結末と後日談
次に目覚めた僕は、普通に昇降口に一人で倒れていた。
少し前に話したはずの少女など、影も形もなかった。まるで、全ては夢だったかのように。
もちろん、その時の僕は改めて恐くなり、そのまま泡を食って退散した。
いずれによせ、確かなことは「黒森高校の怪異にモロに遭遇しながら、僕は消えずに済んだ」ということだ。
それからしばらく息をひそめて過ごしていたが、別に少女がまた迎えに来るなんてこともなく、僕は普通の高校一年生として過ごし、年が変わって無事に二年生となった。
余談だが、祖父は新年を迎えた直後に亡くなった。残念ながら、僕が二年に進級する前に世を去ったのだ。
でも、病気で苦しんだということもなく、事故にあったということもなく、ただ朝起きたら、穏やかな顔で亡くなっていた。
大往生というものがあるとすれば、祖父の死こそがそれだろう。
「それで、おまえはどうすんだ?」
葬式も済んだ数日後、僕はいつぞやのように、放課後の図書室で友人の新垣と話していた。
いつものことだが、今どき放課後に本を読みに来る生徒は皆無で、僕らは存分に雑談に興じることができた。
「家族はじーちゃんだけだったよな?」
「いや……親戚は一応、それなりにいるんだよ。じーちゃんが亡くなった直後に、親族会議的なものが開かれてさ。僕は会ったこともない遠い親戚に預けられることになった――来年から」
途端に、新垣が気まずそうに目を瞬いたので、素早く話を変えた。
同情してほしくて話したわけじゃない。
「けど、まあそれはいいんだよ。どうせ高校卒業するまでだと決めたから……それなら、せいぜい三年生の間だけだしね。ただ、未だに気になるのは、かつて怪異に遭って消えた人は、結局、どこへ行ったのかなって」
後から思いだしたことだが、そういえば市の図書館で調べた時に出て来た記事では、消えたのは決まって、僕と同じ歳の男子だった。
その直後、他の記事ごと全部消えたので自信はないが……おそらく他の行方不明者も同じだろう。
「あー、男子生徒ばかり消えたんだよな、お前が調べたところじゃ」
新垣は図書委員のカウンターにもたれかかり、うんうんと頷く。
唯一、こいつにはコトの顛末を全て話したので、遠慮なく話すことができる。
それに、どういう風の吹き回しか、今は新垣もかなり怪異譚に肯定的だった。まあ、自分が逃げただけに、今更強がってもしょうがないということだろう。
「多分、消えた奴は死んでないんだって、本当に」
その新垣が、エラく自信ありげにいう。
「彼女は、人の記憶も奪うことができたんだろう? なら、行方不明者の男子は、どっかの家庭に放り込んでやったんじゃないのかー? 矛盾がないようにこそっと記憶改ざんしてー」
「まさかな……」
僕は肩をすくめた。
答えが出ないことを考えてもしょうがない。
だいたい僕は、前に新垣が熱心に主張した「実はおまえ、極悪地主のクソ息子の生まれ代わり説ぅうううう(発言のママ)」だって、信じちゃいない。
んなわけないだろ、馬鹿。
転生とか、実際にはないんだよ……残念ながら。
「でもまあ、そもそもあの子に同情はしても、怯えるようなことはないんだよな、本当は」
ポツンと呟いただけだが、やたらと実感が籠もっていたのか、新垣が嬉しそうに言った。
「さては惚れたなっ」
「あー……」
僕はすぐに否定できなかった。
「……そうかもしれないね」
いや、本当に。
後はさほど語るべきことはない。
これから語ることは、いわゆる後日談だ。
さらに時は流れ、僕は来月で三年生となる。サエを最後に見てから、一年と数ヶ月が経っていた。
僕は四月を迎える前に、同じ市内の遠縁の家へと向かった。
三年生に進級する前に、そうする約束だったからだ。
一応、そこの中年夫婦は親族会議の時に顔を合わせたし、以後もちょくちょく会い、話はしてる。いい人達だとは思うが、他人よりちょっとマシ程度の縁しかないのに、上手くやっていけるか自信はない。
だが、小さなボストンバッグを持って郊外の家を訪れた僕は――門を前にして、思わずバッグを落とした。
――門の脇に、彼女が立っていたのだ。
今は真っ昼間なのに!
