私の世界が終わる時、死への覚悟、その先にある何か。
目の前に広がる都会の夜景。散りばめられた宝石たちは、どんなに手を伸ばしても届かない。
私は今、ビルの屋上にいる。背後には、男性アイドルグループがCMをしている、お菓子の大きな看板。特に彼らのファンというわけでもなかったが、大通りからこの看板を見て、飛び降りるならここにしようと決めた。看板の周囲にはぐるりと無数のライトがついている。白いライトが、彼らの動かない笑顔を照らしていた。
もうずいぶんと前から、SNSでは私への罵時雑言が飛び交っていた。いや、今も電波に乗って、基地局に向かって、この夜空を飛び交っているだろう。
星一つ見えない都会の空を、幸せな日常の欠片やキラキラした写真と共に、誹謗中傷と言う名のいびつな電波が飛んでいる。
スマホの電源を落として隔離したと思っても、人を傷つける悪魔の言葉たちは、吐き出された人間から、受け止めた人間の中に蔓延り、何度も再生され、蝕んでいく。他人の言葉に蝕まれた精神は、次第に崩壊して自我を無くす。
『あの子の家、ヤバいらしいよ』
『親子そろって終わってるじゃん』
『いつも一人でいるよね 友達いないのウケる』
『被害者ぶってるだけだって』
『死にたいなら勝手に死ねば?』
誰も私の家のことなんて知らない。私が何をされてきたのかも知らない。それなのに、面白半分に言葉を並べていく。
何も知らない癖に、言いたい放題の人間たち。これだけ無数の建物がひしめきあっている街なのに、どこにも私の居場所はなかった。荒れた家、冷たい校舎、無情な人間。
居場所のない私は死ぬことを選んだ。何もかも受け止められるほど、私はそんなに強くない。
そっと身を乗り出して、下を見下ろす。眼下は奇妙なほど明るく眩しかった。大勢の人が行き交っている。人工的な明るさは、私が生きる世界とはまるで別のものに思えた。
ここから飛び降りればきっと助からない。伸ばしっぱなしの黒髪が風に舞う。制服のスカートが、校庭の端に建てられた国旗掲揚台でなびく旗のようにバタバタと揺れる。後悔はない。この世に何の未練もない。
コンクリートの端に足を掛けたところで、足音が聞こえた。誰かがここにやってくる。さぁこれからだというところで、邪魔が入る。
いつもそうだ。私の人生は最初から最期まで、いつも間が悪い。
姿を現したのは男の人だった。背中に大きなケースを背負っている。彼は私を見てチッと舌打ちをした。舌打ちしたいのは私の方なのに。
「ここから飛び降りるのか?」
男は聞いた。
「そうだけど、邪魔しないで」
私は答えた。
看板についているライトのおかげで、目の前にいる男の顔がはっきりと分かった。
年は20代後半、上下黒い服を着ている。黒髪で、どちらかというとイケメン。嫌いな顔じゃない。けれど、不愛想で無表情。友達とか絶対にいないタイプ。
この人も飛び降りるのかな。まぁ、死ぬ前にイケメンの顔を拝めて良しとするか。
「俺の仕事が終わってからにしてくれ。今、飛び降りられると騒ぎになる」
「仕事って?」
「銀行員に見えるか?」
男は背中に背負っているケースをどさりとコンクリートの上において、ジッパーを開けた。中に入っていたのは、銃だった。いや、確かこの長い銃はライフルというやつだ。男は私の存在を無視して、それをカチャカチャと組み立てだした。
「ねぇ、それって本物?」
とりあえず聞くが、返事はない。
「今から撃つの?」
やはり無視。
「誰か撃つの?」
「ごちゃごちゃうるさいぞ。すぐに終わる。黙っていろ」
「はい」
仕方がないので、黙って男の一挙手一投足を見ていた。
男がライフルを構え、丸い穴を覗いている。漫画で読んだことがある。あれはスコープと言うやつだ。確か遠くのモノを拡大して……なんて考えていたら、空気を切り裂くようなビュンという音がした。
そして、次の瞬間。地上から重なりあった悲鳴が聞こえた。下界を覗き込むと、大通りを挟んだ先で大騒ぎになっている。逃げ惑う人たちが、戻るべき道を忘れた蟻のようになっていた。
「本当に撃った……」
唖然としている私をよそに、男は黙々とライフルをケースにしまっていた。彼からは微かに硝煙の匂いがした。
「ちょ、ちょっと」
