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1-6 眷属掃討戦 後半

 巨影が迫る。


 直後。


 眷属たちが一斉に地を蹴った。


 重い。巨体のはずなのに速い。


 踏み込みだけで地面が砕け、黒い瘴気が爆ぜる。


「っ――!」


 最初の一体が腕を振り下ろした。


 丸太のような巨腕。


 まともに受ければ潰れる。


 トウジは半歩ずれた。轟音。すぐ脇で地面が陥没する。飛び散った石片が頬を裂いた。


 だが止まらない。


 次。


 横合い。別個体の触手が薙ぐ。低い。足を刈りに来ている。


 跳ぶ。黒い鞭が足下を通過した。


 そのまま空中で身を捻る。


 三体目。正面から突進。


「はぁっ!」


 着地と同時に踏み込んだ。真正面。ぶつかる寸前で半身へ滑り込む。剣閃。脇腹を浅く裂く。


 黒い液が散った。


 だが浅い。肉が硬すぎる。


 眷属が唸り声を上げ、巨腕を振り回した。


 近い。


 避け切れない。


 咄嗟に剣を立てる。


 激突。


「ぐっ……!」


 腕が軋む。


 衝撃で体が流される。


 踏み止まる。


 だが、その隙へ別個体が踏み込んできた。


 連携が早い。休ませる気がない。


 触手。槍。巨腕。四方から攻撃が重なる。


 トウジは地を蹴った。滑る。屈む。剣を振る。触手を断つ。


 直後、頭上を巨腕が通過した。風圧だけで髪が舞う。


 そのまま前転。背後へ瘴気槍が突き刺さる。じゅう、と地面が腐った。


 囲まれている。


 だが、不思議と恐怖は薄かった。


 むしろ体がよく動く。


 濃密な瘴気の中。黒い靄が肌へ纏わりつくたび、感覚が鋭くなっていく。


 息遣い。踏み込み。筋肉の動き。全部、分かる。


 森の夜に似ていた――魔物の群れに囲まれながら駆けていた、あの頃に。


「――っ!」


 迫る巨腕の内側へ潜る。懐。ここなら振り切れない。


 剣を突き上げる。黒い肉を裂いた。


 眷属が吼える。


 その咆哮が耳を震わせた瞬間。


 横から別の巨体がぶつかってくる。


「ちぃっ!」


 避け切れない。肩から激突した。


 衝撃。息が詰まる。体が浮き、地面へ叩きつけられた。肺から空気が抜ける。視界が揺れた。


 だが、即座に転がる。直後、さっきまでいた場所へ触手が突き刺さった。


 危ない。遅れていたら終わっていた。


 左肩が熱い。骨まではいっていない。まだ動く。


 トウジは荒い息を吐きながら立ち上がった。


 眷属たちがじりじり距離を取る。


 こちらを警戒している。


 無理に飛び込めば斬られる。


 だが距離を取れば接近される。


 互いに決め手がない。


 瘴気が渦を巻く。


 黒い靄の中。


 トウジは剣を構えたまま、浅く息を整えた。


 腕が痛む。


 脇腹も裂けている。


 それでも、まだ動ける。


 眷属たちもまた、低く唸りながら距離を測っていた。


 膠着。だが、その均衡はあまりにも危うかった。


 ――ズガガーン!!


