第12話「タイ、酸っぱ辛さと午後のスコール」
坂田雄一、36歳。今日のカップ麺は、ひとくち目から“熱帯の気だるさ”。
酸味と辛味が跳ねる午後、部屋の中だけはバンコクの路地裏。
午後2時。
東京の空に、急な雨が降りはじめた。
ベランダの金属に当たる水音が、ちょうどよいリズムを刻んでいる。
坂田は小さく笑った。
「ちょうどいい。今日は“あの国”の麺にする」
棚から取り出したのは、タイ製「トムヤム・クン・ヌードル」。
蛍光ピンクとオレンジのパッケージ。スープの中でエビが跳ねるイラスト。
どこか毒々しいほどの南国感。
「こういう日こそ、舌を汗でびしょびしょにしたいんだよ」
フタを開けると、まず香ってくるのはレモングラスとカフィアライムの葉。
そこに、唐辛子とナンプラーの乾燥スープが追いかけてくる。
酸っぱくて、辛くて、ちょっと甘い――この混沌こそ、東南アジア。
湯を注いで3分。
小ぶりなエビがふやけ、香りが立ち上がると、部屋の空気が一気に蒸し暑くなる。
まるで、湿度までタイ時間になったかのようだった。
「……屋台の風が吹いてるな」
ひとくちすすると、強烈な酸味と、それを追いかけるヒリつく辛さ。
だが、その奥にあるのは不思議とやさしい甘さと、乾いたエビの香ばしさ。
混沌がバランスになっている。
坂田はふと、初めて訪れたバンコクの記憶を思い出す。
スコールを避けて入った屋台で、ビニール椅子に腰を下ろし、
汗をかきながらすすったトムヤム・クンのスープ。
「味の説得力が、暑さと雨とセットになってたな……」
今日のこの一杯は、その風景をそっくり思い出させてくれた。
【日付】7月31日
【麺名】タイ製・トムヤムクンヌードル
【評価】★★★★★
【感想】酸味と辛味のバランスが絶妙。レモングラスとエビの香りが南国の午後を連れてくる。雨音と一緒に食べると、旅情が完成する。
雨はまだ止まない。
窓を開けると、湿った風が吹き込んでくる。
「……午後のスコールって、もう少し続いててくれた方がいいな」
坂田は、汗をぬぐいながら思った。
食べ終えたカップの中に、バンコクの午後が、まだ少しだけ残っている気がした。
――一口すすれば、ここはもう熱帯。
世界三杯紀行、第12話、完。




