再会
「テレース! こっちこっち!」
バスを降りカフェを探していたテレスの耳に、懐かしい声が飛び込んできた。見上げれば、白い椅子と机のテラス席に腰かけた幼馴染がこちらに向かって嬉しそうに手を振っている。
「アンディ!」
テレスは今日一日の疲れなどすっかり忘れたかのように駆け出すと、椅子から立ち上がって待ち受ける友と熱い抱擁を交わした。
「久しぶり! 元気そうだね」
「元気元気! よく来たマイフレンド! 暑かっただろ」
「全くだよ。亜帝内は天候に恵まれているって聞いたけど、まさかここまでとは」
「ここ数日は雨が続いてたんだけどね。久々の快晴。加えてこれだけ気温が上がるのも珍しい。ハルマゲドニアいちの晴れ男が来たからじゃないか?」
「え~? 僕のせい?」
「冗談だよ。にしてもずいぶんぐったりしてるね。まぁこの人混みじゃ無理もないか」
「それもあるんだけど、入国してから変わった人に目をつけられてね。賢人の集う国というだけあってそれなりの覚悟はして来たつもりだけど、予想以上だよ」
「へぇ~。そりゃ興味深い話だ。まずは何か飲み物を。Hey!」
アンディが店の奥に向かって指を鳴らす。しばらくするとメニューを持ったウェイトレスが二人の前にやって来た。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「本日の日替わりラテを二つ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
ウェイトレスが店内へ戻っていくのを見届けると、アンディは視線を再び親友の前に戻した。
「で、どんな人に会ったんだ?」
「それがさ……」
「ふーん。メリケンサックをはめた巨漢の男か」
「なかなか素敵なお出迎えだろう?」
テレスは、らしくもない皮肉を浮かべて力なく笑った。
「どうかした?」
「いや、その男なんだがね……ひょっとしてそいつ、銀色のバッジをつけて無かった?」
「バッジ? うーんどうだろう。あの時はそれを確認するどころじゃなかったからなぁ」
「そりゃそうか。いやね、ひょっとしたら彼も賢人じゃあないかと思って」
「え?」
「君が会った男は、この人じゃないかい?」
アンディは携帯を弄ると、その画面をテレスの方に差し出した。そこに写っていた画像の男は確かに、件の人物に間違いなかった。
「そうそう! この人だよ」
「やはりそうか。彼の名は炎堂力。万物の根源は火であると主張しているヘラクレイトス教団の教祖だ。最近頭角を現してきた教団でね。と言ってもメンバーは彼一人なんだが」
「ヘラクレイトス教団だって?」
テレスが身を乗り出した時、ウェイトレスが注文の品を携え戻って来た。本日の日替りラテ。アンディが太鼓判を押していたマグカップの中から……茶色の目玉がこちらを覗いている。
「…………あの、すいません」
「はい? 追加のご注文ですか?」
「いえあの、そうではなくて、これ目玉……」
「はい! 本日の日替わりラテは、神話の巨人サイクロプスをイメージした『ティタノマキアート』です」
「いやサイクロプスって。ラテなのにマキアートて」
「はっはっは。どうだい、面白い店だろう?」
困惑するテレスをよそに、アンディは愉快そうに笑った。それに合わせて、耳元で光る金のイヤリングが微かに揺れる。エスプレッソの香りを楽しもうとマグカップに伸ばした指先にはダイヤモンドの指輪がキラリ。
「それにしてもアンディ、ずいぶんと雰囲気が変わったね。前よりも明るくなったというか、お洒落になったというか」
「ふふん。何でだと思う?」
「あ~さては! 新しい恋人が」
「甘いねテレス、僕はもうそんなやましい人間関係を超越したんだ。今は更に上のステージにいる。その辺の女なんかよりもよっぽど信頼のおける、素晴らしい先生がついてくれている」
