表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/40

対話

扉がぎぎぃーと重々しく開く。二人はなるべく音を立てないよう、静かに足を踏み入れた。

 外の晴天と対になるような暗闇だ。部屋のあちこちに埃を被った書物や脱ぎ捨てられた衣類、菓子の食べカスなどが散乱している。先ほどの豪邸とはかけ離れた惨状にテレスは開いた口が塞がらなかった。が、哲夫はそれをものともせず部屋の奥へとずんずん進んでいく。慌てて彼の後を追うテレスだが、床のゴミに何度も躓いては、そのたびに哲夫の背中や足にぶつかった。とはいえ、部屋を照らす灯りといえば僅かに開かれた扉の外から漏れる光と、部屋の最奥部に置かれたパソコンの画面ぐらいのもの。難なく歩いて行ける哲夫の方が異常なのだ。


 躓き、転びながらもテレスはこの部屋が実はかなりの広さを持っていることに気がついた。微かな光に照らされて、床から天井まで繋がった壁面の本棚が露わになる。部屋を覆う暗闇の半分はこの超巨大な棚の影によるものだろう。中には大量の書籍がぎっしり詰め込まれている。小説、詩集、漫画、雑誌、図鑑、辞書、参考書に至るまでなんでもござれだ。

 部屋を覆う暗闇のもう半分は、棚の向かいにある巨大な出窓から全く日が差し込まないようびっちり締め切られた分厚いカーテンによるものだった。位置的に見てこの出窓がある方角は西側。つまりこのカーテンが開いてさえいれば、中庭からの暖かい日差しが広い部屋に燦々と差し込むはずなのだ。絶好のロケーションを自ら遮断し、暗闇に覆われたゴミの山に埋もれて一人寂しくネット鑑賞。テレスはここへきて、この部屋の主が生粋の引きこもりだと理解した。

 テレスが暗闇に慣れ、部屋の構造を理解し始めたその時、前方の哲夫が突然立ち止まった。背中にぶつかるテレスを無視し、彼は足元に引かれた黄色い線のようなものを見降ろしていた。


「そこの境界線より中には、誰も入るなって散々言ってあるだろっ!」

 突如、怒声と共にパソコンのある方角から分厚い辞書が勢いよく飛んできた。あわや顔面に直撃する寸前、哲夫がノーモーションで差し出した右手が分厚く固い本を見事にキャッチする。

「こらこら。駄目じゃないか。本を他人に向かって投げたりしちゃ。メイドさんや執事さんの頭蓋骨に当たったらどうするつもりだ」

 哲夫は生徒を叱る教師のような口調で、パソコンの前に座り込む人影に向かって語りかけた。

「あんた、誰」

「俺の名は祖倉哲夫。ソクラテス教団のリーダーさ。君と話をしに来た」

「話? 賢人が僕みたいな出来損ないに何の用だ。どこにも入団する気は無いぞ」

「別に勧誘しに来たわけじゃないさ。というか、俺から話すことなんてないよ。君の口から、君自身のことについて聞きたいだけなんだ」


 パソコンの前に置かれたリクライニングチェアがくるくると回転する。哲夫たちの方を振り向いた椅子の上にはボサボサの髪に青白い肌、丸眼鏡に薄汚れた灰色のジャージ。そして老人と見間違えそうになるほど酷い猫背の青年が身を硬くしてこちらを睨みつけていた。

「楠川優君だね。はじめまして」

 にこやかに笑う哲夫を見ても、青年は返事一つ返さない。それどころか露骨に鼻で笑うと、煩いハエを追い払うようにしっしと手を振った。その仕草がテレスの眼には昨夜のカールマンと重なって見えた。

「そんな怖い顔しないでさ、ちょっとでいいからお話ししようよ」

 哲夫が今度は、駄々をこねる幼児をあやす母親のように更なる優しい声でかたりかけた。が、青年はやはり彼の言葉に応じず、遂には椅子を回転させ青白いパソコンの画面に戻ろうとした。

しかし結局、彼は画面に向き直ることが出来なかった。哲夫が左手から取り出した知の鞭が腕に絡みついて強引に引っ張ったからだ。勢いよく逆回転した椅子の動きに対応できず、青年はその勢いで椅子から転げ落ち、後頭部を床にぶつけたまま白く光る鞭に引きずられて来た。


「ひっ! ヒィィィ!! ななな、何なんだあんた」

 顔を上げた青年が自分の足に絡みつく鞭を振りほどこうとしながら、恐怖に満ちた眼差しで哲夫の顔を凝視する。テレスは彼の恐怖と驚きに同情しつつも、先程自分たちを露骨に見下し追い払おうとしていた顔を思い出して胸が少しだけすっきりした。

