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Ep.47「皇彌と翠玉」

 ボクが紫乃盾(しのたて)晴矢(はるや)の屋敷にやってきて、大体一週間か二週間くらい後に、彼はやってきた。

 金色の髪に、宝石のような緑色の瞳。おまけに肌が白くてきれいな男の子だ。年齢はボクより三つ下、当時は十六歳だった。

 纐纈(はなぶさ)翠玉(すいぎょく)君。ボクは彼のことを翠君と呼んでいる。

 翠君は、「こんにちは、売られてきた纐纈翠玉です。お手軽に翠君とお呼びください。あ、手練手管はさっぱりなので教えてもらえるとうれしいな」と強烈な自己紹介をしてくれた。強烈すぎて今でも一言一句覚えているくらい。

 それから翠君から生まれ故郷がシジであること、そして自分がシジに存在する纐纈一族のひとりであることを教えてくれた。ついで、纐纈一族は女性の立場が圧倒的に強く、翠君を含めた男性たちは彼女たちのために身を粉にして仕えるのだということを、男性の立場が圧倒的に低く、いかなる扱いにも文句を言うことができない一族の状況も。

 翠君のお姉さん、纐纈翡翠(ひすい)さんは、次代の族長だった。だから翠君の扱いは、特に厳しかったという。

 少しでも失敗すれば叱責され、死ぬほど折檻され、挙句不衛生な座敷牢に一日中閉じ込められることあった――と、翠君は淡々と語った。

 でも、彼はそんな目に遭ってもただ残念そうに「仕方がないんだ、運が悪いから」と言うだけだった。悲しんでいる様子も、恨んでいる気配もなかった。

 彼を見て、清らかな子だと思った。たとえるなら、青空を吹き抜ける風みたいだった。

 だから、紫乃盾晴矢の狂気じみた褥に耐えることができたのだろう。

 ――そして、だからこそ。

 彼の口の両端は裂かれて、縫われている。

 声を上げなくてつまらない、なんてクソみたいな理由で。


 ◇


 翠君は現在、離れに皇彌(おうみ)さんと住んでいるのだという。

 離れ、といってもかなり立派な建物だった。その見た目はまさに『和風』そのものを体現するそれで、脳裏に峰理(みねり)さんの息を呑む姿がよぎる。本家と離れは結構な距離があるそうで、しかも道順は限られた者にしか教えられていないらしい。

 皇彌さんが先導して玄関の戸を開く。


「翠玉、帰りま」


 皇彌さんが言い終える前に、何かが飛び出して、その〝なにか〟にボクは捕まる。

 あたたかかった。


「ゆと君……!」

「翠君っ! 久しぶりだね」

「うん。ザイカで別れて以来だから……二年ぶり? かな? ううん、どうでもいいや」

「えへへ、元気そうでよかったよ」

「ゆと君もね」


 ぎゅうぎゅうと力強く抱き締められつつ、頬擦りされた。

 その状態のまま、「翡翠さんは?」と訊ねた。翠君は「今ちょっと忙しいんだ」と答えた。


「そっか、族長ともなるとそうだよね……」

「姉さんは一族を変えようとしているんだ。男や女も関係なく、みんながきちんと才能で評価されるように」

「男も女も関係なく?」

「うん。僕が皇彌さんと一緒にいられるのは姉さんのおかげなんだよ。僕たちの一族って、同性愛はあんまりいい顔されないからさ。……繁栄の足しにならないって非難されるんだよ。姉さんが族長じゃなかったら、たぶんシジに戻っても、皇彌さんと引き剥がされていただろうなあ」

「……」


 なんともない風に翠君は言った。

 ザイカにいた頃には、考えもしなかったことだった。

 誰が誰を好きであろうと、誰にも咎められるなんてないと思っていた。

 でも、翠君は一族という大きな枠組みの中にいる。枠組みには規則がつきものだ。その中で規則に反する個の意思を主張しようものなら、集団の意思が圧し潰そうとするだろう。それに抗うのがどれだけ大変なことか。

 そして、枠組みの規則そのものを取り払おうとする翡翠さんの努力がいかほどのものか。

 ――ボクにはわからない。わからないけれど。

 ここに翠君と皇彌さんが一緒にいるのが奇跡だということだけは、はっきりとわかる。


「……よかったね、翠君」

「うん」


 翠君は微笑んだ。

 相変わらずきれいな瞳だった。名前の通り、翠玉(エメラルド)みたいな目。きらきらしていて吸い込まれそう。そして、意思の強さがはっきり映っている。

 この目は、初めて会ったときから全然変わらない。翠君は、ずっと翠君のままだ。

 素直で無垢で無邪気でかわいい、ボクの大切な友だちである。


「まあ、結局のところ僕も面倒くさい一族の生まれなので、面倒ごとは背負うよ。背負い投げで、一本勝ちだね」

「投げちゃダメなんじゃないかな……」

「……おい、遊兎都(ゆうと)

