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前世で処刑された公爵令嬢、幼女からやり直して家族の破滅フラグを全部折ります  作者: NN


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1/11

断頭台の朝

 ――首を落とされる音を、私は知っている。


 重く、冷たく、絶対的な音。金属が空気を裂き、骨を断つ音。

 セレスティア・フォン・アルヴェインは、その音を知っている。

 何度も夢で聞いた。いや、夢ではない。これから聞くのだ。本当に。


 処刑広場は人で溢れていた。

 何百という顔。何千という目。その全てが、鎖に繋がれた一人の少女を見ている。


 「死ね!」「悪女!」「処刑だ!」


 罵声が石のように降り注ぐ。

 だがセレスティアの耳には、もう何も届いていなかった。


 足が動く。石畳を踏む。鎖が鳴る。

 一歩ごとに断頭台が近づく。木製の階段。五段。数えた。前から数えていた。自分が死ぬ場所の階段が何段あるか、独房の中で何度も想像した。五段だった。想像通りだった。


 階段を上る。膝が震える。だが倒れない。倒れてたまるか。

 こんな場所で、こんな連中の前で、膝をつくものか。


 壇上に出る。風が吹いた。春の風だ。

 三月の風は柔らかいはずなのに、肌を刺すように冷たい。


 正面に玉座がある。簡易の観覧席に据えられた、金色の椅子。

 そこに座っている人物を、セレスティアは見上げた。


 アレクシス・レグナシオン。

 レグナシオン王国第一王子。王太子。そして――セレスティアの婚約者だった男。


 金髪が風に揺れている。端正な顔。青い目。

 その目に、何の感情もない。

 怒りもない。悲しみもない。後悔もない。

 まるで路傍の石を見るような目で、かつての婚約者を見下ろしている。

 ただ一瞬だけ、その指が動いた。肘掛けを握る右手の指が、白くなるほど強く、何かを堪えるように。

 だがセレスティアがそれに気づく余裕はなかった。


 「……そう」


 セレスティアは呟いた。声は群衆の喧騒に消える。

 分かっていた。分かっていたけれど。

 この人は助けてくれない。最初から、最後まで。


 処刑執行人が傍に立った。大柄な男。フードで顔の上半分が隠れている。

 だが顎と口元は見える。無表情。これも仕事の一つなのだろう。

 今日の仕事は、十八歳の少女の首を落とすこと。


 「罪人セレスティア・フォン・アルヴェイン」


 宣告官の声が広場に響く。


 「王太子アレクシス殿下暗殺未遂の罪により、死刑に処す」


 暗殺未遂。

 嘘だ。何もしていない。何一つ。

 毒など持ったこともない。暗殺の計画など考えたこともない。

 だが証言があった。証拠があった。全て偽物だ。全て仕組まれたものだ。


 法廷で叫んだ。「私はやっていない」と。

 誰も聞かなかった。

 証人が立った。知らない男が「この女が毒を購入した」と言った。

 かつての友人が「この女は王太子を恨んでいた」と証言した。

 証拠の小瓶が提出された。セレスティアの部屋から見つかったという毒薬。見たこともないものだった。


 弁護人はいなかった。

 家族は法廷に来なかった。

 父は――来なかった。

 公爵は、娘を見捨てた。政治的に切り捨てた。


 一人だった。最初から最後まで、一人だった。


 「跪け」


 処刑執行人の声。低く、事務的な声。

 セレスティアは断頭台の前に立った。木製の台。中央に半月形の窪みがある。

 首を置く場所。


 膝をつく。

 冷たい木の感触。ささくれが肌に刺さる。


 首を置く。窪みに顎を乗せる。

 木の匂いがする。血の匂いも混じっている。前にここで死んだ誰かの。


 視界が斜めになる。逆さまの世界。

 群衆の足が見える。石畳が見える。空が見える。


 春の空は、どうしてこんなに青いのだろう。


 「――もう一度」


 声が出た。自分の声だと気づくまで一瞬かかった。


 「もう一度、やり直せたら」


 それは祈りですらなかった。ただの呟き。

 神に祈る気力すらなかった。ただ口から漏れた、最後の言葉。


 もう一度。

 もう一度、最初から。

 今度は誰にも騙されない。今度は一人で死なない。

 今度は――


 刃が落ちる音がした。


 ◇


 天井が見えた。


 白い天蓋。レースの縁飾り。金糸の刺繍。


 夢だと思った。

