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幸福税――全人類が不幸のフリをする時代に、正直に「幸せです」と申告した老夫婦の家へ差し押さえに行ったら、徴税官の私の脳波計が初めて鳴った話

掲載日:2026/04/18

 一 幸福に課税する国



 西暦2089年。

 人類は、偉大だ。

 ――偉大すぎた、のかもしれない。


 戦争を減らし、飢餓を減らし、平均寿命を百二十歳まで延ばした。そして、ついに「幸福」にまで手を伸ばした。


 課税した。


 経緯はこうだ。

 財源不足を埋めるため、各国政府は新しい税を探していた。消費税、所得税、相続税――従来の税はもう限界だった。そこに脳科学が進歩した。人間の幸福度は、脳波パターンで客観的に測れる。ドーパミン、セロトニン、オキシトシンの分泌量と、表情筋の微細な動き。これらを数値化すれば、「幸福所得」として課税できる――。


 こうして、幸福税が生まれた。


 仕組みは、単純だ。

 全国民は、ウェアラブル脳波計の装着を義務づけられる。二十四時間、幸福度が計測される。月ごとに平均値が算出され、基準値を超えた分に課税される。


 基準値は、年収換算で「微妙に憂鬱」。

 ――それを超えると、累進で一気に重くなる。


 加算要素もある。

 楽しそうな顔を撮影されると、一枚につき三百円の瞬間税。

 大笑いすると、デシベルに応じた追加課税。

 結婚や出産など、幸福度が急上昇するイベントには特別税枠――通称「ハネムーン特税」。

 ――なお、葬儀は非課税である。


 さらに、月末には自己申告欄の提出が義務づけられている。「今月、いかがでしたか」と、一行だけ書く欄だ。形だけに見えて、ここが意外と効く。自動計測値と申告の食い違いが大きいと、故意の偽装とみなされて追徴が重くなる。逆に、殊勝な反省の一行があれば、情状酌量で軽減されることもある。


 ――要するに、幸福税は、数字だけの話ではない。気持ちまで、値踏みされる。


 国民の反応は、政府の予想を上回った。


 人類は、一斉に不幸のフリを始めた。



 ◇ ◇ ◇



 二 愚痴の時代



 SNSは、昼も夜も愚痴で埋まった。

「今日も最悪」「生きるのが辛い」「もう何もかもダメ」――そういう投稿は、非課税。だから、誰もが投稿する。


 愚痴代行サービスが上場した。プロの愚痴師が、クライアントの代わりに暗い投稿を代行してくれる。月額三千円。業界最大手は「株式会社ネガティブ・ワークス」。私の同期も転職した。景気がいいらしい。


 新入社員研修に、「泣き顔研修」が組み込まれた。名刺交換のとき、うつむき、少しだけ眉をひそめる――これが正しい所作だ。笑顔は税務上ハイリスクとされ、商談中の微笑みは二度まで。三度目はコンプライアンス違反になる。


 結婚式では、「幸せすぎない程度」の演出が求められた。花嫁は泣くのが基本。ただし、嬉し泣きは課税対象だから、「不安そうな涙」であることを誓約書で示す。誓約書のひな形は税務署で配っている。


 街を歩く人は、誰もがうつむいていた。

 スマホの画面を見るふりをしながら、できるだけ表情筋を動かさない。


 私も、そうだ。


 ――エヌ崎エヌ。三十五歳。国税庁幸福税徴収課の徴税官。姓の「エヌ崎」は、先祖代々のもの。下の名前の「N」――カタカナで「エヌ」と読む――は、親がつけた。どんな場所でも目立たないようにと、願っての命名だった。結果、私のフルネームは「エヌ崎エヌ」になった。親は、少しだけ欲張りすぎたのだと思う。――幸福税の前身にあたる感情指数管理政策が、すでに始まっていた時代だった。


 私の仕事は、幸福を隠しきれない者から課税することだ。


 業務用の測定端末を手に、全国を回る。ほとんどの国民は、上手に不幸を演じている。取り立てる相手は、たいてい演技が下手な者たちだ。嬉しさを隠せない新婚、孫が生まれて浮かれた老人、推しのコンサートで涙ぐむオタク。


 彼らに、冷たい通知書を渡す。

「当月、幸福超過です」

 それだけ言う。


 私自身の脳波は、長いこと、基準値の半分以下を維持している。

 ――問題ない。

 働いていれば、勝手にそうなる。


 もっとも、働かなくても、こうだったかもしれない。祝い事の連絡は、七年前から断っている。母の見舞いでも、笑わなかった。昔は料理が好きだったが、いつの間にか、やめた。理由は、覚えていない。


(幸福税の徴税官が、幸福超過で課税される――そんな冗談みたいな話は、聞いたことがない)