「……先生?」
一瞬、二人の間に微妙な沈黙が訪れ、お互いの目の色が変わる。アンディの目には興奮の色。テレスの目には――疑惑の色。
「そう! 他のペテン師どもとは違う、膨大な知識と海よりも広い心を持つ偉大な指導者だよ」
「その人の名前は?」
「ゴルギアス教団の教祖、白草カールマン先生さ。名前ぐらいは聞いたことがあるだろう?」
「ゴルギアス教団の、白草……」
「カールマン氏。かつて政府高官の顧問弁護士を務めたこともある有名人だよ。知らないの?」
テレスが困ったように肩をすくめると、一瞬だけアンディはひどくがっかりしたような表情を浮かべた。その姿にもテレスは違和感を覚えずにいられなかった。以前の彼なら自分が肩をすくめる姿がおかしいと言って、声を上げて笑っていたのに。
「そうか……まぁテレスはこの国に来たばっかりだし、仕方ないか。むしろ今から君に教団の素晴らしさを教えてあげられるいいチャンスだ!」
アンディは高級そうな革のセカンドバッグの中から三枚のチラシを取り出し、テレスの前に差し出した。彼が目を通した紙面には
『財を捨てて力を得よう! 逆説的思考で全ての人間に平等なチャンスを』
『どんな質問にも神の化身がお答えいたします。人生に思い悩んでいるそこのアナタ、先生の的中率100%のご指南を受け、再スタートしてみませんか?』
『なんと今なら入会費50%OFF! 無料体験会も随時開催中』
等々、いかにも新興宗教らしい文面が金色の文字で浮かんでいる。
少年はふと顔を上げ、手を組んでこちらをじっと見つめている旧き友の顔を一瞥した。彼は口元に気の良い笑みを浮かべていたが、瞳にはどこか、得体のしれない不気味さが漂っている。その時テレスは始めて、アンディの胸元に光る銀のバッジに気がついた。チラシの印字と同じ、金色ラインに金貨の紋章が刻まれている……
「ねぇアンディ、こんなこと聞きたくはないんだけど……ここは大丈夫なとこなの?」
「え? はっはっは、当たり前じゃないか! むしろ古いしきたりなんて無視したクリーンでホワイトな組織運営を目指している新時代の教団だよ」
「クリーンで、ホワイトな……」
「おいおいテレス。ひょっとして疑っているのかい? 僕が今、君にこの話をしているのはね、君自身のこれからを思っているからこそだ。僕は別に君を騙そうなんて考えちゃいない。ただ純粋に、唯一無二の親友である君に、幸せになってもらいたいだけなんだ。解ってくれ」
「も、もちろんだよ。僕は別に君を責めるつもりじゃ――」
「僕も亜帝内に来て最初の頃は君と同じく余所者扱いされて、仕事も満足に就けなかったんだ。しかも君と違って高卒の身。入国審査をパスするのに一ヶ月はかかったし、屈辱も山ほど受けた。それでもどうにか頑張って今、一人前の社会人としてやっていけてる。それは事実だろう?」
「まぁ、それはそうかも知れないけども……」
「今の地位は僕一人で築いたものじゃない。この広い亜帝内で僕に手を差し伸べてくれたのは先生だけだ。もしあの時先生に会えていなかったら、今こうしてスーツに身を包み、カフェでお茶する余裕なんてなかった。それぐらい僕にとって彼との出会いは人生の転機だったのさ」
そう言うとアンディはカップに手を伸ばし、残っていた日替わりラテをぐいっと飲み干した。カップを置いた後のどこか遠くを見つめるような顔は、心なしか孤独と哀愁を感じさせた。
「まぁでも、仕方ないよね。君と僕じゃ、生き方も進むべき道も違うんだろう」
「アンディ……」
「今の亜帝内で僕が君にしてあげることなんか、道案内ぐらいさ。でもせめて僕なりに、君が人生の道に迷ったら水先案内人を務めてやろうと努力したんだ」
「アンディ」
「この無料体験なんか、ぴったりだと思ったんだけどな……」
