十一、悪夢と何度目かの話
その晩、夢を見た。樽の上から顔を出した兄のロバートが、恨みがましく話しかけてくる。手足がなく、樽に胴が詰まった状態だ。
「お前らを生かすために、俺は死ぬしかなかった。分かってる。少ないパイの取り合いだ。俺が生きたらお前らが死んだ。だから、なんでも聞いてやったし、何でもさせたろ。俺は何も言わず、したいことは何ひとつしなかった。俺はいなかった。そして本当に消えた」
「なんだよ! てめえだって暴れたり、わめいたりしたじゃんよ!」
耐えられなくなり、ブラックは怒鳴る。
だが死んだ兄は、ただ淡々と続ける。
「かわいい妹が最優先で、兄は二の次、三の次。いつものんきに笑っていられたのは、誰のおかげだ。だが嫌だったんじゃない、俺はそれでよかった。それが長男の義務だと思った。
だが体が続かなかった。勝手に暴走した。でもブラック、おまえのことは殴らなかったろ。ものを壊しただけだ。そんなふうに、ほんのわずか生きることも許されなかった。スパルタ学校で悟った。これでもう行き場はない。俺は完全に終わった。それで、機械のようないい子になった。完全な屍だ」
「やめろ……やめろ……お、俺だって、兄貴のことが……!」
「自分を責めるな。お前は悪くない。親父もお袋もだ。運命が悪い。俺はそれに従って、お前らを助けただけだ。それしかなかった」
「俺も親父たちも、あんたよりずっとずっと弱くて、ダメな奴らなんだよ! だから自分らだけで精一杯だった! それを、いまさら責めんのか。いつまでも責めんのか。今さらどうしろってんだよ! ごめんなさい、謝るよ!」とひれ伏して叫ぶ。「弱すぎて、ごめんなさい! ごめんなさい!」
「それは謝ってない。ただの言い訳だ」
「うるせえ!」
思わず樽を殴りつける。縦に割れ、中から子供が出てきた。額からだくだくと流血した上目づかいのマトゥーシュカが、犬のように這ってきてドアップになる。
「うわああああー!」
叫んで目覚めた。汗だくで目をこする。まだ明け方だ。
「……大丈夫?」
いつの間にかドアの隙間からレーベが覗いていて、心配そうに聞いた。
「俺は全然気づかなかったが、兄貴はいつもおびえていたんだよ」
ベッドで隣に座ってじっと見つめるレーベに、ブラックはうつむいたまま、ぽつりぽつり話しだした。
「なんでも俺の言うとおりにしてくれて、反対なんかいっさいしなくて、そんときはガキだったから、たんに甘やかしてくれてるとばかり思ってた。でもそうじゃなかった……」
顔をあげ、遠い目になる。
「うちは両親そろって自己評価が低い奴らで、まあよくあるパターンだが、ガキがガキ作っちゃった、って奴だった。親父は仕事はできるがすぐキレる堪え性のない男で、そこは俺に遺伝した。お袋もすぐヒステリー起こす女だが、変に我慢強いとこあって、そこはロバートに行った。
俺はロバートには、わがまま放題だった。でもそれは、今思えば自分を守るための武装だった。俺は自分が通らないと、すぐ怒鳴りだして暴れちらかした。でなきゃ消えちまうからだ。うちじゃ主張して勝ち取らないと、存在自体消されちまうんだ。
その中で、兄貴はいつも引っ込んでいた。なんでも譲ってくれた。そうやって俺だけがのうのうと心の安心を手に入れた。生きるためにやったことだ。よその家庭と違って、うちは少ないパイの奪い合いだからな。ずっとドンパチしてるうちの国と同じ。勝たねえと死ぬしかねえ。
そして、兄貴だけが負けた」
またうつむいて、つぶやくように続ける。
「精神科の先生の話だと、そうやって自分を殺し続けてると、対人恐怖症になるらしい。心の安全基地――って先生は言ってたが、それがないと、出会うすべての人間が、まずこっちを否定して自分の都合だけを押し付けてくる、ただ脅かしてくるだけの「敵」ってことになって、恐怖の対象になる。俺はロバートのことを誰よりも優しい神様みたいにいい人間だと思って大好きだったが、それはあいつが内心で俺を心底から恐れていたからだ。それに、俺はまるで気づかなかった」
「それは、お兄さんが隠していたからじゃ――」
「十六の歳だぞ! 幼児じゃねえんだ! 気づいて当然だろ!
いや、嘘だ……」
叫んで、また下を向く。
「気づいてたくせに、知らんふりしてた。自分が脅かされるのが怖かったんだ。ロバートを優先したら、今度はこっちの安心がなくなる。それで俺は、てめえのために……てめえの身の安全のために……」
「戦場と同じ……」
レーベの言葉に、しばらく沈黙した。
トトトという船のエンジン音が聞こえ、再び口をひらく。
「でも兄貴は結局、体が耐えきれなくなって暴れだした。それでも物に当たるだけで、俺や親に手を出さなかったし、怒鳴ったって獣みたいにギャーギャーわめくだけで、酷いことはいっさい言わなかった。あんなんなっても、気を使ってたんだ。ああやって最低限、自分を守って、自分をいたわるのに精いっぱいだったんだ。
なのに俺らはそれにも耐えられずに、あいつをひでえ寄宿舎に入れて、それでおとなしくなってくれたって、ほっとして喜んで。そのあと、俺らがほっとするための代償に、あいつは命を絶った。
……この話するの、何度目だっけ?」
「何度でもいいわよ」
レーベは、ちょっと笑ってから聞いた。
「隊長には謝った?」
「ああ。寝る前に部屋に行って……」
そこで途切れ、肩を震わせてぽろぽろと泣き出したので、レーベは目を見張った。
「シュカに初めて会ったとき、あいつが心底おびえてるのがわかって」と、しゃくりあげる。「俺は、あいつの安心を……兄貴にやれなかった安全基地を作ってやろう、って……そう思ったのに……」
するとレーベは横から抱き寄せて、頭をなでながら優しく言った。
「安心なら、あげてるわよ。ブラックだけじゃない、私たちみんなで、シュカちゃんを愛してあげてるじゃない、精一杯。私らみんなで、シュカちゃんの安全基地になるの」と離れて見つめる。「たとえタマが飛んでこようが、敵が襲ってこようが、私らは絶対に負けないわ。私は信じてる。なんたってこの船は、超兵器搭載だからね」
舌だしていたずらっぽく笑うその顔に、ブラックは多少は救われた気がした。思わず苦笑する。
(ほんと、こいつにはかなわんな……)
これを書いたあと、Mr.Kittyの「Greater Than Us」という曲を翻訳したら、似たようなことを言っているのでわりと驚いた。