 ◇ ◇ ◇



 三 ある申告書



 その日、私の机の上に、一通の申告書が置かれた。


「エヌ崎さん、これ、どう思う」

 先輩の黒木が、ため息まじりに書類を指した。


 提出者――田島町在住、田中良介・田中ハル。年齢、六十八歳と六十七歳。

 自己申告欄に、ボールペンで、こう書かれていた。


『当月、たいへん幸せでした』


「……正直に、書いてますね」

「正直すぎるんだよ、これが」

 黒木は、添付された脳波データをこちらに回した。


 月平均ドーパミン値、基準の三・二倍。

 セロトニン安定度、九十九・七パーセント。

 オキシトシン分泌量、測定限界突破。


 課税額――八百五十万円。


「夫婦に、そんな貯金はない。差し押さえだな」

「――私、行きますか」

「行ってくれ。現地調査と、動産の差し押さえ」

 黒木は、少し困った顔をした。

「しかし、妙な案件だ。あんな田舎の老夫婦が、どうしてこんな幸福度を維持してるんだか」

 黒木は、普段こういう呟きを漏らす男ではない。――先輩も、少しだけ、引っかかっているらしい。


(さあ。演技を忘れた老人、ってところでしょう)

 私は、心の中でそう答えて、書類を受け取った。



 ◇ ◇ ◇



 四 山を登る



 田島町は、新幹線の最寄駅から、さらにローカル線で二時間の奥だった。


 ローカル線は、一両編成で、乗客は私を入れて三人。運転手は、マスクをしていた。マスクは表情筋を隠すので、節税グッズとして大ヒットしている。国から補助金も出ている。


 駅を降りると、山の匂いがした。

 ――匂いを意識したのは、何年ぶりだろう。


 地図を頼りに、舗装の途切れた山道を四十分歩いた。スマホの電波が、途中で切れた。こういう奥地は、測定端末の同期エラーも多い――と、研修で聞いた覚えがある。途方に暮れかけた頃、一軒の古い木造家屋が見えた。


 表札に、「田中」と書いてある。


 庭の隅に、咲き残った金木犀。軒下に、干し柿。縁側に、猫が一匹。

 猫は、私を一瞥して、あくびをした。


(のどかな、ね)

 私は、内心だけで呟いて、玄関を叩いた。



 ◇ ◇ ◇



 五 中へ、と言われた



「はいはい、どなた」


 開いたのは、七十手前の女性だった。皺の寄った顔、白い割烹着、目尻に優しい笑い皺が三本。


「国税庁の、エヌ崎と申します。差し押さえの件で、伺いました」

「まあ、お役所の方。遠いところ、お疲れさまです。どうぞ、中へ」


 ――中へ?


 差し押さえに来た徴税官を、中へ、と言った。


 私は、一瞬、戸惑った。研修マニュアルに、こういう展開は載っていない。泣き落とし、逆切れ、土下座、音信不通――想定パターンはいくつもある。しかし、「中へ」は、なかった。


「じいさん、お客さん」

 奥から、白髪の老人が出てきた。こちらも穏やかな笑顔。

「おや、若い人だね。ご苦労さま。お茶でも、どうです」


 居間に通された。

 古い柱時計が、のんびりと時を刻んでいた。

 畳は、日に焼けて、わずかに飴色。

 壁の鴨居に、モノクロの結婚写真が一枚、掛かっていた。


 ハルさんが、湯呑みを置いた。

「お茶、お好きですか」

「あ、いえ、お構いなく」

「いいから、お飲みなさい。遠くから来てくださったんだから」


 私は、湯呑みに手を伸ばした。

 熱い。

 熱いお茶を、ゆっくり飲む。――これも、何年ぶりだろうか。



 ◇ ◇ ◇



 六 差し押さえ



「――田中さん」

 私は、書類を取り出した。

「申告書を、拝見しました。当月の幸福度が基準値を大幅に超過しており、追加課税が発生します。金額は、八百五十万円です」

「ああ、それね」

 良介さんが、温和に頷いた。

「確かに、幸せすぎました。すみませんねえ」

「――は?」

「わしら、税金のことはよくわからんのだけど、嘘をつくのはどうもね。『今月どうでしたか』って聞かれたから、『幸せでした』って、書いただけで」

「……」

「悪いことでした?」


(悪くは、ないですが)

 私は、答えあぐねた。


「あの、ですね。正直にご申告いただいた結果、課税額が八百五十万円となりました。ご本人様のご申告によれば、相応の貯蓄がないとのことですので、差し押さえ対象として――」