いや、それは確かに、図書館で出会った時だって、昼間だったけど。
最後に遭った時と同じく、その姿全体が光っていて、とても生きた人間には見えないけど、さりとて怨念の籠もった幽霊にも見えない。
彼女は僕と目が合うと優しく微笑み、なぜか手を真っ直ぐに伸ばし、今から行く家を指差した。
「な、なんだ!?」
我に返った僕は、激情に駆られて口走った。
「約束通り、迎えに来たのかいっ。今なら僕は――」
大声を出したのと、家の玄関が開いて、壮絶な泣き声が聞こえたのが同時だった。
今日からお世話になるはずの夫婦が出て来た。
おばさんの方が、渾身の力で泣きわめく赤ん坊を抱えていて、ポカンとした僕を見て、申し訳なさそうに笑った。
「窓から見えて飛んできたんだけど……ごめんなさいねぇ」
しみじみした口調で謝罪された。
「裕也君と初対面の時には、もう妊娠してたんだけどねぇ。うちの人が『あの子を脅かすために、秘密にしとこうぜいっ』って、子供みたいなこと言うからぁ」
「え、あ、いえっ。ちょっと泣き声にびっくりしただけで」
僕は慌てて首を振った。
だいたい、今ポカンとしてたのは、あの少女が忽然と消えてしまったからだ。
サエは、僕が出て来た二人に驚いているうちに、最初からいなかったかのように、消えてしまった。
……僕一人を残して。
「はははっ」
人の気も知らず、恰幅のよいおじさんの方が、腹を揺するようにして笑った。
「まさか、こいつの歳でできちまうとは思ってなくてなぁ。悪いが、兄妹として二人揃ってうちの子ってことで、頼むわぁ。はははっ」
気の良い人らしく、僕を見て嬉しそうにそんなことを言う。大工の棟梁らしいが、本当にそんな感じだ。
ただ僕的には、そんなやかましい子と上手くやる自信はない。
そう思いつつも、完璧なる愛想で、僕はおばさんに抱かれた赤ん坊の顔を覗き込んだ。
「可愛いですね」とか、せめてそれくらいは感想言わないと。
……すると、覗き込んだ途端、なぜかその子はぴたっと泣き止み、僕をじっと見つめる。
「な、泣き止んだよ、この子っ」
おばさんが天変地異のように叫んだ。
「おうおうっ。起きてる時は、だいたい死に物狂いで泣いとるのにのぅ」
二人して騒いでいたが、僕はなぜか真っ直ぐに僕を見つめるその子の目が、気になってしょうがなかった。
まだ赤ん坊なのに、なにか瞳に目力があるというか……ちょっと気になるというか。
「沙英っていうんだよ、その子」
「……えっ」
サエだって!?
「おうよっ」
おじさんはやたら自慢そうに胸を張った。
「生まれた直後に、光り輝くべっぴんさんが夢に出て来てな、俺にしきりに囁くんだ。『名前はサエ』ってよー。ありゃどっかの神様かもしれないし、サエって名もいい感じだし、この際は言う通りに」
おじさんの説明はまだまだ続いていたが、僕は途中からどうにも耳に入らなくなっていた。そっと人差し指を持っていくと、赤ちゃんはなぜかその指を小さな両手で掴んで、にこっと笑った。気のせいではない証拠に、周囲の二人が「笑ったぁあああ」と大声を上げて喜んでいる。
さて――。
ここでくどいほど主張するが、僕は転生など信じないし、もちろんこの子もあの子と関係ない……ないはずだ。
さっきサエが現れたのは、最後の挨拶のためだろう。
でも――子供が苦手な僕も、この子とは上手くやっていける気がしてきた。
本来のエンディングは、祖父が死んだ冬、「彼女」が再来して、今度こそ主人公を連れて行く……というものでした。
しかし……どうも私は、哀しすぎる結末が好きじゃないようです。
ホラーだというのにこんな終わり方に(汗)。
ここまでお付き合いいただいた、数少ない方達、どうもありがとうございました。




