10 伴侶。
ゴホッと私は飲んでいたオレンジジュースを吹いてしまいそうになった。
「奇跡?」
そう聞き返す相手は、食堂の女亭主ターニャさん。
「そうさ。ドレイク事件の奇跡。誰も治癒魔法を使ったって名乗り出なかったんだ。奇跡だって言われているよ」
ビールを運びに行くターニャさんを目で追った。
ナルファイの街の入り口には、巨大なドレイクと数匹のドレイクを相手に大勢の衛兵隊と冒険者が集結して戦っていたのだと言う。巨大なドレイクだけが倒せず、次々と破れていった。
「死を覚悟した何人もの衛兵と冒険者が、地面が白く光ったのを見たそうだよ。最初、転移魔法かと思ったけれど、違ったのさ。たちまち、怪我が癒されったって! 全員が同時にだよ! 広範囲の治癒魔法だって言うけれど、それにしたって範囲が広すぎるんだよね! これは精霊の力か何かだと思うね。精霊が人間を助けてくれるなんて奇跡さ!」
オレンジジュースを飲み直して、ゴクリと飲み込んだ。
「そうだ! 奇跡だったんだよ!」とビールを呑んでいる冒険者の一人が言えば、他のテーブルにいた冒険者達は賛同して頷く。
「アンタ! 見ていたぜ! 転移してすぐに二体のドレイクをあっという間に討伐した!」
「はぁ……」
「【野良の戦士】に乾杯!!」
「「「乾杯っ!!」」」
私に指差して酔った冒険者は、乾杯を急かした。気分良くしている冒険者達は、それぞれビールの入ったコップを掲げる。私は視線を泳がして、足元のエメに目をやる。彼は骨付き肉と格闘していた。そのまま私は頭を下げて、髪を撫で付ける。
私がその巨大なドレイクを倒したってことを知ったら、また噂が大きくなってしまうのだろう。
すでに知っているアルコバレーノはどう考えているのだろうか。
私と奇跡を結びつける。それとも、あのアイオライドさんが話してしまっただろうか。
「あの、ターニャさん」
忙しいのは重々承知しているが、私は呼び止めた。
「精霊は助けてくれないものなのですか?」
「精霊は契約した人間しか助けやしないんだよ。そもそも精霊と契約出来ることがすごいんだけれどね。わたしはお目にかかることも叶わんよ」
なんてケタケタと笑う。
「精霊って何処にいるんです?」
「何あんた、精霊との契約を狙っているのかい? いいねいいね、面白いよ! 精霊の森や谷、山があって各々そこにいたりいなかったりするんだよ!」
何故かバシバシッと背中を叩かれる。
いたり、いなかったり、か。
「異世界人で精霊と契約出来た人なんていないだろうね。【聖女】並みに有名になってしまうんじゃないのかい? その時はうちの店を贔屓にしていることも広めておくれよ!」
聖女、というワードが出てきて、私は口元が引きつりそうになった。堪え切る。
私って、精霊と契約したことになるのだろうか。
そもそも契約とはなんだろう。明日図書館で調べてみるか。
いやエメに聞いた方が早い。
帰ったあと、私はシャワーを浴びながら聞いた。
「普通人間は特定の精霊と契約をして、力を借りる。精霊魔法だ。大きく分けて、三つ。愛の女神ーー植物の大精霊。天空の神ーー天候の大精霊。地の神ーー大地の大精霊。その下に各々精霊がついている。大精霊と契約出来る勇者は、先ずいないな。ノラ以外」
大精霊と聞くと偉大すぎて、咄嗟だったとはいえ、頼むのは軽率だったかもしれないと後悔する。教えてくれたのは、どの精霊だろうか。まさか大精霊ではないでしょう。
