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転生勇者の再就職  作者: 三連九
第2章 行き先
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014 老師 後半

 馬車は変わらず揺れていた。


 軋む車輪の音と、外を行く隊列の足音が、布越しに鈍く重なって聞こえる。


 差し込む光が、机の上の紙束をゆっくりと滑り、インクの跡を淡く浮かび上がらせていた。


 老師は筆を止め、しばらく何も言わずにいたが、やがて視線だけをトウジへ向ける。


「おぬしの周囲に渦巻いておった瘴気な」


 声は低く、揺れに紛れるように落ちる。


「あれは、突然、消えた」


 トウジが顔を上げる。


「突然、消えた?!」


 思わず声が強くなる。


 馬車の中でわずかに反響して、すぐに吸われる。


「何が起こったのかは、わしにもわからぬが、ただ……」


 言葉が途切れる。


 老師は一度だけ視線を外し、どこか遠くを見た。


 トウジは言葉を挟めない。そのまま続きを待つ。


「小さな光が舞っておったの」


 ぽつりと落ちる。


「魔物が消滅するときに出る、あれかの」


 その言葉で、記憶が引きずり出される。


 首魁が崩れた時の光景。瘴気が、剥がれるようにほどけていく。雨粒がその中を抜けるたび、小さな光が弾けて、すぐに消える――綺麗なあの光景。


「……」


 トウジは、無意識に息を止めていた。


「なんの力が働いて、そうなったのかは、いまだ不明じゃ」


 老師の声で、意識が戻る。


 トウジは少し遅れて口を開く。


「聖騎士の人達がやったとばかり……」


 言いながら、少しだけ自信が揺れる。


「それこそ、エストに聞けばよかろう」


 あっさりと返される。


 トウジは言葉に詰まる。


「……口止めされました」


「ほう」


「聖騎士の人と話をしたいって言ったときに」


 老師の眉がわずかに動く。


「おぬし、その話をどこでした?」


「今と同じで、行軍中に。馬上でしたけど」


 一瞬の間。


 それから、老師が小さく息を吐く。


「おぬしはつくづく……」


 呆れたように首を振る。


「あのエストが、聞き耳がたくさんある中で、そんな話をするワケがなかろう」


 トウジがはっとする。


「……え、でもこの馬車も……」


 視線が、頭上の幌へ向く。


 薄い布。外の光を通して揺れている。


 頼りない。そう見える。


「わしを一体、誰と思うておる?」


 低く、はっきりとした声。


 老師がジロリと睨む。


 トウジの背筋が、ぴんと伸びる。


「……すみません……」


 小さく頭を下げる。


 しばらく、筆の音だけが戻る。


 紙に走る音が、一定の調子で続く。


 やがて、老師がふと手を止める。


「トウジよ」


 トウジが顔を上げる。


「おぬしに、ひとつ謝らねばならぬと思うておった」


「え?!」


 思わず声が漏れる。


 老師はそのまま、視線を外さない。


「わしは、お前のことを見誤っておった」


 その言葉に、トウジの表情がわずかに揺れる。


 聞いたことのある言葉だった。


「おぬしは……魔法士として導ける類いではなかった」


 静かに言う。


 断定の形だが、責める響きはない。


「おぬしの才を見て、力を見て」


 ほんのわずか、言葉を選ぶ間。


「導けると思うてしもうたのは、わしの驕りじゃ」


 トウジは、何も言えない。


 頷くことも、否定することもできない。


 ただ、その言葉を受け止める。


 神妙な顔のまま、どこか困ったような色が残る。


 馬車が、ひときわ大きく揺れる。


 外から、角笛の音が遠くに響く。


「討伐軍は、まもなく解隊じゃ」


 老師が続ける。


「勇者一行も、そこで解散とあいなる」


 紙の束が、わずかに崩れかけるのを、手で押さえる。


「トウジよ」


 改めて、名を呼ぶ。


「おぬしは、一人で立たねばならぬ」


 短く、しかし重く落ちる。


 トウジは言葉を探すが、見つからない。


「すべては、お前が決めることじゃ」


 少しだけ声の調子が変わる。


「勘違いしてくれるなよ?」


 老師の口元がわずかに緩む。


「バカじゃが優しい兄と」


 指を一本立てる。


「厳しいが面倒見のよい姉と」


 もう一本。


「ひたすら甘々のジジが」


 三本目。


「ちゃんと見守っておるからの」


 トウジの目が、わずかに見開かれる。


 空気が、少しだけ緩む。


「戻ってくる場所は、ちゃんとある」


