夕焼けのプレリュード 2
目覚めが悪い。嫌な夢を見た気がした。どんなだっけか。
あぁ、そうか。ニンゲンモドキが本物の人間の姿をして、二人から逃げられ屋上からずっと追いかけてきて、辿り着いた二人の居る場所。けれど新一と祈梨からは逃げられたんだっけ。その後は全く記憶に残っていないが、過去見た中で最悪の夢だった。俺がその時叫んだ言葉が思い出せない。
どうでもいいか。迅速に準備して向かわなければ、あちらに着く頃には日が暮れてしまう。今からなら、昼過ぎ辺りに着くだろう。
生憎の雨で、駅近くの駐車場に車を止める。見合った時間の新幹線の切符を購入し、普通の切符で改札を通り、新幹線の乗車駅まで向かう。
電車は揺りかごのようで、眠気を誘う。うとうとしていると、視界に入ったのは、下に傘から流れ落ちる水滴が落ちていた。
どこか通学の時の雰囲気を思い出した。場所は全く違うのに。そして、気持ちも。
リノリウムに這う水は灰色に見え、気分を最底辺まで落とす。……雨か。
「高城ぃ、何で成績は良いのにあんな悪戯するかなー」
昼休みが終わり、テスト返し。苦笑交じりに先生は言う。
「若気の至りっすよ!生活充実させたいんですよ」
「アホか、若気の至り使うなら、高校生くらいになってから言え」
周りの人から笑われる。祈梨と新一からは特に。先生も微笑んでいた。
小学生は三段階評価だったっけ。大変よくできました、できました、頑張ろう、もう少し?鮮明には覚えてない。勉強が楽しかったことは覚えている。
「滝口ぃ、お前は真逆だなぁ」
高城、滝口とあるだけに出席番号が基本前後関係にある。
呼ばれた本人は顔が引き攣っている。
「次頑張ろうな」
「……はい」
俺は新一と大爆笑していた。
「何点だったんだ?」
祈梨はあっかんべーをするだけで見せようとしない。
「見せる意味ないもーん」
「絶対あいつ、やばい点数取ったよな」
「うんうん、親にこっ酷く叱られるんじゃね」
「もー、私の点数はいいからー」
祈梨は足をバタバタさせ、態度を表す。
「こわっ、怒った」
ニヤニヤする新一とパタパタ音を立てる祈梨を傍目に外を見ると、外が暗くなってきている。
「今日、午後から雨だって天気予報で言ってたっけ」
俺は新一と祈梨を一瞥しながら尋ねる。
「そういや、天気予報でしてた覚えあるなー」
「そうだっけ、やばっ。傘持ってきてない!」
祈梨は足を止め、紅潮していた顔がだんだん青くなっていく。まるでカメレオンの変色。
「まー、なんとかなるっしょ」
と思っていたのも束の間、帰る時にはポツポツ雨から一転、二時間後には大雨だった。
「うあっちゃー。どしゃ降りになったなー」
新一は傘を持ってきていて、一人で帰っていった(少し彼を恨んだのは否めない)。
「雨宿りするべきかなっ」
祈梨はまるで俺も一緒に待てといった表情で俺を見ながら言う。視線が痛いぞ。
「俺は走って帰るつもりだけど」
これ以上無いくらい、してやったり顔を俺は浮かべる。
「どしゃ降りだよ!」
引き留めるつもり満々だ。諦めることを諦めないか。
「これ以上酷くなってもなぁー」
それなら俺も諦めさせることを諦めさせないが。負けず嫌いでは無いが、何故か祈梨には負けたくない。
「ちょっと、まあくーん……」
心配そうな顔でこちらを見る。そんな目で見るな、俺も辛くなるから。
すると、暗転した空が一瞬にして光に包まれる。即座に爆音も鳴り響く。
「ひっ!」
その雷に怯えた祈梨は丸くなる。
「おーい、祈梨さーん。だいじょーぶですかー」
俺は雷が煩いなーと思うのと、急に大きな音が耳を刺激するので驚くぐらいなので、さして影響はない。あと帰る時に撃たれたらどうしようってぐらい。
祈梨は小動物のように丸まりながら小刻みに震え、返事をしなかった。
俺は小動物の大きさに合わせて身を屈め、人差し指を立て、漆のような黒髪の頭をツンツンとつついた。触ると、俺の指を拒絶するように避けるサラサラな髪。
そう思っていると、急に祈梨は俺の手を握る。やはり小刻みに震えている。
「こりゃ重症ですな」
涙目で此方を見つめる。俺は思っていた以上に、雷に驚かされたかもしれない。心拍数が上がっている。
遠雷がもう一度鳴る。さっきのが一番近い位置だったようだ。ということは暫く待つと、雨は勢力を弱めるだろう。
祈梨が小刻みに震えるほど、俺の手は熱くなっていった。
「……しゃーねーな。もう少し一緒に待つよ」
「やった」
祈梨の満面の笑みを、俺は直視出来なかった。
「そういや、五十七点か。別に隠すほど悪くないんじゃね?」
だから、祈梨が隠そうとした時にチラッと見えた点数で小馬鹿にする。
「まーくんのバーカ!」
小動物は怒った。少なくともニンゲンモドキより怖い。
雨の日には、この時の出来事が頭から離れない。初めて彼女を女子として見た日。
それから、俺は彼女のことを心の何処かで意識して、幼馴染みとしての距離感が、莫大な世界の果てと果てにある遠い距離に思えた。
そうして意識するうちに、だんだんだんだん距離が遠く離れていって、いつも一緒に居たはずの祈梨はいつの間にか側には居なくなっていた。
俺は女子と特に理由がなければ、話すことはなく、ただ男子と馬鹿なことをしでかし、日々を過ごした。細かいことはとうの昔に忘れてしまった。
しかしながら、あの雨の日の後二人で帰った時に染まっていた夕焼けに向かって架かる虹の橋、それを見た彼女の笑顔は忘れることはなかった。
そんな記憶も俺をどん底に叩き落す。群青に染まる海の底にどんどん近づいていく気分だった。全身を強く圧迫され、ずっしりと重く感じた。




