幕間 教皇代理の夜
——正教国 イレーネの執務室 同日夜
扉を閉めた。
一人になった。
イレーネ・サンクタは——椅子に座った。
しばらく——何も言わなかった。
◆ ◆ ◆
「……来た。」
静かに言った。
「教皇が——来た。」
「二百年間——待っていた。」
「やっと——来た。」
感情が——出てきそうだった。
抑えた。
「……まだだ。」
「泣くのは——後だ。」
「今は——動かなければならない。」
◆ ◆ ◆
ノートを開いた。
「アルバ教皇の条件:①実務はイレーネとセラフィアに任せる ②三ヶ月以内の超短期決戦 ③特殊騎士団の急進化をセラフィアが抑える ④封印の内容を全部教える」
書いた。
「……四つ全て——受け入れた。」
「受け入れられない条件ではなかった。」
「でも——」
少し止まった。
「……グラウ・ルナという子どもが。」
「あの灰色の目をした子どもが。」
「「感情で判断しません」と言いながら——全ての変数を計算して——条件を出してきた。」
「……二百年間、私が想像していた教皇とは——全く違った。」
◆ ◆ ◆
「セラフィアが——封印のことを話した。」
イレーネはノートに書いた。
「……セラフィアが孤児院から拾った赤子が——根源律に近すぎた。」
「だから封印した。」
「その封印を——今日、全部話した。」
「グラウ・ルナは——「怒りかどうか分からないが——何かはある」と言った。」
「でも——「セラフィアの理由も事実だ。両方持っていく」と言った。」
「……十の子どもが——言う言葉ではない。」
少し止まった。
「でも——グラウ・ルナという子どもは——そういう子だ。」
◆ ◆ ◆
「「三ヶ月以内」と言った。」
イレーネはノートを閉じた。
「……三ヶ月。」
「私が二百年間守ってきた正教会を——三ヶ月で動かそうとしている。」
「……でも——」
「計算として——正しい。」
「長引けば——不可逆な損失が最大化する。」
「あの子の言う通りだ。」
「……あの子の論理は——いつも正しい。」
「感情がないわけではない。」
「でも——感情と論理を——両方持って動く。」
「……それが——教皇の在り方として——正しいのかもしれない。」
◆ ◆ ◆
「教皇名はアルバ。」
「白。」
「灰色の子どもが——白と名乗る。」
「「この役割の本質だ」と言った。」
イレーネは——窓の外を見た。
正教国の夜が——広がっていた。
「……そうかもしれない。」
「教皇とは——正教会の顔だ。」
「正教会の色は白だ。」
「でも——アルバ教皇は灰色だ。」
「……灰色が白と名乗る。」
「それが——この時代の教皇の在り方なのかもしれない。」
◆ ◆ ◆
「グラウ・ルナ。」
イレーネは——静かに言った。
「……あなたに——一つだけ伝えたいことがあります。」
「今日は——伝えませんでした。」
「でも——いつか伝えます。」
「……二百年間——正教会を守ってきた。」
「教皇が来ることを——信じて守ってきた。」
「信じ続けることが——どれだけ難しかったか。」
「小大陸の四国も——守ってくれていた。」
「ハルドの家系は——三代前から準備してきた。」
「エイラは——海路を計算し続けた。」
「ラウレは——初代教皇の言い伝えを子どもたちに読み聞かせ続けた。」
「カシムは——慎重に、でも——信じていた。」
「……私一人ではなかった。」
「大陸で——私が守り。」
「小大陸で——四人が守った。」
「その全員が——今日のために動いていた。」
「でも——あなたは来た。」
「条件を出して。」
「計算して。」
「「グラウ・ルナのまま」——来た。」
「……それで——十分です。」
「それ以上を——求めません。」
◆ ◆ ◆
目を開いた。
「……動かなければならない。」
机に向かった。
羊皮紙を——四枚取り出した。
ペンを持った。
「……今夜中に——送る。」
◆ ◆ ◆
一枚目。
アルタ正教国枢機卿——ハルド・クラインへ。
「ハルド枢機卿。今日——教皇が就任しました。名はアルバ。当面非公開です。でも——あなたには伝えます。三代前から準備してきた山岳の民に——伝えます。教皇は来ました。あなたの祖父は——正しかった。準備を——続けてください。時が来れば——必ず命じます。」
書いた。
封じた。
◆ ◆ ◆
二枚目。
マレン正教国枢機卿——エイラ・ソルベへ。
「エイラ枢機卿。今日——教皇が就任しました。名はアルバ。計算が速い方にこそ——伝えなければなりません。海路の準備を——続けてください。教皇は既に動き始めています。あなたの計算が——必要になる日が来ます。その日まで——待っていてください。」
書いた。
封じた。
◆ ◆ ◆
三枚目。
セルヴァ正教国枢機卿——ラウレ・ヴィンドへ。
「ラウレ枢機卿。今日——教皇が就任しました。名はアルバ。森の中で星の下で言い伝えを守り続けてくれた皆さんに——伝えます。初代教皇が待ち望んでいた者が——来ました。灰色の目をした——静かな子どもです。でも——初代教皇の言い伝えが言う通りの者です。聖堂の鐘を——鳴らしてもいいですよ。」
書いた。
少し——止まった。
「ラウレ枢機卿なら——鳴らすだろう。」
静かに思った。
封じた。
◆ ◆ ◆
四枚目。
アリダ正教国枢機卿——カシム・ドゥラへ。
「カシム枢機卿。今日——教皇が就任しました。名はアルバ。慎重なあなたに——正直に伝えます。本人確認はまだです。でも——私は確信しています。砂漠の民が水を確かめるように——あなたも確かめてください。その機会を——必ず作ります。それまで——待っていてください。砂漠の民の忍耐を——信じています。」
書いた。
封じた。
◆ ◆ ◆
四枚の書が——机の上に並んだ。
イレーネは——その四枚を見た。
「……ハルド。エイラ。ラウレ。カシム。」
「二百年間——小大陸で守ってくれた四人へ。」
「大陸で——私が守り続けた間。」
「小大陸で——あなたたちが守り続けてくれた。」
「……今日——その守りが、実を結びました。」
「教皇は——来ました。」
「アルバという名で。」
「灰色の目をして。」
「条件を出しながら。」
「……でも——来ました。」
◆ ◆ ◆
使者を呼んだ。
「今夜中に——小大陸の四国へ。急いでください。」
「承知しました。」
使者が——四枚の書を持って出ていった。
扉が閉まった。
また——一人になった。
「……よかった。」
もう一度——静かに言った。
「……本当に——よかった。」
夜の正教国に——静寂が広がっていた。
二百年間守り続けた女が——静かに、目を閉じていた。




