かの地へ32
車は目的地に向かって進む。
迂回路を抜け、先程クロが始末しただろうスナイパーが転がっている建物を通り抜けて。
「前方に敵歩兵複数」
「後部座席は一応身を乗り出すなよ」
路肩にいる城砦党の連中からは前の俺たちしか見えないだろうが、それでも念には念を入れる。見たところ連中に女性兵は存在しない――先程の一件は、恐らく稀有な例外という奴だろう。
路肩に避けた連中の一人がこちらに手を振り、角田さんがそれに振り返す。
そのままあっさりと通過。一切疑う素振りもない。
「……あっけないものですね」
「まあ、連中の車だし、顔は隠れている。人種的にも近いとくればね」
有難い話だ。
もしかしたらもっと早くこの車が手に入っていれば今までの苦労もしなくてよかったのかもしれない。
まあ、過ぎたことを言ったところで始まらない。このバラック街を抜けるのに使えるだけで十分な儲けだと考えよう。
「お、日本みたいな中華屋」
そのすれ違いから数秒も空かずに、角田さんが通りに面した店を見て言った。
「え?マジすか?」
ちらりと横目で見るが、その頃には既に窓の向こうに流れて行ってしまっていた。
だが、見えなくても頭の中にはそれらしい姿がイメージできる。俺の家の近所にもあった、所謂町中華の店先の映像が浮かび上がる。
――不意にそれがひどく懐かしく思えたのは、最早帰れないと知っているからか。
「……妙なものだけどさ」
角田さんが一拍空けてから再度口を開く。
「大して美味くもない近所のラーメン屋に行きたくなる時があるんだよ。こっちにいると」
「ああ、わかりますそれ」
実体験は俺にもあった。
あれはまだOE社が存続している頃だが、任務なんかで長期間こっちの世界に滞在していると不意に起きる感覚だった。
こっちの食べ物が嫌いな訳じゃないし、何なら――契約状況にもよりけりだが――キャンプの近くには飲食店もあったし、普通にうまい飯もあった。ついでに言えば何度か利用した島の食堂だって嫌いじゃなかった。
だがそれでも、時々急に日本の味が懐かしくなる時があった。
そしてそういう時に思い出すのは、それこそ近所のラーメン屋だったり、チェーン店の牛丼だったり、昔の勤め先の近くに売りに来ていた安い弁当だったり、得てして大したものではないのだ。
「別に大したものじゃないんすよね。よく考えると」
「そうそう。町中華のさ、化学調味料味のチャーハンとかで良いんだよ」
「あと俺近所のスーパーの安い総菜とかもなります」
「あー分かる。あの中身の倍くらい衣ついた天ぷらとかね」
「そうそう。エビとか小指ぐらいしかないの」
ここがどこだか忘れているような馬鹿話。
勿論お互いに目は周囲への警戒を張り巡らせているが、口は独立して動き続けていた。
――半分くらい、このリラックスしたような車内の空気を作りたかったというのが俺が話に乗った動機だ。
それはきっと、最初に振ってきた――そもそも町中華みたいな店を見つけても報告する必要はない――角田さんも、多分同じだろう。
ひとしきり無駄話で盛り上がり、それからちらりと一瞬だけバックミラーに目をやる。
経験論だが、自分が何かやらかしたとか、引きずっている事がある時に、あえてその事を話題にせずに軽く流してもらった方が気が楽な事が多い。
事の大きさを別にすれば、多分同じ手が通用するだろう――それもまた、こっちに来てからの経験によるものだ。
大したことじゃない。そんな事より馬鹿話でもしていた方がいい。一緒にいる俺たちが笑っているのだからお前の抱えている事なんて大したことじゃない――こっちに来て学んだメンタルの維持法。正確にはメンタルをやりそうな奴の対処法。
それが心理学的に正しいかどうかは知らないが、マキナは少なくともその方法の効果を認めていた。
実際、ちらりと見たバックミラーに見えたシロの表情は、心なしかさっきまでより柔らかくなっているような気がした。
