第五章 覚醒 第三節 土蜘蛛 第二話 激突(前編)
第五章 覚醒 第三節 土蜘蛛 第九話 激突(前編)
神代一家が新大阪駅で乗り換え、ようやく御所駅の地に降り立ったのは、陽が傾き始めた頃だった。駅舎を出ると、空気がひやりと肌を刺す。この地に巣食う「淀み」のせいだろうか、それとも深い山々に囲まれた土地柄ゆえか、蒼真は襟を立てて周囲を見渡した。
一家はそのまま、事前連絡を入れていた地元の交番へと足を向けた。重厚な木造の造りが残る交番の前で、蒼真は警官に事情を説明すると、警官は深刻そうな面持ちで頷いた。
「話は聞いています。この先の山道、最近になって妙な噂が絶えなくてね。住民の不安も限界なんです。今からパトカーで、案内しましょう」
10分ほど、狭く曲がりくねった山道をパトカーからが走る。揺れる車内から見える景色は、次第に深い森の闇へと呑み込まれていくようだった。ようやく車が停まったのは、道が行き止まりとなる場所だった。
「この道を真っ直ぐに進んでください。目的地はすぐそこです」
警官の言葉に礼を言い、神代一家は車を降りた。途端に、背筋が凍るような気配が全身を撫でた。異形の者たちの住処。その中心に自分たちが立っていることを、身体が本能的に理解していた。
一行の先頭に立っていたレイカは、事態の深刻さを即座に察した。彼女は一切の躊躇なく、右手をゆっくりと天空へと掲げた。彼女の瞳が黄金色に輝く。
「天つ光よ、地の理を結べ。邪を隔て、清き境をここに成せ――結界!」
詠唱が響き渡った瞬間、足元から白銀の奔流が爆発した。光は意志を持つ蛇のように地を這い、周囲の木々や民家の残骸を飲み込みながら、天を衝くほどの巨大な光の壁を形成していく。それは外敵を拒絶し、同時に中の穢れを封じ込める、神代家伝統の術だった。
その時である。結界の展開に呼応するように、闇の奥から数えきれないほどの「音」が聞こえてきた。カサリ、カサリと、無数の節足動物が地面を擦る音が、耳を塞ぎたくなるほどに増幅していく。
暗闇から現れたのは、悍ましいほどの数の蜘蛛だった。結界を張られたことによる怒り、そして侵入者を感知したことに対する防衛本能。それらが混ざり合い、蜘蛛たちは一斉に襲いかかってきた。
しかし、レイカは微動だにしない。彼女の銃声が、乾いた音を立てて響く。一発、また一発。闇を切り裂く弾丸は、正確無比に蜘蛛の頭部を撃ち抜いていく。どれほど数が増えようとも、彼女の射線上に生きて獲物に到達できる蜘蛛はいなかった。
「おかしい……何かがおかしいわ」
葛の葉が険しい顔で呟いた。彼女は自身の霊視をフル回転させ、周囲を警戒している。確かに蜘蛛の気配はある。しかし、本来このあたりに住んでいるはずの、拉致されたはずの住民たちの「気配」が、どこにも感じられないのだ。
それなのに、耳元には奇妙な叫び声がこだましていた。
「助けてくれー! 誰か!」
声は明らかに人間のものだった。しかし、その声の方向を特定しようと神経を尖らせるたび、葛の葉の中で違和感が膨らんでいく。一行は注意深く洞窟の中へと足を踏み入れた。
ゆっくりと洞窟の奥を覗き込む。そこにいたのは、人間ではなかった。蜘蛛だ。人間の言語を真似ることで、獲物を誘き寄せていたのだ。人間を食べて得た知識を、蜘蛛が喉を震わせて反芻していた。
「罠か……」
蒼真は唇を噛み締めた。敵は知能を持っている。気づかれないよう、音を殺して元の道へ戻ろうとしたその時、少し離れた場所に、もう一つの洞窟があることに気づいた。
その洞窟は、目を覆いたくなるような光景だった。粘り気のある白い蜘蛛の巣が入り口を塞ぎ、その内側に、生きた人間たちが貼り付けにされていた。彼らは意識を混濁させながら、蜘蛛に少しずつ、生きたまま咀嚼されていた。
「これ以上、食わせるわけにはいかない」
蒼也の目が据わった。作戦開始だ。
葛の葉が即座に動いた。彼女は炎の術を練り上げ、一気に洞窟の入り口を覆う巣へと放った。燃え上がる炎の中から、ひときわ巨大な影が躍り出た。討伐対象である「土蜘蛛」だ。
レイカは距離を確保し、土蜘蛛の関節を狙い撃った。身動きを封じるためだ。土蜘蛛は鋭い悲鳴を上げ、その傷口から猛烈な強酸性の液を撒き散らした。蒼真は反射的にそれを避け、土蜘蛛との間合いを詰める。
その時、葛の葉の叫びが響いた。
「蒼真、待って! 行かないで、罠よ! 私には見えるの、透明な糸が!」
葛の葉の警告は、蒼真の動きを止めるには十分だった。土蜘蛛は、通常の糸とは異なる、人間の目には全く映らない「捕食のための透明な糸」を空間に張り巡らせていたのだ。
「それに、土蜘蛛は二体いる! 討魔庁の連絡ミスよ! 先ほどの洞窟に一体、そしてこの目の前に一体!」
情報の齟齬が死を招く。葛の葉は迷わず、周辺の空間すべてを焼き払うほどの炎の術を放った。見えない糸が次々と炎に呑まれ、透明な壁が崩壊していく。その隙に、レイカが葛の葉に近づこうとする数体の蜘蛛を確実に撃ち落とし、防御の隙を作った。
「蒼也今だ!」
蒼真の怒号が飛ぶ。作戦通り、二人がかりで土蜘蛛を追い詰める。レイカが足の動きを止め、炎で焼き払われた視界の中で、蒼真が土蜘蛛の動きを封じる。
身動きの取れなくなった土蜘蛛の前に、蒼前が立った。背負っていた剣の束を解く。草薙の剣の鋭利な輝きが、洞窟の闇を切り裂いた。
「これで終わりだ」
一閃。重厚な金属音が響き、巨大な土蜘蛛の頭部は一撃の下に刎ねられた。
洞窟に静寂が戻る。救い出された人々の荒い呼吸だけが、そこに響いていた。神代一家は顔を見合わせ、安堵の息をつく。しかし、彼らの戦いはまだ終わっていない。闇はまだ深く、山にはもう一体の土蜘蛛が潜んでいるのだから。
蒼也は剣を収め、力強く頷いた。
「次へ行くぞ。ここで終わらせる」
一家は再び、闇の奥へと足を踏み出した。彼らの背中は、何ものにも屈しない強固な絆で結ばれていた。




