第3話 公園の影の再公演
あれから。
四人は学生服の少女と別れ、話題となっていた公園を訪れていた。
登校する振りをして学校には行かなかったという話を聞いていたので、四人は少女に「具合が悪くなったので早退した、今まで商店街のトイレで耐えていた」ということにして帰れ、と提案しつつ解散した。
その別れ際に、彼女たちが遭遇した『影』とやらがどこにいたのかの大凡の場所を聞き出して───実際には、彼女たちが撮影をしていたので、それをデータとして貰うことにした───、それを参考にその場所に向かっていた。
「意外と厳重って訳でもないんだな」
不意に、ジェイは公園を見渡しながら、そう呟いた。
「ね。警備の人は確かに見えるけど、一般の人も結構いるね」
レイトが頷きながらそれに応える。
四人は公園に辿り着く前、人が何人か消えていることもあり、厳戒態勢のような監視が敷かれているのではないか、と身構えていたのだが、来てみればそうでもなかった。
入り口で身分証を求められ、死角になるような場所に入らないこと、トイレに入る際は付近の警備員に声をかけてから行くようにすること、等と説明されたものの、公園自体に入ることまでは制限していないようだった。
それでも、公園にいる人は疎らで、遊びに来ているとか散歩に来ているような人はあまりおらず、そそくさと通り道に使っているように見える人ばかりであったが。
「………僕もあんまり長居はしたくないかなぁ……」
「しても良いことなさそうはあるねぇ」
早足で彼らの横を通り過ぎていった通行人を見ながら、レイトとタカシロはそんな事を言った。
それなりに広い公園の中に設置されている、アスレチック型の遊具には親子連れ一組すらもいない。
代わりにいるのは、警備員の男性くらいのものだった。
「……この辺だな」
テラーズがスマートフォンの動画と見比べながら、小さな煉瓦で舗装された場所を指さした。
幅広く取られた遊歩道になっている、それ以外何の変哲もない場所。
近くには、動画の中に映っているものと同じ少し塗装の禿げた街灯──なお、動画を確認するとその街灯は切れかけであるのか、人の足元を照らすには心許ないほど弱弱しい光だった──と、動画の中でほんの一瞬だけ映っている、少し先の曲がり角辺りに置かれた自動販売機。
それ以外には本当に何もない。
人が隠れられる場所など殆ど存在しないような場所だった。
「なんにもないねぇ……」
タカシロは思わず呟く。
その時、レイトとタカシロ、テラーズの耳に何かが聞こえた。
「……え、ちょっとまって、なんか今聞こえなかった?」
「レイトも聞こえたの? お、俺も……な、なんか人の声みたいなのが……」
「たぶん向こうのほうからだ……と思うが……」
「えっ、なになに、三人ともどうした??」
「ジェイ、聞こえなかったの?」
「いんや、俺はなんも……」
「でもレイトもテラーズも聞こえてるから、たぶん向こうでなんかあったんだよ!」
「俺には聞こえなかったが……三人が言うならそうなんだろう、行くぞ!」
「「おう!」」
「……ジェイ、お前今度耳鼻科行った方がいいぞ」
「テラーズお前それどころじゃねえだろ!」
四人は何かが聞こえてきた方角に向かって走り出した。
しばらく辺りを見回しながら走っていると、木が立ち並んでいる道への入り口の近くで、一人の警備員が尻もちをついた状態でさらに先を見つめているのが見つかった。
「そこの警備員さん、大丈夫ですか!」
レイトが駆け寄って、警備員の横に膝をつくと、警備員は何度も大きく息を吸いながら、ゆっくりとレイトのほうを見た。
目を見開き、体は震え、困惑と怯えを孕んだ顔がレイトの視界に移る。
「あ………あ、…………お、……あれ、は………」
「落ち着いてください、ゆっくり息を吸って、吐いて」
レイトがそういうと、警備員の男はゆっくりと深呼吸をし始めた。
体の震えが取れてきたところで、レイトは警備員の男に手を貸して立たせる。
「何があったんですか」
「……か、……影が……向こうで警備をしている、はずの……同僚を、……飲み込んだ気がして………」
そこで、警備員はハッ、となった。
「……!! き、君たちはここから直ちに離れなさい! 声をかけていただいたことには感謝しますが、ここから先には立ち入らないでください! この辺りは閉鎖いたしますので!」
