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真実

凄まじい音を立てて部屋の扉が壁ごと木端微塵に破壊される。振り返った優の眼前に、爆風で吹き飛ばされて来たテレスとじゅんの姿が飛び込んできた。炎堂が止めとばかりに放った必殺技、バニシングフィンガーは本来彼らを焼き尽くすはずだったのだが、すんでのところでじゅんが発生させたアポリアに阻まれ、致命傷には至らなかった。少なくともテレスにとっては、だが。

じゅんさん! じゅんさん!」

 虹色の結界に守られ、風圧以外のダメージを全く受けずに済んだ少年は、代わりにその炎を真正面から受け止めて意識を失った兄弟子に必死で呼びかける。

「だ、大丈夫か?」

 部屋の奥から同じように優を守りきって倒れた哲夫を抱え、優が駆け寄って来た。彼の声を聞いて振り向いたテレスが部屋の隅々まで張り巡らされた赤い茨の結界に気づき、呆然と立ち尽くす。そのうちの一本――彼の頭上に張られていた血界――から赤い血が頬に滴り落ちた。液体の正体に気づくや否や、少年の口から恐怖の叫び声が部屋中に反響する。

「……ウッ! うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 その絶叫で意識を取り戻したのか、じゅんの隣に安置された哲夫が目を開け、彼を落ち着かせた。

「落ち着けテレス。これは俺の第二の切り札。そういう性質を持った、ただの鞭なんだよ」

「鞭……ですか? これが」

「詳しい説明は帰ってからじっくりしてやるよ。とにかくこいつのおかげで、何とかこっちは片付いたよ。オルフェウス教の刺客の遺体がその辺に転がってるはずだ。そいつの顔を拝んでみたいんで、ちょいとここまで引っ張って来てくれるか? 俺は今、自力で起きられない」

 哲夫の言葉を受け、部屋の奥を見るテレス。そこには確かに、赤い棘が何本も突き刺さった暗殺者が事切れていた。漆黒の衣から赤い血がどくどくと垂れ流れている。

「……分かりました。すぐ運んできます。ちょっと待っててください」

 テレスは立ち上がり、恐る恐る部屋の奥へ進んでいった。その間に哲夫は意識を取り戻したじゅんと寝転がったままお互いの状況を報告し合っていた。

「先生……すいません……対話が終わるまで敵の侵入を阻止するという役割……果たすことができませんでした」

「安心しろ。対話ならとっくに終わった。俺もちょうど、説得した優を連れ出そうとしたら内側から襲撃されたんで返り討ちにしてやったところだよ」

「流石ですね。私の方は完敗です……」

「気にすんな。俺だってわざわざ血の鞭を引っ張り出してギリギリ勝ったようなもんだぜ」

「あれを使ったんですか。どうりでボロボロなわけだ」

 お前もな、と返しくすくすと笑い出す哲夫。その声に釣られてじゅんの顔にも笑みが浮かぶ。二人の痛快そうな笑い声は、部屋の奥からテレスが敵を引きずり出して来るまで続いた。

「よいしょっと……お待たせしました」

 完全に息の根を止められた暗殺者をずるずると引きずり、テレスが二人の前に戻って来た。哲夫の指示を受け、戦々恐々としながら髑髏の仮面を剥ぎ取るテレス。しかし晒された素顔を拝んだ途端、

「あっ!」


 その口から思わず驚きの声が漏れた。

暗殺者の正体は、テレスとそう変わらない十代の少年だった。恐ろしい仮面の下に隠されていた、あまりにも若々しい素顔。しかしテレスが真に驚いたのはそこではない。

 暗殺者の正体であるこの若者自身に、見覚えがあったからだ。

「先生。僕、この人を知ってます。昨日の昼間、亜帝内に着いた時、駅前でピタゴラス教団の行進が行われていました……彼はその最前列で、旗を振っていた人たちの一人です」

「ほう、既に顔見知りだったとは知らなかったな…………ピタゴラス教団か」

「でも……でも何故、彼が」

「こんな物騒な衣装に身を包み、なんでホラー映画よろしくパソコンの画面からはい出てきて優を殺そうとしたかって? なーに単純なことさ。謎の密教、オルフェウス教の正体は――」

