七
いつも、夢は、悲鳴からはじまる。
「フェザー――――――――――ッ」
ひきつれた叫び声が、辺りに響き渡る。
「なんで…っ、どうして!」
「殿下、お下がりください。ここは、あぶのぅございます」
「ッ、離せっ。フェザーっ、マリーフェザー!」
「いけませんっ」
「だれか手を貸せ。殿下を安全な場所へ」
にわかに慌ただしくなる周囲。
お忍びとあっても、悟られないよう護衛兵が配置されていたのだろう。
ワラワラと人混みから現れた彼らは、すぐさま厳戒態勢をとった。
「おー…りー…」
「お静かに。傷にさわります」
「でも……」
オリフィスが呼んでいる。
泣かないで欲しいのに。
彼には太陽のような輝く笑顔が似合うから。
傍に行って抱きしめたい。
大丈夫だよ、と抱きついて安心させてあげたいのに、体がうまく動かない。
額からこめかみにかけてずきずきと痛む。
「……ぁ」
頬を伝うぬるりとした感触。
汗かと思って拭ってみると、違った。
小さな手のひらは、血で染まっていた。
「すぐに医者が来ます。ご安心ください」
呆然とするマリーフェザーを安心させるようにだれかが言った。その後ろでは、怒号が飛び交っていた。
「まだか! 医者はなにをしてるっ」
「だれか、清潔な布を。止血をしなければ! 血が流れすぎているっ」
なにがどうしてこうなったのだろう。
ただ、オリフィスを守らなきゃって。
そう思ったら、体が勝手に動いていた。
「おーりー…ぶじ?」
「…っ、ええっ、ええ! 貴女様のおかげですっ」
息を呑んだ男の声は震えていた。
「貴女様がお守りしたのですよ」
「よかっ…た」
オリフィスが傷つかなくてよかった。
オリフィスが無事でよかった。
綺麗な綺麗なオリフィス。
大切な大切な自分の王子様。
大好きだから守りたかったのだ。
「もうしばらくの我慢ですよ……」
すっと布が額に当てられた。
けれどそう告げる男の声は冴えなかった。
「傷が深い……」
痕が残ることを危惧しているのだろう。
けれどオリフィスを守れたことに満足しているマリーフェザーは、そんなこと気にならなかった。
(めいよのくんしょうっていうの……)
きっと、父様も、お兄様も喜んでくれる。
きっと、父様も、お兄様も褒めてくれる。
よくやった、って。
傷は痛いけれど、マリーフェザーの心は、晴れやかだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ずきり、傷口に痛みを覚えたマリーフェザーは、ゆっくりと目を開けた。
額に手を当てると、そこには冷たい感触があるだけだった。
『フェザー、約束して。ぼくがいいと言うまで、この仮面を取らないって』
『ずっ…と?』
王太子の婚約者である公爵令嬢が顔に傷を負った事件は、醜聞となって社交界を駆け巡った。
わがままな公爵令嬢が無理やり王太子を城から誘い出し、供もつけずに遊んでいたら、暴漢に襲われた。守ろうとした王太子を置いて逃げようとした公爵令嬢は、他の仲間に見つかり斬られた、と。
もちろん、公爵家は事実無根と火消しに走ったが、新しい話題に飢えていた者たちは、好き勝手に話を広げて、収束することはなかった。
誤った噂も、真実のように広がってしまえば、それが正となる。
公爵家に非はないと知っているはずの王家も、過熱する内容を重く見て、令嬢の謹慎を言い渡した――――。
『そう、ずっとだよ』
寝ていないのだろう。
湖畔のような薄い青は、どこか暗く濁っていた。
『……守るから。フェザーは、ぼくが守る』
『オーリー?』
『大好きだよ、ぼくの妖精姫。どんな姿でも、それだけは変わらない。だから、忘れないで。覚えておいて』
悲痛な声が、マリーフェザーの耳朶を打つ。
謹慎とは名ばかりの療養生活を送るマリーフェザーの元へこっそりと訪れたオリフィスは、溢れ出る感情を抑えるかのようにぎゅっと小さな手を握りしめた。
いつもと違うオリフィスの姿に、マリーフェザーの胸も不安にざわめいた。
そして、その不安は的中する。
それからオリフィスは、徐々にマリーフェザーと距離を置くようになるのだ。
「マリーフェザー様、もう、お目覚めでございますのね」
ぼんやりしているマリーフェザーはいつものことと、にっこり微笑んだ彼女は、テキパキと部屋を動き回る。
カーテンを引き、窓を少し開けると、寮に咲く花の甘い香りが風に乗って部屋に入り込んできた。
温かい湯で顔を洗うと、少しすっきりした。
仮面ごと顔を丁寧に拭った侍女は、楽しげにマリーフェザーの世話を焼いていく。
「さ、次はお着替えのお時間ですわ。今日は天気がいいそうですから、少し髪をまとめてみましょうね」
オリフィスをはじめとする大切な人たちが離れてしまった代わりに、新しくマリーフェザーの世話役として雇われた彼女は、仮面に恐れる様子を見せなかった。
異様な姿のマリーフェザーを世界一美しい、優しい、かわいいっ、そんなお嬢様に仕えられる私は果報者、と声高に叫ぶ変わり者だ。
だからこそ救われたこともいっぱいあるのだが。
「リボンはどれにしようかしら」
「サテンの…空色が……」
「あら……ええ、それがよろしいですわね」
幼いオリフィスの顔を思い浮かべながら呟くと、侍女は嬉しそうに微笑んだ。
「えっ…あ、」
マリーフェザーは、頬をほんのりと染めた。
オリフィスの瞳と同じ色を身に着けたい、なんて……。
侍女の生暖かい視線がどこか恥ずかしい。
オリフィスは気づいてくれないだろうが、それでもいいのだ。ただの自己満足でも、マリーフェザーの心を満たしてくれるのだから。
「ねぇ、ミーファ。私にお手伝いなんてできるのかしら……」
「お嬢様に不可能はありませんわ!」
「けれど……」
制服に着替えさせ、髪の毛を編み込む作業に取り掛かっていた侍女は、後ろから主人の顔を覗き込んだ。
「お嬢様は、なにを望んでいますの?」
「え? のぞ、み……?」
「そうですわ。一学年といえば、まだ入学したてのひよっこ。初の大舞台のお茶会の……しかも女主人に選ばれたとあれば、心もいつも以上に落ち着かないことでしょう」
「ええ、そうね」
「でしたらお嬢様は、女主人に選ばれた方に寄り添って導いて差し上げたらよろしいのでは? 完璧なものなんて必要ありませんでしょ。なんといっても、今回は、最良候補と名高い生徒がおられるようですし。でしたら気取ったやり方ではなく、招いたお客様を楽しませる趣向のほうがよろしいかと」
「まぁ…!」
マリーフェザーは、驚いたように口元に手を当てた。
「ミーファはさすがね。私の悩みをいとも簡単に解消してしまうんですもの」
「照れますわ。お嬢様に喜んでいただけてなによりです。私にとって、お嬢様の喜んでくださる姿が一番の褒美ですわ」