そう言いながら、警備員はレイトたちから背を向け、トランシーバーで仲間に連絡をし始めた。
四人は顔を見合わせた後、少し離れた場所へ移動する。
その移動中の間に、遠くから先ほどの警備員と同じ制服を身に纏った警備員の何人かがその警備員と合流するのが見えた。
警備員たちが集まって話し始めたのを横目に、四人は戸惑っている振りをしながら、話し始める。
「………どうする?」
「どうするって言ってもなぁ」
タカシロとジェイは腕を組んだり、頭を掻いたりしながら、困ったように言う。
「うーん……あの警備の人たちぶん殴って気絶させるとか?」
「「「テラーズさん!?」」」
「なんでそうなったんだよ!!」
「僕たちが社会からドロップアウトしちゃうよ!!」
「別の被害出ちゃってるでしょお!!」
「すまん何にも思いつかなくて。っていうかお前ら気絶はさせられる前提で言うんだな……」
「今ツッコむところそこじゃないから!!」
「まあ、とりあえずだ。調べるなら、あの警備員たちの目をどうにかしなきゃいけねえことは確かだ」
「でもジェイ、どうするのさ。いくらなんでも僕ら、別になんかこう、スパイとかそういうんじゃないし……隠れるとことか、別にないよ、あれ? まさか、木の後ろに隠れながら、って言ったってさ……」
「だったら、逆に堂々としてればいい」
「ど……堂々とって?」
「あの警備員たちはこれからあの並木道のほうに入ってくだろ、別にそれを遠くから堂々と追いかけりゃいいんじゃないのか?」
「え……どゆこと……?」
「意識が前に向いてるから、って言いたいんじゃないのか、ジェイは。だからっつって、後ろを向かないとは限らないけど、そもそもはあの並木道の中で起こったことの確認をしに行こうとしてるわけだから、同僚を襲ったっていう影は自分たちの前方にいると考えるのが自然だろ?」
「ああ、そういうこと? ……そんな上手いこと行くかなあ……?」
テラーズの補足を聞いて、レイトは首を傾げる。
「そんなのは、やってみないと分からんよ」
「そんな行き当たりばったりな」
「そもそも元から行き当たりばったりじゃねえか」
ジェイの言い分に、レイトは二、三度瞬きをすると、突然腹を抱えて笑い出す。
「……っアハハハハ!! ……そ、それはそうではあるけど……!」
「今更だ、今更! とっとと行くぞ!!」
「ああああああああ」
ジェイはそのままレイトの首根っこを掴むと、今しがた並木道へと入っていった警備員たちの後へ続いた。
「……………俺たち、賛成したっけ?」
「まぁ、どっちにしろって思うし、上手い手もないし良いんじゃないかなぁ」
引きずられていくレイトを黙って見送るテラーズの問いにそう応え、タカシロは気にした様子もなく二人の後についていく。
テラーズはその三者三様を見ながら、自身も「まあ良いか」と思いながら歩き始めた。
◇
「な………なんか順調にバレてない感じなんだけど……」
「こんな上手くいくことあるんだねぇ……」
レイトとタカシロは、前方を進む警備員達が後ろを向くことなく前進している事に緊張と少しの安堵を覚えながら、小さな声でそんな事を言い合っていた。
「………憶測だが、警備の人はこの様子だと話よりもっと消えているかもね」
テラーズが呟く声が聞こえて、三人はそれぞれ、小さく喉を鳴らす。
「……………なんか、足音も殺すように歩いてるみたい。足音が殆ど響いてこないというか……」
レイトは思わずそう口にしていた。
自分たちが最低限の音で動いている為に、自分たちを取り囲む木々が風に揺れる音や、たまに聞こえてくる虫や鳥の声のほうが大きいくらいだった。
その中に混じって、警備員たちの足音や話し声はあまり聞こえてこない。
「………相当警戒してるって感じだな」
ジェイは警備員の揺れる背中を見ながらそう言った。
…………その時だった。
「…………っ、!? ぅ、わ、うわあああああああッッ!!」
四人の目の前で、前を歩いていた警備員の一人が、左から突如現れた黒い『何か』に覆い尽くされ、そのままその場から消えてしまった。
「わ………わ、わッ……わああああああッッ!!」
