六話
さて、インスタントのコーヒーを三人分淹れて居間へと向かう。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「はっ、こんな奴、水で充分だよ水で。大体どうして来たかは見当付くけどな。
一応訊いとくぞ。何の用だ?」
「そうですね。山室さん、戻ってきませんか」
ずずっ、とコーヒーを啜る父は、「薄いなこれ」と文句を言う。
うるさいなあ。だったら自分で淹れればいいのに。
元部下の前だからか、心なしと態度が普段よりでかい父である。
「おい三味屋飲んでみろよ。はは、こんなコーヒーをハギさんに出したら説教くらうぞ」
「山室さん、私は冗談でここまで来たわけじゃありません。
山室さんが居なくなって、うちの部署はてんてこ舞いですよ」
「そんなの、営業成績一位の三味屋君がいるんだから大丈夫だろ」
「……やっぱり、私が一位になったのを気にされて仕事を辞めてしまったんですか?
ですが、あの月は山室さんが大口の仕事を自分に振ってくれたからじゃないですか!?
私の実力とは思いません!」
「…そうだな。あー…こほん」
親父は僕の方を見た。
そうか、考えてみれば、この場に僕が居るのはおかしいな。
ついつい居座ってしまったが、ここは退散するのが良く出来た息子という物だ。
ただ、僕は不良息子だし、なんだか面白そうな話だったから、ついついわざとらしく小首を傾げてみせてやる。
「ちっ、まあいいか。なあ三味屋。確かに俺はお前に営業成績を抜かれた。
でもそれは俺が辞めた原因じゃない。俺が辞めるための布石だ。
わかるだろ?
そこのバカ息子みたく知らない振りは止そうじゃないか」
「なるほど。人に花を持たせて引退しやすくする魂胆でしたか。
やり方が汚ないですよ。ぬか喜びじゃないですか私」
「あんなので喜んでたら、まだまだプロの営業とは言えんな。
そもそも俺の顧客は一通りお前に紹介してんだろ?俺が辞めて何の問題がある?
大体そこまでしなけりゃ辞めにくい、あの職場が狂ってるんだよ。そんな場所にどうして戻ろうと思うもんか」
「……息子さんは今、仕事をされてないとお聞きしましたが、山室さんが働かないでどうなされるつもりです?」
おのれ三味屋、僕を引き合いに出すんじゃあない。
「知らんよ。まだ若いんだから何とでもなるだろう。
俺が心配することじゃない」
確かに、無職の親父に心配されることでもないな。
それを聞いて三味屋はいただきますとコーヒーを飲み干し、また来ますと言って立ち上がった。
「お前駅から歩いて来たの?結構距離あったろ。
バス使えば早いから、ああ、ちょっとこいつバス停まで案内してやれ」
「また来ますって言ってたけど、次はいつ来るんですか?」
バス停までの道のりで訊ねてみた。
今日は突然だったから居間が少々散らかっていたんだ。
次の予定がわかれば事前に掃除もできよう。
「ああ、多分もう来ませんよ」
「……はい?」
「上司の命令で来ただけですからね。私としてはさっさと会社戻って仕事したいですよ。
全く、ただでさえ忙しいんだから」
「それ、僕に言って大丈夫なんです?」
「どうせ山室さんも分かってるでしょ。お、バス停だ。
案内ありがとう。助かったよ」
三味屋は手帳を開いて予定の確認を始める。
それを見てつい、「仕事お好きなんですね」
なんて口から出てしまう。
「ははは、馬鹿言うなよ。仕事なんて嫌いさ。大っ嫌いさ。
君や山室さんが羨ましいと本気で思う」
バスが去った後も、僕はしばらく立ち尽くしていた。