第9話 ボスラッシュ1
翌朝、激闘の傷跡と体の痛みを感じながらも、シャロンは自分を奮い立たせるように深く息を吐いた。傍らに置いた聖剣を手に取り、静かに立ち上がる。
「……おはよう、ゼン。さあ……北の魔王の居所まで、あと少し。……行くわよ。」
二人は野営地を後にし、峠を一気に下り始めた。北の魔王の居所がある麓へと近づくにつれ、周囲の色彩は次第に失われ、見上げる空の色さえも淀んだ不気味な灰色へと変貌していく。
肌を刺すような冷気とともに、肺の奥を焼く重苦しい魔力が充満し、生命の息吹を拒絶するような不吉な静寂が二人を包み込んでいた。
「……っ、空気が……異様に重いわ。ここから先が、本当に魔王の本拠地なのね……。」
喉の奥が詰まるような猛烈な圧迫感に、思わず胸元を押さえながら、シャロンは険しい表情で前を見据える。
「気をつけて……。ここからは、今までの魔物とは比べものにならないくらいの、禍々しい魔力が渦巻いているわ……!」
峠を抜け、視界が開けたその瞬間、上空の空に不気味な紫色の亀裂が走った。
「っ! 空が……空間が裂けている!? ……嘘でしょ、あんなものまで……!」
次元の裂け目から溢れ出した暗黒の力が凝縮し、地面へと落とし込まれる。巨大な戦斧を手にした二頭の『ミノタウロス』が、血走った激甚な眼光を向けて姿を現した。
「ミノタウロス……!」
「ゼン、絶対に私の後ろから離れないで!!」
二頭のミノタウロスは天を仰ぎ、凄まじい咆哮を轟かせた。周囲の地表が割れんばかりに震動する。その威圧感に一瞬身を竦ませながらも、シャロンの碧眼には強い決意の光が宿る。彼女は一歩も退かずに聖剣を構えた。
「来るわよ……! 逃げ場はないわ、全力で行くわよ!!」
ミノタウロスたちは、巨躯に似つかわしくない猛烈な突進力でシャロンに襲いかかった。
一頭が正面から豪快に、もう一頭が死角となる側面から容赦なく斧を振り下ろす。しかしシャロンは、舞うような身のこなしでギリギリの攻撃を躱し、聖なる光を纏わせた剣を一閃させた。
猛攻を紙一重で交わしながら切り結ぶが、側面の一頭が放った追撃が彼女の肩を浅くかすめ、防具が削れる嫌な金属音が響く。激しい痛みと熱に顔を顰めながらも、彼女はさらに剣に力を込めた。
「はぁぁぁぁぁっっ!!」
激しい火花と血飛沫が舞い、シャロンの放った一閃が、一頭のミノタウロスの胸元を深く抉り取った。絶叫のような咆哮が響き渡り、巨体が地面に激しく崩れ落ちる。
しかし、勝利の余韻に浸る隙すら与えられない。生き残ったもう一頭のミノタウロスが、負傷したシャロンのわずかな隙を見逃さず、死角から猛烈な勢いで襲いかかってきたのだ。
シャロンは即座に回避しようと足を踏み出したが、連戦の疲労による膝の縺れが命取りとなる。
「しまった……ッ、躱せな——」
絶体絶命の瞬間、眼前でミノタウロスの戦斧が全質量を乗せて振り下ろされる。
死を覚悟したシャロンは、静かに目を閉じた。
——ドンッ!!
落雷のような鈍い衝撃音だけが、山に重く響き渡った。
「……え……?」
予想していた痛みは来なかった。目を開けたシャロンの視線の先で、ミノタウロスの巨体がまるで大砲で撃ち抜かれたかのように背後の岩壁へ吹き飛び、巨大な岩盤ごと粉砕して砕け散っていた。
埃っぽい土煙が舞う中、背後にいたはずの男——ゼンが、当然のようにシャロンの目の前に立っていた。




