出会い
「へぇ~! これが亜帝内かぁ」
駅を出たテレスは、初めて見る都会的な街並みに目を丸くした。ガラス張りの高層ビル。縦横無尽に道路を駆け抜ける自動車。そこから乗り降りする人々は、文明人の象徴とも言えるビジネススーツに身を包み、職場や取引先へと歩を早めている。
自然豊かな故郷ハルマゲドニアで生まれ育った少年にとって、目に映る全てが新鮮だった。言葉を失い立ち尽くすテレス。そんな彼を我に返すかのようにポケットが突如振動し、携帯に一通の新着メールが入ったことを伝える。
『To:テレス・ニコマコス
Hi! マイフレンド。もう亜帝内に入ったかい? 僕はつい今しがた、重要な商談が一つ成立したところだよ。これから会社に戻って課長に報告、それと日報を書いておさらばさ。
ところで待ち合わせの場所なんだけど、最近興味深い喫茶店を見つけたんだ。長旅で疲れているだろうし、そこで一段落つかないか? 駅からバスに乗って七つ先、市場前っていう停留所を降りたすぐ向かいの場所だよ。解らなかったらまた連絡してね。
From:アンディ・ステイン』
メールの送り主はアンディ・ステイン。列車の中で紳士に話した、テレスと同郷の幼馴染だ。大学に進む道を拒んだ彼は亜帝内に旅立ち、今や世界的大企業エレア社の営業マンへと躍進を遂げている。一人異国の地へ降り立ったテレスにとってこれ以上ない心の支えだった。
『Re:アンディ・ステイン
お仕事お疲れ様。僕もついさっき駅から降りたところです。今から向かうので多分そっちが先に着くと思うけど、ちょっとだけ待っていてください。会えるのが楽しみです』
返信を終えると、テレスは周囲を見渡した。駅前広場にはロータリーが隣接しており、彼が今立っている場所のすぐ近くに街の要所へ向かう便が何台も停まっている。
テレスが目的地へ向かうバスを探していると、ふと広場の向こうから緑色のローブに身を包んだ集団が姿を現した。
学士帽を被り、まるで軍隊のように規律の取れた行進を続けるテレスと同年代の少年少女たち。
その先陣をきる少年が振っているのは服と同じく緑の布地に銀色の矢が描かれた巨大な旗。それを見た瞬間、テレスは目の色を変え思わず叫んでいた。
「ピタゴラス教団だっ!」
テレスの声を聞いた少年が一瞬だけ彼の方に目を向け、誇らしげな顔で微笑み返した。が、すぐに凛とした表情に切り替わると旗を大きく掲げたまま、隊列を広場の中心へと誘っていく。
テレスは思わずその行進に着いていきそうになったが、アンディとの約束を思い出してぐっと思い留まった。名残惜しそうに見つめる彼の視界から、緑の旗が遠ざかっていく。
「はぁ~。いいなぁ。僕も入りたいなぁ」
去って行く一団に背を向け、とぼとぼ歩くテレス。今や彼の頭の中は学士帽を被った緑色のローブで頭がいっぱいだ。
晴れて入団を認められ、秀才たちと切磋琢磨し合いながら教団の拠点、学園で数々の叡智を学ぶ日々。想像しただけで顔が溶けるようにほころんでしまう。
そんな風に妄想にふけっていたので、正面から歩いて来る人影を避けようとも思わなかった。気づいた時にはもう遅い。硬く冷たい腹筋の間隔が顔面を直撃したかと思うと、テレスの小さな身体はアスファルトの上に投げ出されていた。
「痛たた……す、すいま――」
腰を擦りながら見上げた先には、太陽の光を覆い隠すような大男が立っていた。その鋭い眼光から目を逸らすと、こちらに向かって突き出された右手に気がついた。拳の先には何やら見覚えのない黒い物が握られている。
ナックルダスター、またの名をメリケンサック。格闘家が指先にはめ込み、より強力な打撃を繰り出すのに使われる武器。テレスの脳裏にその名称が浮かばないうちに、男は胸元から一本の煙草を取り出すと、黒い物の先端から火を点けた。それを見て胸を撫でおろす少年。どうやら本物ではなく、よく似た形状のライターのようだ。
「おい小僧。ぶつかっておいて謝りもしないとは、いい度胸だな」
煙草を吹かしたまま少年を見降ろす大男。その威圧感にテレスが声も出せずにいると、男は更に機嫌を悪くしたのか、いきなり胸ぐらをつかんできた。
「何とか言ったらどうだ? ええ? 俺は今、機嫌が悪いんだ」
「ヒィィィ! ごめんなさい!」
男がナックルをはめた手をテレスの頬にぐいぐいと押しつける。その刹那、その感触が頭を通して全身に伝わってきた。重く、冷たく、そして硬い。
(ら、ライターなんかじゃない……本物だ!)