「はいはい、持っていってください」

 良介さんは、あっさり頷いた。

「ただ、持っていかれるほどのもんは、ないと思うんだわ。古い家と、古い家具と、ハルの編み物くらいで」

「――それでも、規則上、評価額を確認する必要が」

「わかってますよ。お仕事ですもんね」


 私は、業務用タブレットを開いた。

 差し押さえ対象の家財を、淡々と記録し始める。


 古い桐のタンス。査定、ほぼゼロ。

 ブラウン管テレビ。マイナス(処分費が発生する)。

 食器棚。戸棚が一つ歪んでいる。査定不能。

 猫。生体につき、対象外。


 タブレットの数字は、まったく埋まらなかった。



 ◇ ◇ ◇



 七 普通、ですよ



 並行して、私は聞き取りを行った。

 幸福度の異常値を解明するための、形式的な手続きだ。


「お二人は、日頃どのようにお過ごしで」

「普通ですよ」

 良介さんが、穏やかに答えた。

「朝起きて、お茶を飲んで、庭を耕して。お昼は、ハルの作った味噌汁。午後は縁側で昼寝。夕方は、二人で散歩に出て、川まで行って、戻ってきて」

「――それだけ、ですか」

「それだけですねえ」

「他には」

「ないですねえ」

 良介さんは、しばらく首を捻った。

「強いて言えば、ハルが昨日作ってくれた栗ご飯が、世界一美味しかったです」


(栗ご飯で、ドーパミン三・二倍ですか)

