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賢人の国

「テレス・ニコマコス。ハルマゲドニア王国出身。十八歳。王国立フィリップス大学在籍。本国への入国目的は学園公認の留学制度と。うむ、よろしい」

 提出された書類とデスク上にどんと置かれたディスプレイを交互に眺めながら、入国管理官が硬い表情でキーボードを叩く。しばらくするとディスプレイの右隣にある印刷機から一枚のカードが飛び出して来た。

「こちらの特別切符が、亜帝内あていないにおけるパスポートになります。紛失もしくは破損されますと強制退去させられますので充分に注意して取り扱ってください」

「は、はいっ!」

 少年は震える手でカードを受け取った。その様子は不愛想な管理官に対する緊張の現れとも思えたが、反面クリスマスの朝、プレゼントを手にして喜んでいる子供のようにも見えた。

「プラットホームは二階になります。エスカレーターを昇り、二列に並んでお待ちください」

「ご説明ありがとうございます!」

 あくまで業務上の連絡事項である、と言わんばかりに感情のこもっていない説明に対して、大きな声で感謝の意を示し深々と頭を下げる。管理官は一瞬だけ意外そうに目を見張ったが、少年が立ち去るとすぐに元の無表情へと戻った。


「まもなく、一番ホームに亜帝内あていない行き直通、特別急行列車が参ります。ご利用のお客様は特別切符をお持ちの上、黄色い線の内側までお下がりください」

「あ、ヤバい!」

 手に入れたパスポートをじっと見つめ、のんびりと歩いていたテレスだったが、アナウンスを聞いた途端、指定された場所へと走り出す。エスカレーターを駆け上がり、何とかプラットホームへ辿り着くころにはちょうど列車がすべりこんでくるタイミングと重なっていた。

「ご乗車になられるお客様は二列に並んでお入りください。足元にご注意を!」

 メガホン片手に乗客を先導する駅員の声を耳にしながら、テレスは列の最後尾に並んだ。


彼が列車に乗り込んだ時、窓側の席は全て埋まっていた。少年は渋々、一番端にある通路側の席に身をうずめた。

「すいません。ここ、いいですか?」

「どうぞ」

 残された唯一の空席。その隣には、ブラウンのロングコートを羽織った黒縁メガネの男性が頬杖をついて窓の外を眺めている。

テレスが遠慮がちに尋ねるとつまらなそうな表情が一変し、にこやかな笑みを浮かべて身をそらした。彼が座りやすいよう咄嗟に配慮したのだろう。

「よいしょっと……あーあ」

 少年は背負っていたリュックサックを自分の膝の上に回すと、座り込むと同時に落胆の声を上げた。彼にとっては窓から見える港から街までの絶景も今回の旅において楽しみの一つだったのだ。

その落ち込みようが半端では無かったのか、隣の男性が声をかけてきた。

「大丈夫? 良かったら代わろうか」

「え? あぁい、いえいえ! お気遣いなく」

 思いがけず声を掛けられ、必要以上に緊張の色を浮かべてノーサンキューの意を表すテレス。冷や汗交じりの表情から、彼が他人と会話することに慣れていないのを悟ったのか、男性も

「そう……」

 と、素っ気ない態度で会話を切り上げ、再び窓に目を移す。しかし、たった一人でビジネスマンや初老の旅行者に混じって乗り込んできたテレスのことがやはり気になったのだろうか。しばらくすると、もう少し穏やかな口調で再び彼に声をかけだした。

「君はひょっとして、留学生?」

「は、はい。ハルマゲドニアのフィリップス大学から来ました」

「フィリップス大学! 同盟国でも指折りの名門じゃないか。まさか一人で来たの?」

「ええまぁ……一応、亜帝内に友達が一人いますけど」

「そうかそうか。でも大したものだ。初めての留学先に厳重な入国審査、外国人に優しくない政府、おまけにここ数年のごたごたで混乱している亜帝内あていないを選ぶとは」

「大学の推薦もあったので入国審査は問題なく通りました。少し怖かったけど……」

「そうまでしてこの国に来たのは、やはり彼らから知識を得ようと?」

「はい! ハルマゲドニアには居ない、本場の賢人から直々に学ぼうと思って!」

 先程まで硬かった少年の表情が、火の灯ったランプのように輝きだす。同時にその声も車内に響き渡るほど大きくなり、周囲の乗客が怪訝そうな表情で振り返った。

「しーっ!」

「す、すいません……」

「謝らなくてもいいよ。それより、賢人か……」

 その言葉に何か思うところがあるのか、紳士は突然、考え込む様に黙り込んだ。その様子にどことなく不安を感じたテレスは、恐る恐る問いかけてみた。

「僕、何かマズいこと言いましたか……?」

「とんでもない。君の学ぼうとする意欲は素晴らしいものだ。ただ、一口に賢人といっても色んな人間がいるからね。君の期待に応える者もいるかもしれないが、中には自分は神だと自称して人々を騙し、高額な受講料を巻き上げる不届き者もいる。もっと悪質な奴になると信者に洗脳をかけて犯罪に走らせたりするんだ。君はどうもそうした連中に目を付けられそうな危うさがあって、おじさん心配だなぁと」