「大事なことなのでもう一度言いましょう。俺の名は祖倉哲夫。ソクラテス教団のリーダーで、君の言う通り本来なら縁もゆかりもない一介の賢人だよ。お母さんの依頼を受けて君をこのごみ溜めから引きずり出しに来た」


 身も蓋もない言い方だと思いつつも、テレスはなるべく口を挟まないように意識していた。

彼の立場はあくまで師匠に付き従う弟子。賢人が具体的にどんな対話をするのか未だまともに見たこともない彼にとって、わざわざ哲夫がセッティングしてくれた見学の機会だ。余計なツッコミは控え、彼のやり方を学ぶ。それが今、テレスに課せられた使命なのだから。


「パソコンで、何を見てたの?」

 哲夫は優に向き合うと、純粋な質問から入り始めた。これが彼流の対話なのだろうか。

「なんでもいいだろ。僕みたいな薄汚い人間が集まって、書き込みで罵り合う掃き溜めだ」

「どんなことを書きこんでいたんだい?」

「大抵はエリートや成功者への誹謗中傷。惨めな人間が自分語りに来たら言葉では慰めつつも自分より下等な奴がいると知ってほくそ笑む。そういう下衆な連中の集まる場だよ」

「惨めな人間ってのは、例えばどんな人?」

「色々さ。ソシャゲに給料をつぎ込んで借金こさえた社畜。つまらない理由で大学を中退して実家から追い出されたネカフェ難民。DVする夫に復讐するため、毎晩少しずつ料理に不純物を混ぜている人妻。イタいイタいアニメキャラのモノマネを学校で堂々と披露し、それが原因でいじめられ不登校になった中二病。病床の親を無視してスロットに興じるパチンカス……」

「その人たちの書き込みを見て、君はどう思ったんだい?」

「どうって……別に何とも。僕はあいつらより恵まれてて、ちょっとはマシな人間かなって。そりゃ世間から見れば、育成失敗したクズに変わりないんだろうけど」

「君がいう世間と、育成失敗ってのはどういうことだい?」

「おいおい。母さんから依頼受けて来たんだろ。そんなことも解んないのか」

「最初に言わなかったっけ。君自身のことを、君の口から聞きたいって」

「はぁ……面倒くさい奴だな。そこにある雑誌や新聞、読んでみろよ」

「ごめん、暗くて何書いてあるかわかんねえや。窓、開けてもいいかい?」

「駄目だ! 僕みたいなクズに日の当たる場所で生きていく資格なんてない」

 カーテンに手を伸ばそうとした哲夫の手を、驚くほどの速さで突っぱねる優。僅かに外の光に照らされたその顔には心なしか、恥の入り交じった赤みが差しているように思われた。

「困ったな……生憎俺たちは君と違って光がないと何も見えないんだよ」

「人をコウモリみたいに言うな。そこに書いてある事なら、こっちでも見れる」

 優はパソコンに向き合うと『楠川優 クズ』という検索ワードを打ち込んだ。すると画面が変わり、ニュースサイトやスレッド、アフィリエイトブログのリンクが現れる。どれも


『受け継がれなかった才能――楠川優氏、処女作のあまりの稚拙さに批評家たちは怒り心頭』

『稀代の天才作家、唯一の失敗作は実の息子――大失敗のデビュー後も懲りずに駄作を量産』

『【ドラ息子】楠川優アンチスレ【恥さらし】part50』

『息子の不甲斐なさに夫人ついに神経衰弱発症か? 着々と近づく楠川家内部崩壊の足音』

『【朗報】クズ川劣さん、死亡確認』


 等々、そろいも揃って優の作品や彼自身の人格を否定するような誹謗中傷の記事ばかりだ。一番下のまとめサイトに至っては堂々と死亡説を唱っている始末。

「……酷い。酷すぎる」

「おうおう、好き勝手言ってくれちゃってますねぇ。特に最後のこれ、死亡確認って何塾だよ」

「ははは! これで分かっただろ! 世間が僕をどんな目で見ているか。偉大な父親の血統を世界で唯一受け継ぎ、幼い頃から期待されてきた一人息子。それが社会人となり、蓋を開けてみればこのザマさ! 僕は賢人どもの覇権争いなんて知ったこっちゃないけど、これだけは言える。楠川優という一人の人間に対する世間の手のひら返しっぷりは、負けた教団の信者が寝返るそれとは比べ物にならない。そういう意味じゃ僕はある意味君たちを超えている。もう楠川優なんて人間はこの世に存在しない。ここにいるのは伝説の作家、楠川氷九郎から何一つ受け継ぐことの出来なかった生まれ損ない、クズ川劣という人の皮を被った下等生物だ……」


