第五章 第八節 影法師 第八話 黒子(ほくろ)
第五章 覚醒 第八節 影法師 第八話 黒子
定例の討魔庁と警察庁の合同会議が、重い空気の中で開かれていた。
最初の事件から、すでに一ヶ月が経過している。
「昨日までの発生件数は五十件を超えた! 一件も捕まえられないとはどういうことだ!」
対策本部長の怒号が、会議室の壁を震わせた。
警察官へのなりすまし、拳銃の強奪、そして相次ぐ組織的攪乱。警察庁の威信とメンツは丸潰れであり、現場の焦燥感は限界に達していた。
「……次、昨日の事件について、事件概要と捜査結果を報告してくれ」
促されて起立したのは、練馬地区を担当する若手刑事・三輪だった。
「練馬病院で起きた殺人事件を二件報告します。まず一件目。ナースコールで呼ばれた看護師が患者の病室に向かったところ、患者は『ボタンは押していない』と否定しました。看護師がナースセンターへ戻ろうとした際、廊下で『鎌鼬』の襲撃を受けたのです」
犯行の凶悪さに、会議室の空気が一段と冷ややかになる。
「鎌鼬はそのまま逃走し、被害に遭った看護師は現在、集中治療室で懸命の治療を受けています。回復次第、事情聴取を行う予定です」
「練馬病院……?」
その名前を聞いた瞬間、神代蒼真の脳裏に息子の顔が浮かんだ。
(――蒼也が入院していた、あの病院じゃないか……)
三輪は一呼吸置き、二件目の報告を続けた。
「二件目は、投薬ミスを偽装した殺人事件です。担当の看護師が、主治医からの指示だとして患者に薬剤を投与したところ、それが致死性の過剰投与であり、患者は死亡しました。しかし、その日は主治医が休日で、そもそも出勤していなかったのです。このことから、『影法師』が主治医に化けて看護師を騙し、投薬させたと推測しています」
以上で報告を終え、三輪が席に座る。
対策本部長は険しい表情のまま、吐き捨てるように言った。
「皆、気を引き締めて捜査を行ってくれ! 以上、解散!」
会議室を出た後、蒼真は「練馬病院」という単語に引っ掛かりを覚えていたが、討魔庁と警察庁の不毛な縄張り争いに巻き込まれるのは避けたかったため、担当者に直接問い質すのは控えることにした。
廊下を歩き、外へ出ようとしたその時、背後から声をかけられた。
「神代さん。警察庁の三輪ですが、少しお時間を頂けないでしょうか」
警察庁の人間に対して苦手意識はあったものの、相手があまりにも低姿勢で誠実なトーンで話しかけてきたため、蒼真は足を止めて向き合うことにした。
「先日は、ご子息が練馬病院に入院されたとお聞きしましたが……病院内で、何か気付かれた点などはありませんでしたか?」
三輪が切り出した真摯な質問に、蒼真は逆に問い返す。
「先程あなたが話されていた事件は、他の病院でも起きているのですか?」
「ええ。点滴の誤投与ミスは、他の病院でも急増しています。ここだけの話ですが、今月だけで二桁に達しました」
「二桁……?」
「はい、実に十九件です。現在、すべての病院において、主治医から直接の指示があっても、看護師長のサインがなければ絶対に投薬してはならないという厳戒態勢が敷かれています。だからこそ、今回の手口を見ると、『影法師』の関与という線は少し薄いのではないかと踏んでいるのですが……」
「そうか。私から特に教えられるような情報はないよ。もし、三輪さんが『あの主治医こそが影法師だ』と確信する事件に遭遇したら、私も同行させてもらうよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
礼儀正しく、好青年に見える三輪の態度に、蒼真は好感を抱いた。しかし同時に、息子・蒼也の命を救ってくれた病院の医師や看護師たちの中に、妖が潜んでいるなどと信じたくはなかった。
会議のあと、蒼真と使い魔の葛の葉は、練馬病院の近辺を歩きながら意見を交わしていた。
「犯人の本当の狙いって、いったい何なのだろうね」
葛の葉が首を傾げながら呟く。
「警察の無線や拳銃を奪い、人間に化けて社会を混乱させる。彼らが何をしたいのか、正直、私にも分からなくなってきたよ」
「そういえば、もうじき『百鬼夜行』の時期だね。いつでしたっけ?」
「十二月二十四日です」
「……いったい、誰がそのリーダーになると思います?」
