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仕事

「へぇ~! 凄い御屋敷ですね!」

 哲夫の後を追い、じゅんが作り出したワープゲートを潜り抜けたテレスは驚嘆の声を上げた。視線の先には悠然と構える木製の大扉と、どこまでも続く長い塀が広がっていた。

「亜帝内三大作家の一人、楠川氷九郎ひょうくろう氏の自宅だからな。数々のヒット作を生み出し、文学賞を総なめとくれば印税でこれぐらいの屋敷はあっという間に建つ」

「く、くす! 楠川氷九郎ひょうくろう!?」

 その名を耳にした途端、テレスが素っ頓狂な叫び声を上げた。少年の表情は、塀を眺めていた時よりもずっと興奮に満ちている。

「落ち着けって。どうしたんだよ急にそんな興奮して」

「だって楠川氷九郎って、あの楠川氷九郎先生ですよね?」

「他に誰がいるんだよ。ひょっとしてファンなのか」

「そりゃもう! 物心ついた時から、先生の作品にはほぼ全て目を通して来たくらいですから」

「全作品!? あの人の作品って、発表しただけでも九十作ぐらいなかったか?」

「ハルマゲドニアの書店や図書館に置いてある分だけですけどね。『アレスティア』三部作に、『ティーバ攻めの七将軍』。そして『縛られしプロメテウス』。どれも決して浅知恵で書かれたものではない。各地の伝承や彼自身の想像と真摯に向き合い、読者の心の奥底にずーんと響くような印象を植えつける魅力的な作品ばかり。死後五年が経った今でも、世界の文学史に名を残す偉人として知らない者はいない有名人ですよ」

ひとしきり喋って落ち着いたテレスに、今度は哲夫の方が話しかけた。

「そこまで詳しいならテレス、先生が亡くなった死因もご存じなんだろ?」

「え? あーっと……当時の流行り病、でしたよ…………ね」

 興奮で湯気が噴き出していたテレスの頭を冷やすように、彼の顔がみるみる青ざめていく。同時に彼はこれから会うという、自分たちに救いを求める “先約 ”がどんな人物か、少しだけ理解した。おそらくその人物は二人と同じく、亜帝内を襲ったペストによってこの屋敷の主と死に別れた家族だろう。


 気まずい沈黙が数分間続いた後、哲夫が大扉の横に備え付けられたインターホンを押した。

「すいません。ソクラテス教団の祖倉哲夫と申します。ご子息の件でお伺いに上がりました」

数秒後、重々しい音がして大扉が開き、中から数人の使用人たちが整列し、哲夫たちの到着を出迎えた。

「お待ちしておりました。ソクラテス教団の教祖、祖倉哲夫先生でお間違いなかったですね」

一番手前の年老いた執事が恭しく頭を下げ、同時に両手を差し出した。身分証明書を見せろという合図だ。三人はパスポートと胸元のバッジを掌の上に差し出した。

「……結構です。貴重なお時間を頂戴頂き、ありがとうございました。教祖様」

「教祖という呼び方はなるべく控えて頂けると幸いです。先生の方が気に入っておりまして」

「これはこれは、とんだご無礼を。申し訳ございません。ところで先生、本日お越しくださるのはご自身と、そちらの背の高い助手の方のお二人だけだと聞いていたのですが……?」

「諸事情により、助手が一人増えましてね。どうしても同行させて欲しいといって聞かないので連れてきたんですが……やっぱりまずいですかね?」

「いえ、私などが先生のお考えに口を挟むおつもりは御座いません。ただそちらのお若い方、経歴を拝見させて頂きましたところ、ハルマゲドニアからの留学生という肩書に少々驚かされましてね。いやはや失礼いたしました。年を取るとどうも疑り深くなって困りますな」

 老執事は気恥ずかしそうに笑った。哲夫とじゅんも愛想笑いを浮かべる。

「ご挨拶はこれぐらいにして、邸内へご案内致しましょう。奥様がお待ちです」

 執事の手招きで門が開き、足を踏み入れる三人。綺麗に整えられた芝生に囲まれた豪邸が堂々と佇んでいる。中央で水飛沫を上げる噴水を横切り、四人は玄関扉の前に辿り着いた。

「すぐに奥様を呼んで参ります。しばしおくつろぎください」

執事は扉を開け、そそくさと去っていった。残された三人が邸内の装飾に目を奪われていると、奥の部屋から老執事を伴って紫のドレスに身を包んだ美しい貴婦人が姿を現した。

「私どもの主、楠川氷九郎ひょうくろう様の奥方にして、現在当屋敷の正当な所有者として管理をなさっている志保様でございます」

「はじめまして。お噂はかねがね耳にしております。どうぞよろしく」

「こちらこそ。お目にかかれて光栄です奥様」

 志保がゆっくりお辞儀するのとほぼ同じタイミングで、三人も恭しく頭を下げた。テレスはここまで丁寧に接する二人の態度に内心驚きを隠せなかった。じゅんはまだしも、あの哲夫が?

 新弟子の困惑をよそに、師匠は頭を上げると夫人に向かって話し始めた。

「今回の用件というのは、ご子息の件でお間違いなかったでしょうか。亡くなられた旦那様の跡継ぎとして当初は世間の注目を集めていたものの、期待に副うような結果を残せずに自信を喪失し、自室に引きこもってしまわれたとか」

「全くもって……その通りですわ」

 哲夫の言葉を聞いた途端、それまで笑みを浮かべていた夫人の顔から真珠のような涙が赤い絨毯の上にこぼれ落ちた。顔を覆いふらつく未亡人の身体を咄嗟に支える老執事。彼女を慰めながらもこちらに向けたその視線は、早く何とかしてくれと懇願しているようにも見えた。

「分かりました。ご子息は私どもが必ずや再起させて見せましょう。ご安心ください」

 哲夫は倒れ込んだ夫人の元へ屈みこむと、優しい笑顔で静かに言った。その冷静沈着な態度に安心したのか、夫人の目から流れていた雫がおさまり、笑顔を取り戻していく。

「私の息子を、優をよろしくお願いします。先生」

 祈るように差し出された手を、哲夫は包み込むように握りしめた。


「こちらが優様のお部屋でございます。トイレや浴場は室内に備え付けておりまして、食事をお持ちするとき以外は誰も中に入ることを許されておりません」

「鍵はかかっていますか?」

「ええ。ですが奥様から預かったこのマスターキーがございますので、問題はありません」

「それは助かります。鍵がかかっていては扉の外から話しかけるほかありませんからね」

 快活に笑う哲夫を見てテレスは内心、こんな扉など彼のパンチ一発で粉々だろうなと思った。

「では、ここからは我々の仕事になります。ご子息が無事に部屋から出てきたら、その元気なご尊顔を見て奥様もお喜びになるでしょう。それまで奥様のことはあなたにお任せします」

「分かりました。では祖倉先生、そして助手の皆様。くれぐれもよろしくお願いいたします」

 去っていく執事の後ろ姿を見届けた二人の弟子は、振り返って師匠の指示を待った。

「これから俺たちが行うのは、言ってみれば引きこもりを外に連れ出すというボランティアだ。昨日みたいに他の教団の妨害を受けることはまずないだろうが、じゅん。お前は念のためこの扉の前で見張りを頼む。テレス、お前は見学ってことで俺が優と会話するところをよく見ておけ」

「「分かりました」」

 扉の真横にどっしりと陣取るじゅん。合鍵を手にした哲夫と、その後ろに引っ付くテレス。

「さぁ、対話の時間だ」


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