最後の「ノラ以外」ってことは、偉大な大精霊は契約をしてくれるということなのか。それとも、もう私は会っていたりするのだろうか。
もこもことノラの毛を泡立てたら、シャワーで洗い流す。そうすればエメはブルブルと震えて、水気を飛ばした。私はその間、目を閉じる。
「光の玉が見えるのはどうして?」
「契約者にしか見えないものだからだ」
「……契約済みなの!?」
バスルームに、私の声はかなり響いた。
「召喚された時点で、精霊は承諾した。精霊は気に入った人間と契約が出来る。精霊次第なのさ」
精霊が気分屋さんに思えてきてしまう。
好かれた人間は大変そうだ。その一人なのだけれども。
「精霊魔法は他者に見せるなよ。通常の人間は一人の精霊と契約することがやっとなんだ。バレるぞ」
「もうすでに広範囲の治癒魔法を使ったのを見られているけれどね……」
「あれは精霊魔法ではない。ただの広範囲の治癒魔法……ただ超広範囲だっただけのこと」
「超がつくほどなんだ……」
エメが超を使うなんて意外だ。
身体を拭いて、寝間着に着替えて、ドライヤーを出す。
この世界にドライヤーがあるのは、やっぱり異世界から来る人間のおかげなのだろうか。でも魔法があると売れ行きが心配だ。なんて。
私の髪を乾かし終えたら、次はエメの番。
「そう言えば、そろそろ剣を研いでもらったどうだ?」
「剣か……そうだね」
切れ味が落ちたまま戦うのは、分が悪いだろう。
図書館に行ったら、次は鍛冶屋に行く。それから陽が暮れるまで狩りをする。そう予定を立てた。
翌日、図書館に行けば本当にタンザナイトがいたものだから、内心驚く。
正直、いなければよかったと思う。イケメンすぎて心臓に悪いんだよね。
「火の魔法。習得しよう、ノラ」
もう手を取っている赤みの強いブラウンの魔導書を見せて、タンザナイトは習得部屋へと私の手を引いた。
最初に取得したのは「フレイマ」と唱えると炎の魔法が使えるもの。
次は炎の球体を降り注がせるものだった。
最後に火柱を生み出す炎の魔法を習得。
それで「ここまでにします」と私から本を閉じた。
「タンザナイトは、精霊と契約しましたか?」
「うん。ここの精霊と契約しているよ」
「えっ? ここ?」
私は周囲を見る。
「ああ、知らないかい? 図書館にいるんだよ。精霊。植物の大精霊の配下、アフェルトって名前のそれは美しい女性の姿の精霊。彼女がここの管理をしているんだよ。恋好きでね、オレの伴侶を見付けてあげると言って聞かないんだ」
台に頬杖をついて、タンザナイトはおかしそうに笑う。
大図書館の最高責任者が精霊だということに驚きが隠せない。
でもさらに驚きなのは、伴侶の話だ。
「あ、まさか、結婚なさっていないのは精霊が決めた相手を待っているからなのですか?」
「ああ、そうだよ。精霊に言われては従うしかないさ。王子でも王様でもね」
そう言って前を向くタンザナイト。横顔も素敵だ。
「困ったことに、精霊と人間では時間の流れが違うからね。随分と待たされたよ」
微笑んでいる横顔を見つめて、私は首を傾げた。
「待たされた、とは? 相手を見付けてもらったのですか?」
精霊がいいと思った女性がいるのか。
興味本位で尋ねてみた。
すると、本に置いた左手に触れられる。大きくて男らしい掌が重なった。
「ああ、この図書館で出逢わせてくれた」
「……」
その言葉の意味を理解することに、時間がかかる。
私のことを言っているの?