「最初は酒呑童子だと思っていたがね。あいつは私たちが倒してしまったから、今回は除外だ。となると、大獄丸あたりが怪しいが……」
「大獄丸の名前は、最近あまり聞きませんね」
「仮に大獄丸が今回の黒幕だとしても、その手の噂の一つくらいは耳に入ってきてもよさそうなものだが。もしかしたら、その黒幕自体も『影法師』という幻なのだろうか」
「うーん、どうもイメージが湧きませんね」
そんな話をしつつ練馬病院の脇を通り過ぎると、やがて光が丘公園へとたどり着いた。
ふと視線を向けた先、公園の砂場に異様な光景が広がっていた。砂の中に一匹の猫が生き埋めにされており、周囲では制服を着た学生グループが面白半分に石を投げつけて笑い声をあげていた。
葛の葉が怒りで眉をひそめ、止めに入ろうとしたが、蒼真はスッと手を伸ばしてそれを制した。
「やめなさい。我々は警察ではない。現行犯逮捕の権限もないんだ。……あれを見ろ」
蒼真の視線の先には、先ほど合同会議で顔を合わせたばかりの警察庁の青年・三輪が歩いてくるところだった。
三輪は蒼真たちに気づくと、驚いたように歩み寄ってくる。
「あれ、神代さんたち……こんな公園で、いったい何をされているんですか?」
「いや、捜査に行き詰まってね。ちょっと頭を冷やしに、公園のベンチで一休みしていたのさり
その時、公園の小道から、聞き覚えのある親しげな声が響いた。
「これはこれは、神代さん。こんなところで何をしておられるのですか?」
振り返ると、そこに蒼也の担当医師が立っていた。
「捜査に行き詰まり、公園で一休みしていました。こちらは警察庁の三輪さんです」
「三輪です、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。神代さん、早く犯人を捕まえてくださいね。私たちも、こんな物騒では安心して仕事ができませんよ」
医師は苦笑いを浮かべ、額の汗を拭った。
「あぁ……だんだん暑くなってきましたね。そろそろ、病院に戻りますか」
その瞬間、蒼真の直感が警報を鳴らした。彼は隣に立つ葛の葉へ、意識下で鋭くテレパシーを送る。
(――おい、あの医師から妖気は感じられるか?)
(……っ! はい、はっきりと感じます!)
(よし。カウント5で一斉にいくぞ)
「先生、少し失礼しますね。不愉快な気持ちにさせたら申し訳ない。――5、4、3、2、1、陰縛り(かげしばり)!」
葛の葉が瞬時に跳躍し、医師の足元の影を自らの足で踏みつけた。医師の足が地面に縫い付けられたようにピタリと止まる。
「逃がすか……『妖封じ(ようふうじ)』!」
蒼真が素早く呪符を投げ放ち、医師の姿に化けていた妖の気配を完全に封じ込め、その場に縛り上げた。
驚愕に目を見開く三輪に向かって、蒼真は即座に指示を飛ばした。
「三輪さん、手錠を!」
「なっ……なんだこれ、離せ! 一体、どういうことだ!」
正体を暴かれた偽物は暴れながら叫んだ。
「何故、私が妖だと分かったんだ! 勘違いだったらどうする、訴えてやるぞ!」
「間違っているのは貴方の方だ」
冷徹な眼差しで、蒼真は偽物を見据えた。
「どういう意味だ……!?」
「先生、貴方は致命的なミスを犯していた。例えば、私の息子の抜糸をする際、最初に会った時は右の頬だった。しかし、抜糸の前日は左の頬になっていた。そして、今はまた右に戻っている」
「左? 右? 何を言っているんだ……!」
「大きな黒子の位置だ。貴方に会うたびに、その位置が左右で違っていたよ」
蒼真は冷ややかに言い放つ。
「……続きは、署の取調室でたっぷり聞かせてもらうとしよう」
三輪は息を呑み、震える手で正体を現した妖に手錠をかけた。
後日、三輪から聞いた話によれば、ナースを襲った鎌鼬は、この妖の仲間だったという。
犯行の動機を問うと、上層からの絶対的な命令だったと供述した。
「『上』とは誰だ?」と問うと、妖は薄気味悪い笑みを浮かべたという。
『――もう時期分かる。せいぜい、クリスマスイブを楽しんでくれ』
そう言い残すと、彼は隠し持っていた青酸カリを自ら呑み込み、その場で口から泡を吹いて自決を図ったという。
報告を聞き終えた後、三輪は神代蒼真に不安そうな顔で尋ねた。
「神代さん……一体、クリスマスイブに何が起きるというんですか?」
「……百鬼夜行、だよ」
蒼真は低い声でそれだけを呟き、遠くを見据えた。
第八話 了




