幸福税――全人類が不幸のフリをする時代に、正直に「幸せです」と申告した老夫婦の家へ差し押さえに行ったら、徴税官の私の脳波計が初めて鳴った話
一 幸福に課税する国
西暦2089年。
人類は、偉大だ。
――偉大すぎた、のかもしれない。
戦争を減らし、飢餓を減らし、平均寿命を百二十歳まで延ばした。そして、ついに「幸福」にまで手を伸ばした。
課税した。
経緯はこうだ。
財源不足を埋めるため、各国政府は新しい税を探していた。消費税、所得税、相続税――従来の税はもう限界だった。そこに脳科学が進歩した。人間の幸福度は、脳波パターンで客観的に測れる。ドーパミン、セロトニン、オキシトシンの分泌量と、表情筋の微細な動き。これらを数値化すれば、「幸福所得」として課税できる――。
こうして、幸福税が生まれた。
仕組みは、単純だ。
全国民は、ウェアラブル脳波計の装着を義務づけられる。二十四時間、幸福度が計測される。月ごとに平均値が算出され、基準値を超えた分に課税される。
基準値は、年収換算で「微妙に憂鬱」。
――それを超えると、累進で一気に重くなる。
加算要素もある。
楽しそうな顔を撮影されると、一枚につき三百円の瞬間税。
大笑いすると、デシベルに応じた追加課税。
結婚や出産など、幸福度が急上昇するイベントには特別税枠――通称「ハネムーン特税」。
――なお、葬儀は非課税である。
さらに、月末には自己申告欄の提出が義務づけられている。「今月、いかがでしたか」と、一行だけ書く欄だ。形だけに見えて、ここが意外と効く。自動計測値と申告の食い違いが大きいと、故意の偽装とみなされて追徴が重くなる。逆に、殊勝な反省の一行があれば、情状酌量で軽減されることもある。
――要するに、幸福税は、数字だけの話ではない。気持ちまで、値踏みされる。
国民の反応は、政府の予想を上回った。
人類は、一斉に不幸のフリを始めた。
◇ ◇ ◇
二 愚痴の時代
SNSは、昼も夜も愚痴で埋まった。
「今日も最悪」「生きるのが辛い」「もう何もかもダメ」――そういう投稿は、非課税。だから、誰もが投稿する。
愚痴代行サービスが上場した。プロの愚痴師が、クライアントの代わりに暗い投稿を代行してくれる。月額三千円。業界最大手は「株式会社ネガティブ・ワークス」。私の同期も転職した。景気がいいらしい。
新入社員研修に、「泣き顔研修」が組み込まれた。名刺交換のとき、うつむき、少しだけ眉をひそめる――これが正しい所作だ。笑顔は税務上ハイリスクとされ、商談中の微笑みは二度まで。三度目はコンプライアンス違反になる。
結婚式では、「幸せすぎない程度」の演出が求められた。花嫁は泣くのが基本。ただし、嬉し泣きは課税対象だから、「不安そうな涙」であることを誓約書で示す。誓約書のひな形は税務署で配っている。
街を歩く人は、誰もがうつむいていた。
スマホの画面を見るふりをしながら、できるだけ表情筋を動かさない。
私も、そうだ。
――エヌ崎エヌ。三十五歳。国税庁幸福税徴収課の徴税官。姓の「エヌ崎」は、先祖代々のもの。下の名前の「N」――カタカナで「エヌ」と読む――は、親がつけた。どんな場所でも目立たないようにと、願っての命名だった。結果、私のフルネームは「エヌ崎エヌ」になった。親は、少しだけ欲張りすぎたのだと思う。――幸福税の前身にあたる感情指数管理政策が、すでに始まっていた時代だった。
私の仕事は、幸福を隠しきれない者から課税することだ。
業務用の測定端末を手に、全国を回る。ほとんどの国民は、上手に不幸を演じている。取り立てる相手は、たいてい演技が下手な者たちだ。嬉しさを隠せない新婚、孫が生まれて浮かれた老人、推しのコンサートで涙ぐむオタク。
彼らに、冷たい通知書を渡す。
「当月、幸福超過です」
それだけ言う。
私自身の脳波は、長いこと、基準値の半分以下を維持している。
――問題ない。
働いていれば、勝手にそうなる。
もっとも、働かなくても、こうだったかもしれない。祝い事の連絡は、七年前から断っている。母の見舞いでも、笑わなかった。昔は料理が好きだったが、いつの間にか、やめた。理由は、覚えていない。
