(十)
私は、また今日も「永遠が」見える河川敷にきた。平日の河川敷
は社会の役に立たない者の為にある。犬の散歩をさせる者や、ウォ
ーキングに励む老夫婦など、ゆっくりと時間は流れていたが、それ
でも誰もが目的を持って寛いでいた。何の目的もない私は、周りの
人との距離が気になって腰を下ろさずに仕方なくダラダラと川の流
れに逆らって歩いた。東京では目的も無しに出歩くことは許されな
い。警官は犯罪人を取り逃がしてもホームレスだけは見逃さなかっ
た。人並みの身格好をして歩いていても、決まって彼等は人ごみの
中から間違い探しの偽者のようにホームレスを見付け出し、かくれ
んぼのオニが隠れていた子を見付けた時の様に自慢気に私の肩を叩
く、
「ここで何をしてるの?」
私は、
「何もしてません!」
これが良くない!東京で何もしないで居ることは犯罪だった。散々
疑われた挙句、
「人に迷惑を掛けるなよ!」
と言って立ち去った。きっと私が犯罪を犯しても彼等は理解してく
れるだろう、何故なら犯罪者には目的があるから。あどけない少女
が微笑んでいるイカガワしい雑誌は途中でゴミ籠へ捨てた。私が寝
泊りするネットカフェではその気になればパソコンからいくらでも
アダルト動画を見ることが出来た。それこそ世之介のように千人の
女性と情(報)を交わす事ができた。それにしても東京は何故こんな
にも人を好色にさせるのだろう?人工の構造物に取り囲まれた抑圧
された生活の中で、自分を取り戻そうとする動物的本能が、自然へ
の憧憬を甦らせ、理性の封印を解かれた欲望が人を自然の行為であ
る性交に向かわせるのか。もはや東京で残された自然とは動物とし
ての人間の性行為くらいしか無いもんね。きっと相手の裸体に自然
回帰してるんだ。
(つづく)




