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3 楚々とした令嬢は困惑を顔に表さない

「はー、裏もだめかあ」


 使用人達を起こさないように部屋まで戻った私は、コートとブーツを脱ぬいで夜着を羽織るとそのままベッドへ倒れ込んだ。もふっとした弾力のあるクッションに顔を埋め、鼻から深く息を吐く。


「ったく、何考えてんのよ……。せっかく身を引いてやるって言ってんのに、どうして邪魔ばかりするのかしら。面子?」


 くうん、と足元で犬のリカルドが鼻を鳴らした。飾り毛の少ない、垂れ耳の猟犬だ。愛馬のプリシラ同様、伯爵家から連れてきた相棒である。

 脱走する時には連れていけない、きっと迎えにくるからと言いつけておいたリカルドは、しっかりと部屋で待っていたらしい。留守番を忠実にこなした愛犬を抱き上げベッドに乗せると、私は枕に突っ伏した。

 滑らかなリカルドの背中の被毛に指を這わせると、犬は私の隣で丸くなった。リカルドの安心したような寝息を聞きながら、私はまた侯爵の思惑について考えを巡らせる。

 私達の結婚は国王陛下の命令による政略結婚だ。しかし実のところ侯爵家が国王陛下に話を持ちかけたらしい。国内の有力貴族が婚姻で結びつくことを奨励していた陛下は二つ返事で引き受け、父に婚約の打診をしたという。

 ラスコーン侯爵家としては国王陛下経由で申し込んだ結婚で、いざ蓋を開けてみたら相手が違っていましたとは言えないということなのだろうか。英雄様の面子もそうだけれど、両家を取り持ったとされる国王陛下への義理立てなのだろうか。

 呼気で熱が籠ったクッションから顔を離し、ごろりと寝返りを打つ。仰向けになると有無を言わさず目に入ってくる天蓋に、私はまたため息を吐いた。

 レースの覆いがかけられた天蓋付きのベッドは、見上げれば天蓋の内側に豪華な彫刻がなされている高級品だ。花々や蔓、そして星空を模したその彫刻は、奥方を迎えるために侯爵が特注したのだと侍女の一人が教えてくれたっけ。

 きっとマリナのために誂えたものなんだろう。たなびくレースも繊細な花模様が刺繍されていて美しいし、シーツなんかもつるつるすべすべで手触りの良い上等な絹である。

 自室だとあてがわれたこの部屋だってそうだ。屋敷の中で一番よい部屋と言われている通り日当たりも申し分なく、掃き出しの大きな窓をあければ庭園を一望できるバルコニーに出ることができる。

 バルコニーから見える一番近いところにあるダリアは、今が盛りの時を迎え見事な花ぶりだ。私が一番好む花であることは皮肉だけれど。

 また室内に目を向ければ、壁はどんな調度品でも映えるような白い漆喰で統一された趣味の良い作りになっていた。そこに置かれた調度品の数々は王都でも華やかさに定評がある職人の手によるものだ。女性に必須の鏡台はおろか、文をしたためるための机だって深い赤褐色の一枚板に金の装飾が惜しげもなく充てられている。

 どれもこれも、侯爵家の財力に物を言わせて揃えた最高級品だ。当初は連れてきたリカルドが何か粗相をしないかとひやひやしたものである。

 実家であるセレナ伯爵家だって、裕福な家であることは間違いないけれどここまでではない。当主である父はともかく、母や私達子どもは華美すぎず身の丈に応じたもの与えられていた。

 そういうものを使ってきた私にとって、ここに並ぶ豪奢な調度品は趣味ではない。どちらかといえばもっと素朴なものが好みだった。


「きっとマリナが来るのを、楽しみにしていたんでしょうね……」


 ふと呟いた言葉はベッド周りのレースを揺らす風に吹かれて霧散する。庭園からかすかに漂ってくる花の香りはわずかに青さを含んでいて、何故か鼻の奥がツンと痛くなった。リカルドの腹に顔を寄せ犬吸いしたけれど、どうにも落ち着いた気分になれない。

 陶器のように冷たく整った顔をしたあの侯爵が、一体どんな表情で、どんな気持ちで花嫁を待っていたのだろう。そして侯爵の元へと嫁ぐことを、マリナがどれだけ心待ちにしていたか。それを考えるだけで胸が切ない。

 あの夜の、二人の目を見ていたら全て分かってしまった。


 先月行われたセレナ伯爵家の夜会での出来事だった。


 セレナ伯爵である父とその妻である私達の母には男の子が生まれなかった。正確に言えば、両親は私たちの下に弟も妹も作らなかった。

 私とマリナを産んだ母は産後の肥立ちが悪く、医師に「次の子は望めない」と告げられたからだ。

 それを聞いた母は父に離縁を申し出たが、母への強い愛情ゆえに父は離縁に応じなかった。それ故にセレナ伯爵家ではいずれ私か、あるいはマリナのどちらかが伯爵家とその領地を継ぐことになっていた。