私の声を無視して、彼は来た時と同じようにバッグを背負って、無言で去って行った。
今、目の前で起こった事を脳が上手く処理しきれない。私はここに何をしに来たんだっけ。そう、そうだ。飛び降りるつもりだった。
遠くから、パトカーのサイレン音が聞こえてきた。
これじゃあ、飛び降りられない。あの男は何てことをしてくれたんだ。
ふと足元に何かが転がっていることに気が付いた。中指ほどの大きさのプラスチック。
これって……薬莢って言うんだっけ。ここに置いておくと、色々とバレるんじゃないかな。何気なしにそれをポケットに入れ、階段で来た道を戻った。
地上に降りると、サイレンの音が方々から聞こえ、明かりの消えたショーウィンドウがパトカーの赤色灯で赤い波を映していた。
急に喉が渇いて、自動販売機でミネラルウォーターのぺットボトルを買った。立ったままキャップを開けて、一気に喉の奥に流し込んだ。さっきまで死のうと思っていたのに、水をごくごく飲んでいる自分が、何だか可笑しかった。
500mlの水分を一気に身体に流し込み、空になったペットボトルを放り投げる。放物線を描きながら暗闇に吸い込まれたペットボトルは、地上に戻って、カラカラと音を立てながらアスファルトの地面を転がった。
それから、私の生活は何も変わらなかった。
あの夜の事件は大きなニュースになっていた。
あの夜、都会の街中で一人の男性が射殺され、大勢の人がその瞬間を目撃していたのだ。
翌日はどこでも、事件の話題でもちきりだった。名前は忘れたけれど、射殺されたのは男性だった。事件現場にいた人から、いくつもの動画が投稿されていた。血まみれで倒れている姿が、あらゆる角度から写真や動画で晒されて、大騒ぎに拍車をかけていた。
亡くなった彼の父親は財界の有名人らしく、『やんちゃな時期はあったけれど、今の息子は真面目に生きていた』と涙ながらに語っていた。
犯人はまだ逮捕されていなかった。
私は知っている。
犯人はあの男。
私の最期を邪魔したあの男だ。
あの時拾った薬莢は、捨てられずに持っている。
彼を見つけたのは、あの日から数週間経った夜だった。
あの日からも、毎日学校に行った。学校に行って、授業を受けて、誰とも話さず、学校を出て、あてもなく時間を潰した。
今日も気がつけば、すっかり日は沈んでいた。家に帰る気にもならず、ただ街を歩いた。ふと、明るく騒がしい場所に行きたくなって、大通り沿いに建つ電気店に足を向けた。
店内に並べられた、キッチン家電、エアコン、美容家電、オーディオ。どれにも興味はないけれど、ただぼんやり眺めながら歩いた。
様々なサイズのTVが並べられたコーナーからは、クラッシクをBGMにして夜景や自然風景が映し出されていた。その中の一つからワイドショーが流れていた。何気なく、TVの前で立ち止まって画面を見る。
『こんな時代だからこそ、些細な事でいいから、何か目標を持って頑張りましょう』と、名前の知らない女が喋っていた。
『生きるという事はですね、誰かと交わした約束を実行するため生きるか、自分の希望や目標のために生きるかのどちらかなんです。「今度、いつか、美味しいものを食べに行こうよ」と友達と約束をする。それで良いんです。「いつかは好きなアーティストのライブに行きたい」そんな目標で良いんです。それがあるから、『いつか』という未来があるから、頑張ろうって思えるんです』
他のコメンテーターが大袈裟に頷いている。
『生きるために、目標や希望は大切ですよね』
『何もない人生はつまらないですからね』
約束をする友達もいなくて、希望も、目標もない私は生きる価値もないってこと? ほとんどの人は、わずかでも希望を持って、生きているのだろうか。何もないけれど、なんとか今を生きているのは、許されないのだろうか。
ここにいてはいけない気がして、電気店を出てまたフラフラと街を歩く。メインストリートを横切り、裏通りへと向かった。煌煌と眩かった街が、進むにつれ、薄暗くなっていく。街灯だけの心ともない明かりが照らす路地は歩く人もまばらだ。
街灯さえも照らさない、路地裏に座り込んでいる人がいた。古びた倉庫の壁に背を預けて、座っている。
あの人だった。