 広場の外れで建物が轟音と伴に崩れ落ちた。


 木片と土埃が舞い上がる。


 その中から、母親と幼い娘が転がるように飛び出してくる。


「お、お母さん……!」


 小さな手が、母親の袖をぎゅっと掴んでいた。


「走って!」


 その背後から、牙を剥き、黒い瘴気を吐きながら、中型の魔物たちが迫っていた。


 眷族たちの目が一斉にそちらへ向く。


 すると、トウジへの執着を捨てたのか、なんの躊躇もなく、足並みをそろえて母娘へ反転した。


 先ほどまでいなされ続けた鬱憤を晴らすかのように。


 暴虐の矛先が、無力な親子へ向く。


 その光景に。


 トウジの中で、何かが切れた。


「――うぬらぁぁ」


 喉から絞り出すような、低い声だった。


 怒りで震えるほどの。


 胸の奥で、熱が爆ぜる。


 守れない。届かない。


 そんなことがあってたまるか。


 届かぬなら――届いてみせる。


 次の瞬間。


 トウジの姿が、消えた。


 地面が爆ぜ、砂煙が上がる。そして――母娘の目の前に、忽然と現れる。


 剣を振り抜く。


 一閃。


 爆発的な斬撃が周囲を薙いだ。


 中型の魔物たちがまとめて吹き飛ぶ。


 眷属たちすら、たたらを踏んで自らの瘴気とともに後退する。


 広場の空気が一変した。




 オルドが村へたどり着いたのは、トウジに少し遅れてだった。


 輜重馬は巨体を運ぶには十分だった。だが、速度は出ない。


 村の入口で魔物の群れに行く手を阻まれ、それを力任せに叩き潰して進んだ。


 ようやく広場へ辿り着いた時。


 トウジはすでに眷属たちと対峙していた。


 オルドは横合いから乱入しようと動きかけていた。


 建物の崩壊。逃げ遅れた母娘。魔物の追撃。


「やばいっ!」


 叫んだその直後。眷属と向き合っていたはずのトウジが、母娘の前にいた。


 一瞬だった。


 目で追えない。


「――縮地?!」


 思わず声が漏れる。


 まさか?! あれは獣人族が、あるいは鍛錬に鍛錬を重ねた武芸者たちだけが使える、武技と呼ばれる絶技だ。トウジがそんな技を使えるはずがない。


 その背後から、落ち着いた声。


「じゃな」


 老師だった。


「じーさん……あいつ、なんで? ありゃ魔力の応用技だぞ?!」


「魔力、というより魔素じゃがな」


 老師の視線はトウジから離れない。


「それよりもじゃ」


 杖の先が広場を指す。


 オルドの目が見開かれた。


「なんだ……ありゃ」


 トウジの周囲。


 薄墨色の瘴気が、沸騰しているかのように泡立ち、渦を巻いていた。


 激しく。


 まるで生き物のように。


 母娘すら巻き込む勢いで。


「瘴気じゃねーのか?!」


「そうじゃの」


「そうじゃの、じゃねぇよ!」


 オルドが怒鳴る。


「このままじゃ後ろの二人まで呑まれっちまう!」


「いつでも動けるようにの」


 老師の背後で、聖騎士二人が静かに構える。


「じゃが、——すべては、見届けてからじゃ」


 老師の目がさらに鋭さを増し、その光景に注がれる。


「さて……トウジよ」


 杖を握る手が、わずかに強くなる。


 渦巻く瘴気、その中心に立つトウジの背、背後の母娘――老師の視線が巡る。


「おぬしはどちら側じゃ?」


 