 そうでなければ説明がつかない。


 だが見覚えがある。いや、見覚えどころではない。

 この天井を何年も見て育った。


 公爵家の、自分の部屋の天蓋だ。


 だがおかしい。この天蓋は、もっと遠くにあったはずだ。

 子供の頃はこんなに大きく見えたけれど、十五歳を過ぎた頃にはもう――


 手を上げた。


 小さい。


 異様に小さい手が、視界に入った。

 指が短い。爪が小さい。柔らかく、ふにふにとした、幼児の手。


 息が止まった。


 身体を起こそうとした。だが腹筋に力が入らない。

 身体が重いのではない。身体が動かし方を知らないのだ。

 まるで生まれたばかりの子鹿のように、手足の制御が覚束ない。


 なんとか半身を起こした。

 周囲を見回す。大きすぎるベッド。大きすぎる枕。大きすぎる部屋。

 いや、違う。部屋が大きいのではない。


 自分が小さいのだ。


 掛け布団を掴んだ。手が小さすぎて、布団の端を握るのがやっとだった。

 シーツに映る自分の影。丸い輪郭。短い四肢。


 悲鳴が出た。


 「ああああぁぁぁっ!!」


 子供の声だった。高く、細く、甲高い叫び。

 自分の喉から出た声だとは信じられなかった。


 だが声は止まらない。恐怖が身体の底から噴き上がる。

 さっきまで断頭台にいた。首を落とされた。死んだ。

 なのにここにいる。小さな身体で。子供の身体で。


 何が起きた。何が起きている。

 死んだのではないのか。天国か。地獄か。それとも――


 扉が勢いよく開いた。


 「お嬢様! お嬢様! どうなさいましたか!」


 駆け込んできたのは、中年の女性だった。

 丸顔に、柔らかな茶色の髪。白いエプロン。侍女の装い。

 その顔を見た瞬間、セレスティアの中で何かが砕けた。


 マルガレーテ。


 侍女長マルガレーテ。母の元侍女で、セレスティアの養育係。

 幼い頃、毎晩子守唄を歌ってくれた人。

 母が死んだ後、解雇された人。

 もう二度と会えないと思っていた人。


 「お嬢様、悪い夢でも見ましたか? 大丈夫ですよ、マルガレーテがおりますからね」


 温かい手が頬に触れた。

 皺の寄った、けれどどこまでも優しい手。


 涙が出た。止めようとしたが無理だった。

 十八歳の精神が、三歳の身体の中で崩壊していた。


 泣いた。

 声を上げて、幼児のように泣いた。

 マルガレーテの胸に顔を埋めて、涙と鼻水を流して、みっともなく泣いた。


 マルガレーテは何も聞かなかった。

 ただ抱きしめてくれた。背中をさすってくれた。

 「大丈夫ですよ。大丈夫。マルガレーテがいますからね」


 抱きしめられながら、セレスティアは理解した。


 戻ったのだ。

 あの地獄の前に。全てが始まる前に。

 三歳。自分は今、三歳だ。


 窓の外から朝日が差し込んでいた。

 春の朝日。あの処刑の日と同じ、三月の光。

 だがこの光は温かかった。刺すような冷たさはなかった。


 涙が止まった。

 マルガレーテの腕の中で、セレスティアは目を開いた。


 視界が滲んでいる。涙のせいだ。

 だがその奥に、確かな光がある。


 朝だ。

 新しい朝だ。


 十五年前の朝。全てが始まる前の朝。

 母がまだ生きている朝。父がまだ敵ではない朝。

 首がまだ繋がっている朝。


 セレスティアは小さな拳を握った。

 三歳の、柔らかく、非力な拳を。


 これで何ができる。

 この小さな手で、何が変えられる。


 分からない。

 本当は怖い。目を閉じれば刃の音がする。首筋が冷たい。

 握りしめた三歳の拳が、小刻みに震えていた。


 だが一つだけ決めた。


 もう二度と、あの断頭台には上がらない。

 もう二度と、一人で死にはしない。


 「マルガレーテ」


 声が出た。舌が回らない。幼児の舌だ。

 だが言葉は出る。意思は伝えられる。


 「……マルガレーテ、ここにいて」


 「はい、お嬢様。どこにも行きませんよ」


 マルガレーテが微笑んだ。

 その笑顔を、セレスティアは記憶に刻んだ。


 これが最初の一歩だ。

 この腕の中から、全てを始める。

 私を殺した世界を、この三歳の手で書き換える。


 窓の外で、小鳥が鳴いた。

 三月の朝。セレスティア・フォン・アルヴェイン、三歳。

 二度目の人生が、始まった。

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