呆然と尻もちをついていた、警備員のうちの一人が事態を飲み込んで叫び声を上げるが、その声が終わる前にまた、黒い『何か』に覆われて消えていく。
この場に残る警備員は、あと一人。
「おいおいおいおいおい!! ほんっきで言ってんのかよコレ!! マジかよッッ!!」
「何なのアレ!! 本当に、本当にあの子の言った通りの、黒い塊がッ!!」
「ととととととにかくあの人を助けなきゃ早く!!」
「お前らまずは落ち着け、まだ間に合うだろ!!」
「………くっ………そぉぉぉぉああ!!」
テラーズの言葉を聞いて、タカシロが勢いよくその場から飛び出した。
最後の一人である警備員に飛びかかるような勢いでその体を掴み、そのまま抱え上げると走ってその場から離脱していく。
その後ろを、黒い何かが触手を伸ばすようにして追いかける光景が、ジェイとレイト、テラーズの三人の視界に映る。
「「タカシローーーーッ!!」」
ジェイとレイトは黒い何かに遮られて見えなくなりそうなタカシロに向かって声を張り上げる。
「大丈夫だぁ!! 二人とも無事だから!!」
タカシロの声が黒い『何か』の向こう側から響く。
「タカシロ!! 無事なんだね!! 良かったぁ!!」
「それにしても…………何なんだよ、こいつはッ!?」
黒い何かは獲物を見失ったかのように、うねうねとその触手のように伸びた先端を宙に彷徨わせている。
「……………………」
テラーズはそれを静かな目で見つめている。
「でも………これ………どうすればいいのさ!?」
レイトは膨張する黒い『何か』から少し距離を取るようにして睨みつける。
その時、ジェイは何か───かちゃり、という音が小さく鳴ったのが聞こえた。
それはテラーズの方から聞こえてきており、ジェイは無意識にテラーズの方へ振り向く───その瞬間、ジェイの視界に入ったのは、テラーズが手に持った何かを黒い『何か』へ向けようとしている光景だった。
ジェイが彼の掲げたものが何かを認識する前に──────。
『ギッ………ギッギギ………』
突然、テラーズが掲げたものを見た黒い『何か』が、呻き声のような、それとも何か噛み合いの悪い金属音のような不快な音を発しだし、苦しむかのように震え、その動きを鈍らせて、やがて停止した。
そのうちに、完全に動きが止まったかと思うと、触手のように伸びた黒い先端から白いひび割れが出現したかと思うと、バキバキと音を立てて硝子のように崩れ去っていく。
最後には灰のようなさらさらとしたものになったかと思うと、それも地面へ溶けるようにして消えていった。
気がつくと、灰が消え去った場所には黒い『何か』に取り込まれたはずの警備員の二人が現れており、気絶をしているのか地面に横たわっていた。
テラーズはそれを見届けると、息を吐きながら掲げていた腕を下ろす。
「…………テラーズ、今、あんた……何した?」
「………んあ? ……ああ、これだよ」
テラーズはジェイに自分が手に持っていたものを見せた。
「…………手鏡?」
「そう」
「…………………………………………………………………………。………………………はぁ?」
ジェイは腕を組んで暫しの間思考を巡らせたが、何の考えにも至らず、間抜けな声を上げた。
「端的に言うとあれは実体がないものなんだよ」
「いやいやいや端的とか言うレベルじゃねえよ、俺とお前でとんでもねぇマリアナ海溝が出来てるレベルで伝わってねぇよその端折られた部分が」
「テラーズ……君、何か知ってるの……?」
隣で見ていたレイトがテラーズに恐る恐るその問いかけをするが、テラーズは別の方を向いた。
「今はそれよりも、あの警備員の人たちをどうにかしたほうがいいんじゃないかな。」
「それは……」
テラーズの言葉に、レイトは倒れた警備員に声をかけているタカシロの姿を見る。
レイトはどうするべきか視線を彷徨わせてから、結局はタカシロの方へ駆け寄って行った。
黙って見送るテラーズに、今度はジェイが近づく。
「………………勿論、後でどういうことか話してくれる…………んだよな?」
「話さなかったらお前らも対処できんだろ」
「…………。まぁ、ごもっとも」
ジェイは喉の奥に引っかかるものを感じたが、それでも、あの得体のしれない奇妙な何かに対処法があるというのは、少なくとも彼自身の心の余裕には繋がっていた。
