虹の戦士
哲夫たちが脱出の準備を整えている間、炎の巨人は優雅に飛び回る水の分身たちに翻弄され続けていた。本来の標的は目と鼻の先にいるというのに、伸ばした手は水の刃に切り裂かれる。
「くっ! ちょこまか動くな小娘たちめ! 何故タレス教団の教祖が三人も増えてソクラテス教団に加担する! 何故お前たちが俺の邪魔をする! ええい鬱陶しい!」
苛立ちを募らせながら周囲を舞う美少女たちをその手で捻りつぶそうとするヘラクレイトス。そんな彼を嘲笑うかのように、フィロの分身たちは鮮やかな動きで指の隙間を飛び回る。
「いい加減にしろ!」
分身の一人が、指先から放たれる炎を回避した。その直後、彼女の身体を緑の矢が射抜く。
「「な!?」」
予想外の展開に驚く炎の巨人と水の分身たち。そこへ更なる一撃が放たれ、二人目の分身も心臓を貫かれてしまった。彼女を射抜いたのは信者たちではなく、最後尾に構えるソフィアだ。
「炎の巨人よ、取引だ。お前があの小娘たちに手こずっているのなら、代わりに我らが相手をしよう。この場は任されよ」
「ピタゴラス教団の教祖よ。どういうつもりだ。俺様はお前達とも争う身であったはずだぞ」
「取引。そういったであろう。お前はソクラテス教団を全員捕らえ、我々の前に差し出すのだ。祖倉哲夫と普良啍は煮るなり焼くなり好きにせよ。だがもう一人の少年、テレス・ニコマコスだけは絶対に生きたまま連れてこい。特に彼が持つ、水の分身を放った銃に指一本触れてみろ。交渉は決裂し、ピタゴラスの矢とオルフェウスの呪いを一手に受けることになるぞ!」
炎でできた恐ろしい顔に肩を並べるほどの威圧感でソフィアはヘラクレイトスに詰め寄った。巨人はしばし考え込んだが、すぐに首を縦に振るとピタゴラス教団に背を向け、部屋の中へと突撃した。最後の分身が必死で阻止しようとするが、敵はもはや彼女に目もくれず、ハエでも叩き落すかの如く振り払った。大ダメージを負った分身にとどめの一矢が突き刺さる。
「やべっ! あいつら手を組んで追ってきやがった。急ぐぞお前ら!」
「ちょっと待って! 母さんは? お母さんはっ!?」
優が突然哲夫の腕の下でもがき始めた。テレスと共に彼を担いで飛び降りる算段だったが、今になって自分の母親が屋敷のどこかに監禁されていることを思い出したらしい。
「後で助けるよ。まずは君と、僕たちの命が最優先だ」
「そんな……駄目だよ! 僕のことなんかいい! お母さんと一緒じゃなきゃ嫌だ! 頼むよ。母さんを助けてっ!」
「だ~か~らぁ! 後で助けるっつってんだろ! マザコンかお前。この期に及んでジタバタしないでくれよ頼むから。それとも無理やり蹴り落とされたいのか」
最早一刻の猶予もないと逃走を急ぐ哲夫とテレスに母を先に助けろの一点張りでもがく優。そんな彼らに迫る炎の巨人とピタゴラス教団。彼らの最後尾でオルギャノンが戻ってくるのを手ぐすね引いて待っているソフィア。様々な人々の思惑が入り混じった喧騒が響き渡る。
しかしここに一人、騒ぎから切り離されたように迫りくる敵を静かに見つめている男がいた。
炎堂力の、いや祖倉哲夫の弟子。普良惇である。
「おい惇、何ぼさっとしてんだ。ずらかるぞ!」
「先に行ってください」
「「え?」」
「先に、二人を連れて逃げてください。先生。私にはまだやることが残っています」
惇の声は喧騒の中にあって誰よりも冷静で、かつはっきりと哲夫の耳に届いた。ふと、哲夫は彼の足元から虹色の光が瞬いているのに気がついた。
「惇、お前まさか………」
哲夫たちが固唾をのんで見守る中、惇の身体はあっという間に虹色の結晶に覆われていった。屈強な肉体を足のつま先から顎のすぐ下まで覆い隠している鎧には、騎士が身にまとう甲冑を彷彿とさせる重厚感があった。
一方で、装甲に覆われていない顔には冷静な眼差しと穏やかな微笑みが浮かんでいる。彼の視線はまず、不安げに自分を見つめる弟弟子に向けられた。
「テレス。君の放ったオルギャノンは、文字通りこの危機を乗り越えるカギとなった。炎堂に煽られ武器として使いかけた時の反省をちゃんと活かせたな……良い判断だったよ」
惇は続いて、泣きわめくのを止めた優の方に目を向けた。