「悠長に敵の前でお喋りなんかしていていいのかねぇ?」

 哲夫の言葉を遮るようにして、炎堂がついに部屋の中へと足を踏み入れて来た。

「よう、一日ぶりだな教祖様」

 軽々しく、小馬鹿にしたような声色で哲夫に話しかける炎堂。その言い回しはカールマンやフィロを挑発していた昨夜の哲夫自身を皮肉っているようにも思われた。

「車にはねられた割にはピンピンしてんな。あのまま死んどけば良かったのに」

その場に稲妻のような緊張が走る。床に寝転がったまま天井を見つめる哲夫と、崩れかけの戸口に寄りかかって彼を見下ろす炎堂。双方とも視線は明後日の方向を向いていたが、哲夫の挑発を最後に口も利かなくなった。長い長い沈黙が訪れる。二人だけでなくじゅんも優もテレスも、誰も口を開かない。暗殺者と哲夫の戦い。じゅんと炎堂の死闘。それらを上回る緊迫感がその場を支配していた。そんな中にあって何故かテレスは、二人の教祖が言葉を交わすことなく会話を、いや戦いを続けているような、そんな奇妙な錯覚にとらわれていた。


 ――先に沈黙を破ったのは、間口に立つ大男の方だった。

「そのガキをこっちに渡せ。女々しい方じゃない。浮浪者みたいな奴だ」

 その言葉に、固唾をのんで見守っていたテレスも流石にカチンと来た。憎しみに満ちた目でオルギャノンを取り出し炎堂の顔に照準を合わせようとする。しかし少年の敵意に満ちた腕は哲夫に制された。彼は眼前の敵から目を離さず、一方で傍に集めた仲間たちが暴走しないよう冷静な対応を心掛けていた。その手に押さえつけられ、頭に血が上っていた少年も我に返る。この銃はバトルロイヤルの武器として使わない。そう誓ったばかりではないか。

 己の身を恥じながら銃を懐にしまうテレスを尻目に、哲夫は天井を見つめたまま言い返した。

「悪いがそれはできない。俺たちはこの館の主を名乗る夫人に頼まれ楠川優を助け出しに来た。……便宜上はな」

「ほう? そいつは妙な話だねぇ。俺もここの主人を名乗る人物から電話口で頼まれたんだ。出来の悪い面汚しをこの世から抹殺しに来て欲しいってな!」

 炎堂がもたれていた左右の壁が炎に包まれ、崩れ落ちる。今や優の部屋は廊下側から丸裸も同然になった。唐突に差し込む光の眩しさに、暗闇に慣れていたテレスは思わず目を覆った。その一瞬の隙をついて炎堂が襲いかかって来る。が、じゅんが咄嗟に張った結界にはじき返された。

「これ以上、貴様をこの中に踏み込ませはしない!」

 肩で息をしながら、ソクラテス教団最強の男は静かに起き上がっていた。ただしその表情は既に己の体力が限界を迎えていることを物語っている。

 一方、彼の師匠も新弟子の手を借りてようやくその身を起こしていたが、起き上がった途端自分を支えてくれたテレスの頬を思い切り引っ叩いた。

「せ、先生? 何をするんです」

「さっき俺が止めなかったら、お前はオルギャノンを炎堂に向けて撃とうとした。違うか?」

「……! おっしゃる通りです。個人的な感情で、自ら立てた誓いを破るところでした」

「『誓約と破滅は紙一重』といってな。今回は許そう。だがテレス、お前が今度また同じことをしでかそうとしたら、俺はその懐からオルギャノンと教団のバッジを永遠に取り上げるぞ」

「はい……すいませんでした」

「呑気にお説教してるなら、その時間を使って逃げる術を考えるべきだと、俺は思うんだがね」

「黙ってろ炎堂。こっちはこっちで色々と事情があんだよ」

 結界を挟んで睨みあう両者。一方、その境界線を張った当人は床に倒れている暗殺者の存在にようやく気がついたようだ。

「先生、こいつはオルフェウス教の……」

「あぁそうだじゅん。部屋の外だけ張っていれば大丈夫と油断した俺のミスだ。すまなかった」

「いえ、先生が謝る必要なんてありませんよ。それにしてもどういうことですか? 壊滅した『ロゴスの子』の首領がかつて敵対関係にあったオルフェウス教と同時に我々を襲うとは……まさか楠川優にそこまでの価値が?」

「いや違う。テレスが証明してくれたんだが、そこの暗殺者はオルフェウス教の刺客であり、同時にピタゴラス教団の信者だ。それにこいつを見てくれ。正真正銘、楠川一家の写真だ」