恐らく、一連の『神隠し』の正体であるのだろうあの黒く膨張する影のような『何か』は、自分が思うより理不尽な事象ではないらしい───ということにどこまで重きを置いていいのかはジェイには分かりかねるのだが。
「ジェイ! テラーズ! 見てないで手伝ってよー!! 救急車呼ぶから!」
レイトの呼び声に、ジェイとテラーズは顔を見合わせると、倒れ伏す警備員たちの方へと歩いていった。
◇
「とりあえず、大丈夫そうかなぁ」
レイトは走り去っていく救急車を見ながらそう呟いた。
あれから、意識のある警備員への声かけと、倒れた二人の警備員の介抱を行った四人は、救急要請を行って、倒れたままであった警備員たちについて病院への搬送を救急隊にすることとなった。
付き添いにはあの黒い『何か』に取り込まれなかった警備員が行くことになり、そのまま救急車に乗っていった。
「………で、テラーズ。あんた、俺たちにさっきのことは説明してくれるんだよな?」
「………ああ。あれは……見た通り『影』ってやつだ」
ジェイの質問に、テラーズはどう言っていいのか分からない、という顔をしながらそう答えた。
しかし、結局結論だけが出てきたので、レイトとタカシロは顔を見合わせて首を傾げた。
ジェイだけが真っ直ぐテラーズを見ている。
「その『影』とやらは、何なんだ?」
「これははっきり言うが、俺も………、………『人づて』に聞いただけだからな。はっきりとは分からん。そいつが言うには、『やつらは影だから実体がない。実体がないものは自分が映し出されるものに映らない。だから自分の姿が保てなくなる。曖昧な存在だ』って話だ」
「……………なんだそら?」
ジェイはふぅ、と息を吐く。
「なんだそりゃ、と言われてもな。それ以上の説明はされなかったよ。意味が分からないから、具体的にそんなもんどうすりゃ良いんだって聞いたら、『鏡でも向けたら?』って言われたんだよ」
「………それ、誰に言われたの?」
レイトがそう聞くと、テラーズはレイトの方へ振り向く。
少し考えたような素振りを見せたかと思うと、静かな声を発した。
「言っても信じるかお前ら?」
テラーズの言葉に、三人は顔を見合わせた。
「…………今更、信じるも信じないもないんじゃねぇーの? 目の前で、あんな非現実的なこと起こっといて、変なことの一つや二つ、言うやつがいたところで気になんねぇよ」
「恐らく人間じゃないって言ってもか?」
「………………………………それも今更だ」
ジェイは一瞬考えたが、やはり今更だという気持ちが働いて、そう答えた。
「………………」
テラーズは無言でジェイやレイト、タカシロの顔を交互に見た後、ゆっくりと手鏡を持った手を、三人に向かって掲げた。
三人の視線が手鏡に注がれる。
しかし、三人はその意図が分からず、テラーズに視線を戻した。
テラーズはそんな三人を見ながら、息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。
「……………俺に、『影』の存在を教えたのは、………この鏡の中の住人だよ」
四人の中に静寂が訪れた。
四人とも、暫しの間指先の一本すらまともに動かさない時間があったが、やがて思考の波も収まって、ジェイとレイト、タカシロは自然とテラーズを囲むように動く。
テラーズはそんな彼らの行動に一瞬戸惑い、彼らの顔を交互に見たが、そんな彼の態度をあまり構わず、ジェイはテラーズの肩に優しく手を置いた。
「テラーズ………よく話してくれたな。………悪いこと言わないから、病院行こ?」
「おい」
ジェイが本気で心配している顔でそう言ってきて、テラーズは眉間に皺を寄せるしかなかった。
その横でレイトも心底同情の表情を浮かべながら口を開く。
「テラーズ、……作家って大変な仕事なんだよね……話って一人で考えなくちゃいけないから、そういうこともあるんだね……今度から俺もご飯とか誘っていいから……」
「おい?」
「ごめんねぇ、テラーズ。俺忙しくてあんまり連絡してなかったから……! なんか、なんか妄想とか見えちゃうくらい追い詰められてたなんて知らなくって……!!」
「さっきと言ってることと態度違わねぇかお前ら!?」
