第2章 泡沫のトロイメライ 1
俺は新幹線に乗り換えを済ませる。隣には誰も乗って来ないようだったので、少し鞄を置かせてもらうとする。乗って来た時のために片付けられるようにしておく。
車内からは私立の学生や公立の部活に所属した学生がチラホラと見える。
俺にもあんな時期はあったのか。
あった気もする。
廃部寸前の部活、天文部に俺は所属した。特に意味があるわけでもなく、ただ運動でもない、吹奏楽のようにあまり活発でない部活が良かった、それだけ。新一からは何度もバスケ部に勧誘されたが、何とか断った。それでも仲は良かった辺り、良い奴だと思う。祈梨は色々用事が入るかも、ということで無所属ということに終わった。
部員は五六人程度だったか。天文部という名はあるが、部員はそれぞれ好きなことをし、参加も自由だった。更には、美術室で活動していたのだ。実験室ですらない。俺はここを城として構えていて、毎日暇があれば行っていた。誰からも文句を言われないことが拠り所になる第一要因だった。まあ一名例外はいるが。
「まーたこっちに来たんすか、吹奏楽部行ったらどうすか。最後の一年っすよ?」
「あー、君は煩いねー。ここに居城を築くくらいなら、彼女の一人や二人作って暇を潰しなさいな」
目の前にいる怠惰な雰囲気を持つ一つ上の先輩、水鳥皐月だ。
「先輩、その言葉丁寧にお返ししますよ。あと一人は未だしも、二人は日本では完全にアウトですよね」
「まーたこいつは細かいことを言いおる。だからモテないんだぞ、わ、か、ぞ、う」
あんたもだろと心の中で思うが、口には出さない。
「人のことは良いんですよ、てか細かくないですし。先輩こそ誰か相手はいるんですか、別に答えなくていいですけど」
それに……俺は片想いの相手がいる、ということは心にしまう。
「てかなんで毎日のように来るんすか」
「君がいじって欲しそうに見てるからかな?」
「んなわけないです」
「まあ、嘘は良くないぞ。泥棒になっちゃうぞ」
「嘘ついてないです。またどうせ、何か絵の道具使って遊ぼうとしてるんでしょう」
「あー違う違う。本当は真面目な用事。天文部の顧問の村谷先生から伝言渡されたんだ。その内容が今年は制作発表するんだってさ」
「……へ?今なんて言いました?」
その日初めて、平凡な部活動に波乱が起きた。そしてなんで先輩が遣われてるのかなあ、部員でもないのに。
翌日その事についての話し合いが決まり、この日来てない人も全員参加での話し合いが決定した。この話し合いが俺の中学生活、それ以後も少しは影響するのかもしれない。
「おっす、滝口」
「おはよ、高城」
祈梨は口調が大人っぽくなったが、見た目はそれほど変わらない。制服になったぐらいだろうか。制服を引いたら大人に一歩も近づいてない、いや漸近だろうか。それぐらいあまり変わってない。変わったのは俺の呼び方だけで十分か。
クラスは八年間同じで(後に九年間になるが)、それは新一も同じだった。
「素っ気ねえなあ、二人共」
「お、新ちゃん」
「おはよ、新一君」
新一は俺と共に四年生ぐらいで抜かされた祈梨の身長を抜かし返した。今となってはかなりの差がある。
「やっぱ修羅場ってやつなのか?」
「アホか」
「そんなわけないよー」
「相変わらず息ぴったりだな。喧嘩真っ最中夫婦さん」
「ばっきゃろ、結婚出来る歳じゃねぇよ」
男子は十八、女子は十六。まだ共に十二なので、この基準を全く満たしていない。
「あ、そこなの、高城?私とじゃつまらないよ」
「いや、そっちこそそこかよ。悪戯しかしねえし、俺の方が退屈だと思うぜ」
「まこっちゃん、退屈どころかそれ、ある意味スリリングだよ」
新一から突っ込まれる。確かにそうとも言う。いや俺もそう思う。
「これでまた一組の夫婦が出来上がったな」
「結婚するとも付き合うとも言ってないぞ」
こんなことを言いながら、俺は胸の苦しみと微々たるが紛争した。
「そうだよー。新一君はどれだけこの人と結婚させたいのー」
「結婚してほしいなんて、これっぽっちだぜ」
「なら言うな」
これは後から知ることだが、新一は新一で心との闘争があったらしい。
天文部は珍しく深刻な雰囲気だった。入部して初めてかもしれない。
「制作発表、ですか。今までそんな活動してなかったから、まず何から行動すればわからないっすよ」
村谷先生が詳細を伝えると真っ先に口を開いたのは、橘部長だった。