「ん? はい、どうしました蜜波知(みつばち)さん。……あ、そうだ、翠君。あのね、このひとが」

「いつまで抱き合ってんだ?」

「え?」


 あ、つい……。


 ◇


「蜜波知さん初めまして。僕は纐纈翠玉と言います。お手軽に翠君とでもお呼びください」


 いつもと変わらない翠君の挨拶に、蜜波知さんが「お手軽には呼べねえだろ……」と言いつつ、「遠瀧蜜波知だ。ハニーBでもいい」と返した。翠君はちょっと考えてから「……ハニーさん?」と独特なあだ名をつけた。


「ハニーさん……って」

「あれ、駄目ですか? そしたらビーさん……ビーサン?」

「いや、いい。ハニーさんでいい」

「りょ。それじゃあハニーさん」


 ボクらは離れの一番広い部屋に通された。畳敷き、襖で囲われた部屋である。峰理(みねり)さんがシジに来たらすごく興奮するんじゃないか、と思った反面――いつも冷静沈着な彼が興奮するのかな、と思った。

 思考に耽っていると、「お前、すげえやつと知り合いなんだな」と蜜波知さんに耳打ちされてはっと我に返る。


「え? すごいやつ……?」

「うん? 知らねえのか? 纐纈っていやぁ、『糸の舞姫』なんて呼ばれるほど一級品の糸使いだぜ。その次期当主の弟の恋人が殺しの名門瑪瑙堂(めのうどう)家……どういう巡り合わせなんだよ」

「さあ……。翠君の出身のことは出会った頃は知らなかったですし……。皇彌さんのこともそこまで……」

「へえ、僕たち『糸の舞姫』なんて呼ばれているの? あとで姉さんに教えておかなくちゃ」

「初耳なのかよ」

「シジは外交を極端に制限しているので、知ろうとしなければほとんど外の情報を知ることはできません。ですから、一族の評判についても無知な方が多いんです」


 ハニーBの情報に翠君が驚き、理由を皇彌さんが付け加えた。

 蜜波知さんが皇彌さんを見る。


「瑪瑙堂……瑪瑙堂、ね」


 意味深長な復唱に、皇彌さんの目がすっと細くなる。

 ボクが言われているわけじゃないのに、緊張した。


「なにか?」

「いいや? 『殺しの名門』瑪瑙堂っていやぁ、俺も何度か依頼をしたことがあってな……彌勒(みろく)羅修(らしゅ)炉雲(ろくも)以呂玻(いろは)……皇彌なんて名前はなかったな、と思っただけさ」

「いなくて当然です。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ふうん?」


 気まずい沈黙が流れる。

 だから、空気を変えるためにちょっと気になっていたことを口に出して質問した。


「ねえ、翠君!」


 ちょっと無理矢理すぎたかもしれないが、気にするまい。


「んぇ? なあに?」

「翠君のさ、腰の……、それって、なに?」

「あ、これ?」


 翠君の腰から伸びる飾りのことだ。ザイカにいた頃にはついていなかった。

 ふわふわした毛の塊といくつもの玉を連ねたような装飾が、一緒に繋がっている。腰から下げた様相は狐の尻尾みたいでかわいかった。


「これは『舞飾(まいかざり)』だよ。纐纈だと成人祝いにこの飾りをもらうんだ」

「へえ……きれいだね」

「ありがと。族長とかになると、形は違ってくるんだけどね。シジだと十八歳で成人なんだけど、その時僕はザイカにいたから。それで戻ってきてすぐもらったんだよ」

「ああ、そうだったんだ。じゃあ翠君はもう大人ってことなんだね」

「一応ね。お酒と煙草はまだダメなんだけど。――あ、そういえば」

「うん?」

「珍しい猫がいるって電話で話していたけど……」

「……あ」


 そういえば、電話で「しゃべる猫と一緒なんだ」と話をしていた。

 ボクが口ごもったのを察した翠君が、「猫は気まぐれだからね」とフォローしてくれた。


「そのうち出てきたら話させてね。それはそうと……」

「?」

「長旅で疲れているだろうから、ひとっ風呂いかがです?」


 翠君の提案に、膝を打ったのは蜜波知さんだった。

 シジは不気味な街として有名だが、一方で温泉地であることでも有名である。


「シジの温泉か! おい、ゆ――」

「ゆと君、久しぶりに一緒に入ろうよ。いろいろ話したいし」

「あ、いいね! えっと……蜜波知さん、何か今言いかけました?」

「……いや、なんでもねえ」


 蜜波知さんを見て、さっきまで無表情だった凛彗さんと、傍らにいた皇彌さんが何故か笑いをこらえていた。

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