解雇当日
冒険者パーティ《デルガント》ができて、5年になる。
最初のメンバーは、ジェラルドとニコの2人だった。
当時30歳だったジェラルドは、それまで所属していたパーティを抜け、自分が率いるパーティを作ろうとしていた。
ニコと出会ったのは、その頃だ。
冒険者ギルドの掲示板の前で、募集の紙を端から眺めている若者がいた。
話してみれば、偶然にもジェラルドと同郷で、20歳になったばかりだという。子供の頃から冒険者になるのが夢だったらしいが、剣の腕は頼りなく、魔力もない。それでも諦めきれず、自分でも入れそうなパーティを探していた。
見るからに危なっかしく、放っておいたら、そのうち無茶をして死ぬんじゃないか。同郷のよしみもあったから声をかけた。
それが《デルガント》の始まりだった。
やがて攻撃魔術を使うエルマーが加わった。
大柄なブルーノをジェラルドが誘い、別のパーティで活動していた剣士のロルフと、治癒術を使うネイトも仲間になった。
6人でいくつもの依頼をこなし、森を歩き、洞窟へ入り、魔物を討った。
そうして5年が経ち、《デルガント》の名もそれなりに知られるようになった。
◇◇◇
その日の依頼は、王都から北へ半日ほど進んだ森に棲みついた魔物の討伐だった。
前日の夕方、ジェラルドとニコはギルドの隅で地図を広げていた。
「南側から入るのが一番近いんですけど、昨日まで雨が続いていたので、この辺りはかなりぬかるんでいると思います」
ニコが地図の一点を指でなぞる。
「こっちの古い道を使って、西側から入った方がいいです。少し遠くなりますけど、たぶんその方が早いです」
「川は?」
「水量が増えているはずなので、帰りも渡らない方がいいと思います。日が暮れる前には戻れるはずです」
ジェラルドは地図を眺め、しばらく考えてから頷いた。
「分かった。じゃあそれで行こう」
依頼を受けたあとの細かな道筋については、昔からニコと2人で決めてきた。地図を調べ、天候や季節、その土地に出る魔物まで考えて道筋を組み立てるのは、ニコの役目だ。だが翌朝、全員が揃うと「今日は西から入るぞ」と告げるのはジェラルドだ。
「待ってください」
当日の森へ入って半刻ほどした頃、後ろからニコの声が飛んだ。
だが先頭を歩いていたロルフは振り返らず、その後ろを行くエルマーも歩みを緩めなかった。
ジェラルドが一度だけ目をやると、ニコが道の端にしゃがみ込んでいる。
――またか。
「大きな足跡があります。昨日雨が降ったので、それより後に通ったものだと思います」
ニコが話している間にも、一行の歩みは止まらない。ニコは地面へ目を戻し、土に残った窪みを確かめながら周囲の草をかき分けた。太い茎が何本か折れている。
「たぶん北東へ向かってます。この大きさだと――」
顔を上げると、すでに仲間たちとはかなり距離が開いていた。ニコは説明をやめて立ち上がり、小走りで追いついた。
「ジェラルド、さっきの足跡は大型種だと思います。できれば、もっと西へ迂回した方が―」
「また遠回りかよ」
ロルフが前を向いたまま言った。
「この先は風向きもあまりよくないので」
「ニコ。——悪いがこのまま行く」
ジェラルドが遮った。
昨日決めた道を変更するほどのことではない。大型種らしい足跡があったというだけで、実際に近くにいると決まったわけでもなかった。
ニコはそれ以上言わなかったが、そのまましばらく歩いたところで鞄に手を入れ、小さな布袋をいくつか取り出した。乾燥した草が種類別に入っているようだ。それぞれ指で崩し、粉末と混ぜているうちに、また少しずつ一行から遅れていく。
それに気づいたブルーノだけが足を緩めた。
「おいおいニコ、もしかしてまた臭いヤツか?」
「ええ、魔物避けです。この地域の種類なら、この匂いを嫌うはずなので」
追いついたニコが、息を切らしながら皆に見えるように小さな袋を差し出す。
「服に少しつけておけば――」
「いらねえ」
エルマーが軽く振り返りつつ、即座に断った。
「どうせなんにも出ねえよ」
「でも――」
「昨日もお前、なんか出るかもって言ってたよな。結局出なかったじゃん」
ニコの手が止まる。ロルフも袋を見て顔をしかめた。
「俺もパス。それ臭えんだよ」
「僕もいい」
ネイトにも断られ、ニコは「……分かりました」と袋を引っ込めた。
ブルーノだけが頭を掻きながら腕を出す。
「俺は頼もうかな。せっかく作ってくれたんだし」