 先月開かれた夜会は、セレナ伯爵家の跡取り披露パーティだった。双子姫の姉である私がラスコーン侯爵家へと輿入れをしたため、残ったマリナが伯爵家を継ぐことが正式に決まったと内外に知らせるための披露宴だ。

 父は国内の貴族たちに広く招待状を送ったらしい。もちろん跡取りの姉姫の嫁ぎ先であるラスコーン侯爵家へも招待状が来た。

 受け取った私はマリナの晴れ姿と、半年ぶりの実家訪問を楽しみにしていると返事をしたが、そこに夫を連れていくことは勘定に入れていなかった。結婚以来、仕事が多いといって屋敷で顔を合せることもなければ食事もともにしたことがない夫は、おそらくこの夜会にも出席しないだろうと思っていたから。

 しかし夜会当日のことだ。あらかじめ王都にある侯爵家のタウンハウスに滞在していた私が伯爵家のタウンハウスへ出発しようと馬車に乗り込むと、そこには正装に身を包んだ侯爵と従僕のマルシオが当然のように座っていたのだ。

 思いもよらぬことに呆然とした私だったけれど、時間も押していて出発しないわけにもいかずそのまま伯爵家へと向かった。

 車内の状況は今も思い出したくない。

 テーブルを挟んで食事をしたこともない「夫」が、ずっと腕を組みながら押し黙って目の前に座っているのである。その隣にいたマルシオがなんやかんやと話しかけてきたが、あの重苦しい雰囲気はそんなことでは解消されなかった。夜会に参加する前に、精神的にすっかりへとへとになってしまっていた。

 でも妹の晴れの舞台だ。そんなことも言っていられないと、伯爵家に着いた私は「夫」と連れ立って広間へと入った。

 久しぶりの実家の使用人達の顔にほっとしていると、すぐに妹を連れた父がやってきた。晴れの場にふさわしい、輝く赤い生地にたくさんのビーズをあしらった豪華なドレスはマリナにとてもよく似合っていた。

 おめでとう、と声をかけようと私は口を開きかけた。

 あれを見たのはその時だ。

「お姉様」と顔を綻ばせて近寄ってきたマリナがはたと足を止めたのだ。そして一点をじっと見つめたまましばらく動かなくなり、不審に思った父が彼女の背をぽんと叩くまでそれは続いた。

 彼女の視線の先にいたのは私ではなかった。あの子の視線は私の肩越しに、私の後ろへと向けられていた。

 そこには「夫」である侯爵がいるはずだ。

 不躾に妻の妹に睨まれるなど怒らせてしまうかもしれない。機嫌を損ねては帰りの馬車も居心地が悪くなってしまう。それは勘弁願いたい。

 なんとか取り成そうと振り返ると、まさかの出来事が起こった。マルシオを伴った侯爵とばちりと目が合ったのだ。

 いや、目が合ったように感じただけだったのだろう。私が振り返った途端、侯爵は慌てたように顔を逸らした。その後姿を見て、私は息を飲んだ。

 陶器に例えられるほど美しい白い肌が、まるで薔薇の花のように赤くなっていたのだ。

 え、と私は混乱した。そしてまた妹の方を振り返る。するとマリナは、今度はぼうっと私の後ろ側を見つめているではないか。彼女の薄く輝く菫色をした瞳は揺らいでいた。

 まん丸の目を大きく見開き、そして頬を染め桜色の唇を小さく戦慄かせていたマリナに驚いた私は、妹にかけるべき言葉を飲み込んでしまった。生まれて十九年。ずっと一緒に育ってきたのに、あの子のあんな顔は初めて見た。

 ずきりと胸が痛む。


「失礼しました、お姉様、そしてラスコーン侯爵様……。今夜はどうぞお楽しみになってくださいませ」


 父に促され他の招待客の元へと向かったマリナは、跡取りらしく堂々と振る舞おうとしていたけれどかなり動揺していた。双子だもの、そのくらい手に取るように分かった。分かってしまった。

 あの子はラスコーン侯爵に恋をしているのだ、と。

 そしてラスコーン侯爵も同じようにマリナに思いを寄せていたことに気づいてしまった。見つめ合っていた彼らの間に挟まっていた私はどうしたら良かったというのだろう。

 二人の仲を取り持とうにも夫はこちらに見向きもせず従僕とそこら辺を歩く諸侯たちと挨拶に行ってしまったし、マリナもマリナであちこち挨拶をしなければいけない場だ。一人取り残された私は、咄嗟に旧知のメイドを捕まえて飲み物と食べるものを屋敷の一室に運ぶように言いつけるのがせいぜいだった。