まず天文の制作発表とか何をどうして発表なのか。全く想像がつかない。
「何もしてこなかったからこそ、よ。このまま不毛な部活動が続くと、天文部自体なくなるかもしれない」
クールメガネと裏で呼ばれている、顧問の村谷。誰がこんな風にぴったりな皮肉を含んだ渾名を付けるか、いつも不思議に思う。しかも不思議と広まるし。
「なら、廃部でいいんじゃないですか。無理に、やる必要はないと思いますが」
副部長の杉山。
「同意見です。何もしたくないからこの部活入ったのに」
二年生の坂本。部活で一番穏やかな坂本までもが反対するのだ、この趨勢には逆らえないだろう。
「まあ、そう言うなよ。偶にはこういうのも、な」
橘部長が場を収めようとする。
「辞めたい人は今辞めようぜ」
杉山副部長はこれでもか、という駄目押しを加える。これは獲物の首をへし折る一撃だった。殆どの人が帰り仕度をする。部室を出て行った部員は部長と俺を除いた全員。そう、部活が存続出来る最低限三人を満たしていない。
「ごめんな、高城。廃部、だな」
部長はがっくりと肩を落とす。杉山と仲が良かっただけに、裏切られたことにも相当なショックを受けているのだろう。
「……部長、先生。俺、自分でもよくわからないんですけど、ここに足跡を残したいです」
ずっと俯いていた先生も顔を上げる。
「何言ってるの、高城君、廃部よ?もう、やる必要もないの」
「先生は、この部活を廃部にしたかったんですよね。この学校からも廃部が決定済みみたいになってたんじゃないですか。俺、わかるんです。散々小学校の頃から先生に怒られてきたから。制作発表とかも嘘なんでしょ?」
「それは」
クールメガネが珍しく焦る。冷静には居られなくなったのだろう。いとも簡単に生徒に核心を突かれるのだから、仕方がないことなのだろうけど。
「俺は中学に入ってから、悪戯みたいなことはしなくなったし、言われたことはやる。少しは真面目になったかもしれない。……でも、これだけは反抗せざるを得ない。俺はこの部活があったっていう足音を残したい。誰にも知られなくてもいい。
たった一人だけの制作発表、してやりますよ」
「……高城。俺も出来る限り手伝うよ。俺もその気持ちわかるから」
「好きになさい」
これは先生なりの優しさだと知っていた。自分達で決めた廃部。それは大人の独断で決めたもので、強制的な廃部ではないのだから。
しかし、俺は祈梨や新一に挫折するような格好悪い姿をどうしても見せられなかった。自発的な感情だった。
そして水鳥先輩の為にも、この場所を守らなければならないという使命感。
だから俺は俺なりに努力し、それを形にしたい。その一心だった。
「おい、まこっちゃん!」
新一の顔は焦燥に満ちている。困惑でもあるか。
「ん、なんだ」
出来るだけ何もないような言い方をする。
「部活、廃部だって?」
「情報早えな、それがどうした?」
「これから、どうすんだよ」
「わかんねーよ。うん、わかんねー。けど、俺だけでも活動する。部長も賛同してくれてる」
「……は?」
何を言ってるのかさっぱりわからないといった風に顔を歪める。
「バスケ部に入るかもしれないし、いや流石に二年だし無いか。まあ、どうなるかもわからん。ただ、始めた部活なら何か有益なことをしたいんだよなぁ。この気持ちを形に出来るかわからないけど」
「うーん、先人が何も残してないもんな。そりゃ誰もよくわからないだろ。何か部室にでも置いてあればいいけど」
新一は俺の心を理解したのか、ボリボリと頭を掻きながら、そういう旨を述べる。
「それが無いらしい。
あーあ、楽な部活であそこ入ったのに、意地張って結局こうなるのかよ」
俺は嘆くと新一は口を釣り上げ、そうだなと言って笑う。
「……そう、貴方も別に無理しなくていいのよ?私、大分もう楽だから。
寧ろ貴方が辛いんじゃない。急に色々あって」
目の前の女性ははにかむ。
「そう言うなら、水鳥先輩。俺が答えを見つけるために手伝って欲しいです。俺の脳内、悪戯しか浮かばないんで」
そう言うと、先輩ははにかんだ時の悲しそうな顔は少し嬉しそうだった。
時期にして水無月、更に言うと、芒種。まだ梅雨に入っていない、蒸し暑い頃だった。
入部して一年一ヶ月程度。中学生というまだ未熟な人間な俺は出来るだけ冷静に振舞っているが、やはりまだ状況を整理出来ていなかった。