「あ、はい」
ニコは少し笑い、ブルーノの袖に粉をつけると、自分の服にもまぶした。
「ジェラルドは?」
「俺もいらない。それより遅れるなよ」
ジェラルドはすでに前を向いていた。ニコは慌てて道具を鞄へ戻し、そのあとを追った。
そのまま結局、大型どころか小物の魔物も現れずに昼前には目的地へ着いた。
現場について少し先を確認しに行っていたニコが、ほどなく戻ってくる。
「いました。正面の開けたところに1体です。周りも見ましたけど、今のところほかにはいないと思います」
「分かった」
ジェラルドが答えると、5人はすぐに武器を構えた。
こういうときのニコの報告を疑う者はいなかった。敵がどこに何体いるのか。道の先に何があるのか。そうしたことを確かめるのもニコの仕事だった。
ジェラルドとロルフが前へ出て左右に開くのとほとんど同時に、エルマーが後方で魔法の準備に入る。ブルーノは何も言われずともその射線を空け、魔物が回り込もうとすれば進路を塞ぐ。ネイトも全員を見渡せる位置を取った。
5年の間に身についた動きだった。
そしてニコも、いつもの位置にいた。後方で短剣を抜いてはいるが、前へ出ることはない。
魔物が大きく腕を振ると、ジェラルドがかわし、ロルフが脇腹を斬った。ブルーノが動く。逃げ道を塞がれた魔物が向きを変えた。エルマーの魔法が放たれ、直撃を食らった魔物が大きくよろめき、そこへロルフの剣が入る。
「大丈夫です。奥にも他に気配なし」
「ニコ」
エルマーが鋭く舌打ちをして、苛立った声を上げた。
「いる時だけ言えっていってるだろうが」
「すみません」
「終わったな」
ロルフが剣についた血を払い、ネイトが前衛の傷を確認する一方で、ニコは少し離れたところから周囲を見回していた。
「現時点危険はなさそうです。ただ、血の匂いが広がる前にここを離れた方が――」
「分かった分かった」
倒れた魔物から討伐証明の部位を切り取りながら、エルマーが答える。
「言われなくたって、用が済めばとっとと帰るだけだ」
帰路は同じ道を通ったが、魔獣に出くわすことはなかった。
「ほらな」
森を抜ける頃、エルマーが言った。
「結局、出やしないんだよ。何にも」
ロルフがニヤニヤとニコを見る。
「そうだな。もしもっと迂回して西まで回ってたら、まだ森の中だったぞ」
少し後ろを歩いていたニコが、小さく答えた。
「……何もなくてよかったです」
「はいはい」
ネイトは振り返りもしなかった。
◇◇◇
ニコは昔から慎重だった。いや、年を追うごとに慎重になっていった、と皆は思っていた。
依頼を受ければ地図を調べ、道を決める。森へ入れば足跡を探し、魔物の居場所や数を確かめる。それはニコが受け持ってきた仕事であり、仲間たちも必要なことだとは認めていた。
問題は、その先だった。
鳥の鳴き声が少ない。獣の気配がおかしい。風向きがよくない。昨日までとは地面の状態が違う。何か1つ見つけるたびに足を止め、せっかく決めた道を変えようとする。遠回りを勧め、引き返そうと言い、少し待った方がいいと言う。
洞窟へ入れば壁を見て、床を見て、ときには天井まで調べる。
戦闘中もそうだった。自分では戦えないくせに、まだ奥にもいる、残りはいないと、次々に口にする。
気が散って仕方がない。
荷物も多かった。傷薬や解毒薬だけではない。乾燥させた草や粉末、小瓶など、用途の分からないものまでいくつも鞄に詰め込んでいる。
薬草には子供の頃から親しんでいたらしく、冒険者になってからは魔物の生態まで熱心に調べるようになった。戦えないなら、ほかにできることを増やそうと思ったのだろう。
だが、そんなニコを頼もしいとは思えなかった。
普通に探索の仕事だけしてくれればいいのに、なぜそこまでやるのか。
また何か調べている。また余計なものを持ってきた。また心配している。
いつの間にか、ニコが仕事の範囲を越えて何かを始めるたびに、「またか」とうんざりするようになっていた。
最初の頃はジェラルドも話を聞いていた。ニコが地面へしゃがめば一緒に覗き込み、何を見つけたのか尋ねた。知らない魔物について調べてきたと言えば、その説明を最後まで聞いた。
依頼の前には今でも2人で地図を広げる。
ジェラルドが大まかな方角や目的地を確認し、ニコが細かな道筋を考える。雨が降ったならどこを避けるのか、この時期にどんな魔物が動くのか、どこで休めば日没までに戻れるのか。そういうことについては、確かにニコを頼りにしていた。