 筆を置く。


 視線をまっすぐ向ける。


「それだけは、決して忘れんようにの」


 言葉が、胸の奥に静かに落ちる。


「……はい」 小さく、答える。


 ――これで、終わりなのか。


 老師はそれ以上言わない。


 再び筆を取り、紙へ向き直る。


 馬車は、変わらず揺れている。


 外では、隊列が進み続けていた。







 街道を外れた開けた場所に、雑然とした野営地が広がっていた。


 天幕はあるようでない。

 焚き火はあちこちで勝手に上がり、煙が好き放題に流れている。


 そして、その周りにいる連中がまた――


 統一感がない。


 鎧の上に毛皮を引っかけた男。やけに軽装なのに、武器だけはやたらと物騒な女。片手剣と槍を両方背負っている意味不明なやつ。盾だけやたら立派で、本人は妙に軽そうな男。


 装備はバラバラ。


 どいつもこいつも、妙に“慣れて”いる。隙はある。だが、油断はない――面倒そうな連中だ。


「ここが……就活……先?」


 トウジが小さく呟く。


「ああ。まともそうに見えたら逆に疑え」


 隣でオルドが肩をすくめた。


「仕事はある。だが、礼儀はない。腕はもちろんいる。ま、それだけって訳じゃねーけどな」


「なるほど」


「つまり」


 オルドは少しだけ笑う。


「絡まれる」


「え」


「おいおい、新顔か?」


 焚き火の向こうから声が飛ぶ。


 出てきたのは、大柄な男だった。


 片手に分厚い円盾。縁は削れており、何度も打ち合った痕が残っている。もう片手には、片刃の戦斧。柄は短いが、刃は広く、重い――前に出る役だ。


 視線が、トウジに向く。


 上から下まで、ゆっくりと。


 そして。


 笑った。


「……場所、間違っちゃいねぇか?」


 トウジは、ゆるく立っている。


 身長差が結構ある。低い。重心は落ちているが、構えがない。剣も、ただ持っているだけに見える。


 ――薄い。壁役の男から見れば、なおさら。


 押せば終わる。そういう相手にしか見えない。


「はン!」


 男が盾を軽く叩く。鈍い音が鳴る。


「ぶつけたらすぐに壊れっちまいそうだ」


 周囲が笑う。


「ポッキリってか」


「獲物いらねぇだろ、盾だけで十分だろそれ」


「むしろ盾もいらねぇよ!」


 好き放題だ。


 トウジは少し困った顔をした。


「えっと……」


 オルドは何も言わない。ただ、ニヤついて黙って見ている。


 楽しんでいる顔だった。


 男が一歩前に出る。盾を構える。斧を軽く回す。


「なあ、新人」


 にやりと笑う。


「壁ぇ、抜いてみせちゃくれねぇか?」


 ザッ、と周囲が空く。あっという間に円ができて、二人を取り巻く。


 誰も止めない。どころか、待ってましたと言わんばかりだ。


 トウジは少し首を傾げた。


「試すって……こと?」


「軽くでいい」


 男は盾を前に出す。斧を肩に乗せる。


「剣士だろ? 押し込めるか、見てやんよ」


 軽い調子だが、完全に“潰す側”の目だ。


 トウジは少し考えて――


「じゃあ、お願いします」


 あっさり頷いた。




 向かい合う。


 男は、構える。盾を前。半身。斧は後ろ。


 隙がない。まさしく、壁だ。


 トウジは――


 ゆるい。低い。剣先が遊んでいる。


 構えになっていない。


 周囲から失笑が漏れる。


「おいおい……」


「何すんだそれ」


「盾に当たって終わりだろ」


 男も笑った。


「怖いならやめとけ」


「いや、大丈夫です」


 トウジは普通に答える。


「たぶん」


 いきなり、男が踏み込んだ。


 盾打ち。


 重い。


 前に出る圧。


 逃げ場を潰す動き。


 同時に。


 半身に隠されていた斧が、いきなり振り下ろされる。


 遅くない。


 むしろ十分に速い。


 普通なら、これで終わる。


 トウジは、動いた。


 すり足で半歩。わずかに横――斧の正面から、外れる。耳の横を空気が勢いよく抜ける。


 そのまま継ぎ脚でさらに一歩、内へ。盾の縁、その外へするりと入り込む。


 ――近い。


 男の視界からトウジが消える。


 斧が落ちきる。


 とん。


 脇腹に浅く剣が触れる。


 盾の内側。


 あっという間に、抜けられた。


 男が固まる。何が起きたか分からない顔。


 周囲も止まる。


 風だけが抜ける。


 トウジは首をかしげた。


「あの、今のでいいですか?」


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