 哲夫は優の手から楠川一家の写真を取り上げると、そのまま啍に手渡した。そこに写る人々に目を通した途端、じゅんの顔が驚きと同時に何かを悟ったような表情に変わる。

「先生、実は見張りをしていた時、敷地の一番奥からわずかながら妙な気配を感じたんです。何かに拘束されているような息苦しさ。もしかしたら……」

「おお! それはナイスだ。わがダチよ。おそらくそれが、本物の志保夫人だ」

「ちょ、ちょっと待ってください。じゃあ僕たちを案内したあの貴婦人は……」

「炎堂の言ったことが本当だとすれば、だ。片や俺たちに優を救ってくれと頼み、一方で奴に優の抹殺を依頼する……この屋敷の主人を自称する何者かの意図は、優の存在を軸に考えると明らかに矛盾していて支離滅裂もいいところだ。しかしあの女性が優の実母ではなく、本物の夫人がこの屋敷のどこかに監禁されているとなったら話は変わって来る。俺たちが見たもの、じゅんが察知した気配、そして炎堂の証言。この三つが証明すること。それは…………」

 冷静な口調で話を続ける哲夫。その様子を見てテレスやじゅん、優はもちろん、炎堂でさえ一旦攻撃の手を緩め、彼の言葉に耳を傾けているように見える。

「まず優。お前は今回、裏で糸を引いている連中にとってただの囮だ。君をどうこうするのが目的ではなく、釣り餌にして二つの教団をおびき出す。それが奴らの、本当の目的だった」

「あんたたちとこの大男を引き合わせるのが目的だっていうのか?」

「俺はこの手のボランティアを何度か頼まれるんだが、依頼者は大抵、役所に突っぱねられた貧乏な家庭ばかり。こんな大邸宅に住んでいるようなセレブなら大金を払ってカウンセラーに丸投げする。あの楠川氷九郎の家族からの依頼とあって俺もつい舞い上がっちまったが、よく考えたら三大教団にも属していない、一介の賢人が任されるような仕事じゃなかった」

「炎堂が受けた依頼にしても、一人の引きこもりを殺すためだけにここへ呼ぶ意味が解らない。それならオルフェウス教という暗殺のプロに任せた方がよっぽど確実だ。実際その刺客が現れ、俺がいなければ、炎堂の到着を待たずして優は死んでいた。炎堂が来た時、彼の前にはこともあろうに俺たちがいた。引きこもりを餌に、わざわざ敵対している二人の教祖を正反対の依頼で呼んで戦わせる。そんなことをして得をするのはこの屋敷の、本来の主なんかじゃない」

「つまり今回の裏で糸を引いている何者かの狙いは、ソクラテス教団とヘラクレイトス教団、二つの教団が潰し合って消耗しきっているところを一網打尽にする。そういうことですか?」

「その通り。そして今、事態は確実に奴らの思惑通りに運んでいる。もしかしたらそこの刺客も囮の一つだったのかも知れないな。本当の狙いは優じゃなく俺たちなんだから、あわよくばこの中の一人でも殺せれば上々。それが無理でも炎堂との戦いまでに消耗させることが出来る。俺たちを掌の上で踊らせたつもりになっている黒幕は、今頃ほくそ笑んでいるだろうよ」

 哲夫の推理を聞き、言葉を失う一同。その沈黙を破ったのは、やはり炎堂の笑い声だった。

「はっはっは! ざまぁないな祖倉。愚かな民衆に無償で手を差し伸べたばかりにこの有様か」

「えーんどーうくーん。人の話聞いてたかなぁ? 君も罠に嵌ったおバカな小兎の一匹なんですけど」

「俺にはそんな小細工通用せんからこうして笑っているのだがねぇ。そっちは手負いの仲間とボロ雑巾のような引きこもりを抱えてすごすご逃げなければならんが、俺はこの通り身一つだ。奴らが好機と見て正体を露わにしてきても全て灰燼に帰すのみよ。なんなら今ここで、黒幕とやらの手にかかるより先に葬ってやっても――」

 炎堂の言葉は、一陣の風を切るような音に遮られ途絶えた。驚愕して彼の方を見つめる一同。ただし哲夫たちの視線は炎堂の顔ではなくもう少し下、胸の辺りを凝視していた。彼らの視線に倣って自分の胸元を見降ろした炎堂は、そこでようやく、哲夫たちの表情の意味を理解した。


 ――右胸を、一本の矢が貫通している。

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