タカシロの言い分を聞いたところでテラーズは流石にこいつらをぶん殴ってやろうかという気になった。
「いや前からちょっとおかしいなと思ってたけど今日日もっとおかしくなっちゃってたのかと」
「お前が普段俺のことどんな目で見てやがったのかよーく分かったわ馬鹿野郎殴っていいか、殴っていいよな!?」
「いやあああああ!! 暴力反対ッッ!!」
「待ちやがれェェェェ!!」
ジェイが逃げると、テラーズが全力で追いかけていく。
その追いかけっこを横目に、レイトはタカシロの方を向く。
「……………さっきの話、タカシロはホントだと思う?」
「うーん……。さっきはああ言ったけど、真面目な話、テラーズは変な嘘が吐けるほど器用じゃないからねぇ。作家だから、作り話とそうじゃないところは、分けてないと成り立たないって自分で言ってたこともあるし。嘘ついてどうにかなる場面でも、ここはないでしょ?」
「………そうだね。……僕はテラーズと会ったばかりだから、彼がどうかっていうのまで分かってあげられないけど……」
「ノォーーーーーーーーッ!! バイオレンス!! ノーーー!! ノーよッ、ノーなのよッテラーーーーーズ!!」
「What does "No to violence" even mean!? It's like they're treating me like a lunatic!!」
「えっ何なんて言ったの今!?」
「なんか僕真面目に考えたのが一瞬で馬鹿らしくなってきたんだけど」
「いつまであれやってるんだろうね〜」
何だかんだで、ジェイとテラーズの無意味な追いかけっこは、体力の切れたジェイの頭にテラーズが拳骨を一発入れるまで続いた。
「とってもいたぁい……」
「つ………疲れた…………」
「疲れるならやらなきゃいいのに……」
ぜいぜい、と息をつく二人を見ながら、レイトは呆れて肩をすくめた。
「…………………で、真面目な話なんだけど……。もし、テラーズの言ってる……鏡の中の人? ………が本当なら、今、テラーズが持ってる手鏡から話ができるってこと?」
レイトは改めてテラーズのほうを見ながらそう尋ねた。
テラーズは追いかけっこの最中にタカシロが買ってきてくれたペットボトルの飲み物を飲んでから、懐から手鏡を取り出す。
「……………いや、いつでも話ができるわけじゃない。あいつはこの鏡に住んでるわけじゃなくて、鏡を通してこの世界に話しかけてきてる……らしいんだよ」
「……………やっぱテラーズお前帰って寝てたら良いんじゃないかな」
「もう一回ちからいっぱい殴るぞお前」
「やめて脳細胞が消えちゃう」
「ジェイ〜……話が進まないってばー……」
「すまんすまん。…………で、今はその鏡には出てきてないと?」
「あいつは気まぐれなんだ。人間を……ヒトをからかいたい時に出てきやがる。気分屋というか、………性が悪いというかな。今出てこないのも、俺があわよくば『仲間に疑われて信じてもらえない』展開を見て面白がりたいんだろうよ」
「そ………、……………んなやつなの、って言おうと思ったけど、本当に鏡の世界の、なんだろう、妖怪というか、何というかがいるなら……そういう考えのやつもいるのかな………?」
レイトはテラーズが心底嫌そうな顔で語るのを見て、そう返すしかなかった。
「じゃあ、ただ『出てきてー』って頼んだところで出てきてくれないかもってことか?」
タカシロがそのように聞くと、テラーズは無言で手鏡を見た。
そして、力なく首を振る。
「……………………。分からん。それが分かりゃ、とっくにこの場に引きずり出してるさ」
四人はそこで黙り込んだ。
どうするか、という考えを巡らせたところで、ジェイが顔を上げた。
「……………いっそ、鏡……叩き割ってみる?」
「えぇ!?」
「いやぁ、鏡なんて今どきどこでも小さいやつでも買えるし。男が化粧品のコンパクトとか買うのちょっとアレかもだけど買えなくはないし……コレ割っちゃっても何とかなるから割ってみても……」
「いやいやいやいや、何の意味があるのさ……。結局どの鏡にも出てくるなら、それこそただ普通にいっぱい鏡買ってくるとか、トイレとかの鏡に呼びかけたほうが現実的じゃん……? 変な人にはなるけど」
