SS【IFルート】クロエを失った俺は、お嬢様を救えなかった。彼女は他の男の妻になった(前編)
※本編とは異なるIFルートです。
馬車事故で家族を失い、ジェイドが復讐を選ばなかった世界線になります。
※クロエが存在しない分岐となります。
※侍従として生きることを選んだジェイド視点の、やや切ないお話です。
※大人向けの雰囲気を含みますので、苦手な方はご注意ください。
「大丈夫かい?少し無理をさせたかな」
「いいえ、大丈夫です。少し休みたいので……今日はもう寝させてもらいますね」
「ああ、今日はこれで終わりにしよう。また明日」
旦那様は私の額にキスを落とし、部屋を出て行った。
耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。
扉の前で、人の気配がしている。何度も足音が止まった。
何となく彼のような気がして、微かな声で呼んでしまう。
「……ジョン」
思わず口に出していた名前。
後悔はしないと誓ったのに。
私が嫁いで来た理由を思い出さなければ――。
でも今だけは……。
「……でも。抱きしめてほしいわ……」
その声は妙にぐぐもっていた。
「お嬢様……」
耳元で、一番聞きたかった声が聞こえた。
(やっぱり。外に居てくれたのね)
そして――。
気づいた時には遅かった。
厚い胸板。私を優しく引き寄せる力強い腕。
抜け出す気力も出ないほどに、安心させてくれる人。
そんなの、彼しかいない。
「ジョン。来てくれたの……?今は、酷い格好なのに……」
耳元にジョンの息がかかる。
低い声が胸を騒がせる。
「いいえ……。お嬢様はいつだって綺麗です」
その言葉につい苦笑が漏れる。
「私……もう戻れないのね。そして、愛されている女でもないのね……」
旦那様には愛する人が居る。私は形だけの妻のはずだった。でも、彼の優しさからか。それとも彼の罪悪感からか。
優しく抱きしめてくれた。
丁寧に接し、よく気遣ってくれて、知らない感情すら与えてくれた。
それでも涙が流れる。何故かしら。
「お嬢様」
――ああ、ジョンも泣いているからか。
彼の息が乱れて、私の頬に温かいものが落ちてきた。
「俺の大切なお嬢様……」
ふふ。まだ裸なのに。
ジョンに抱きしめられる。そんな状況でも、彼の広い背中に腕を回した。
顔を預けると、少し速い鼓動が聞こえた。
「結婚したんだもの。妻の体裁を守ってくれたのよ……。夫に抱かれもしない妻なんて軽んじられるでしょう」
――夫に他に愛する人がいても。生涯、愛されなくても。
でも、もういいかな。
耐えなくてもいいかしら。
ジョンが泣いている。私を憐れんで泣いてくれている。
彼の視線の先を追った。乱れたシーツ。そこに脱がされたシュミーズが散らかっている。
触れている彼の身体が、どんどんと強張っていくのを感じる。
その手に触れた。
ジョンの体温が伝わる。
見ると、彼の拳は爪が食い込んで血が滲んでいた。
それを、そっと包み込む。
――ジョン。
こんな時くらい甘えてもいいかしら。
「ねぇ、ジョン」
その涙に口づけながら、彼に残酷な言葉を告げる。
でもそうしなければ耐えられそうにない。
「私が可哀想ならあなたが忘れさせてよ。他の男性の妻になってしまったけど、あなたなら愛して満たしてくれる?」
目の前で、ジョンの喉仏が上下した。
それでも視線をそらされる。
――でもね。お願い。私だって好きな人に愛されてみたい。
「……いいですよ。でも、逃がせられなくなる」
「いいの。……その翡翠に包まれたいの」
耳元をくすぐる、その低い声に身体が震える。
「あなたに、俺の気持ちを溢れるほど伝えます」
ゆっくりと、乱れたシーツに沈められた。
私を支える筋張った腕が顔の近くに置かれる。
これから私は裏切るのね。
旦那様も、ジョンの気持ちさえも……。
私は、反射的にジョンの首にしがみついた。
固くて力強い。
彼の体温に、身を任せてその温もりに身体を預けた。
――ああ。どうせ壊れるなら彼と一緒がいい。
涙が頬をつたっていく。
そして、ゆっくりとその頬を、ジョンの唇がかすめた。
「……んっ」
思わず声が漏れる。くすぐったい。
胸の奥が熱を帯びていくみたいだ。
身体は、限界に近い。
――でもいいか。ジョンになら全てを任せられる。
このまま溺れて沈んでしまいたい。
◇◇◇
「……もう後戻りできなくなるよ、俺が」
いつもと違う声と、熱を帯びた声。
私は下からジョンを見上た。
彼の硬い身体がゆっくりとのしかかる。
肌に触れる体温が彼のものだと思うと、愛しくて腕を伸ばした。
しかし、その手首を取られてしまう。
「……ねぇ。俺なんかが君に触れていいの?」
私の大好きな緑の瞳。
伏せ目がちにその輝きが揺れている。
「ジョンがいい……。あ……んっ」
それを聞いた彼が、そのまま口付けてきた。
素直にそれを受け入れる。
「ゆっくり……。うん、上手」
「……んっ」
ジョンが一瞬動きを止めた。
「もう本当に人のものなんだね……」
「……言わないで」
耳をくすぐるようにゆっくりと囁かれる。
その低い声。
私の大好きな人だ。
「あ……ジョン……」
「こうやって、誘っちゃったんだ?」
やわやわと下唇を弄られ、意地悪な質問をされてしまう。
「言わないで、ん」
「ははは……あぁお嬢。俺の天使。ずっとずっと、この時を夢描いてたのに」
そのまま濃厚な口付けに変わる。
頭が真っ白になって思わずしがみついた。
「俺の大切なお嬢様だったのに……。なんで他の男に触れさせないといけないんだ……」
いつもより低くて静かな口調。
背中にぞくりと何かが這っていく感触がした。
「……何度でも伝えます。……お嬢様。俺を忘れられないくらい。何度でも――」
息を弾ませた低い声が、耳朶をかすめる。
「ねぇ。言って?今、誰に抱きしめられているのか」
「……ジョン!私のジョンよ……。愛してる……」
一瞬、彼の翡翠の瞳が潤んだように見えた。
「……もう一回」
震える声が、そして必死な声が私を追い詰める。
「言って?」
「ジョン……!ジョン!」
「そうだよ。俺だったはずなんだ……」
闇に溶け込むように、彼が耳元で囁やいた。
「……本当に。浮気者のお嬢様だ……愛してる。俺のほうが……!ずっと、愛しているのに……!」
一瞬、ジョンの肩が強張り動きが止まる。
「俺が……」
ぐっと、彼の喉がなった。ここからでは、影になった表情がわからない。
「俺が手に入れたかったのに」
「ジョン……私の宝石。いいわ、全部あげる」
でも、その声があまりにも揺れていて――。
大きな身体に包まれて、何度も伝える。
「あいしてる……愛してる……ジョン……。ジョン!」
◇◇◇
空が白み始め、部屋が明るくなってきた。
これ以上、ここにいるわけにはいかない。
最後にまた、愛しい髪に口づける。暗いなかでも眩しく見えるその金髪に。
そして、その小さな額に自分のものを合わせる。
小さな吐息が顔にかかった。
俺にもっと力があれば何かが変わっただろうか――。
「愛しています。……奥様」
俺はそっと瞳を閉じた。
後編に続きます。
もう少しだけ、このルートの結末にお付き合いください。