「楠川優。君のお母さんが監禁されている場所は大体見当がついている。今から私が、彼女を助けに行こう。心配することはない。君は先生たちとともにここを出て、陽の光の下で愛する母親を笑顔で出迎えられるよう、待っていてくれ」
首元で止まっていた装甲が、ついに啍の顔を覆い始める。最後に彼は、師匠の方を見た。
「二人のことはお任せしました……必ず戻ります」
直後、ヘルメットを思わせる装甲が彼の顔を飲み込むようにうなじからすっぽりと被さった。
「俺の炎から逃げられると思うなよ! そぉぉくらぁぁ!」
炎の巨人はすぐそこまで迫っている。二人に支えられた哲夫が出窓に突撃するのと、装甲に身を包んだ啍がヘラクレイトスに向かって駆け出すのはほぼ同じタイミングだった。
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」
哲夫は両脇の二人と共に跳躍すると、閉じられた窓ガラスを体当たりで枠ごとぶち破った。ついに外へ飛び出した三人を、沈みつつある太陽と影に染まった芝生が出迎える。
惇も同じく、迫るヘラクレイトスの腹をぶち破った。と言っても、テレスがオルギャノンでゴルギアスの心臓を撃ちぬいたのとは少し違う。彼は燃える腹に激突する寸前、結界を張ってその内側にある次元の狭間を通過した。要するに燃え盛る巨体の中をワープで通過したのだ。
「天上転移ッッ!」
彼が飛び出した先は、巨人たちの後方に陣取っていたソフィア・ピタゴラスの眼前だった。オルギャノンの回収を待ちわびていた彼女は、突然目の前に出現した虹色の戦士に対応できず、容赦なくその顔面を蹴り上げられた。その反動で上昇した惇は彼女の頭上で再び結界を張り、二度目のワープを実行した。今度はより遠距離。敷地の最南端に位置する土蔵の中だ。
蔵の中には彼の読み通り、本物の楠川志保が両手足を縛られて監禁されていた。その周囲に監視役と思しきオルフェウス教の仮面をまとった暗殺者が六人。そしてピタゴラス教団の男が一人。この得体の知れない集団に何日も監禁されていた夫人の頬はこけ、写真のような丸顔は見る影もない。反面その地味な目鼻は彼女が紛れもなく優の母親であることを物語っていた。
「な、なんだ貴様は!」
突如現れた謎の戦士に一瞬固まっていた信者たちが我に返り、志保夫人を囲っていた椅子を立つと惇の方へにじり寄ってくる。暗殺者たちは鎌を握り、信者はボウガンを構えた。
「楠川志保さんですね。お出迎えに上がりました」
惇は自分を取り囲む敵を無視して縛られたままの志保に一礼した。無視されたことにキレたオルフェウス教徒の鎌が虹色の鎧に包まれた身体を切り裂く…………ことなど出来る筈もなく、僅かに火花が散り、刃が欠けた。もちろん惇は無傷だ。
「こんの……化け物がぁ!」
躍起になった刺客達が同時に鎌を振りかざすが、惇はそれよりも速く全員の急所に硬い拳の一撃をお見舞いしていた。五人は一瞬でその場に倒れ込み、今や蔵の中に残っているのは惇と志保夫人、ピタゴラス教団の男、そして最初の一撃で鎌を折られて攻撃に加わるのを躊躇したオルフェウス教の最後の一人。その四人のみだった。
「貴様は……貴様はいったい何なんだ!」
発狂したオルフェウス教の刺客が無謀にも突撃する。が、その質問に惇が答える前に、彼の拳が男の顔面にパンチを叩きこんでいた。
「私は、普良惇。ソクラテス教団の一員だ」
崩れ落ちる男に向かって、はっきりと返答する虹色の戦士。
「そこまでだっ!」
ふと顔を上げると、志保夫人に向かってボウガンを突き立てる、最後の一人が目に留まった。
「どこの刺客かは知らんが、そこから一歩でも動いてみろ。こいつの命はないぞ」
「人質の命をどうするか、教祖様にお伺いも立てず勝手に決めていいのかい?」
「貴様にとやかく言われる筋合いはない! とにかく今すぐにでもここを立ち去れ! そしてここに人質を監禁していることなど、決して誰にも言うなよ」
「分かった」
「「え?」」
素直に頷き、二人に背を向ける。意外過ぎる反応に夫人も信者も呆気にとられた。土蔵の扉を強引にこじ開け、今にも外へ出て行きそうな彼の姿を見て夫人は再び絶望にかられ、男はほっと胸を撫でおろした。が、安堵のあまり夫人に向けていた矢の矛先まで降ろしてしまったのが運の尽き。