「アンディっ!」
自分に酔ったかのようにこちらの声を無視して話し続ける親友に、温厚なテレスもしびれを切らした。両手をテーブルに叩きつけると勇み立ち、ありったけの大声で友の名を呼ぶ。周囲の空気が固まった。ウェイトレス、他の客、そしてアンディが目を丸くして彼を見つめている。
「ど、どうしたんだよ急に」
「それはこっちの台詞だよ。突然僕の話を聞かなくなっちゃってさ。君がそこまで言うのなら、良いさ。この無料体験? っていうのだけでも受けてみるよ」
「ほ、本当かいテレス」
「ああ。親友の頼みじゃ断れない」
アンディは一瞬呆気にとられた顔をしたが、すぐに喜びの表情を浮かべ、友を抱きしめた。
「ありがとうテレスっ! やっぱり君は最高だ! 僕の世界一の親友だよ」
「ちょ、近い! 近いって」
鼻息荒く顔を近づける友人を必死に押しのけるテレス。が、唐突にアンディがハグを止めて彼から離れたために、勢い余って椅子から転げ落ちた。
「そうと決まれば善は急げだ。今ちょうど教団の幹部の方が近くまでいらっしゃってるんだ」
「へ?」
「今から連絡するからちょっと待ってて。……もしもし、お疲れ様です。ステインです。前に話していた例の友達なんですが、無料体験を受けてくれるみたいです」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
「静かにしてよ。すぐ終わるから……分かりました。今から五分後ですね。はい、テラス席の一番手前側に居ます」
アンディは携帯をしまうと、いけしゃあしゃあと親友に向き直った。
「良かったねテレス! すぐ迎えに来てくれるそうだよ」
「アンディ、君って奴は…………って、迎え!?」
「そうだよ。言い忘れてたけどその無料体験の日、実は今夜なんだ。本当に運が良いよ君は。カールマン先生もお見えになるそうだし」
「いやいやあのさっ! 僕つい半日前に亜帝内に着いたばっかりなんだけど。まだ下宿先にも行ってないんですけど?」
「そんなの講演が終わった後でもいいじゃないか」
「荷物どうすんの。君と話し終わったらそのまま駅に戻るつもりでロッカーの中に……」
「だからそれも講演の後でいいじゃないか。君はいちいち細かいことを気にし過ぎなんだよ」
「これから住む場所と荷物のチェックぐらい普通だろ。どこが細かいんだ」
「それをいちいち口に出して言ってる時点で――」
「ステイン君! こっちこっち」
二人の口喧嘩を遮るように、クラクションと女性の声が轟いた。二人が振り向いた先には、黒い車が一台、歩道の端に乗り付けている。半分開いた窓の中から、細い眼鏡をかけた若い女性がこちらに向かって手招きしているのが見て取れた。
「噂をすれば。幌巣さん! お疲れ様です」
突然アンディがテレスの二の腕を掴み、強引に席から引きずり出した。そのままずんずんと車の方に歩いて行く。
「痛いなぁもう! 引っ張らないでよ。自分で歩けるから」
「店員さん、代金ここに置いとくから。え、何? あーごめんごめん。そんな仏頂面は止めてくれよ。僕の面子もあるんだから」
「はいはい」
「とにかく、百聞は一見に如かずだ。実際にカールマン先生のありがたいお言葉を聞けば君の考えも変わるだろう」
「どうだか」
眉を吊り上げ睨みつけるテレスの視線を無視し、アンディは彼を引き連れ車に乗り込んだ。程なくして三人を乗せた車は動き出し、カフェを後にする。
――その姿を後方から覗き見ていた視線に、彼らは気づく由もなかった。
「……動き出したようね」
双眼鏡の持ち主は、レンズから目を離すと静かに笑みをこぼした。
「フィロ様の予想通り、会場に向かっているようですね。どうしますか」
前席の運転手が振り返り、指示を仰ぐ。
「尾行を続けましょう。彼らの後を追えば、オルギャノンに辿り着ける」