(幸福税の徴税官が、幸福超過で課税される――そんな冗談みたいな話は、聞いたことがない)
◇ ◇ ◇
三 ある申告書
その日、私の机の上に、一通の申告書が置かれた。
「エヌ崎さん、これ、どう思う」
先輩の黒木が、ため息まじりに書類を指した。
提出者――田島町在住、田中良介・田中ハル。年齢、六十八歳と六十七歳。
自己申告欄に、ボールペンで、こう書かれていた。
『当月、たいへん幸せでした』
「……正直に、書いてますね」
「正直すぎるんだよ、これが」
黒木は、添付された脳波データをこちらに回した。
月平均ドーパミン値、基準の三・二倍。
セロトニン安定度、九十九・七パーセント。
オキシトシン分泌量、測定限界突破。
課税額――八百五十万円。
「夫婦に、そんな貯金はない。差し押さえだな」
「――私、行きますか」
「行ってくれ。現地調査と、動産の差し押さえ」
黒木は、少し困った顔をした。
「しかし、妙な案件だ。あんな田舎の老夫婦が、どうしてこんな幸福度を維持してるんだか」
黒木は、普段こういう呟きを漏らす男ではない。――先輩も、少しだけ、引っかかっているらしい。
(さあ。演技を忘れた老人、ってところでしょう)
私は、心の中でそう答えて、書類を受け取った。
◇ ◇ ◇
四 山を登る
田島町は、新幹線の最寄駅から、さらにローカル線で二時間の奥だった。
ローカル線は、一両編成で、乗客は私を入れて三人。運転手は、マスクをしていた。マスクは表情筋を隠すので、節税グッズとして大ヒットしている。国から補助金も出ている。
駅を降りると、山の匂いがした。
――匂いを意識したのは、何年ぶりだろう。
地図を頼りに、舗装の途切れた山道を四十分歩いた。スマホの電波が、途中で切れた。こういう奥地は、測定端末の同期エラーも多い――と、研修で聞いた覚えがある。途方に暮れかけた頃、一軒の古い木造家屋が見えた。
表札に、「田中」と書いてある。
庭の隅に、咲き残った金木犀。軒下に、干し柿。縁側に、猫が一匹。
猫は、私を一瞥して、あくびをした。
(のどかな、ね)
私は、内心だけで呟いて、玄関を叩いた。
◇ ◇ ◇
五 中へ、と言われた
「はいはい、どなた」
開いたのは、七十手前の女性だった。皺の寄った顔、白い割烹着、目尻に優しい笑い皺が三本。
「国税庁の、エヌ崎と申します。差し押さえの件で、伺いました」
「まあ、お役所の方。遠いところ、お疲れさまです。どうぞ、中へ」
――中へ?
差し押さえに来た徴税官を、中へ、と言った。
私は、一瞬、戸惑った。研修マニュアルに、こういう展開は載っていない。泣き落とし、逆切れ、土下座、音信不通――想定パターンはいくつもある。しかし、「中へ」は、なかった。
「じいさん、お客さん」
奥から、白髪の老人が出てきた。こちらも穏やかな笑顔。
「おや、若い人だね。ご苦労さま。お茶でも、どうです」
居間に通された。
古い柱時計が、のんびりと時を刻んでいた。
畳は、日に焼けて、わずかに飴色。
壁の鴨居に、モノクロの結婚写真が一枚、掛かっていた。
ハルさんが、湯呑みを置いた。
「お茶、お好きですか」
「あ、いえ、お構いなく」
「いいから、お飲みなさい。遠くから来てくださったんだから」
私は、湯呑みに手を伸ばした。
熱い。
熱いお茶を、ゆっくり飲む。――これも、何年ぶりだろうか。
◇ ◇ ◇
六 差し押さえ
「――田中さん」
私は、書類を取り出した。
「申告書を、拝見しました。当月の幸福度が基準値を大幅に超過しており、追加課税が発生します。金額は、八百五十万円です」
「ああ、それね」
良介さんが、温和に頷いた。
「確かに、幸せすぎました。すみませんねえ」
「――は?」
「わしら、税金のことはよくわからんのだけど、嘘をつくのはどうもね。『今月どうでしたか』って聞かれたから、『幸せでした』って、書いただけで」
「……」
「悪いことでした?」
(悪くは、ないですが)
私は、答えあぐねた。
「あの、ですね。正直にご申告いただいた結果、課税額が八百五十万円となりました。ご本人様のご申告によれば、相応の貯蓄がないとのことですので、差し押さえ対象として――」