だからこそ、いなくなれば困るだろうという思いが、ジェラルドになかったわけではない。
だが、それも最初の頃とは違う。
もう5年だ。
同じ地図を見て、同じ説明を何度も聞いてきた。雨のあとは低地を避ける。この季節にはこの辺りに魔物が増える。川の水量や日没までの時間も考えて道を選ぶ。
ジェラルド自身にも、今ではそれくらいの判断はできるつもりだった。
何より、ニコが危険だと言っても、何も起こらないことが多かった。迂回を勧められても、そのまま進んで平気だったこともある。念のためにと持ってきた道具のほとんどは、使わずに持ち帰った。
そのうちロルフは、ニコが予定外のことを言い出しても無視するようになり、エルマーは露骨に嫌な顔をするようになった。ネイトも必要がないと思えば聞き流した。ブルーノだけはニコの話に付き合うこともあったが、いつでもというわけではない。
ジェラルドは、そんな皆の態度を窘めなかった。
ニコを何とかしてくれと言われたことも、1度や2度ではないし、ニコからの訴えはなかったものの何も感じていないはずもない。そのうち何とかしなければとは思ってはいた。
だが最初のメンバーだったニコを、簡単に追い出すのも気が進まなかった。それに、探索に関する仕事をずっと任せてきた相手でもある。
もう少し様子を見よう。もう少ししたら考えよう。
そうやって保留にしているうちに、必要な報告には耳を傾けても、その先でニコが口にする懸念や提案には誰もまともに付き合わないことが、いつしか《デルガント》の日常になっていた。
◇◇◇
その日の依頼を終え、6人は馴染みの店へ寄った。
食事が済むと、ニコはいつものように先に席を立った。聞けば、今日の足跡について調べてみるという。それも慣れたことなので特に引き留めることもなく、席には5人だけが残った。
扉が閉まって少しすると、エルマーがジェラルドを見た。
「なあ。どうなんだ?」
ジェラルドは杯を置いた。
「……分かってる。ってか、お前らも俺の立場を少しは分かれよ。あいつを誘ったのは俺なんだぞ」
「だからって何年待つつもりだよ」
その言葉にジェラルドの眉が寄った。ジェラルド自身も何度も考えていたことだった。
「俺だってな、もうちょっと使える奴になってくれると思ってたんだよ」
酒を一口飲んでから、ジェラルドは続けた。
「最初は仕方ないと思ってた。若くて経験もなかった。剣だって、そのうち多少はマシになると思ってた」
だが今も、ニコはまともに戦えるほど武器を扱えず、魔法も使えない。探索ならできる。地図も読めるし、敵を見つけるのも上手い。
だが、それならもっと戦える人間でもできるのではないか。
「いつまで俺たちは我慢しないといけないんだよって話だよ」
「そういうこと」
ロルフが頷いた。
「探索役は必要かもな。でも足跡くらい俺たちにも見られるし、危なきゃ危ないで戦えばいい。いちいちあいつに止められる必要ないだろ」
「俺はあれが一番嫌なんだよな」
ネイトも杯を傾けながら口を挟んだ。
「何するにも待ってください、気をつけてください、遠回りしましょうって。冒険しに来てんのか、危険から逃げに来てんのか分かんねえよ」
ネイトは疲れたように笑い、追加の酒を注文した。
「もう少し戦力になるか、足引っ張らないやつならよかったけどさ」
4人の視線を受けたブルーノは、しばらく黙ったあと、大きな手で首の後ろを掻いた。
「……まあ、ニコが気の毒かもな」
エルマーが眉を上げる。
「大事なことは別としてよ。みんな、あいつの話、まともに聞いてねえだろ。俺だって、いちいち庇ってやれるわけじゃねえし」
ジェラルドも黙って杯を見つめた。
ニコを誘ったのは自分で、ここまで一緒にやってきた。探索の仕事も任せてきたし、いなくなれば多少面倒になることも分かっている。
だが、自分たちも前とは違う。ニコがやってきたことを、ずっとそばで見てきたのだ。地図の読み方も、森で何を見るのかも、昔よりは分かる。必要なら自分たちでやれるだろうし、いずれ別の探索役を入れてもいい。
このまま仲間たちの不満を放置する方が問題な気がしてきた。
「……分かった」
やがてジェラルドは顔を上げた。
「明日話す」
◇◇◇
翌日は討伐後で休日の予定だったが、ニコをギルド前に呼び出した。5人の神妙な顔を見て、ニコは何かを察したらしい。
「どうしたんですか?」
