Ep.48「風呂場にて」
黒い石でできた立派なお風呂だった。
翠君が「大理石って言うんだよ」と教えてくれた。とんでもなく広くて、体を洗う場所がいくつもある。
これをふたりだけで使っているのか、ものすごく贅沢だ。
傷だらけの体を丁寧に洗い、そそくさと湯に向かう。
「結構熱いから。お湯をかけてからゆっくり浸かってね」
事前に翠君から教わった入り方を実践する。それから肩まで浸かった。
ずっと緊張していた気持ちも一緒にほどけるみたいな気分だった。
気持ちがいい。
「ふう~……」
思わず吐息がこぼれる。
体と髪の毛を洗い終えた翠君がこちらに向かってくるのが見えた。
「湯加減どう? 熱くない?」
「ちょうどいいよ、ありがとう翠君」
「ううん、気にしないで。僕もお邪魔するね」
翠君がすぐ隣の浴槽に身を浸した。ざばあ、とお湯がこぼれる。翠君は浴槽の真ん中あたりで座っていた。
「ゆと君」
「うん」
「電話で話していたことだけど」
「……うん」
「あのひとが……、ハニーさんが、凛さん以外の大切なひとなんだね」
「……うん」
ボクは浴槽のへりに身を寄せた。
電話で「相談したいことがある」と事前に伝えてあった。
――大切なひとがひとり以上いたら、翠君はどうする?
「……贅沢だよね」
ついでに言うと、わがままだ。ボクはふたりが好きだけれど、ふたりにはボクだけ好きになってほしいと思っている。それも付け加えて言うと、翠君は「うーん」と唸った。
「全然贅沢ではないと思うし、わがままでもないよそれ」
「……え?」
「僕も恋愛とかそういうの詳しいほうじゃないから、的外れな意見になってしまうかもしれないけれど」
「うん」
「好きなひとに自分だけ見てほしい、のはごくごく自然な考え方かと」
「……そ、そう?」
「うん。ていうか僕もたまーに思うことだし。そもそも、僕はゆと君を好きになるならそれくらいの覚悟を持ってほしいんだよね。中途半端な覚悟でゆと君に好意を向けるのはやめてほしい。――僕が許さない」
「えっ」
尋常ない気持ちのこもりように思わず、振り返る。
翠君が立ち上がって、お湯を蹴りながら近づいてきた。
「だってゆと君は、誰かの想いに対して適当にあしらったりしないでしょ。想われたら、自分がどう想うかちゃんと考えて、答えられないときは答えられないってはっきり言うし、わからなければわからないって言う。……そうやって相手の気持ちを無下にしない。それってすごく誠実なことだと思うし、素敵なことだよ。――そんな素敵なゆと君を前に目移りなんて……死んだほうがいいよ。というかそんなやつがいたら、僕が拷問する」
ものすごい量の台詞を、とんでもない熱を込めて、一息に、翠君は言い切った。
唖然としているボクはただ「も、物言いが物騒だよ翠君……」と言うので精一杯だった。
「――ふたりと付き合うのはいけないことじゃないよ」
「え?」
ボクは翠君を見た。翠君は両腕を枕にして、その上に顔を置いてこっちを見ていた。うたた寝をする形だ。枕にしている白い腕にはたくさんの切り傷、痣、火傷がある。ボクと同じだけれど、こちらは治療されたのか痕が薄くなっていた。
翠君の肌は、とびきりきれいだからよかった。
「僕は皇彌さん以外と付き合うなんて、とても考えられないけれど。……でも、それはあくまで僕の考えで、僕の人間関係だ。ゆと君は僕じゃないし、僕もゆと君じゃない。だとすると、僕と同じようにたったひとりだけって縛られる必要はないよ」
「……」
「ゆと君は、凛さんとハニーさんを比較して順番をつけているの?」
「まっ……まさか! しないよ、そんなこと! 失礼じゃないか」
「――ね?」
悪戯っぽく笑う翠君は、口を裂かれた傷なんてどうでもよくなるくらい、きれいだった。
なんなら、装飾品にすら思える。
「……え?」
「だったら大丈夫だよ。凛さんの好きも、ハニーさんも好きも、ゆと君はちゃんと受け取って返そうとしている……めちゃくちゃ、愛、だよね。とんでもない純愛だよ、妬ましいくらい」
「……翠君……」
「だから、ゆと君は誠実だよ。愛情にたくさん囲まれてすくすく育っている」
「……ふふふっ、なにそれ。すくすくって……」
「? すくすくはすくすくだよ、健康は大切だからね」
「……そうだね」
翠君が顔を起こした。お互い何も言わずに顔が近づいて、それからこつん、と額と額がぶつかった。
お屋敷にいた頃に、一番うれしいことがあった時、その記憶を共有しよう! なんて空想から生まれた行為である。
「……ありがとう、翠君」
「お安い御用だよ」
ふたりともそれぞれ深い愛情をボクにくれる。どっちも強くてどっちもあたたかい。
ボクは贅沢だと思う。でもそう思ったとして、ボクはふたりを手放すことはできないだろう。
想いを与えられて、その想いに向き合って。
そして、ボクは見つけてしまったから。
脆くて儚いけれど、たしかにそこある幸せを。
――じゃあ、ネウは?
「……翠君」
「うん」
「……あの、さ」
「うん」
「……もうひとつ、あったら……どうしよう……」
「え?」
「……ボクの両手はもう塞がっていて……だから、その……」
「……うーん」
翠君は目をくるくるいろんな方向に回して、それから言った。
「背負えばいいんじゃない? 背負い投げで一本勝ち」
「……いや、だから投げちゃだめだと思うよ……」
背負う、か。
背負えるだろうか、ボクに。
彼の想いを。
悶々と考えこんでいたところに「そういえばゆと君」と声がかかって、ボクは我に返った。
翠君を見ると、彼はしげしげとボク――ではない方を見ている。辿ると視線は首に注がれていた。
「へ? え? なあに、翠君」
「……それ、首輪?」
「えっ」
あ、そうだった。
凛兄ちゃんにもらった首輪。盗聴器が仕掛けられているかもしれない首輪。
好きだって思ったあの日から、外す気になれなくてずっとつけているものだ。
「あーうん、そうだよ。首輪」
「ふうん……」
「い、嫌なものじゃないよ! 凛兄ちゃ……じゃなかった、凛彗さんがくれたもので」
「――いいなあ」
「え」
いいなあ?
「いいなあ、って……?」
「僕も欲しいなあ、首輪」
「……欲しいの? 首輪」
「欲しい、首輪」
「……欲しいものかなあ、首輪」
「欲しいものだよ、首輪」
お互いに首輪、首輪と言いながら、ボクはそれを撫でた。
大好きなひとがくれた、ボクを縛るモノ。
嫌な感じは、全くしなかった。
翠君は終始羨ましそうに見つめていた。
……欲しいかなあ、首輪。
翠玉は遊兎都ガチ勢




