164.ハイテンション
講義が始まったというのに、講師の話は全く僕の頭に入ってこない。
隣にいるエレンの熱。
鼻腔をくすぐるエレンの香り。
もう何もかもが尊い。
幸せに浸っているだけで、時間があっという間に過ぎていった。
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「……ウィル、もう夕方」
エレンに言われてはっとする。
「ええっ!?もう!?早過ぎない?」
さっきまで朝だったというのに、もう夕方なんて!昼に何を食べたのかすら覚えていない。ただ、隣にずっとエレンがいた事だけが鮮明だ。
「久しぶりの学園だったし、ウィルと一緒で楽しかった」
「エレン……僕も同じ気持ちだよ」
「もう行かなきゃ。今日は金曜日だから、月曜まで会えないのね。寂しいわ」
エレンがちょっと拗ねていてドキッとする。
「2日経てばまた会える……。それにそうだ!来週の土曜はどこかに2人で出かけよう」
「嬉しい。でも、明日は?ダメなの?」
少し上目遣いで甘えてくるエレン。可愛い。
でも、ここは心を鬼にして……。
「エレンと初めてのデートだから、どこに行くとか……色々準備させて?だから来週まで待っていて」
僕は熱をこめてエレンを見つめる。
「ウィル、ありがとう……。楽しみにしてるわ。来週を楽しみに、今週末は過ごすわ」
****
エレンと別れた僕は、一人家路につく。
初デート!!!!
エレンと初デートだ!!
「世界は素晴らしい!」
来週の土曜日は僕の誕生日だ。なんて素敵な誕生日だろう。
きっと顔がにやけていたのだろう。
家につくと、妹のキャシーが怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「やあ、キャシー。ふふ、ご機嫌はどうかな?外は綺麗だよ!はははっ」
「……お兄様どうしたの?何だか様子が変で心配なんだけど」
「あはっ、いつもと、フフ、何も変わらないじゃないか。心配することなんか、ハハッないよ!」
僕の様子に唖然として何かを言いかけるキャシーを放っておき、僕は自分の部屋に入る。
そして、部屋の奥にあるベットにダイブした。
部屋で独りきりになり、ようやく誰にも見られずに我慢せずに済むと思ったら、いよいよ笑いが止まらなくなってしまった。ニヤニヤしながら、大声で笑う男、今宵ヴォルフ家に不審者参上!
暫く笑いながらベッドに転がっていたのだが、ふと部屋の中の机の上にある紙とペンが目に入ってしまったのがいけなかった…。
今日見たエレン。
その美しさも可愛さも……僕の気持ちと共に永遠に遺したい。
僕は机に向かうとペンを走すすらせエレンを描きはじめた。あの表情とか、あの角度とか可愛いかったなと指が操られたように動く。
脳裏に浮かぶエレンを、エレンそのものを、僕の今の全身全霊をかけて表現しよう!
夢中でペンを滑らせていると、自室のドアを控えめに叩く音が聞こえた。
「誰?」
「あのう……ウィリアム様、夕飯のお時間ですが……」
使用人が夕食の時間を知らせに来たらしい。
「今忙しいから後で!」
そういうと、使用人の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
インスピレーションが湧き出て止まらない。こんな時に作業を中断出来るわけない。
今なら薄い、いや厚い超大作本が一冊出来そうだ。
すると、再びドアが叩かれる音がした。
「何?夕飯なら後でいく」
「お兄様、入るわよ」
「何だよ、キャシーか。夕飯に僕を呼びに来たの?」
「何言ってるのよ。私達もう全員食べ終わったわ。お兄様の分、持ってきてあげたからここに置いてくね!」
「そんなに経つの?ありがとう、キャシー」
「まったく、どうして私がこんな事……。いつもなら、皆お兄様見たさに目をハートにして喜んで給仕しにいくのに……」
キャシーはぶつぶつ文句を言いながら夕飯のトレイを手近なローテーブルに置くと、僕の皿からディナーロールを1つとって頬張った。
「こら、キャシー」
「ここまで運んできてあげたお代よ。じゃあね」
まったく、食欲旺盛な妹だ。
キャシーがいなくなると、僕は夕飯には目もくれずに再びペンをとる。
ずっとエレンのイラストを描くのが止められない。
我ながらヤバいなとは思う。
でも、同時に最高に楽しい。
イラストを描いていてこんな高揚感を感じるのは久しぶりだ。
ふと、ランプのオイルを補充しようと思い立って手を止めると、空が白み始めて、既にランプは必要ないことに気づいた。
「明け方……」
窓際に寄り、窓を開けて外の空気を大きく吸い込む。
朝。
今日はエレンと気持ちを確かめあってから5日目だ!
再び机を見ると、夜中いっぱいで描いたエレンの絵が何枚も見えた。
乱雑に重ねられたそれらの紙をみて、僕は幾分冷静さを取り戻した。
僕は知っている。夜中に出来た作品のヤバさも、それをそのテンションのまま公開した後の後悔も…。充分理解している。
「この絵達は……見せない方がよいのかな」
絵の1枚を持ち上げながら僕は呟いた。
綺麗に彩色して……僕が死んだら一緒に埋葬してもらおうか。
朝の到来とともに、家の中からも様々な音がし出す。
使用人達が仕事を始めたのか。
聞こえる音のうちの1つ、騒々しい足音が僕の部屋の前で止まると。
「お兄様!昨日大事なこと言うの忘れてた!お父様が大事な話があるから部屋に来いって!!」
ドアが勢いよく開かれ、キャシーが大慌てで部屋に入ってくる。
「キャシー!?いきなり入るな!」
僕は大慌てでエレンのイラストを見えないようにかき集めようとするけれど、焦って床に落としたイラスト達は風に舞ってうまく捕まえられない。
「お兄様?何してるの?」
「キャシー!いいから出てって!」
「昨日、夕食もとらずに部屋に篭ってたけど……この絵、全部お兄様が描いたの?」
「キャシー!」
「全部女の人……。上目遣いで潤んだ瞳で正面を見上げてる絵に、マカロンの端っこを口に入れたまま頬を染めて流し目でポーズしてる絵……」
「キャシー!やめてくれ!」
僕はキャシーが拾った絵を奪い取っていくが、キャシーはキャシーで床に広がった別の絵を拾うので、キャシーと僕とで追いかけっこが始まった。
キャシーは絵の中のエレンの所作をわざと僕に聞こえるように言葉にしながら逃げるので、こちらとしてはたまったものではない。
キャシーは笑っているけど僕は必死だ。
「お兄様、顔真っ赤よ!何でこんなキラキラした絵を描いてるの?笑っちゃう!…あれ?この絵、端っこに何か書いてある……」
「ーーーッ!!」
「えーと。……君は僕の太陽だ、可愛い人。君の暖かな眼差しは僕の癒し、僕の………ってお兄様!まだ途中なのに取らないで!!」
「バカ!!」
キャシーから絵を取り上げ、悪態をつきながら部屋から追い出す。
ポエムを読まれるだなんて最悪。
「ったく……」
ドアを背に座り込んで、手にしたイラストを整える。
今日、一睡もしてない……。まあ、仕方ないか。
父の話って、一体なんだろう?
今日はこれから色々とやりたい事があるから、時間は無駄に出来ないな。
エレンのために。
今日も頑張ろう。