「ニコ。……悪いが、お前には《デルガント》を抜けてもらう」
一瞬固まったものの、ニコは軽く微笑んだ。
「理由を聞いてもいいですか?」
「このままやっていくのは難しいって判断した。俺たちももう駆け出しじゃない。探索や索敵だって、ある程度は自分たちでできる。今後のことを考えると、できればお前の代わりには、もう少し戦える奴を入れたい」
真剣な面持ちでジェラルドは告げるが、後ろにいるロルフとネイトは、掲示板に貼られた何かを見ながら楽しげに笑っている。ニコはその姿をぼんやりと見た。
「お前もその、分かってるだろ。最近、なんかみんなとうまくいってないって」
ニコはジェラルドの視線を避けるようにうつむいた。エルマーがロルフに何か尋ねて大笑いしたのを、静かにしろとブルーノが咎めた。
「分かりました」
ニコがおもむろに顔を上げて頷き、いつも持ち歩く鞄を開いた。
「あの、じゃあ、よかったらこれだけでも」
取り出したのは、使い込まれた革表紙の冊子だった。
「今まで行った場所のことをまとめてあります。出やすい魔物とか、避けた方がいい場所とか。季節によって縄張りが変わるものもいるので――」
「いらねえよ」
指で耳の穴を搔きながら面倒くさそうにエルマーが遮った。
「もういいって言ってるだろ」
ロルフも冊子を見て顔をしかめた。
「悪いんだけど俺、あんま字読みたくないんだよね」
ネイトもニヤニヤと笑うだけで、手を伸ばさない。
ニコは冊子を持ったまま、少し困ったように5人を見た。
「俺がもらっとくよ。ありがとうな」
ブルーノが手を出す。
「いいんですか?」
「せっかくだしな。助かるよ」
「いえ。ありがとうございます」
ニコは冊子を渡した。
「後ろの方に薬のことも少し書いてあります。あと、北の森なんですけど、そろそろ繁殖期に入る種類がいて、川沿いは――」
「ニコ」
ジェラルドが止めた。
「もういい。ありがとう」
ニコはしばらくジェラルドを見ていたが、やがて小さく頷いた。
「……そうでした。すみません」
鞄の口を閉じると、改めて5人を見た。
「長い間お世話になりました。ありがとうございました」
深く頭を下げると、誰かが「ああ」と答えた。
ニコは顔を上げて鞄を背負い、そのまま5人に背を向けてギルド前を離れていった。
「……終わったな」
ロルフが言った。
エルマーが両手を高々と上げて伸びをしながら、大きく息を吐く。
「やっとか」
「おい」
ブルーノがたしなめる。
「本人の前じゃ言ってねえだろ」
「そういう問題じゃねえよ」
そう言いながらも、ブルーノの声に強さはなかった。
ジェラルドは何も言わなかった。
肩の荷が下りたような感覚があったことを、わざわざ口にする必要もなかった。
◇◇◇
翌朝、王都の東門に集まったデルガントの5人は、東の森に出た小型魔物を討伐するため、そのまま森へ向かった。
今回の目的地は王都から近く、何度も行ったことのある場所だった。地図を広げて相談するほどの道でもない。
ロルフを先頭に進んでいくが、誰も足を止めない。地面に獣の足跡が残っていても、進む先に危険があると分かるものでなければ、わざわざしゃがみ込む者はいなかった。
これまでなら何度も足を止めていた道を、5人は驚くほど順調に進んでいく。
「速えな」
ブルーノがぽつりと言った。
「そりゃそうだろ」
ロルフが笑った。
「いちいち止まらねえもん」
予定より早く目的地へ着き、魔物もすぐに見つかった。
ジェラルドとロルフが前へ出て、ブルーノが横へ回る。エルマーの魔法が放たれ、ネイトが後方を支えた。
5人で十分だった。
戦闘はあっけなく終わり、帰り道も順調だった。遠回りすることも、立ち止まることも、長い説明を聞くことも、臭い粉をつけられることもない。
王都へ戻ったときには、まだ日が高かった。
「こんな早く帰れたの、久しぶりじゃねえか?」
ロルフが上機嫌に言った。
「だから言っただろ」
エルマーも機嫌がいい。
「俺たちだけで十分なんだって」
ネイトも否定しなかった。
ブルーノは何も言わず、肩に掛けた荷物を持ち直した。中にはニコから渡された冊子が入っていたが、取り出す理由はなかった。
何も困っていないのだから。
「行くぞ」
ジェラルドの声に、5人は王都へ向かって歩き出した。
5年間ともにいた仲間を追い出した翌日、寂しさより先に彼らが感じたのは、驚くほど身軽になったという解放感だった。