「そうですか。でもちゃんと自立した友達がいますから、その辺は安全だと思ってます」

「はっはっは。頼もしい相棒がいるというわけだ」

「ええ。それにやっぱり、騙される不安より知的好奇心が勝ってしまうんです。世界中の賢人が集まって、素晴らしい国をつくるため知恵を絞っている。世界で最も進んだ国、亜帝内あていない。そこにいる賢人たちに師事すれば、間違いなくこれまで学んできたこと以上の素晴らしい叡智を得ることができる。そう思うと、いてもたっても居られなくて」


テレスは興奮した面持ちで心優しい紳士との会話を続けようとした。しかしその時、二人の会話を遮るように紳士の持つ携帯電話がバイブレーションを響かせた。

「ごめん、仕事の電話だ。しばし席を外させてもらうよ」

 紳士は軽く謝罪すると、いそいそと席を立ちテレスの前を横切った。一人残った少年を周囲の視線が取り囲んでいる。先ほど出した大声で一気に注目を集めてしまったのだ。少年は紳士の忠告を思い出した。今自分を見ている中にも会話を盗み聞きしてよからぬことを企んでいる輩がいるかも知れない。怖くなった彼は慌てて鞄から一冊の本を取り出すと、顔を隠すようにページを広げ、周囲の目から気を逸らそうと必死で書いてあることを読み始めた。


『先の大戦で前時代の覇者フェルシア帝国を打ち破った同盟軍は、平和と近代化の第一歩として北はハルマゲドニア、南はスパルカスまで跨る広大なキラシュア共栄圏を樹立しました。その中心地こそ、これからあなたが向かう国、亜帝あていです。終戦直後は単にこの名前で呼ばれていたのですが、相次ぐテロ事件を受けて当時の国家元首、クレイトス・ラ・ペリ首相が街全体を覆う巨大な壁の建設と外港、鰭府ひれふでの厳重な入国審査を考案しました。以来この国は世界最強の要塞都市国家、亜帝内あていないと呼ばれるようになったのです』


 ♦♦♦


「――そうなんだよ。厄介な連中から奪ったはいいが、俺もまさかこいつを使える人間が限られているとは思わなかったんだ。で、もしかしたらおたくの信者の中にオルギャノンの所有権を持った人間がいるんじゃないかと思ってね」

 観光客でにぎわう路地の一角。白いベンチに腰かけた青年が携帯で誰かと連絡を取っている。懐にはコートの男から奪った奇妙な銃がしまわれていた。

「そういうわけだから、今から会えないか? できれば迎えに来てくれるとありがたい。え? もう行かせた? 早いね……」

 ふと、青年の頭上が暗くなる。不審に思い、頭を上げると……


 見上げるような大男が青年の前に立ち、彼をじっと見降ろしていた。ゆうに二メートルはあろうかという筋肉質な巨体の上に、相手を蔑む冷たい眼差しが乗っかっている。

「……げぇ」

「久しぶりだ、な!」


 次の瞬間、赤い火柱が吹き上がった。買い物を楽しんでいた人々が何事かと振り返り、やがて恐怖に満ちた叫び声がそこかしこで上がる。喧騒の中心には、炎に包まれる白いベンチ。それを挟んで向かい合う二人の男。

「すばしっこい奴だ。ちょこまかと」

「悪いがお前と遊んでる暇はねえんだ炎堂えんどう。またなっ!」

 言うが早いか、青年は踵を返すと大男に背を向け、走り出そうとした。しかし


「逃げるならお前の代わりに、ここにいる連中を焼き殺す」

 大男の冷たい声が、背後から青年を呼び止めた。立ち止まり、振り返る青年。視線の先で男は突き出した拳をパニックに陥る買い物客の方へ向けていた。

「……やるしかねえか」

 青年は観念したかのように向き直ると、拳を構えた。それを見た大男がにやりと笑う。

「ご立派だよ教祖様。無関係な人間を巻き込むわけにはいかない。相変わらず素晴らしい正義感をお持ちのようで――」


男の言葉は最後まで続かなかった。突然、彼の背後から現れた一台の黒い車が猛スピードで激突し、その巨体を道路の向こうに弾き飛ばしたからだ。

「乗って!」

 一瞬、唖然とする青年をよそに、車の運転手は扉を開けて話しかけた。細い眼鏡をかけ、凛とした表情を浮かべた若い女性だ。

「先生から話は聞いているわ。さあ早く!」


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