プロローグ
雑賀喜一は高校からの帰路につく。
「白線の上から落ちたら、ゲームオーバー。さっき一回落ちたのは、あれは白線に見せかけたトラップだった。だからセーフ。」
中学校を卒業し、春から通い始めた高校生活も、5月に差し掛かろうとしているが、喜一は小学生レベルの遊びで楽しむ。
喜一は、目立たず無難に日々を過ごしてきたという自負があった。
彼の身長・体重は高等学校1年生男子の平均に近いく、顔立ちは中性的だが、少しばかりゲスな性格もあった。異性にモテたいと思いながらもモテたことはなかった。
髪型は流行を取り入れており、交友関係も派手すぎず地味すぎず、ごく平均的だった。
そういえば夜中、また変な夢を見た。
街が燃え、俺はただ逃げることしかできなかった。
夢の中のその光景が頭から離れず、眠りは浅かった。
「最近、寝不足なんだよな。変な夢をずっと見ている気がする」
「悪夢ばっかとか…たまにはエロい夢見せてくれよっ!」
自分の悪夢による寝不足を深刻には考えていなかった。
学校からの帰り道、寄り道もせずにただまっすぐに家へと向かう。
幼馴染の雛といつも一緒に登下校していたが、雛が部活を始めてからは自然と一人で帰ることが増えた。
「高校入って何もイベントないとか……せめて、雛に好かれる方法知りてぇー!」
頭の中で思春期男子の欲望を叫びながら歩いた。
角を曲がった瞬間、怒号が耳に入る。
筋肉の鎧をまとったような大男が、血走った目で暴れ回っている。
警察官が五人で押さえ込もうとするが、獣のように暴れている。
「暴力欲の暴走か?」
背筋が冷たくなる。
(......やべ、これは関わっちゃダメなやつだ)
俺は足音を殺して、別の路地へと回り込み家へと急ぐ。
この世界は2010年10月、喜一が5歳の時に変わってしまった。
彼、そして世界中の人々は突如として"ある不文律"を課せられていた。
【欲望を持ってはいけない】
最初は大規模なデモかと思われた。
日本全国、いや、世界中で食物を巡って暴動が起きた。
食物は不足していたわけではない。人々、特に貧しい人々が食物を巡って暴動を起こしたのだ。
世界同時に起こった現象に対応を迫られた各国の政治家たちは、ある共通点に気がついた。
ただ、食物を欲しているわけではない。美味しい食物を欲しているのだ。
そのことに気がついた政府は質の良い食材をふんだんに使った炊き出しを行い、暴動を鎮めた。
ある人々はとにかく眠り続けた。
仕事の時間になっても、彼らは最低限の食事を済ませて眠り続けた。
そこから起きた経済の麻痺、交通網の麻痺。
症状に陥っていない者達が不眠不休で対応にあたった。
そして、性的な衝動による事件が増えた。
これらの人々への対応は、昔は栄えていたであろうホテルを隔離所として活用した。
全国に点在していた古びたホテルには、まだ電気設備が残っており、緊急の隔離とはいえ個人の生命活動を害することはなかった。
政府はかろうじて全てに対応し、後にこう書き記している。
『三欲の暴走』
『三欲の暴走』の後、人々はさらなる行動を起こした。
美味しい食べ物を欲していた人々は田舎へと移り住み、自身で好きな食べ物を栽培、育成を始めた。
当初、突然農業活動を始めたいと申し出た移住者に対し、田舎に元々住んでいた人たちは戸惑いを隠せなかった。
だが、働き手の不足からか、現在は使われていないが、土壌状態が良好な農場を貸し出し、最低賃金ではあるが、彼らを雇い農作物を育てさせてみることにした。
彼らの農業の知識の吸収力は驚くべきもので、貸し出された農場で試験的な栽培を始め、多くの品種改良に成功した。
数年後には貸し出された農場を買い取り独自経営を始めた。
こうした動きは全国的に広がっていった。
睡眠を欲していた人たちは、ある一人の呼びかけによって集い、宗教法人を創設した
宗教法人 『眠れる森』人々からは睡眠教と呼ばれている。
本部は大阪に置かれ、講堂には「重さのある粒」が毎日一定量流れ出す台座がある。
この粒は正体不明の謎の物質であり、ビーズほどの大きさ(約0.1グラム)を枕元に置くと自然な状態でぐっすりと眠れる特性を持つ。
眠れる森はこの粒の販売によって運営資金を得て、信者の生活資金を賄っている。
この粒がなぜ販売を許可されているのか、その理由については、後に明らかとなる。
性欲に支配された人たちは、恋愛に積極的になった。
自ら性欲をコントロールする術を身につけた者は隔離所から解放され、定期的な報告の義務はあるが、一般社会で生活している。
彼らはより異性、あるいは好意を抱いている人間に好かれるため、筋トレや食事制限、美容にこだわり始めた。それは身体に顕著に現れ、骨格すら変わるほどの劇的な変化を起こす者もいた。
若者の結婚が大幅に増加した。また彼らは見た目も喋り方も優れており、あらゆる現場で活躍を始めた。
他にも、暴力性の強い者は突如として体つきが逞しくなり、凶悪な事件を起こすようになった。
それに対する警察官、あるいは一般市民も現場で対応していると急に体が逞しくなり、また正義感の高まりとともに制圧が容易になった。
そんな中、ある科学者が仮説を唱えた。
『強い欲望』を持った人が、その欲望に見合った特性を得ている。
そして、欲の方向性は最初に落ちた欲に定まり、獲得した特性は欲の強さに比例して、さらに強化されていく。
この仮説は世界中に広まっていった。
日本でこの仮説の検証に協力したのが睡眠教、眠れる森だった。
彼らの教祖は数千人で働かず寝ていても生きられる社会を強く願ったと言い、謎物質を差し出した。
この物質を研究機関が調査しても全てが謎に包まれており、安全上問題なく、ただよく眠れる。それだけが解明できた。
日本では今までの傾向と謎物質という今までの科学ではあり得ないことから、この仮説を受け入れ、新たな社会の枠組みを作った。
一つとして、未成年の可能性を潰しかねない三欲を抱かせない教育の実施である。
睡眠教はその功により、日本国内のみに限り謎物質の流通が認められた。
欲望は人を変え、そして世界すら変えた。
日本に一人の大学生がいた。
彼の想像する、異世界。魔物、迷宮、スキル。
ゲームや小説の中でしか存在しない非日常。
彼の異常なまでの、非日常を欲する欲は、『世界変革の欲』となった。
「日本にダンジョンがあったら、面白いんじゃね?」
軽いノリで、“強い欲望”に気づかぬまま、心の奥底で願ってしまった。
「世界よ、変われ。」
『世界変革の欲』
欲望を現実に書き換える、唯一無二の力だった。
あまりにも規模が大きすぎた願い。
未知のダンジョンを創造するなど、本来なら神にすら許されぬ行為。
日本各地で地面が裂けた。
札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡、沖縄。
七つの都市で巨大な地割れが発生し、地下深くへ続く黒い穴が口を開けた。
『世界変革の欲』は彼の命を代償にダンジョンを創造し、肉体は粒子のように崩れ、ダンジョンの奥底に吸い込まれていった。
喜一が6歳を迎える頃には、今までの世界は一変し、新たな世界を迎えていた。
プロローグだけでも最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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