「はいはい、持っていってください」
良介さんは、あっさり頷いた。
「ただ、持っていかれるほどのもんは、ないと思うんだわ。古い家と、古い家具と、ハルの編み物くらいで」
「――それでも、規則上、評価額を確認する必要が」
「わかってますよ。お仕事ですもんね」
私は、業務用タブレットを開いた。
差し押さえ対象の家財を、淡々と記録し始める。
古い桐のタンス。査定、ほぼゼロ。
ブラウン管テレビ。マイナス(処分費が発生する)。
食器棚。戸棚が一つ歪んでいる。査定不能。
猫。生体につき、対象外。
タブレットの数字は、まったく埋まらなかった。
◇ ◇ ◇
七 普通、ですよ
並行して、私は聞き取りを行った。
幸福度の異常値を解明するための、形式的な手続きだ。
「お二人は、日頃どのようにお過ごしで」
「普通ですよ」
良介さんが、穏やかに答えた。
「朝起きて、お茶を飲んで、庭を耕して。お昼は、ハルの作った味噌汁。午後は縁側で昼寝。夕方は、二人で散歩に出て、川まで行って、戻ってきて」
「――それだけ、ですか」
「それだけですねえ」
「他には」
「ないですねえ」
良介さんは、しばらく首を捻った。
「強いて言えば、ハルが昨日作ってくれた栗ご飯が、世界一美味しかったです」
(栗ご飯で、ドーパミン三・二倍ですか)
内心だけで、ツッコんだ。聞いてくれる相手は、自分しかいない。
「じいさんね、栗の皮むき、下手くそなのよ」
ハルさんが、横から楽しそうに付け足した。
「今年も、指、切ってたの。二回」
「二回は、多かった。三回目で、ハルに取り上げられた」
「当然でしょう、じいさんの血が混じった栗ご飯なんて」
「――それはそれで、味に深みがね」
「深みって、あなた」
二人は、顔を見合わせて笑った。
小さく、澄んだ笑い方だった。
私の、手首の脳波計が、
ピッ、
と小さく鳴った。
◇ ◇ ◇
八 異常値
え。
私は、自分の手首を、そっと見た。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
――警告音。
他人の手首で、何百回と聞いた音だった。
私の脳波計が、私の幸福度が、基準値を超過しようとしていることを示している。
「どうしたの、お兄さん」
ハルさんが、湯呑みを持ったまま、首をかしげた。
「――いえ、機械の、故障で」
私は、慌てて袖口で脳波計を隠した。
故障ではない、と知っていた。
国税庁の最新型は、故障率ほぼゼロ。少なくとも、研修ではそう教わった。
では、なぜ鳴るのか。
答えは、わかっていた。
認めたくない、だけだった。
――私は、いま、この家で、幸福を、感じている。
栗ご飯の話で。
二回切った指の話で。
小さく笑い合う、二人の顔で。
私の脳波が、勝手に動いた。
◇ ◇ ◇
九 お子さんは
私は、話題を変えた。
変えないと、脳波計が鳴り続けると思った。
「――お二人は、お子さんは、いらっしゃらないんですね」
ハルさんの手が、湯呑みの上で、ほんの一瞬、止まった。
「おりません」
「――そうですか」
「若い頃に、一度だけ。流産でしてね」
私は、無言で頷いた。こういう話のときは、何も言わないのが作法だ。
「でもね、お兄さん」
ハルさんが、こちらを見た。
目尻の皺が、少し深くなった。
「不思議なもんで、悲しいことがあったから、二人でいられたの。あの子が、二人を結んでくれて、だから、五十年、一緒にいるんだ――って、じいさんが昔、言ってね」
「言った、言った」
「それ以来、悲しいことがあっても、『ああ、これも、いつかの幸せの材料だ』って、思うようになったの」
良介さんが、ゆっくり頷いた。
「悲しいことも、幸せの材料になる。――そう思えるまでに、まあ、二、三十年はかかったけど」
「三、四十年でしょう、じいさん」
「……そうだったかな」
二人が、また笑った。
私の脳波計が、また鳴った。
今度は、長く。
◇ ◇ ◇
十 再調査
「――田中さん」
私は、湯呑みを、静かに置いた。
「もう、帰ります」
「あら、もうですか。夕飯、食べていきなさいな。栗ご飯、残ってますよ」
「いえ、本当に、お構いなく」