テレスは恐怖のあまり目を開けることができなかった。もちろん声を上げて助けを呼ぶこともできない。それどころか、通行人たちは我関せずとばかりに二人の周囲から遠ざかっていく。
「ゆ、許してください。お願いします。何でもしますから」
「なら一発殴らせろ」
「そ、そんなぁ」
テレスが目に涙を浮かべた、その時
「その辺にしてやってくれないか」
二人の間に割って入るかのように、背後から穏やかな声が聞こえてきた。テレスははっとして目を開けた。この声、聞き覚えが……
「お前は……」
突如、大男がテレスから手を放した。彼の顔の高さまで釣り上げられていた少年は、再びどすんと尻餅をつく。
「その少年はハルマゲドニアからはるばる賢人に教えを乞いにやってきたお客様だ。来て早々、あまり亜帝内の評判を貶めるようなことはしないでくれたまえよ」
立ち上がりながら振り向いた先には、列車の中で居合わせた紳士の姿。相変わらずにこやかな笑みを浮かべ、こちらに近づいて来る。
「ほう。そいつはまた、随分とご大層な目的だな。どこの教団に入る予定だ」
「え、あっいやそれはまだ……決まってなくて……」
「決まっていない? そんな半端な覚悟でこの国に来たのか。笑わせてくれる」
「まぁいいじゃないか。それだけ選択肢があるということだ」
紳士は大男の威圧感など意にも介していない様子で二人の間に立つと、そっとテレスに耳打ちした。
「ここは私に任せて、君はもう行きなさい」
紳士に促され、バス停の方を見る。目的のバスは出発寸前だ。
「あ、あの! ありがとうございました」
全身の震えを抑えつつ、テレスは頭を下げ一目散にバスへ飛び乗った。直後、バスは紳士と大男を残してその場を後にした。
「……貴様、何の真似だ」
「そんなにご不満かい? 私で良ければ相手になろうか?」
大男は一瞬考える素振りを見せたが、すぐに拳を構えると、紳士に飛びかかった。
「上等だっ!」
♦♦♦
「さっきは助かったよ。えーっと」
「幌巣です。よろしくね」
「一応確認しておくが、あんたゴルギアス教団の……」
「幹部よ。ほら、これが証拠」
そう言うと女性は胸元で銀色の光を放つバッジを見せつけた。
「OK、信用してもいいってことだな。俺、祖倉哲夫。よろしく」
「知ってるわ。ソクラテス教団の教祖で、先生とは昔馴染みだとか」
「ああ、一応おたくの教祖様とは一緒に修行した仲だった。今やだいぶ水をあけられちまっている気がしないでもないが」
青年はばつが悪そうに頭を掻き、幌巣は運転しながらクスクスと笑った。二人を乗せた黒い車は二十分ほど市街地を走り抜けた末、ドーム型の大ホールに到着した。
「へぇ~。ここがおたくらの拠点? 立派なもんだねえ」
「講演会や集会の時に使う会場なの。さあ降りて。中の控え室で先生がお待ちよ」
女性に促され車を降りた青年を、金色のローブに身を包んだ人々が出迎える。
「ようこそおいでくださいました。ささ、こちらへ」
「おいおい、教団総出でお出迎えかよ。なんつーか、照れるな」
「あなたが持っているものの重要性を考えれば、これぐらい厳重な出迎えは当然よ」
運転席の窓を開け、女性が青年に語りかける。車から降りる気配はない。
「あんたは来ないの?」
「生憎私は別の仕事があるので。ここから先は先生とお二人でどうぞ」
女性は軽く手を振ると窓を閉め、そのまま走り去っていった。後に残された青年は信者たちに手招きされ、ドームの中に入っていった。
「よう、久しぶり。いつ以来だ」
「だいたい十年ぶりじゃないかね。よく来てくれた」
控え室に足を踏み入れた青年を出迎えたのは、とても同い年とは思えないような初老の男だった。立派な口髭を生やし、豪華絢爛な衣装に身を包んでいる。青年がワイシャツにジーンズというシンプルな服装だけに余計悪目立ちする。
対照的な格好をした二人はまるで親友のようにハグし合うと、ソファーに腰かけた。
「会って早々で悪いが、早速本題に入ろう。問題の品は?」
「そう急ぎなさんな。ちゃんと持ってるよ」
青年は懐から例の奇妙な銃を取り出すと、テーブルの上にそっと置いた。同時に男の目が野心的なギラついた輝きを放つ。
「これが……オルギャノン」
「この世界の真実を解く鍵。今の馬鹿げた争いを終わらせる切り札さ」
食い入るように銃を見つめる男に青年はそっけなく言った。
「別に俺たちの方で調べてもいいんだが、信者の数はそちらさんが圧倒的に上だろ? 手っ取り早く調べるならお前の力が必要だと思ってな」
「なるほど、よく分かった。じっくりと調べさせてもらうよ」
男は一旦銃から目を離すと、青年に向かってにこやかに笑みを浮かべた。
「じゃあそういうことで」
「ああ。よろしくぅぅぅ!?」
突如、全身を激しい痛みとショックが襲う。たまらずばったりと倒れ込む青年に向かって、男はにこやかな笑みを崩すことなく言った。
「脊髄に直接届く強力な電流だ。いかに君であっても拘束するまでの時間ぐらいは眠っていてくれるだろう」