 最初のうちは諦観に近かった彼の笑い声は、やがて狂気じみた自虐となり、最終的には自分の存在そのものを憎み、生きていることを後悔しているような懺悔へと変わっていった。

「優……」

「その名前で呼ばないでくれ! 僕は劣。クズ川劣なんだ…………」

 伸びきった前髪と真っ黒な隈の間から母親と同じ綺麗な水の雫がしたたり落ちていた。肩を震わせ、その場にがっくりと崩れて嗚咽を上げる優。そんな彼の背中を哲夫が優しく擦る。

「たとえ君が世間の期待に沿えなかったとしても、自分一人の力で何作も作品を書き続けた。それって凄いことじゃん。世の中には読書感想文すらろくに書けない奴も山ほどいるんだぜ」

「ああそうですか! その読書感想文すら書けない人は楠川氷九郎の息子じゃないんだから、どんな駄文でも批判される筋合いはないよなっ! でも僕は違う」


 優はうずくまったまま、ヒステリックに頭をかきむしった。嗚咽に代わってため息が漏れる。

「蝋で固めた翼を身に着けて空を飛んだ親子の逸話を聞いたことがあるかい? 父親は無事に海の向こうへ辿り着くことが出来たが、息子の方は途中で翼を失い海に転落した。僕も同じさ。父親と同じように飛び立つ努力をしながら、結局その翼は折れてしまった…………もう二度と生えて来ることはない」

「その話って翼が折れたんじゃなく、固めてた蝋が太陽光で溶けたんだろ。だいたい人間には元々翼なんか生えてねえ。あるのは骨だ。自重を支え、大地をしっかり踏みしめるための」

「君は馬鹿か? 肉体的な話をしているんじゃない! 僕が言ってる翼っていうのは心の翼だ。夢や希望に向かって大きく羽ばたくための」


「俺が言ってる骨も別に肉体的な話に限った話じゃないぜ? まぁ一般的には信念、根性とか言った方が正しいのかもな。誰だって自分の頭上には天高く夢や理想が光り輝いているもんだ。

だが自分が今立っている場所からそこへ行くために、その場から何の勢いもなく飛び立てる人間なんか、余程の天才でもない限りいないんだよ。世の中に生きている九十九パーセントの平凡な人たちは、そこへ辿り着くために地に足をしっかりとつけて長い長い坂道を上り続ける。果てしなく長い上り坂だ。砂利道になり、獣道になり、やがては断崖絶壁にもなるだろうよ。しかしその頂上には確かに、人々が追い求めた夢や理想が輝いているんだ。そこまで辿り着くための原動力とは何か。蝋で固めただけの頼りない翼なんかじゃない。自分の全てを預けても折れない、たとえ折れたとしてもきちんと治せばまた動くようになる、硬く、たくましい骨だ。

人間ってのは本来、上に向かって羽ばたく生き物じゃない。前を向いて歩き続ける生き物だ。少なくとも、俺はそう確信している」


「確信? こりゃまた大きく出たな。まるで実例を見てきたかのような言い草じゃないか」

「ああそうだよ。俺はこの眼で人間として復活した男を見た。そいつは今、外で俺たちが君と一緒に出てくるのをじっと待っている……」


♦♦♦


 じゅんは、二人が中に入ってからというもの、身動き一つしなかった。対話が終わるまで、邪魔者がやって来ないかひたすら監視する。ベテランの警備員ですら二、三回欠伸を漏らしてもおかしくない程の虚無に近い時間。しかし彼は瞬き一つせず、全神経を集中させて周囲への警戒を怠らなかった。

 その集中力の甲斐あってか、はるか遠くからこちらに向かって近づいて来る足音を捉えた。同時にその顔はにわかに険しくなり、警戒の念を強める。これだけ広い屋敷の中を、メイドや執事、召使いたちが忙しなく歩き回っている。彼らがたまたま自分たちのいる方向へ近づいて来たとしても、それは別段不可解なことではなかった。しかし……


「……何故だ」

 じゅんは誰に言うでもなく呟いた。彼が警戒している足音は、忙しく働く使用人たちのそれとは全く違っていた。大股でゆっくりと一歩ずつ、しかし確実に目的の場所を目指してやって来る。

 足音の行く先が彼の陣取る優の部屋であることは、疑いようがなかった。むしろじゅんにとって気がかりなのは、足音の主の方だった。哲夫たちが部屋に入ってからというもの、一人残って脳内であらゆる戦闘パターンを想定し、未知の相手でも対応できる策をいくつも整えていた。しかし彼の考えていた戦闘プランは、足音の主が判明したことで全て灰塵に帰すことになる。

「おやおや。奇遇だな。こんなところでかつての“子”とご対面とは」

「何故よりによって貴様なんだ。炎堂えんどう!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