――もっとも、一番効果を発揮したのは、彼女の右手に重ねられたクロの左手だろうが。
「ここか……」
「看板出ていますね……随分ぼろいな」
果たして説明された通り、バラック街を抜けた、郊外と呼んでいい場所に『春慶食品』の紀元前からそこにあったかのようなボロボロの看板と、それに相応しいボロボロの建物が建っていた。
他の多くのバラックと異なり、この辺りに来るとコンクリート造りの建物も出てくる。
春慶食品もそのタイプで、在りし日には二階建ての一階部分を店舗として、二階部分を住居として使っていたのだろうというのは何となくわかった。
「全員下車。ここだ」
号令一下、その廃墟の前に車を停めて下車。
周辺のクリアリングを行うが、先程城砦党の連中とすれ違って以降人の姿は見えない。
「アルファ6よりグリフレット、建物の前に到着した」
「了解。エンジン音は聞こえている。中に入れ」
指示に従い入口へ。
看板通り食品店だったのだろうその入り口は建物の傷み具合からは意外な事にまだガラスが残っていた。
そこから店内へ。かつてレジが置かれていたのだろうカウンターを通り抜け、商品の類が一切なくなった空の棚の間を移動。
バックヤードに入る手前で足を止める。
「シース」
封鎖された扉をノックすると、インカムに聞こえてきた男の声。
代表して角田さんが応じる。
「レイク」
ロックの解除される音が返答に代わった。
僅かに開いた隙間から、男の顔がのぞく。立派な髭を蓄えた偉丈夫が俺たちを出迎えた。
そこで初めて思い出す。以前硫黄島に潜入した際の脱出に協力してくれた逃がし屋の老人と一緒にいた人物。俺たちを追ってきたマンイーターを対物ライフルで叩き落した、アキームと呼ばれていた人物だ。
「よく来た。入ってくれ」
彼に言われるまま俺たちは中に。
「あんたらは久しぶりだな」
どうやら向こうも俺たちの事を覚えているらしい。
「まったく、あんたら随分島に好かれているらしいな。到着するなりこの騒ぎだ」
そう言って日に焼けた浅黒い肌とコントラストになっている真っ白な歯を見せて笑った。
「まあいいや。早速仕事の話だ。ブツは?」
元はバックヤードとして機能していたのだろう小部屋の奥に陣取った彼の言葉に、シロが背中のものを降ろして引き渡すことで答える。
「こいつが……とてもそんな危険な代物には見えないな」
受け取ったそれをしげしげと眺めての感想。正直、その正体を知らなかったら俺たちだった同じ感想を抱くだろう。
だが彼はそれだけ言うと、無造作にストラップに腕を通し、少しだけ窮屈そうに背中に背負う。
その動作にはそれほど恐れている様子はない。
「怖くないのか」
思わず漏れたその言葉を、彼はしっかり聞いていた。
「お前らが背負って来たんだろ。それにそんな凄い爆弾なら、島にあったってだけで、どこかに置かれていようが俺の背中にあろうが危険性は同じだ。違うかい?」
ごもっとも。
だがそれで全く恐怖しないというのも凄い。
それほどまでに肝っ玉が据わっていなければ、逃がし屋など出来ないのだろう――そんな感想を抱きながら、彼が裏口の扉を開くのを見ていた。
「さて、あんたらのトンネルはこっちだ」
そう言って扉の向こうを指し示すアキーム。
見ると、成程建物のすぐ裏手というか、もうここの裏庭と言っていいだろう。
土というか岩がむき出しな裏手を少し進んだ先にガラクタの山が積み上げられたスペース。
そのスペースの中にぽっかりと開いている井戸のような穴――の上にも容赦なくガラクタの類が積み上げられていて、図らずもカムフラージュになっている。
ここをくぐれば、いよいよ奴のいる駐屯地は目の前だ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