「まぁ、それはそうなんだけど……テラーズの言うようにそいつが俺たちの行動を面白がってんなら、鏡を大量購入して滑稽なことしてる俺たちを観てるほうが面白いってなるかもだろ」
「……………うーん、言われてみると……」
「なら、あえて何もしないとか?」
タカシロの提案に、ジェイは首を振る。
「………んや、どうだろうなぁ。何もしないで鏡を眺めてる俺たちを滑稽と見なすかも……なんか考えてたら腹立ってきたな、割っていい?」
「お前、半分くらい俺の私物だから適当に扱っていいと思ってない?」
「ないない、思ってなーい。思ってなーいよ、テラーズちゃあん。俺様そんなこう、人様のものにそんな乱暴したりしないからぁ♡」
「うわ気持ち悪離れてくれる?」
「シンプルに酷い言われよう」
「で、……どうするの? これだともう、これ以上調べるなら例の商社ビルに行ってみるしか………鏡がどうこうを置いといてもそういう話になっちゃうけど」
「でも、あの商社ビルは警備の人がいっぱいなんでしょ? さっきの件もあるし、余計警戒してるんじゃないかなぁ……」
レイトとタカシロの言葉に、テラーズとジェイは二人して唸る。
『──────その心配はないよ。だって、あのビル、もうヒトがいないからね』
「………………………………え?」
レイトは聞こえてきた声に驚いて、三人の顔を見た。
ジェイやタカシロも今しがた聞こえた声に辺りを見回している。
二人ではないようだ……と、レイトがテラーズを見れば。
テラーズは顔を大きく顰めていた。
その顔は、嫌悪と諦観に満ちていて───レイトは思わず喉を鳴らす。
『ふふふ、どこを見てるの? さっき、散々、君たちでボクのことを話してたじゃない。それとも、ニンゲンって忘れっぽいらしいからね。もう忘れちゃった? 鳥でも三歩歩くまでは覚えてるという話だけどなぁ。』
声は続く。
ジェイ、レイト、タカシロがようやく確信を持ってテラーズの方を見れば、テラーズは嫌そうな顔のまま、全員に見えるように手鏡の鏡面を向けた。
その鏡に映るのは、鏡を囲うように覗き込む彼らの姿ではなく。
赤く長い髪に赤い瞳───そして黒い肌が特徴の男がそこにいた。
小さな手鏡の中で、カウンターに肘をついてこちらを覗き込む店主のように、飄々とした表情で四人を見つめ返していた。
「………君は、誰?」
レイトは引き攣るような感覚を覚える喉を無理やり動かして、なんとかその問いを声として絞り出した。
鏡の中の住人はくつくつと口に手を当てて笑うと、再び彼らの方を見る。
『誰? 誰かって? おかしなこというね。そこのヒトから聞けばいいじゃない? ボクは彼の『友人』ってやつさ。だから彼はボクを知っている。ボクのことは彼に聞けばいい』
鏡の中のそれは、テラーズを指差す。
テラーズはあからさまに舌打ちをした。
「てめえのことなんか何一つ知ったこっちゃあねぇよ。どうせ俺に伝えたのも、本名でもなんでもなきゃ、本名があるかすら分かんねぇ存在のくせによ」
『あはは、よくボクの事知ってるじゃん。自分のことをあんまり卑下するのは良くないなぁ。あれ、でも、自己肯定感が低い人は、自己肯定感が低いって自分のことは認めてるんだっけ。そっかそっか。じゃあ、頭ごなしに否定するのは良くないね。うんうん。ボクもヒトの心がちょっとはわかったかな? アハハ』
テラーズは無表情で黙り込む。
三人はその様子を見て、どうやらこの鏡の住人は自分たちの感性をそのままぶつけるには良くない相手らしい、という気持ちを抱くしかなかった。
そんな彼らの反応を見てか、鏡の住人は彼らの顔を交互に見やると、ニヤリと笑ってみせた。
『しょうがないなぁ。ボクも認識されないのは困るから、名乗ってあげるよ。でもそれは、キミたちがボクを呼ぶための名前。仮初はボクたちであって、キミたちに必要なもの。容れ物がなければキミたちは水を止まったものと見られない。だから、教えてあげるよぉ』
そこまで言って、けたけた、と笑い声を上げた鏡の住人は、彼らを怪しげな笑みで見つめて、口を開いた。
『ボクは……そうだな、ニャル。ニャルと呼んでくれればいいよ。そうだなぁ、分かりやすく言うならば、ウェブで調べてみればいい。ボクは、ニャルラトホテプさ。』
四人の男達が鏡を見つめる中、鏡の中からは明るい笑い声が響いていた。
(つづく)




