最後の危機
シーラッカたちは、ラハトバッサに戻って来た。街は静まり返っていた。普段は人でにぎわう大通りも、ただ風が砂埃を舞い上がらせるだけだった。イリヤがお気に入りのカフェ『フェシテアニ』もドアが固く閉ざされていた。
「せっかく帰って来たのにどうしたのかしら」
「ひとまず俺の工房に寄ろう」
皆は、ガウンテの工房に立ち寄ることにした。門から中に入ると、帯状の葉を持つ南国風の木が、折れていた。鍵を開けて中に入る。ガウンテは、木の折れ目を観察して、それが人の手によるものではないと気づいた。
「どうやら凶暴な野生動物が町に侵入したようだ」ガウンテが、嫌な物をみたかのように視線を下げて伝えた。
「え、でも治安員さんや狩人さんたちが対処しますよね」フーガは疑問を素朴にぶつけてみた。
「まさか、みんな街を捨てて逃げ出したんじゃ」イリヤが眉をひそめて心配そうに語る。
「僕も自宅に戻ってみていい?」
「用心して行けよ。つねり棒を持っていけ」ガウンテはつねり棒を渡すと、シーラッカの肩を押した。
「待って、私もついていくから」イリヤも後ろから駆け足で追いかけていった。
フーガは、ガウンテの工房に残り、様子を見ることにした。シーラッカとイリヤは、キョロキョロしながら、注意深く、足早に歩みを進める。道路には人っ子一人いないようだった。
前方から見たことのある腕章をつけた作業着姿の男性がやって来た。役所の人間のようだ。彼は「獰猛なクマがうろついているから、早く体育館に避難しなさい」と忠告した。
「大丈夫です。僕も狩人の端くれですから」
「彼はね、アーターキー山のサルを退治して、ワニもやっつけたのよ」
「それは、凄腕だな。ただ今回のクマは破格だ。冒険者と狩人が三人もやられた」
役所の男は、シーラッカたちを帰そうとしていた。
「あたしはイリヤ。そのクマを二人で退治してあげるわ」自信満々で役所の男を説得にかかった。
「ちょっとイリヤ、魔力は大丈夫なのかい?少し休んだら」イリヤの身を案じて心配するシーラッカだった。
「大丈夫よ。あたしが魔法で弱らせて、シーラッカのミニマムでとどめを刺せばいいのよ」
「魔法コレクターのイリヤさんなら、大丈夫でしょう。案内します」
イリヤとシーラッカは役所の男の後をついていった。道中で見かけた家々は、壁が壊れていたり、ドアに爪の後があった。その被害の規模を見て、シーラッカの背中に冷たいものが走った。冷や汗だった。
公園の中に入ると、中央の噴水が叩き折られて水がじょぼじょぼと漏れていた。やがて、芝生の上で狩人や魔法使いに囲まれた巨大な黒い影が見えた。
魔法使いは火の玉を繰り出して応戦してるが、クマは火を恐れず、鋭い爪を振り回して威嚇していた。
「なんで、攻撃補助魔法を使わないのかしら」イリヤは疑問に思った。
そこへ、先ほど戦っていた魔法使いがこちらにやってきて、仰向けに倒れた。
「駄目だ。あのクマには魔法が効かない」
「なんですって。そんなことが……」固まるイリヤ。
「ひとまずここは逃げろ」狩人たちが走り出した。
シーラッカもイリヤを連れて走り出す。しかし、クマは四つん這いになって追いかけてきた。
「そうだった。ガウンテの図鑑では、背中を向けたらダメなんだ」
シーラッカはクマの方に向き直すと、クマの眼を睨みつけて、仁王立ちした。
「レッグフリーズ」イリヤも精神を集中させて、魔法をかけてみる。クマの動きが止まったかに見えたが、クマは立ち上がり、腕を振り上げて威嚇している。何度も同じ魔法をかけるイリヤ。少しクマの下半身が固まった。
シーラッカは、つねり棒を片手に、少しずつクマに近づいていった。だが、つねり棒の長さより、クマの腕のリーチが長いので、一か八かの勝負になる。
イリヤの魔法が解けて来たのか、それとも元々魔法が効きづらいのか、足元が少し動くようになってきた。クマは少しずつ足を揺らして、魔法を解こうとしている。
クマが一歩前に踏み出した。シーラッカは勇気を出して歩み寄り、クマの足をつねり棒でつねった。直後にクマが鋭い爪のついた腕を振り回した。シーラッカは、身を伏せてかわした。
つねるというミニマム攻撃を受けたクマは、立ったままだった。もし、ミニマム攻撃が発動していなければ、二人は終わりになってしまうだろう。シーラッカは祈った。イリヤも必死に防御魔法を唱えた。固い壁で身を守る「ハードウォール」。魔法が効く効かないはかまっていられなかった。ただやれるベストを尽くすだけだった。
ずいぶん長い時間のように感じられた。二人は生きていた。お互いの胸を触り合って心臓の鼓動を確かめた。クマは立ったまま絶命していた。役所の人間や、狩人たちがおそるおそる近寄って、クマの生死を確かめた。
役所の男が二人の近くに来て、クマが退治されたと喜びの言葉をかけた。イリヤもシーラッカもただ泣いていた。恐怖から救われた安堵の心と、パートナーが無事だった嬉しさからの涙だった。
「あたしたち、生きてるのね」
「イリヤのお陰だよ。ありがとう」
「いぃや、シーラッカが凄いのよ」
以後、シーラッカはイリヤと組んで、危険な害獣退治専門の狩人になった。お互いを守るべく相互の能力を高め合い、ラハトバッサでも有数の狩人として、その名を遺した。