 勝手知ったる実家の屋敷。居た堪れず逃げ込めるところはかつての自室しかない。

 結局私は披露宴が終わるまでの間、ずっと部屋に閉じ籠りメイドに運ばせた酒と食べ物をつまみ続けるしかできなかったのである。


 披露宴が終わりメイドによって侯爵が探していると告げられるまで、私はそこで一人悶々と頭を抱えていた。そこで到達した考えが、私と侯爵の結婚はどうやら何かの手違いが発生して起こったらしいということだ。

 見つめ合っていた二人から察するに、侯爵はマリナとの婚約を国王陛下に打診したのではないだろうか。それを承認した国王が、伯爵家の双子姫のどちらを侯爵が所望しているのかわからなくなったのか、それとも申し込みを受けた父が何か勘違いしたのか、あるいはどこかで伝言が取り違えられたのか。

 理由は全くわからない。けれど、二人の様子を見ればお互いに思い合っていることが分かる。

 これが侯爵だけの片想いであれば私は何も考えなくて良い。間違えた方が悪い、取り違えた方が悪い、で済む。

 嫁いで以来半年の間、屋敷に帰ってくることも少なく食事はおろか寝室さえ別々の白い結婚なのだ。侯爵家の使用人達と折り合いも悪くなく、悠々自適に暮らせる今の状況は悪くない。ずっと続いてくれたって構わない。

 けれどマリナが侯爵へ思いを寄せているならば話は別である。顔かたちは瓜二つと言われている私達だけれど、明るく社交的なマリナは私の憧れだし大好きな妹だからだ。

 マリナは女性的な刺繍や縫い物、家事などには興味を示さない代わりに数字や議論に強く、情にも脆い。乗馬や狩りなどばかり好み、犬猫と一緒に厩で昼寝をするような私とは違い、使用人の采配も達者で仕事も早い。おそらく生粋の領主気質なのだろう。事実、領民からの信頼もあつくあの子が伯爵家を継ぐならば安心できる。父は早いうちからあの子を跡取りとして考えていたはずだ。

 しかしだ。そんなマリナが恋をしているのだ。応援しない訳がない。相手が自分の夫だということを考慮しても、いやむしろ思いが通じ合っているのであればまだ関係性が薄い私が引くのが一番だろう。伯爵家はほとぼりが覚めた頃にでも私が帰り、誰か金勘定が得意な婿を迎えればいいだけの話である。

 それからというもの、私は何度かこっそり侯爵家を脱走してマリナと入れ替わろうと画策した。初回の脱走時には侯爵に宛てた書き置きを侯爵の寝室へ滑り込ませ、意図を伝えておいた。離縁してほしい、私が姿を消しても大事にせずにしばし待て、すぐにマリナを送り込む、と。

 しかし侯爵は私の脱走を阻止するのだ。

 初回、皆が寝静まった夜中に足音を忍ばせて部屋から出ると、何故かそこにいたマルシオに呼び止められた。

 二回目、王都へ買い物に行くふりをして逃げようと考えると、次の日には王都から外商を呼び寄せられ外出の機会がなくなった。

 三回目、四回目はシンプルに罠にかかった。廊下に仕込まれた罠にスカートを引っ掛けけたたましい音が鳴り響かせてしまったり、裏口から出ようとしたところに蜘蛛の巣のような網に絡め取られたり。

 脱走を企むたびに「何故か」侯爵に勘づかれ、脱走計画はことごとく失敗した。

 今夜で五回目だ。今夜こそはと自室の窓から直接外へ出たというのにこの有様である。

 私は握った拳を仰向けになったままベッドに叩きつけた。びくりとリカルドが体を揺らすが、すぐにまた寝息を立て始める。


「本当の思い人と一緒にさせてやるっていってんのに」


 ぼふん、ぼふんと柔らかい音をさせながら、私は何度も持ち上げた拳をクッションに落下させる。しかしこのままではいけない。可愛い妹のため、そしてその思い人である侯爵のため、なんとしてもこっそりマリナと入れ替わらなくてはいけない。


「今夜は厩側に罠があって失敗した。次は別の経路を取る、と思わせてもう一回厩側から行ってみようか。このままでは埒があかないし、ヒルに協力してもらおうかしら。侯爵の面子はどうなるかわからないけれど」


 プリシラの面倒を見てくれている男の、人の良さそうな顔を思い出す。

 厩番のヒルは彼の父親の代から侯爵家で馬や馬車の管理をしているらしい。既に本人は三十をすぎているが妻もなく、その代わり侯爵家の馬たちをそれはそれは丁寧に世話をしているとメイド達の噂話で聞いたことがある。そんな情の深い人ならば、事情を話したら協力をしてくれるのではないだろうか。


「ああ、でもこの際だからマリナをこちらへ呼び寄せて直接入れ替わるというのも……」


 いくつか作戦を考えているとベッドに沈んだ自分の体が徐々に重たくなってきた。全身を緊張させて窓から降りたからか、相当疲れているのかもしれない。

 大きなあくびが一つ漏れると、私の手足はさらにあたたかく、重くなる。柔らかく体を包まれた私は、ゆっくりと瞼を閉じた。


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