「――じゃあ、お土産に」
ハルさんが、立ち上がった。
「いいですって、本当に」
「お仕事、お疲れさま。遠かったでしょう」
私は、玄関で振り返った。
老夫婦は、並んで立っていた。
並んで立つと、背の高さが、ちょうど同じだった。
「――差し押さえ、取り下げるかもしれません」
「え?」
「費用倒れの可能性がありまして」
私は、タブレットの画面を閉じた。
「動産の処分見込額が徴収費用を下回る場合、内規で、回収断念を検討することになっています。当家の場合は、旅費と処分費すら、出ない見込みです」
「はあ……」
「併せて、測定環境の疑義につき、再調査も上に具申します」
「まあ、それは、助かりますけど、いいんですか」
「――良い、悪い、ではなく」
私は、頭を下げた。
「正しいことをしたいだけです」
深く、下げた。
老夫婦は、少しだけ、驚いた顔をした。
それから、良介さんが、言った。
「お兄さん。よかったら、また、いつでも来てください。栗の時期じゃなくても、味噌汁くらいは、あります」
私は、うつむいたまま、頷いた。
――うつむいたのは、節税のためでは、なかった。
◇ ◇ ◇
十一 帰り道
山道を、下った。
日が、暮れかけていた。稜線が、赤い。夕日が、山に吸い込まれていく。
一度だけ、振り返った。田中家の煙突から、細い煙が立ち上っている。今頃、夕飯の支度だろう。
私の脳波計は、ポケットの中で、まだ時々、ピッ、と鳴っていた。
――ああ、もう。
私は、観念した。
手首のバンドを、外した。
ポケットの奥に、押し込んだ。
その後、二度と手首には戻さなかった。
◇ ◇ ◇
十二 報告書
翌日。
私は、黒木に報告書を提出した。
「田中夫妻、当月幸福度データにつき、測定環境に疑義あり、再審査対象として徴収保留。加えて、差押対象動産の処分見込額が徴収費用を下回るため、執行停止要件(財産不足)に該当。内規により、回収断念を具申――以上です」
黒木は、書類を眺めた。
眼鏡を、ずらした。
もう一度、眺めた。
「……保留のうえ、回収断念?」
「はい」
「どこが疑義だ。脳波データ、見たか?」
「山間部の端末は、通信途絶とノイズ混入が多いと、前から報告が上がっていました。――加えて、差し押さえに行っても、動産評価はほぼゼロで、費用倒れでした」
「――国税庁の最新型で、ノイズ混入?」
「――報告には、そうあります」
「費用倒れ案件は、上も渋い顔をするぞ」
「承知しています」
「ふうん」
黒木は、私の顔を、しげしげと見た。
「――お前、何か、顔、変わったな」
「そうですか」
「なんか、その、――ちょっと、優しい顔になった」
(それ、課税対象ですよ、先輩)
内心だけで、ツッコんだ。
私は、何も言わず、次の申告書の山に向かった。
その月の末、端末本体だけは、郵送で庁に返した。
装着していなかった数日間の記録空白については、「山中で一時紛失し、後日発見」と始末書を書いた。――虚偽である。自分でも分かっていた。
罰金、五万円。
それでも、安いものだと思った。
◇ ◇ ◇
十三 栗ご飯
退勤後、私は、栗ご飯を、作った。
作ったことなんて、なかった。ネットでレシピを調べた。米は炊飯器。栗は、包丁で、皮をむいた。一時間かかった。指を、二回、切った。
(良介さんと、同じ回数だ)
内心で、笑った。
出来上がった栗ご飯は、
世界一では、なかった。
けれど、それでよかった。
私は、小さな茶碗によそって、一口、食べた。
熱かった。
「……美味しい」
と、誰もいないアパートで、呟いた。
呟いた瞬間、
手首にない、ポケットにもない、引き出しにしまった脳波計が、
遠くで、ピッ、と鳴った気がした。
――課税、されますか。
されるなら、払います。
そう思った。
その月の私の申告書に、私は、初めて、手書きで、こう書いた。
『当月、少しだけ、幸せでした』
(了)
お読みいただき、ありがとうございました。
幸福に課税される国の、ある徴税官の話でした。
よろしければ、同じSF棚に『サブスク地獄』『推し活経済』『才能オークション』などもございます。棚ごと持ち帰っていただいてもかまいません。