一瞬の油断を見逃さず、素早く踵を返した惇は右手の甲から突き出た三角形を男に向けた。直後、彼の手から発射された虹色の刃がミサイル並の猛スピードで飛んで行く。ボウガンの矢を凌駕する圧倒的な速度で飛んできた三角形は、一瞬にして男の胸元を貫いた。驚愕の表情を浮かべた男の口から、血と共に悔しそうな断末魔が漏れる。
「それ……飛ばせるの……かよ……セコい……だ…………ろ………………」
「弓使いに言われる筋合いはない」
敵を殲滅し終えて蔵へと戻って来た戦士は、志保夫人を縛る縄を切り刻んで彼女を解放した。その際、彼は顔を覆う装甲を一旦解除し、普良惇としての素顔を初めて志保夫人に拝ませた。困惑する夫人を見つめる顔には、たった今鬼人の如き強さで敵を瞬殺した謎の戦士と同一人物とは思えない、優しさに満ち溢れた穏やかな笑みが浮かんでいる。
「こんな所に閉じ込められてさぞお辛かったでしょう。ご安心ください。息子さんは私の仲間と共に、庭園であなたの帰りを待っています。もう引き籠ることはないでしょう」
「ぐうぉおおアアア! なんだァ! なんだこの全身を刺す痛みはアアア!」
「どうした炎の巨人よ! 何を手間取っている! 水の分身たちを駆逐してやったのだから、さっさとあいつらを追わないか」
「だぁまれえええ!」
周防の指図を無視し、身体を掻きむしりながら辺り一面に炎をまき散らすヘラクレイトス。惇がワープする際に砕いた結界の破片が、彼の体内に突き刺さっているのだ。
「くそ、骨折り損にもほどがあるぞ。どういたしましょう教祖様………教祖様!?」
暴れる巨人から離れ、ソフィアの元へと駆け寄る周防。しかし肝心の教祖様は鼻血を出して昏倒していた。惇に正面から蹴り飛ばされたその顔にはクールビューティーの欠片もない。
「周防様、どうすれば……このままでは炎に焼かれ、無駄に犠牲を生むばかりです」
炎をかいくぐって後退してきた軍勢に、周防は歯ぎしりしながら指示を下す。
「やむを得ん。退却だ! 全員この屋敷を出ろ」
「しかし……」
「教祖様がこのような状態では致し方あるまい。それとも何か? 私が彼女に代わってこの場を取り仕切るのでは納得がいかんのか?」
「いえ! ご無礼を。皆の者聞いたか、退却だ。動ける者は負傷者を担いで脱出しろ」
痛みに悶え狂うヘラクレイトスを残し、ピタゴラス教団は怒涛の勢いで屋敷を後にした。
「嗚呼……神さまああああ!」
燃え盛る楠川邸を前に、がっくりとうなだれる優。彼の顔からもう何度も流して枯れ果てたと思われていた涙と鼻水が滝のように溢れ出ている。
「もう父の背中ばかり意識して引き籠ったりしません! 作家として駄目ならアルバイトでも何でもいいから汗水たらして働きます! だからどうか、どうか母さんを助けてっ!」
泣き叫ぶ優と、彼を必死に大丈夫だからとなだめるテレス。全ての力を使い果たした哲夫は二人の傍で芝生に横たわっている。そんな三人の背後から、聞きなれた声が耳に入って来た。
「その言葉、二言は無いな。社会人」
振り返った彼らの視界に、志保を抱きかかえた虹色の戦士――普良惇の姿が飛び込んできた。夕陽を背にゆっくりとこちらに歩み寄って来るその雄姿は、ヒーロー以外の何者でもない。
「お母さぁぁん!」
顔をぐしゃぐしゃに泣きはらしながら、優は救世主の腕の中で横たわる実母に駆け寄った。彼の声を聞いた志保はゆっくりと目を開き、目に涙を、口元に笑みを浮かべて自分を見つめている息子に優しい眼差しで語りかけた。
「…………ゆうくん? 良かったねぇ。お外、出られたね」
「うん……うん!」
燃えるような夕焼け空。その下で本当に燃えている邸宅。騒ぎを聞きつけた近隣住民の通報で駆けつける消防車や救急車のサイレン。だが屋敷の住人である母子はそんな喧騒などまるで目に入らないかのように硬く抱きしめ合っていた。
感動の再会に思わず目を潤ませるテレス。やがて彼の視線は、救世主である虹色の戦士へと移っていった。彼の熱い眼差しに気づいたのか、戦士は恥ずかしそうにそっぽを向いて呟いた。
「そんな神々しい目で見ないでくれ。私だってまだまだ完璧じゃないんだ」