そこまで考えがいくと、徐々に顔が火照る。
「やっと会えた」
顔を近付けて、囁いた。
極上の微笑みが、そこにある。
固まっていれば、私の頬にも掌が当てられた。じゅわりと、熱が増した気がする。動けない。濃い青紫の瞳に囚われてしまった。優しい眼差し。
ゆっくりと手が、私のうなじに移る。ぞくっとしてしまった。
「何をやっておられるのですか? 殿下」
そこに声をかけられて、私はバッと離れる。
「やぁ、グリーンド」
私が控えめに悶えている最中、なんでもないように振る舞ってタンザナイトは彼の名前を呼ぶ。振り返れば、習得部屋の前に立っていたのは緑の長い髪を後ろに束ねた眼鏡姿のグリーンドさん。
「グリーンドさん、どうも。私は、その、えっと」
「ふふ。なんだい?」
慌てふためく私を横で楽しそうに眺めたタンザナイトが、グリーンドさんに用件を尋ねた。
「ノラさんがいると思って来てみたのですよ。なんですか? 彼女に魔法を初めて教えたのは私なのですよ。横取りですか?」
「へぇ、君が……ふーん」
眼鏡の奥の翡翠の瞳が、台のところに置いた魔導書を捉える。
何をしていたか、把握したようだ。
「でも合意の上で教えているんだ」
「ほーう。合意の上、ですか」
二人ともにこやかな表情なのに、間でバチバチと火花が散りそうな空気に思えた。私はどうしたらいいのやら。
やがて、グリーンドさんが肩を竦めた。
「国王陛下に呼び出されました。共に城に行きましょう」
「わかったよ。じゃあまた明日。ノラ」
「はい、タンザナイト、殿下」
危うくグリーンドさんの目の前でタンザナイトを呼び捨てにしようとしてしまって、寸前で防げる。自分の中では、ギリギリセーフ。
護衛の騎士二人と連れて、グリーンドさんとタンザナイトは図書館から去った。
彼らの姿を見送った私は、胸を押さえて台に項垂れる。
心臓が爆発するかと思った。
私は王子に口説かれているのか? そうなの?
悶えて顔を覆った。耳まで熱くなってしまう。
「……はぁ……?」
顔を上げると、隣の台に座っている女性に気が付く。
桃色の衣服を身に纏いって、美しい足を組み、頬杖をついて柔和な笑みを浮かべる長身の女性。それはそれは美しい顔立ち。髪は長くて淡い桃色だった。軽く波打っていて、揺れている。
「……あなた……が、アフェルト、さま?」
気配が人間のそれとは違う気がして、私はまさかと問う。
「ああ、本当に可愛いわ! ノラ! こうして会えることを待ち望んでいたわ!」
私の元に飛び込んだかと思えば、膨よかな胸に押し付けられた。羽交い締めにされて、こねくり回される。どうやら正解したらしい。
すごい。花の香りが濃厚だ。
「あ、わ、私も会えて光栄です」
姿を目視出来た精霊は、これが初めて。
肌はしっとりスベスベだ。とろりとしまいそう。
「アフェルトでいいわ。ノラ。本当に可愛い。食べちゃいたい!」
「ええっ……」
そんな可愛さは持ち合わせていないはず。
クリクリとこねくり回されながら、小柄だからそう思われているのかと推測した。苦笑を零してしまう。
「あの、あなたですか? タンザナイト殿下と引き合わせたのは」
「そうよ。だってそういう約束してたもの」
「……タンザナイトに相応しい伴侶を見付ける約束ですか?」
「そう。ついさっき話していたでしょう?」
うふっと微笑む精霊アフェルト。
私は笑みを引きつらせた。
「わ、私が、相応しい伴侶?」
「そうよ。だって他にいないわ。タンザナイトはいい人間よ。幼い頃から見てきたから保証するわ。それに魔法の腕前もいい。ゆくゆくは王にもなるのだもの、これ以上の最良の伴侶はいないわ」
「私に相応しい話っ? ではなくてですね、タンザナイト殿下側から見て私はっ……」
「【聖女】。これ以上の最良の伴侶はいないわ」
そのワードを出されて、私は肩を跳ねる。
周りを見た。けれども、図書館の中は静かなものだった。
「元々静寂の魔法を使っているから、わたくしの周りを強化したの。気付かれていないわ」
聞こえていないらしい。
それはいいけれども、伴侶の話に戻ろう。
「私はただ【聖女】という存在であって、何も成し遂げていないじゃないですかっ。相応しいなんてそんなこと全然ないですっ」
「け・ん・そ・ん」
色っぽく言う精霊アフェルトに、ちょんっと鼻先を突かれる。
「謙遜ではないですっ、事実ですっ!」
「この前、大勢の人間を救ったじゃない」
「あれはっ……当然じゃないですか……」
