から宗旨替えはしないでしょう。回っているのは地球であって、星は回りません」
「オリオン座はわたし達に見られて、どういう気分なんだろうね。ようは未来が過去を見ているってことでしょ」
彼はなにを言いだすんだ、と言いたげに眉をひそめた。
「過去の光を見ているってことは、そういうことじゃない」
少し恥ずかしくなって、そう言い訳をしてみる。すると彼は、
「過去だろうが未来だろうが、見るということは、同時に見られるということです。あなたが感じるように、星座も感じるでしょうよ」と真面目くさった顔で答えた。
「深淵がのぞくとき、なんちゃらってやつだ」と冗談めかしてみる。センチメンタリズムを表に出してしまったことが、わたし達と不釣り合いな気がしたのだ。誕生日祝いは楽しくやろうと、毎年決めている。だからパウンドケーキなんてふざけたものを、約束したわけでもないのに冬空の下で食べているのだ。
後片付けをして、さっさと立ち去る。もう電車はないので急いだところで仕方がないのだが、これ以上ここにいる理由もなかった。
行きと変わらず、無言のまま歩き続ける。
いい加減に手が冷たかったので「ねえ」と声をかけた。
「なんでしょう」と聞いてきた彼の声は、寒さのせいで震えていた。
「手が冷たい」
「知っています。俺も冷たいです」
「手袋付けているじゃない」と、あごで彼の手元を指すと「こんな布切れ一枚じゃ意味ないですよ」とうんざりしたように言った。
「分かった。いいこと思いついた」マフラーを外すと、彼は怪訝そうにわたしを見た。ぶらぶらしている手を取って、つないだ手の上を覆うように巻いていく。
連結された手を見て「首元寒くないですか」と苦笑された。彼のネクタイは相変わらずボタンで留める形式のものだし、マフラーなんて付ける訳もない。
「首よりも手が大事。末端冷え性だからね」と言いながら、手を強く掴む。そっと握り返してきたことが嬉しかった。左手は冷え切っていく一方だし、首が無防備になったことで、より寒さが増したかもしれないが、それは気にしないことにする。
中途半端な田舎の道は真っ暗でもないが、先が見通せるほどには明るくない。道が続いていることは分かるのだが、どこに辿り着くのか不安になる。
生きている限り、ずっとこんな気分なのだろう。
「どこに行きましょうね」と彼は欠伸をした。「ちゃんと有給とったんですよね?」
「もちろん」もう片方の手の親指を立てる。「どこにでも行けるよ」
彼は立ち止まって、手を離した。マフラーを取って、わたしの首に巻き直していく。
「やっぱり寒そうなので」と笑う。なんだか悔しくて、思いきり抱き着いてみた。肩に手をかけて、冷たくなった首の側面に頭を押しつける。
「どうしたんですか」と保父さんみたいな口調で言うので「一人だけ寒いのが嫌なんだよね」と返した。一人だけが寒いくらいなら、二人で凍えた方がましだと心底思う。
そう言うと、彼はいつものように苦笑した。仕方がないと言いたげに腕を回されて、子供にそうするように髪の毛を梳く。
「このままだと、どこにも行けませんよ」
足を動かす気にはなれなかった。だから「オリオン座が、代わりに動いてくれているから」と言っておいた。
「空は動いているわけだし、ちょっとくらい立ち止まっていても怒られないよ」と、片手を振る。あいにく今は深夜で、道のど真ん中でこんな風にしていても、だれに見とがめられるわけではない。
「多分オリオン座は俺達を見て、さっさと動けって思っていますよ」
そう話しながらも、手を離す気はない。
どこにも行けることが、もうどこにも行けないことだと、わたし達は知っている。道の先はどんづまりで、歩き続けようとも立ち止まろうとも、なにも変わらない。
だから今は、こうしていても良いのだ。
頬を親指が撫でた。顔を上げると、口づけが落ちてきた。
「恋人みたいだね」と言うと、彼は笑った。
「そうですね」と曖昧に告げるのは、形を決めた途端に壊れてしまうといけないから。抱きしめ合ってキスをするのは、お互いに傷つけあうことが必要だから。
そうしなければならないのは、あと数分経ったら歩き出すだろうと知っているからだ。
神様はだれが救うのか、というテーマで書いた作品です。つたない部分も多くあったかと思いますが、ここまで読了してくれて本当に本当にありがとうございました。読んでくれる人が居ることが励みです。厚かましいお願いですが、一言でも感想を頂けると泣いて喜びます。ありがとうございました。