 内心だけで、ツッコんだ。聞いてくれる相手は、自分しかいない。


「じいさんね、栗の皮むき、下手くそなのよ」

 ハルさんが、横から楽しそうに付け足した。

「今年も、指、切ってたの。二回」

「二回は、多かった。三回目で、ハルに取り上げられた」

「当然でしょう、じいさんの血が混じった栗ご飯なんて」

「――それはそれで、味に深みがね」

「深みって、あなた」


 二人は、顔を見合わせて笑った。

 小さく、澄んだ笑い方だった。


 私の、手首の脳波計が、

 ピッ、

 と小さく鳴った。



 ◇ ◇ ◇



 八 異常値



 え。


 私は、自分の手首を、そっと見た。


 ピッ。

 ピッ。

 ピッ。


 ――警告音。

 他人の手首で、何百回と聞いた音だった。

 私の脳波計が、私の幸福度が、基準値を超過しようとしていることを示している。


「どうしたの、お兄さん」

 ハルさんが、湯呑みを持ったまま、首をかしげた。


「――いえ、機械の、故障で」

 私は、慌てて袖口で脳波計を隠した。


 故障ではない、と知っていた。

 国税庁の最新型は、故障率ほぼゼロ。少なくとも、研修ではそう教わった。


 では、なぜ鳴るのか。


 答えは、わかっていた。

 認めたくない、だけだった。


 ――私は、いま、この家で、幸福を、感じている。


 栗ご飯の話で。

 二回切った指の話で。

 小さく笑い合う、二人の顔で。


 私の脳波が、勝手に動いた。



 ◇ ◇ ◇



 九 お子さんは



 私は、話題を変えた。

 変えないと、脳波計が鳴り続けると思った。


「――お二人は、お子さんは、いらっしゃらないんですね」


 ハルさんの手が、湯呑みの上で、ほんの一瞬、止まった。


「おりません」

「――そうですか」

「若い頃に、一度だけ。流産でしてね」


 私は、無言で頷いた。こういう話のときは、何も言わないのが作法だ。


「でもね、お兄さん」

 ハルさんが、こちらを見た。

 目尻の皺が、少し深くなった。

「不思議なもんで、悲しいことがあったから、二人でいられたの。あの子が、二人を結んでくれて、だから、五十年、一緒にいるんだ――って、じいさんが昔、言ってね」

「言った、言った」

「それ以来、悲しいことがあっても、『ああ、これも、いつかの幸せの材料だ』って、思うようになったの」


 良介さんが、ゆっくり頷いた。


「悲しいことも、幸せの材料になる。――そう思えるまでに、まあ、二、三十年はかかったけど」

「三、四十年でしょう、じいさん」

「……そうだったかな」


 二人が、また笑った。


 私の脳波計が、また鳴った。

 今度は、長く。



 ◇ ◇ ◇



 十 再調査



「――田中さん」

 私は、湯呑みを、静かに置いた。

「もう、帰ります」

「あら、もうですか。夕飯、食べていきなさいな。栗ご飯、残ってますよ」

「いえ、本当に、お構いなく」

「――じゃあ、お土産に」

 ハルさんが、立ち上がった。

「いいですって、本当に」

「お仕事、お疲れさま。遠かったでしょう」


 私は、玄関で振り返った。

 老夫婦は、並んで立っていた。

 並んで立つと、背の高さが、ちょうど同じだった。


「――差し押さえ、取り下げるかもしれません」

「え?」

「費用倒れの可能性がありまして」

 私は、タブレットの画面を閉じた。

「動産の処分見込額が徴収費用を下回る場合、内規で、回収断念を検討することになっています。当家の場合は、旅費と処分費すら、出ない見込みです」

「はあ……」

「併せて、測定環境の疑義につき、再調査も上に具申します」

「まあ、それは、助かりますけど、いいんですか」

「――良い、悪い、ではなく」

 私は、頭を下げた。

「正しいことをしたいだけです」


 深く、下げた。


 老夫婦は、少しだけ、驚いた顔をした。

 それから、良介さんが、言った。


「お兄さん。よかったら、また、いつでも来てください。栗の時期じゃなくても、味噌汁くらいは、あります」


 私は、うつむいたまま、頷いた。

 ――うつむいたのは、節税のためでは、なかった。



 ◇ ◇ ◇



 十一 帰り道



 山道を、下った。


 日が、暮れかけていた。稜線が、赤い。夕日が、山に吸い込まれていく。

 一度だけ、振り返った。田中家の煙突から、細い煙が立ち上っている。今頃、夕飯の支度だろう。


 私の脳波計は、ポケットの中で、まだ時々、ピッ、と鳴っていた。


 ――ああ、もう。

 私は、観念した。


 手首のバンドを、外した。

 ポケットの奥に、押し込んだ。


 その後、二度と手首には戻さなかった。



 ◇ ◇ ◇



 十二 報告書



 翌日。

 私は、黒木に報告書を提出した。


「田中夫妻、当月幸福度データにつき、測定環境に疑義あり、再審査対象として徴収保留。加えて、差押対象動産の処分見込額が徴収費用を下回るため、執行停止要件(財産不足)に該当。内規により、回収断念を具申――以上です」


 黒木は、書類を眺めた。

 眼鏡を、ずらした。

 もう一度、眺めた。


「……保留のうえ、回収断念?」

「はい」

「どこが疑義だ。脳波データ、見たか?」

「山間部の端末は、通信途絶とノイズ混入が多いと、前から報告が上がっていました。――加えて、差し押さえに行っても、動産評価はほぼゼロで、費用倒れでした」

「――国税庁の最新型で、ノイズ混入?」

「――報告には、そうあります」

「費用倒れ案件は、上も渋い顔をするぞ」

「承知しています」

「ふうん」

 黒木は、私の顔を、しげしげと見た。

「――お前、何か、顔、変わったな」

「そうですか」

「なんか、その、――ちょっと、優しい顔になった」


(それ、課税対象ですよ、先輩)

 内心だけで、ツッコんだ。


 私は、何も言わず、次の申告書の山に向かった。


 その月の末、端末本体だけは、郵送で庁に返した。

 装着していなかった数日間の記録空白については、「山中で一時紛失し、後日発見」と始末書を書いた。――虚偽である。自分でも分かっていた。

 罰金、五万円。


 それでも、安いものだと思った。



 ◇ ◇ ◇



 十三 栗ご飯



 退勤後、私は、栗ご飯を、作った。


 作ったことなんて、なかった。ネットでレシピを調べた。米は炊飯器。栗は、包丁で、皮をむいた。一時間かかった。指を、二回、切った。


(良介さんと、同じ回数だ)

 内心で、笑った。


 出来上がった栗ご飯は、

 世界一では、なかった。


 けれど、それでよかった。


 私は、小さな茶碗によそって、一口、食べた。

 熱かった。


「……美味しい」


 と、誰もいないアパートで、呟いた。


 呟いた瞬間、

 手首にない、ポケットにもない、引き出しにしまった脳波計が、

 遠くで、ピッ、と鳴った気がした。


 ――課税、されますか。

 されるなら、払います。


 そう思った。


 その月の私の申告書に、私は、初めて、手書きで、こう書いた。


『当月、少しだけ、幸せでした』



(了)

 お読みいただき、ありがとうございました。

 幸福に課税される国の、ある徴税官の話でした。


 よろしければ、同じSF棚に『サブスク地獄』『推し活経済』『才能オークション』などもございます。棚ごと持ち帰っていただいてもかまいません。

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― 新着の感想 ―
中々のディストピア 即座に破綻しそうな社会だけど、思考実験として面白いですねぇ 課税というか徴収が難しそう。 取り出したとして他の方の幸福度に還元できるわけでもなく みんな不幸になって溜飲が下がる…
歴史的最悪な法律となってしまったアメリカの禁酒法を思い出したな。 頭空っぽな理想主義者が現実的な危機に陥った議会を劇場にして法案を通したと思われるが、頭空っぽな空理空論とはちがってパンドラの箱から解き…
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