私はそれだけしか言えなかった。
また精霊アフェルトは、ちょんちょんっと私の鼻先を突く。
「タンザナイトをよろしくっ! ねっ!」
ウィンクをして、精霊アフェルトは花びらを撒き散らして去る。桃色の桜みたいなものだった。それは空気に溶けて消える。
精霊のお墨付きでも、王子を伴侶だなんて、考えられない。
私は台に突っ伏した。少ししてから、誰もいない習得部屋をあとにする。
エメと合流して、鍛冶屋に向かった。
その道中のことだ。
「ノラー!!」
元気な声で呼ばれた。レッドさんのものだ。
振り返れば、もう目の前にレッドさんは立っていた。
「おはよう。それとも、こんにちはかな。何処行くの? ノラ」
「こんにちは、レッドさん。これから鍛冶屋に行こうと思って」
「え? 奇遇! オレもなんだ!」
ぱぁあっと輝かしい笑みになるレッドさん。
相変わらず元気な人だ。
「何処の鍛冶屋?」
「それが初めてなので……適当に選ぼうと考えていました」
「え? じゃあオレのところに来なよ! 紹介する!」
「そう言っていただけると助かります」
「本当? よ、よし! 行こうぜ!!」
レッドさんは嬉しそうな笑みを零して、先導してくれた。
「さっき大図書館でグリーンドさんに会いましたよ。王様に呼ばれたそうで」
「うん。また依頼だと思うよ。堅っ苦しいの苦手だから、そーゆーのはグリーンド一人に任せてるんだよねー」
レッドさん達らしい。私はフッと吹いた。
レッドさん達が王様と会って話すと思うと、ちょっとおかしい。きっと拙い敬語を使うのだろう。それとも、使わなかったりするのだろうか。ならグリーンドさんが一人で出向くことは、理解出来る。
「まだ何を依頼されるかはわかってないけれど、また一緒に受けない?」
「いえ、遠慮します。誘ってくださりありがとうございます」
「あーそう……残念」
レッドさんは、ガックリと肩を落とした。
これ以上、王族に関わるのはやめたい。
タンザナイトに触れられたうなじを押さえた。
「ここだよ。ジャック!! 噂の【野良の戦士】を連れて来たよ!」
辿り着いたのは、都の南に位置する鍛冶通り。武器屋と鍛冶屋が並ぶ通りだ。その一つに入っていくレッドさんに続けば、そう言われてしまう。そんな紹介はやめてほしい。
「なんだって!?」
レッドさんの大声よりも、大きな声でジャックと呼ばれる男性が反応する。赤いバンダナをつけているスキンヘッドの男性だ。でも作業を止めようとしない。カンカンと鉄を叩き続ける。
「ノラと申します!」
私も声を上げて名乗った。
「【野良の戦士】!!」
レッドさんは近寄って、また大声を上げる。
「あんだって!? 【野良の戦士】!?」
もういいよ、それで。
ジャックさんは、作業が終わるまで待ってくれと言った。
「いやーすまんな。待たせて。【野良の戦士】のノラさん? お得意様になってくれるのですかい?」
「あーまぁーそうですね。剣を研いでもらいたいのです」
店を転々とするつもりはないから、それでもいい。
装備を変えるつもりも今はないから、今日の用件をはっきりと伝えた。
「見せて」
「はい」
私は携えていた剣を渡す。鞘から抜いた瞬間、ジャックさんは目を見開いた。
「こりゃすごい! 精霊の加護がかかった剣じゃねえか!」
「え? 加護?」
精霊のことが話題に出るとは思わなくて、私は驚く。
「精霊の魔法で強化されている剣だってことだ。だから今まで刃こぼれしなかったのさ。長持ちしただろう?」
「ええ……そうだったのですね。私はこの世界に来て、支給された武器庫で見付けてからずっと使っていて……」
だから精霊はこれを選ばせたのか。私は納得した。
「軽く研げば、問題なく使える。ちょっと待ってな」
「はい。お願いします」
早速、剣を研いでくれる。
私とレッドさんは、壁際に立って待つ。
「ところで、この前のドレイク事件。一番大きいドレイクを倒したのは、ノラなんだろ」
「……ええ、まぁ」
レッドさんはそわそわしている。
私の内心は、ドキドキだ。
「それで魔力切れを起こしたの?」
「へ?」
「奇跡が起きてたっていう場所で、気を失ってたじゃん」
どうやら、アイオライドさんから聞いていないらしい。
伏せてくれているのだろうか。
「うん」
一際大きなドレイクを相手に苦戦して、奇跡を見ずに気を失ったことにしてくれれば助かる。
私は頷いて、そっと胸を撫で下ろした。
20180218