 トウジが、剣を持つ右手を左腕に沿わす。


 左腕の周囲の瘴気が、わずかに揺れた。


 次の瞬間、


 渦巻く瘴気が、炸裂した。


 地に伏せ怯える母娘の髪が激しく乱れる。


 勢いよく四方八方に広がり、吹きすさぶ突風となって辺りを墨色に染める。


 そして――


 眷属たちから噴き出す瘴気へ、黒い渦が獣じみた勢いで喰らいついた。


 ――喰っている。


 貪っている。


 獲物を逃がすまいと喉元へ牙を突き立てる捕食者のように、容赦なく。


 黒い靄を噛み砕き、引き裂き、根こそぎ呑み込んでいく。


 奪われる、削られる――黒い靄が、トウジの周囲の渦へ飲み込まれていく。


 最初は戸惑っていた眷属たちが、やがて恐慌をきたした。


 自らの力が削られていく。


 己の支配圏を誇示するための瘴気が薄れてゆき、別の瘴気がそれにとって代わる。


 それは、自分たちよりも明らかな上位者がそこに存在する証。


 ――-贄――-


 恐怖に満ちた異形の咆哮が夜空へ響いた。




 老師の口元が、かすかにほどけた。


 笑みとも、そうでないともとれる、曖昧な表情だった。


 視線だけが、まだトウジの背を離れなかった。


「……トウジ、おぬしは……」


「老師、遅くなりました!」


 甲冑の音を響かせ、エストが十数名の聖騎士を率いて駆け込んできた。


 老師がはっとしたように気を取り直し、いつもの表情になった。


「適時かの」


 振り返り、静かに告げた。


「エスト、村を制圧せよ」


「はっ!」


 剣を抜き放つ。チラリと広場に目線を配る。


「総員、法気を高め、突貫!!」


 聖騎士たちが一斉に広場へ雪崩れ込む。


 老師は背後の二人にも視線を向けた。


「もう後詰めはよろしい。お二人も加わってくだされ」


 無言の会釈。


 二人も駆ける。


 オルドは、その場にとどまりトウジを見つめていた。


 渦巻く瘴気の中心で。


 母娘を背に立つその姿を。


「……じーさん」


「なんじゃ」


「ありゃ、もう勇者ってもんじゃねぇぞ。あれじゃまるっきり魔――」


 老師が、即座に言葉を被せる。


「英雄じゃよ。今は」


 そして杖を鳴らす。


「さて、オルド。幕を引きに行こうかの」




 エストは聖騎士たちの先頭に立って広場へ駆け込んだ。


 だが、広場へ踏み込んだ瞬間、覚悟はしていたが、その情景にエストは息を呑んだ。


 瘴気の乱流。薄墨色の靄が、まるで生き物のように広場一面を荒れ狂っていた。


 渦を巻き、逆巻き、夜気そのものをねじ曲げている。


 その中を、魔物たちが算を乱して逃げ惑っていた。


 恐慌、混乱――先ほどまで村を蹂躙していたはずの異形たちが、まるで何かに追い立てられるように右往左往している。


 一体が、エストの目の前へ躍り出た。


 牙を剥く。


 だが遅い。


 抜き打ちの一閃。


 銀の軌跡が夜を裂き、魔物の首が宙を舞った。


 倒れる。次。また次。


 聖騎士たちが広場へ散開し、三々五々魔物を討ち始める。


 剣戟の音。咆哮。断末魔。


 エスト自身も何体もの魔物を斬り伏せたはずだった。


 だが、その感触がほとんど記憶に残っていない。


 心ここにあらずだった。


 妙に身体が重い。


 剣を振る腕が、甲冑が、胸の奥が、重かった。



 遅れた……。



 その思いが、鋭く胸を刺していた。


 広場を覆う激しい薄墨色の流れ。


 その中心に、トウジが立っている。


 倒れ伏した母娘を背に。


 一人で。


 その姿を見つけた瞬間、心臓が悲鳴を上げた。


 これほどの濃い瘴気。


 村人たちは無事なのか。自分は、間に合わなかったのではないか。彼一人に、この責を負わせてしまったのではないか。


「……っ」


 喉元まで込み上げた声を、エストはかろうじて押し殺した。


 激しく渦巻いていた薄墨色の靄が、ふっと揺らいだ。視界のにじみのせいかと、エストは思ったが、違っていた。


 広場を埋め尽くしていたはずの瘴気が、トウジを中心にして目に見えてほどけていく。


 黒く淀んだ靄が、みるみる色を失っていく。


 薄墨は灰へ、灰は白い霧へ、そして、夜気に溶ける微光の粒へと変わっていく。


 まるで夜明けの光が、闇を押し流していくように。


 エストは思わず立ち尽くす。


「……浄化?」


 後方で、聖騎士の一人が思わず漏らした。


 いや、そうではない。


 これは聖騎士の法気による浄化ではない。


 ――広場の中央。


 母娘を背に立つトウジの周囲から、白い粒子が静かに広がっている。


 狂気を孕んでいた瘴気が、急速にもとの魔素へ還っていく。


 白い粒子が風に舞い、戦場を静かに覆っていく。


「トウジ……あなたは、いったい……」


 思わず漏れたその言葉を、エストはすぐに飲み込んだ。


 今は考える時ではない。


 守るべきものが、まだここにある。


 剣を握り直す。


 声を張る。


「浄化不要! 残敵掃討に集中! 村人の保護を優先せよ!」


 凛とした号令が広場に響いた。


 白い粒子が舞う中、聖騎士たちが再び一斉に動き始める。


 戦いの終わりは、すでに見えていた。

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